新宿夜話《しんじゆくやわ》(一幕三場)        登場人物      初演配役      斎藤|甚五左衛門《じんござえもん》   (二世市川|左団次《さだんじ》)      その弟大八  (二世市川|猿之助《えんのすけ》のちの|猿翁《えんおう》)      |信濃屋《しなのや》の|抱妓《かかえ》お蝶   (二世市|川松蔦《しようちよヱ》)      信濃屋の若い者千助   (二世市川荒次郎)      おなじく|丑蔵《うしそう》      |旅籠《はたこ》屋の亭主   (二世市川|左升《さしよら》)      旅籠屋 の娘    (市村|家橘《かきつ》)      在郷の客与次郎   (市川|八百蔵《やおぞう》)      |馬《え 》      |士《ゴ》   (河原|崎権十郎《ごんじゆうろう》)      |六《ろく》 |十《しゅう》 |六《ろく》 |部《ぶ》    (沢|村源十郎《げんしゆうろう》)      地廻りの若い者      遊女屋の若い者      台屋の若い者      鳥追い。|中間《ちゆうげん》など           昭和二・五、本郷座初演            (一)       江戸時代。明和の初年。                                             いなか       甲州街道。内藤新宿の宿はずれ。休み茶屋と安泊まりを兼ねたる小さき二階家。すべて田舎                  わらじ     つる                      は    びたる作りにて、軒には草鮭などを吊し、柱に「火なわあり」の札を貼り、店さきには駄菓     子なども列べてあり。正面は|鼠壁《ねずみかべ》にて|破《や》れ障子の出入り口あり。軒には『御休所、御はたご』             あんどん                 しようぎ                   や     としるせる行燈をかけ、店の前に長床几二脚ほどを置き、影の痩せたる柳一本立つ。         (秋の日の暮れかかるころ、老いたる旅僧は笠をかぶり、うしろ向きになりて床几に腰をかけてい         る。亭主は店に|坐《すわ》りて炉の下を|煽《ちお》いでいる。 一方の床几には地廻りの若い者二人が腰をかけ.-、|姻草《たはコ》                 えき(  (4ぴ  まこうた        し五        ろくしゆう入くふ(5)おい(6)         をのんでいる。駅路の鈴、馬士唄きこゆ。下のかたより六十六部が笈を背負いていず。) 六 部  今帰りました。 亭 主  (見かえる。)おお、帰りなすったか。きょうはお天気で結構でしたな。 六 部  きょうは天気がよいので、まず牛込を振り出しに、小石川、|本郷《ほんごう》、|下谷《したや》、浅草、|本所《ほんじよう》、      深川をまわって来たので、やれ、やれ、くたびれました。(|草鞍《わらじ》をぬぐ。) 亭 主  なるほどそれではくたびれるはずだ。早く湯にでも行って休みなさるがいい。 六 部  はい、はい。そうしましょう。        (六部は破れ障子をあけて奥に入る。) 若者甲  今聞いていりやあ、あの六部は牛込から、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川をま      わって来たそうだ。それじゃあ江戸の半分をあるいてしまったようなものだぜ。 亭 主  それもやっぱり信心の力でございますね。 若者乙  なにが信心なものか。ほんとうの信心なら|辻堂《つじどう》の縁にでも|転《ころ》がって寝るのが当たりめえ      だ。 若者甲  |旅籠《はたご》に泊まって湯にはいって、寝酒の一杯も飲もうというのじゃあ、信心もあんまり当      ご、にゃあならねえ。 若κ乙  どうで山崎町の損料|物《ハェレ》よ。 亭 主  へ笑う。)はは、そうかもしれませんね。        (奥より六部が手拭いを持って出るに、亭主はあわてて口をつぐむ。) 六 部  この|草履《ぞうり》を借りて行きますよ。 亭主  はい、はい。行っておいでなさい。 六 部  日が暮れたら薄ら寒くなってきた。どれ、ゆっくり|温《あつた》まって来ましょう。                       たい,こ           窒、あ讐ん        (六部は上のかたへ去る。下のかたにて太鼓入りの騒ぎ唄きこゆ。亭主は軒行燈に灯を入れる。〉 亭 主  おお、日が暮れたせいか、だいぶ世間が|賑《にぎ》やかになって来ました。 若者甲  さあ、これからがおれ達の世界だ。 亭 主  お楽しみでございますね。 若者乙  楽しみだか苦しみだか知らねえが、こう|病《や》みつきになっちゃあしかたがねえ。 若者甲  なにしろひと廻りして来ようぜ。 亭 主  早く顔をみせておいでなさい。 若者乙  なに、こっちが見に行くのさ。 甲乙 ははははは。        (二人は笑いながら挨拶して下のかたへ去る。騒ぎ唄いよいよ賑やかにきこゆ。) 亭 主  (二人のあとを見送る。)はは、若い人はみんなおもしろそうだな。 老 僧  (はじめて向き直る。)御亭主。 亭 主  はい、はい。 老僧  江戸もよほど変わったようだな。 亭 主  江戸はお久しぶりでございますか。 老 僧  江戸を立ちのいてから三、四十年にもなる。 亭 主  三、四十年……。それでは江戸の変わり方がまたひとしおお目にたつはずでございます、 老 僧  あの唄や|太鼓《たいこ》はどこだな。 亭 主  (笑いながら。)この新宿でございます。 老 僧  新宿……。(すこし考える。)内藤新宿の茶屋|旅籠屋《はたごや》は取り|潰《つぶ》しになったはずだが……。 亭 主  さようでございます。今から四十年ほど前に|永代《えいたい》お取り潰しということになりました      が、|当春《とうはる》からふたたび|御免《ごめん》になったのでございます。 老 僧  いったんお取り潰しに相なったものを四十年の後にふたたび御免……。どういうわけか      な。 亭 主  新宿お取り潰しの後は、高井戸を馬|継《つ》ぎの|宿《しゆく》に|換《か》えられたのでございますが、日本橋か      ら高井戸までは三里半、なにぶんにも道中が長うございまして、馬や人足も|難儀《なんぎ》いたします      ので、昨年から新宿再興の儀をねがいいでまして、当春ようようお許しになったのでござい      ます。ここは日本橋から二里ということになっておりますから、やがて今までの半|道《みち》で、道      中の者はみな助かります。 老 僧  それならばただひととおりの|問屋場《とんやば》や旅籠屋だけを許されたらよさそうなもの。|飯盛《めしも》り      の売|女《 ユ 》までを許されて、あのように唄いさわぐとはその意を得ぬことだな。 亭 主  (また笑う。)御出家さまから御覧になりましたら、定めてふしぎにも|思《おほ》し石しましト、うが、      やはりこういうところにはあのようなものがございませんと、|宿《しカく》が|繁昌《はんしよう》いたしませんし五街      道のうちでも甲州街道は一番さびしいところで、新宿が取り|潰《つぶ》しの後はまるで草原同様にな      っておりましたが、それが|御免《こめん》になりますと急に夜が明けたようになりまして、御覧のとお      りの|繁昌《はんじよう》で土地の者もみな喜んでおります。 老 僧  茶屋|旅籠屋《はたごや》に売女を置いて、往来の旅人に色を売らせねば、この土地が繁昌せぬと言う      のか。 亭 主  こう申してはいかがでございますが……。(預をかく。)とかく世間は色と消で、どうも致し     方がないようでございます、ここに色町が新しくできましたので、往来の|旅人《たびひご 》ばかりではござ     いません。山の手一円のお武家も町人もみな珍しがって|通《かよ》ってまいります。ははははははは。 老 僧  (聞き|答《とが》めるように。)武家も通ってまいるか。 亭 主  ずいぶん通っておいでのようでございます。今から四十年前と申しますと、わたくしど      もが子供の時分のことで、くわしいことはよく存じませんが、この新宿がいったんお取り潰      しになりましたのは、やはりそのお武家の一件からだそうでございます。 老僧 そうかな。 亭主  四谷の|大番町《おおはんちよう》に斎藤|甚五左衛門《しんごさえもれ》という四百石取りのお旗本がございまして、その弟がこ     の新宿で|喧嘩《けんか》をしたというのがもとで、甚五左衛門という人はたいそう立腹して、すぐにそ      の|弟《ユ》に腹を切らせて、その首を|大目付《おおめつけ ユ 》のお役人のところへ持って行って、自分の屋敷は|潰《っぶ》さ      れてもいいから、相手の新宿を取り潰してくれろと願って出たそうでございます。 老 僧  (ひとり言のように。)それで新宿は潰された。 亭 主  甚五左衛門という人の屋敷も潰されました。 老 僧  それが三十年四十年の後にはこのとおりに再興して、昔にまさる|繁昌《はんじよう》になった。して、      その甚五左衛門の屋敷はどうなったな。 亭 主  それはお取り潰しになったままで、屋敷のあとは今でも|空地《あきち》の草原になっております。 老 僧  屋敷あとは草原になっているか。 亭 主  お武家の屋敷に草は|生《は》えても、色町に草は生えません。(笑う。)ふしぎなものでござい      ますよ。        (老僧は黙ってかんがえている。騒ぎ唄またきこゆ。) 亭 主  (こころづいたように。)いや、とんだおしゃべりを致しました。さっきはお泊まりになる      ようなお話でございましたが、どうなさいますな。 老 僧  どうしようか。(考える。)小石川の縁者をたずねようと思っているのだが、ここから小      石川の果てまではよほどの|路程《みちのり》がある。久しぶりでたずねてゆくのに、夜ふけて門をたたく      のも気の毒、ことにわしも疲れている。やはり今夜は|厄介《やつかち》になろうか。 亭 主  ありがとうございます。(奥にむかいて。)おい、おい、おきよ。 娘   はい、はい。       (奥より娘いず。) 亭 主  このお客さまを裏の井戸端へ御案内して、おすすぎを取ってあげろ。 娘 (僧に。)どうぞこちらへお廻りくださいまし。       (娘は老僧を案内して、下のかたより家のうしろへ連れてゆく。騒ぎ唄絶えずきこゆ。上のかたより       六部は、ぬれ手拭いをさげていず。) 亭 主  たいそうお早うございましたね。 六 部  たいへんにこんでいるので、早々にあがって来ました。 亭 主  あかりのつく時分はいつも込み合って困りますよ、それにこのごろはここらに|町家《まちや》が|殖《ふ》     えたので、なおなお混雑いたします。 六 部  まったく新しい家がたくさんできましたね。 亭 主  いやもう、一日増しに新しい家ができまして、こんな古い家はわたくしの店ぐらいでご     ざいますよ。 六 部  おまえさんの店もこれからは|繁昌《はんじよう》しましょうね。 亭 主  どうかそうしたいものでございます。 六 部  わたしも夜食をしまったら、ここらの店の繁昌を見物して来ましょう。 亭主  では、お帰りにはなりませんか。 六 部  (笑う。)とんだことを・--・。そんなことをしたら、ほとけさまの|御罰《おはち》があたります。 亭主 ははははははは。       (六部は奥に入る。|太鼓《たいこ》の音いよいよ高くきこゆ。) 亭 主  いよいよ世問が|賑《にぎ》やかになって来た。これでは若い人たちの浮かれ出すのも無理はない      な。        (亭主は笑いながら店に入る。舞台暗転。)          (二)      新宿、|信濃《しなの》屋の店さき、少しく上のかたによせて入り口、信濃屋と染めたる|暖簾《のれん》を下げてあ      り。左右は千本|格子《ごうし》にて、下のかたには用水|桶《おけ》を積んであり。正月のはじめにて店さきには      松飾りを立て、店のうちには灯をとぽしてあり。                       蔭       (、)        (舞台明るくなると、太鼓入りの騒ぎ唄賑やかにきこゆ。ぞめきの男数人いで、左右にすれ違いて去                        至&(、)        る。登場の人物は第一場より四十年前、享保時代の風俗と知るべし。下のかたより斎藤大八いず。        大八は四百石の旗本の次男、二十歳前後、|放蕩無頼《ほうとうぶらい》の若者にて酒に酔っている。上のかたよりまた        もやぞめきの男三人いで、すれ違うときに一人が大八に突きあたる。) 大 八  やい、待て、待て。なんでおれに突き当たった。 男    へい、へい。|粗相《そそう》ですからどうぞ御|勘弁《かんへん》をねがいます。          す     わ          どげ驚 大 八  ただ御勘弁で済むと思うか。詫びるなら詫びるように、土下座をして手をついてあやま    れ。それが|忌《いや》なら相手になれ。片っ端から|叩《たた》っ|斬《き》るぞ。 男    (よんどころなく。)へい、へい。 (土に手をついてあやまる。)まっぴら|御免《ごめん》くださいまし。 大 八  貴様ばかりでは勘弁できねえ。連れの奴らもかかり合いだぞ。みんないっしょにあやま    れ、あやまれ。ええ、犬つくばいになって詫びろと言うのに・-…。 男二人  (顔をみあわせて。)へい、へい。       (連れの男二人もおなじく、土に手をついて頭を下げる。) 大 八  これからは気をつけろ。 男三人  へい、へい。(早々に下のかたへ逃げてゆく。) 大 八  (笑う。)あんな奴らじゃ|喧嘩《けんか》をする張り合いもねえ。もうちっとおもしろい相手は来ね    えかな。      (大八はあたりを見まわしている。上のかたより台|屋《 エ 》の若い者が台の物をかついでいず。大八はつか      つかと進み寄って突きあたる。台の物は地面に散乱する。) 台 屋  ええ、なにをしやあがる。明きめくらめ。 大 八  なんだ。(台屋の胸ぐらをとる。)もう一度言ってみろ。貴様の方から突き当たっておきな      がら、|武《ユ》士に対してあき|盲《めくら》とはなんのことだ。 台 屋  (すかし|視《み》る。)やあ、大番町の若殿さまでございましたか。 大 八  この新宿から四谷へかけて、おれさまの|面《つら》を知らねえものは流しの|按摩《あんま》ぐらいのもので、      大宗寺の|閻魔《えんま》でも|精塚《しようづか》のばばあでも、むこうから|挨《ヘヨ 》拶をする斎藤の大八さまを知らねえか。      貴様こそよっぽどのあき盲だ。さあ、なんでおれに突き当たった。 台 屋  (悪い奴に逢ったという風で。)ヘヘ、それがついお見それ申しまして、とんだ失礼を申し      上げました。まっぴら|御免《ごめん》くださいまし。 大 八  ただでは|料簡《りようけん》ならねえ。あやまるならばあやまるように、おれの|股《また》の下をくぐって行け。 台 屋  途方もねえことを言やあがる。 大 八  なんだ。(刀に手をかける。) 台 屋  へい、へい。仰せに従います。        (大八は立ちはだかり、台屋は股の下を這いくぐる。) 大 八  ざまあ見やがれ。 台 屋  へい、へい。恐れ入りました。        (台屋は落ちたる台の物を拾いあつめて、早々に下のかたへ逃げてゆく。) 大 八  ははははは。だんだんおもしろくなって来たぞ。       (大八は上の方へゆきかかると、格子のうちより|信濃《したの》屋の|抱妓《かかえ》お蝶が声をかける。) お 蝶  ちょいと、大の字。 大八 (見かえる。)なんだ。 お 蝶  ここまでおいでよ。 大 八  なに、ここまでおいで……。おらあ廿酒は飲みたかあねえ。 お 蝶  悪く|酒落《しやれ》ないで早くおいでよ。 大 八  よし、よし。(格子の前に来る。)そこで、なんの用だ。幾らかお年玉でもくれようと言う    のか。 お 蝶  |品《ひん》の悪いことをお言いでないよ。|御人体《ごじんてい》がすたるじゃないか。 大 八  御人体は去年の暮れから|廃《すた》っていらあ。|大晦日《おおみそか》に夜逃げをしねえのが|見《め》っけものよ。 お 蝶  かんがえてみると、よくお互いに年が越せたものさ。 大 八  正月早々から|溜《ため》息をつくこともねえ。まあ、せいぜい|稼《かぜ》いでくれ。松が取れたらお客さ      まで来るよ。(ゆきかかる。) お蝶 ちょいと、ちょいと、おまえさん。 大八 うるせえな。 お蝶  |後生《こしよう》だから|喧嘩《けんか》はよしておくれよ。 大 八  この元日から|料簡《りようけん》を入れかえて、|喧嘩《けんか》なんぞは|一切《いつさい》お廃止だ。 お蝶  |嘘《うそ》をおつきよ。今もそこで喧嘩をしていたじゃあないか。 大 八  あれは喧嘩というものじゃあねえ。むこうから突き当たって来たから、無礼|餐《とが》めをした      だけのことだ。               どげざ                           (-) お 蝶  それでも相手に土下座をさせたり、股をくぐらせたり、とんだ助六だよ。 大 八  ここらはおれの縄張りだ。助六をきめるにふしぎがあるものか。ただしゃべっているば      かりが能じゃあねえ。この助六に一服吸いつけてくれ。 お 蝶  お正月で忙しいんだよ。おまえさんなんぞに構っていられるものか。いつまでもうろう      ろしていると、|砥《ろく》なことは|仕出来《しでか》さないから、|風《かさ》吹き|鴉《がらす》も好い如減にして早くお帰りよ。 大 八  辻|番《つ 》のおやじじゃああるめえし、今からぼんやりと屋敷へ帰って、|安火《あんか》の猫をかかえて      いられるか。これから|宿《しゆく》じゅうをひとまわりして、そこらで春らしく一杯飲んで-・-・。 お 蝶  勘定がなくって……|馬《ハ  》を|曳《ハし》いて……。屋敷へ帰って……|兄《あに》さんに叱られて---。 大 八  べらぼうめ。そんな不景気なんじゃねえや。おお、寒い。てめえのような風の神と話を      していると、こっちが|風邪《がぜ》を引かあ。        (大八ゆきかかる。) お 蝶  じゃあ、おとなしくお帰りよ。 大 八  余計な世話を焼くな。おれの足でおれが勝手にあるくのだ。 お蝶 ちょいと、おまえさん。 大 八  また呼ぶのか。 お 蝶  巡礼に|御報謝《ごほうしや》だよ。         (お蝶は格子のあいだから|二朱銀《にしゆをんヘユし》をつつみたる紙をひねって投げ出す。大八は拾ってあけてみる。) 大 八  やっぱりお年玉か。これはお|恭《かたじ》け、|済《す》まねえな。        (大八はその銀を懐中して上のかたへ立ち去る、お蝶は格子のあいだから見送る。|暖簾《のれん》のうちより店        の若い者千助いで、舌打ちをしながら大八のあとを見送る。鳥|追《 りご》いの女が一二味線をかかえて行き過          ぎる。) 千 助  (お蝶に。)もし、お蝶さん。店はみんな上がっているのに、おまえさんはそこに何をし       ていなさるのだ。 お 蝶  なじみの人が来たから話していたのさ。 千 助  なじみにも畔るが、ああいう悪いのは寄せねえがいいね。わたしもさっきから出ようと       思っていたが、相手が悪いから控えていたのだ。旗本の次三男にはとかく良くねえのガ多い                              つぶ、一(               ぱくち        けん.、       ものだが、あの斎藤の次男ときては悪い方でも粒選りで、酒は飲む、博変は打つ、喧嘩はす   る。まったく|箸《はし》にも棒にもかからねえ|代物《しろもの》だ。あんな奴にかかり合っていると、おまえさん ちエ《よ》|セ      の為にもならず、ここの店の商売の邪魔にもなる。いい如減に見切りをつけて、お穿き物に      してしまう方がよかろうぜ。 お 蝶  (むっとして。)御親切にありがとう。いずれ春永にゆっくり考えましょうよ。 (言いすて      て奥に入るJ 干 助  へん、ふくれっ面をして行きやあがった。        ηれ㍉        (暖簾の内より同じく若い者丑蔵いず。) 丑 蔵  (笑う。)おめえが|折角《せつかく》の|諌言《かんげん》も暖簾に腕|押《 ユ 》しという形だね。 千 助  お蝶は年も若し、|容貌《きりよう》もよし、宿場には惜しいほどの上玉だが、|蓼《たて》食う虫も好きずきで、      とんだ|悪足《わるあし》ができたものだ。 丑 蔵  相手が屋敷者だけに始末が悪いね。 千 助  町人ならとうにお穿きものだが、二本指しだから我慢をしているのだ。         (この時、上のかたにて|喧嘩《けんか》だ喧嘩だとどなる。) 丑 蔵  なに、喧嘩だ。 千 助  どうもしかたがねえ。これも松の内のお|景物《りいぶつ》だが、あんまり|大事《おおごと》にしたくねえものだ。        (上のかたより大八は髪もみだれ、|衣紋《えもん》もみだれ、鳥追いの三味線をふりまわして、地まわりの男ふ        たりと|闘《たたか》いながらいず。あとより地まわりの男一人は大八の|大小《 ヨ 》を持っていず。) 男 一  さあ、大小を取り上げてしまえば大丈夫だ。 男二 思いきって、なぐれ、なぐれc 大 八  なんの、貴様たちに負けてたまるものか。        (三人は店先へ来て|叩《たた》き合う。鳥追いの女もいで来たりてうろうろしている。) 千 助  (丑蔵と眼をみあわせる。)これ、これ、どうしたのだ。ここの店の前で|喧嘩《けんか》をされては迷惑だ。 丑蔵 まあ、まあ、おとなしくするがいいぜ。        (千助と丑蔵は仲裁するふりをして、地まわりといっしょに大八をなぐる。) 大八  ええ、酔っていなければ貴様たちの五人や三人、片っ端から|踏《ふ》み殺してやるのだ。さあ、     おれの大小をわたせ。刀を返せ。 男《び  ロ》 三  これを渡してたまるものか。 千 助  まあ、待ちなせえと言うのに……。 大八 なにを言やあがるのだ。        (大八はあばれる。大小を持ったる男はあとにさがりて見物し、千助、丑蔵と男ふたりは無理無体に                   ね、                                     のれλ        大八の三味線を取りあげて捻じ倒せば、鳥追いは落ちたる三味線を拾いて早々に逃げてゆく。暖簾        の内よりお蝶は|跣足《はだし》にて走りいず。) お蝶  あら、どうしたのよ。まあ、待ってくださいよ。 男一  屋敷者だと思って、よけて通せば際限がねえ。 男二  なんぼ何でも、もう|料簡《りようけん》はできねえのだ。 お 蝶  また|喧嘩《けんか》をしたのかえ。あれほど言うのに|肯《き》かないからこんなことにもなるのさ。みん           、 かんにん       《 》|。      なも後生だ力ら堪忍してくださいよ 大 八  こいつらにあやまることがあるものか。おれは大番町の斎藤大八だ。武十に|無礼狼籍《ぶれいろうぜき》を      働いて後悔するな。さあ、大小をわたせ。 お 蝶  おまえももうおよしなさいよ。|多勢《たぜい》に|無勢《ぶせい》で、おまえひとりが幾ら|威張《いば》ったって|敵《かな》やあ      しないよ。|怪我《けが》でもするといけないからさ。 大 八  なに、敵わねえことがあるものか。こんな|端下《はした》人足が|束《たば》になって来ても知れたものだ。        (大八は取られし腕をふり払ってまた起きあがる。お蝶は|捨台詞《すてぜりふ》にて止める。大八はお蝶を突き倒し        て、大小を取り返しに行こうとするを、男二人はさえぎる。千助は大小を持ったる男にむかって、        早く逃げてしまえという。男は大小をかかえたままで上のかたへ逃げ去る。大八は追おうとするを、        男二人はまたさえぎる。お蝶はうろうろしている。このあいだに、左右より近所の店の若い者五、        六人と地廻り七、八人いず。) 一 同  (口々に。)なんだ。なんだ。 千 助  喧嘩だ、喧嘩だ。 丑 蔵  相手は大番町の大八だ。 一 同  むむ、あの|病犬《やまいぬ》か。なぐれ、なぐれ。        (一同は地廻りに加勢して大八に打ってかかる。お蝶は支えようとするを、千助と丑蔵は無理におさ        えて|暖簾《りれち》の内へ引き|摺《ず》り込む。そのうちに大八は大勢を相手にあばれ疲れて倒れる。) 男 一  こんな|暴《あば》れ者は痛めつけてやるのが世間のためだ。 男 二  これに懲りてさむらい風を吹かすな。        (大勢はわやわや言いながら大八を野みつけ、打ち瀞える。鷹簾の内よりお蝶はまたかけ出すを、千        助丑蔵はひき戻す。この騒ぎの最中に、上のかたより斎藤甚五左衛門、二十五、六歳、四百石の旗本、                かみしも        ちゆうげん(1)                                上臓与ちん        年礼の戻りのていにて神を眉し、中間ふたりを供に連れていず。中間のひとりは提灯を持つ。) 中間一  往来の邪魔だ。|退《ど》け、どけ。        (これにて大勢も小しく|鎮《しず》まる。) 甚五左  |屠蘇機嫌《とそきげん》とは申しながら路のまん中で立ち騒ぐな。ここは天下の往来だぞ。        (言いすてて下のかたへ行き過ぎようとする。その声をききつけて、倒れたる大八は声をかける。) 大 八  兄上ではございませんか。 甚五左  なに……。(見かえる。) 大 八  大八でございます。        (中間の一人は提灯を差しつける。) 中間一  おお、大八さまだ。 中間二  やれ、やれ、これはどうしたのでございます。 甚五左  大八。(進みよる。)その見苦しい|体《てい》たらくは何としたのだ。     (これを聞いて、両は顔をみあわせて|曝《ささや》き合い、雇にばらばらと逃げてゆく。甚五左衛門はその        うしろ|影《 》を見送る。) 甚五左  町人どもがばらばらと四方に逃げ散る。(怒りの声をふるわせて。)これ、大八。貴様は彼      らに|打櫛《ちようちやく》されたのか。 大八 (土に手をつく。)面目次第もございません。 甚五左  (声するどく。)大小はどうした。        (大八はだまっている。) 甚五左  これ、腰の|物《 エ 》はいかがいたした。 大 八  残念ながら|奪《うば》い取られました。 甚五左  なに、大小をうばい取られた。町人どもに大小を……。(きっとなって。)その|仔細《しさい》をいえ。 大 八  恐れ入りましてございます。 甚五左  恐れ入ったとばかりではわからぬ。武士が大小を奪われて、かような|体《てい》たらくに相なる      には、よくよくの仔細がなくてはならぬはずだ。隠さずに言え。しかと申せ。 大八 はあ。(うつむいている。)        (この時・千助と丑蔵は瞬簾のらちょり顔を出し希概り。甚五左衛門は左右を見かえりて二人に眼を        つける。) 甚五左  これ、これ。                 のれ㌃ 千助 はい、はい。(丑蔵と共に暖簾を出る。) 甚五左  この店さきで起こったことであれば、おまえ達も存じておろう。この大八はどうしたの     だ。 千助 (迷惑ながら。)はい。あの……。 甚五左  早く申せ。 千 助  実はその、|喧嘩《けんか》をなされたのでございます。 甚五左  喧嘩をいたしたのか。相手は何者だ。 千助 (丑蔵と顔をみあわせる。)それはわかりません。 甚五左  大八。おまえも知らぬか。 大 八  たいていは知れております。ここらの宿屋の男どもや、ここらを遊びあるく町人どもで    ございます。何分にも酔っております上に、相手は大勢、不意に大小をうばい取られまし      て、かような|恥辱《ちじよく》を受けたのでございます。 甚五左  (千助をみかえる。)しかとさようか。 千 助  (しりごみする。)いえ、わたくしどもは仲裁に出ましたばかりで-…・。 丑 蔵  決して手出しなどを致した覚えはございません。それは大八さまがよく御存じのはずで     ございます。 甚五左  おまえ達はともかくも、この大八を|打郷《ちょうちやく》いたしたのは、宿屋の者どもとここらを遊び     あるく町人ども……。それに柑違ないな。 干 助  (いよいよ迷惑して。)そんなことかもしれません。 甚五牟  まさかの時にはおまえ達が証人だぞ。 千助 え・ 丑 蔵 甚五左  (中間に。)それ、二人を取り逃がすな。        (千助と丑蔵はおどろいて逃げんとするを、中間二人はかけ寄って取り押える。) 甚五左  大八。|起《た》て。 大八 はあ。(起とうとしてまた倒れる。) 甚五右  ええ、弱い奴め。起て、たて。        (甚五左衛門は手を取って引っ立てると、大八は起ちかかりてまた倒れる。) 甚五㌃  (思案して。)その|体《てい》では|所詮《しよせん》屋敷まで歩いては戻られまい。|駕籠《かご》にのせて帰るほどなら      ば、死骸にして連れてゆく。大八、ここで腹を切れ。 大 八  はあ。 甚五左  場所もあろうに、かような|悪所場《あくしよば》において、武士たるものが大小をうばわれ、足腰も立      たぬように|打御《ちようちやく》され、よもや生きてはいられまい。せめてもの情けに、屋敷へ連れ帰って、      盤の上で切腹させてやろうと存じたが、その|体《てい》ではとてもかなわぬ。兄が|介錯《かいしやく》してやるから      ここで死ね。 大 八  はあ。 ---------------------[End of Page 22]--------------------- 甚五左  これ、よく聞け。おれもひとりの弟を殺す以上、ただそのままには|済《ナ》まされぬ。りての方                    ずしよのかみ               ゴ      の首を持参して、大目付松平図書頭どのへとどけいで、斎藤甚五左衛門の知行は」へ差し上      げ申し候う問、その代わりに内藤新宿は永代お取り|潰《つぶ》しを願うと申し立てるぞ。        (千助、丑蔵、中問らもおどろく。) 大 八  兄上。それでは余りに恐れ入ります。わたくし故にお家をほろぼしましては・…:。                     ふらち           しよせんけんか りようせいばい           ち、化,上く 甚五左  いや、かまわぬ。その方の不将は重々だが、所詮喧嘩は両成敗、これほどの恥辱をあた      えられて、命までもほろぼすからには、相手の新宿も取り潰さねば置かぬぞ。甚五左衛門は     先祖代々の家を捨て、四ブ旦石の知行をなげ出して、きっと|訴訟《そしよう》の趣意をつらぬいてみせる。     それをみやげに|潔《いさき》よく死ね。(あたり|烹呪《こら》んで。).この新宿が取り潰されて、やがて一面の草原           めいど     となるのを冥途から見物しろ。 大 八  はあ。この上はなんにも申しませぬ。ここで|尋常《じんじよう》に切腹つかまつります。|最期《キ いご》のきわに      水がひと口飲みとうございますが……。 甚五左  よし、よし、聞きとどけた。(店の方にむかいて。)これ、誰か水を持ってまいれ。 千 助  では、わたくしが……。 中間一  ええ、貴様は逃げるか。 甚五左  (かさねて呼ぶ。)これ、早くせぬか。水を持ってまいれ。        (|暖簾《のれん》の内よりお蝶は茶碗を盆にのせて持っていず。) 甚五左  おお、水を汲んで来たか。(茶碗を取ろうとする。) お蝶 いえ、あの、これはわたくしから:::。        (お|蝶《ユ》は大八のそばへ行きて茶碗をわたせば、大八は|額《ふる》える手に受け取りて飲む。お蝶は無言で眼を        ふいている。大八飲み終われば、甚五左衛門は小刀を|鞘《さや》ぐるめに抜いて大八に渡してやる。) 甚五左  武士たる者が、人の刀を借りて切腹する。かえすがえすも不覚者め。(叱る。) 大 八  一言の申し訳もございません。恐れながら御|介錯《かいしやく》を……。 甚五左  承知いたした。        (甚五左衛門は|肩衣《かたぎぬ》をはね|退《の》けて刀をぬく。大八も肌をくつろげて小刀を腹に突き立てる。お蝶は泣        きながら手をあわせる。千助と丑蔵はふるえている。) 大 八  兄上……。 甚五左  むむ。(介錯して。)|駕籠《かご》をよべ。        (舞台暗転。)          (三)      もとの安泊まりの店さき。第一場とおたじ夜、|太鼓《たいこ》入りの騒ぎ唄きこゆ。        (娘は店に|坐《すわ》っている。店さきに在郷の客与次郎立つ。|馬士《まご》は馬をひきながら与次郎と争っている。) 与次郎  これ、ばかも休み休み言え。高井戸からここまで一里半のところを五百文も取られてた     まるものか。 馬 士  これが当たり前の旅の人なら、二百文が百文でも乗せて来るが、おまえさんは一体どこ      へ行くだね。 与次郎  どこへ行こうとおらが勝手だ。|足下《あしもと》を見てねだり|言《ごと》をいうな。途方もねえ野郎だ。 馬 士  なにが途方もねえことがあるものか。おまえは今夜これからどこへ行くだよ。 与次郎  うるせえ奴だな。|宿《しゆく》までの戻り馬だから、幾らでもいいから乗ってくれろと、われの方      から頼んだでねえか。 馬 士  そりゃあ商売だから頼みもしたが、|馬士《まご》に|酒手《さかて エ 》はお|定《き》まりだ。ましておまえはどこへ行      くだよ。(与次郎の|快《たもと》をつかんで引く。) 与次郎  (振り払って。)ええ、しつこい野郎だぞ。どこへ行こうとおらが勝手だというに……。 馬 士  (笑う。)それ、見ろ。行く先は言われめえ。おらが方でもそれを察しているから、あた      り前よりも余分の酒手をもらいてえと言うのだ。馬士をいじめて、自分ばかりおもしろいこ      とをしようというのは、第一に|冥利《みようり》がよくねえぞ。はは、そうでねえか。はははははは。 与次郎  幾度言っても同じことだ。それ、ここに百五十文ある。それで悪ければ勝手にしろ。        (与次郎は店さきの|床几《しようぎ》の上に銭をおいて下のかたへゆきかかるを、馬士は|手綱《たづな》をはなして追ってゆ        く。) 馬 士  これ、いけねえと言うのに……。|女郎《じようろ》買いに行く客を百や二百で乗せてたまるものか。      たいてい世間の相場というものがあるものだ。 与次郎  世間のことはおらあ知らねえ。おらあ自分のきめただけを払えばいいのだ。 馬 士  そっちで決めても、おらが不承知だよ。 与次郎  それをおらが知ったことか。このももんがあめ。(|行《 エ 》きかかる。) 馬 士  なにがももんがあだ。(ひき戻す。)文句を言うなら払うだけの物を払ってから言え。 こ      のむじな野郎め。 与次郎  こいつ、もう|料簡《りょうけん》しねえぞ。 一剛 馬 士  おらが方でも料簡しねえだ。        (二人はなぐり合いをはじめる。娘はおどろいて趣ちあがる。) 娘《き》    あれ、お|父《とつ》さん。たいへんよ。|喧嘩《けんか》ですよ。        (奥より亭主いず。) 亭 主  なに、喧嘩だ。どうもいけないな。(表へ出る。)これこれ、喧嘩は|止《や》めだ、やめだ。 (二      人のあいだに割って入る。) 馬 士  だって、おめえ、このむじな野郎が……。 亭 主  まあ、いい。まあ、いい。そっちのお客もまあ料簡しなさるがいい。 与次郎  おらが方から好んで喧嘩の種を|播《ま》いたわけでねえ。この|馬士《まこ》めが足もとを見てゆするか      、らのこン}だ。 馬士  なに、ゆすりだ。 亭主  はて、いいと言うのに…-。どこの里でも|喧嘩《けんか》は|禁物《きんもつ》だが、この新宿では取り分けて大      禁物だ。四十年前にこの宿場がお取り|潰《つぶ》しになったのも、元の起こりは喧嘩からだ。 馬十 むむ。そうだ、そうだ。 享 主  せっかく|御免《ごめん》になって再興したところへ、またぞろ喧嘩をおっぱじめてどうするのだ,      なにかの間違いのできた|暁《あかつき》には、おまえらもおれ達も|共難儀《ともなんぎ》ではないか。 馬士 むむ。そうだ、そうだ。 亭 主  この宿がまたつぶされたら、おまえさん達も遊び場所に困るだろう。 与次郎  むむ。そうだ、そうだ。 亭 主  そうしてみれば、おたがいに喧嘩口論をつつしみ、土地の|繁昌《はんじよう》を計るのが当たりまえ      だ。さあ、その|理窟《りくつ》がわかったら、悪いことは言わないから、どっちも笑って別れることに      しなさい。どうだ、どうだ。 馬 士  (笑う。)いや、わかった、わかった。 与次郎  (笑う。)わかりました。しゃあ、|馬士《まご》どん。言い分はないね。仲直りのしるしにもう二      十文置くよ。 馬 士  はい、はい。ありがとうございました。 亭 主  それでは、めでたく〆て、しゃんしゃんしゃん《しめ》|。 三人 (笑いながら手を打つ。)はははははは。 与次郎  (亭主に。)どうも|御厄《やつかい》介をかけました。 亭 主  どうぞ|明《みよう》あさお寄りください。        (与次郎は挨拶して下のかたへ立ち去る。|馬士《まご》は|床几《しようき》の上の銭を取る。) 馬 士  まあ、これで家へ帰って寝酒でも飲むか。 亭主  それがいい、酔っ払ってかみさんと|喧嘩《けんか》をする分には、どんな|掴《っか》み合いをしても構わな      いからな。 馬 士  なに、おらが|嗅《かかあ》は亭主孝行だから、めったに喧嘩なんぞすることじゃあねえだ。ははは      ままま。        (馬士は馬を勢いて上のかたへ立ち去る。) 娘    お|父《とつ》さん。早く仲直りになって好かったねえ。 亭 主  まったく喧嘩には磐りごりだ。        (下のかたより六部いず。) 六 部  ひとまわりして来ました。 亭 主  はは、ずいぶん|賑《にぎ》やかでしたろうね。 六 部  どこの二階でも三味線や|太鼓《た しニ》で賑やかいにはおどろきました。 亭 主  年を取った人たちの話を聞くと、四十年前の|宿《しゆく》よりもずっと|繁昌《はんしよう》だそうでございます      よ。なにしろ毎晩あのとおりのドンチャン騒ぎですからね。はは、まあお掛けなさい。(娘に。)      これ、お|茶《マ》をあげろよ。 ---------------------[End of Page 29]--------------------- 娘  あい、あい。         (六部は店さきに腰をかける。娘は茶を持って来る。) 六 部  もう何どきでしょうね。 亭 主  さあ、まだ四つにはなりますまいが、|夜《ハェ 》風が大分ひやひやして来ました。もう秋も末で      ございますからね。 六 部  しかしここらは霜枯れ知らずという景気で結構ですよ。         (奥より老僧いず。) 亭 主  御出家さま、これから|何処《どこ》へかお出かけでございますか。 老 僧  泊めてもらおうと思ったが、どうも今夜は寝られそうもない。やはりこれから小石川ま       で行くとしよう。 亭 主  これから小石川まで……。(やや意外らしく。)夜なかになってしまいましょう。 老 僧  いや、夜道には|馴《な》れている。(紙につつみし銭を出す。)軽少だが、宿賃と茶代に取って置       いてくれ。 亭 主  はい、はい。ありがとうございます。では、どうしてもお出かけでございますか。 老 僧  あの|笛太鼓《ふえだいこ》を聞きながら、ここでおちおちとは眠られまい。どうも|修行《しゆぎよう》が足らぬとみえ      る。 亭 主  (笑いながら。)はい。 老 僧  思いきって出かけるから、|草鞍《わらじ》を出してもらいたい。 娘    はい、はい。         (娘は手伝いて、僧に草鮭をはかせる。騒ぎ唄は、またひとしきり|賑《にぎ》やかにきこゆ。) 六 部  おお、|唯《はや》すわ、離すわ。御出家さまの逃げて行かれるも無理はない。わたしも今夜は浮       かされて、寝られないかもしれないぞ。(笑う。)         (老僧は無言にて、杖と笠を持ちて下のかたへ行きかかる。) 娘    どうもありがとうございました。 亭 主  気をつけておいでなさい。        (下のかたより第一場の地廻り二人、酒に酔いて唄いながらいず。老僧はそれと|摺《す》れちがいながら行        きかけて上のかたを見かえり、やがて笠をかぶりて歩み去る。騒ぎ唄賑やかにきこゆ。)                                              ー11|一拝