俳諧師(一幕一場)       登場人物      初演配役     俳諧師|鬼貫《おにつら》  (初世中村|吉右《きちえ》衛|門《もん》)     同    路通《ろつう》   (二ニ世守田|勘弥《かんや》)            此え         ときぞう     鬼貫の娘お妙   (三世中村時蔵)     左官《しやかん》の女房お留   (市川|紅若《こうじやく》)          大正一一・三、新富座初演      元禄の末年、師走の雪ふる夕暮れ。浪花の町はずれ、俳諧師鬼貫のわび住居。軒かたむき縁      朽《く》ちたるあばら家にて、上《かみ》のかたには雪にたわみたる竹|藪《やぶ》あり。下《しも》のかたの入り口には低き      竹垣、小さき枝折戸《しおりど》あり。となりは墓場の心にて、やはり低き竹垣をへだててその内に雪の      積もりたる石塔または卒堵婆《そとぱ》などみゆ。雪しずかに降る。寺の木魚《もくぎよ》の音きこゆ。        (下のかたより近所の女房お留、竹の子笠をかぶりていず。) お留  ああ、よく降ることだ。寒い、寒い。(枝折戸をあけて声をかける。)もし、ごめんなさい。、      お留守《るす》ですか。 お妙 はい、はい。        (奥より鬼貫の娘お妙、十七、八歳の美しき娘、やつれたる姿にて、煤《すす》けたる行燈《あんどハ》をともしていず。) お妙 おや、おかみさん。まあ、どうぞおあがりください。 お留  なに、ここでいいんですよ。(笠をぬぎて縁に腰をかける。)寒いじゃありませんか。 お妙  ほんとうにお寒いことでございます。(表を見る。)今夜も積もることでございましょう。 お留  二日《ふつか》も降りつづいた上に、まだ積もられてはまったく遣《や》りきれませんね。年の暮れにこ      う毎日降られては、どこでもずいぶん困ることでしょうよ。 お妙  なにしろ、おあがりなさレませんか。そこはお寒うございますから、        (言いながら下のかたの炉を見かえれば、炉には火の気がないので、お妙は困った顔をしている。」 お留  (それと察して。)いえ、もうお構いなさるな。内の人もこの寒いので、持病の疵気《せんぎ エ 》が起こ      ったとか言って、きのうも一昨日《おととい》も仕事を休んでいたのですけれど、もう数《かぞ》え日《ひハヨ 》になって来      て、お出入り先から毎日の催促《さいそく》があるので、きょうはとうとう朝から仕事に出て行ったんで      すよ。 お妙  この降るのに、まあ。 お留  もっとも家《うち》のなかの繕《つくろ》い仕事ですから、雪が降ってもできるにはできるんですがね。そ      れでも左官《しやかん》という商売はつらいものだとこぼし抜いているんですよ。そりゃまあ寒いときに      泥いじりをするんですから、どうで楽な仕事じゃありませんけれど……。 お妙  (身にしみるように。)そりゃまったくでございますわねえ。 お留  そう言っても、我慢して稼《かせ》いでもらわなければ、今日《こんにち》が過ごされませんからねえ。こち      らのお父《とつ》さんはお休みですか。 お妙  いいえ、今もおっしゃるとおり、やっぱり我慢して出てもらわなければなりませんので、      けさから稼《かせ》ぎに出かけましたが、この雪ではさぞ難儀であろうと案じております。 お留  このお天気ではほんとうにお困りでしょうねえ。その代わりにこちらの御商売なぞは、     こういう日の方がかえっていいかもしれませんよ。 お妙 (愁《うれ》わしげに。)どうでございましょうか。 お留  なにしろ、もう帰っておいでなさるだろうから、早く火でも起こしてあげたらどうで      す。外はずいぶん寒うござんすよ。 お妙 そうでございましょうねえ。(ふたたび炉の方を見かえる。) お留  (それを察したようにまたうなずく。)いいえ、どこでも焚き物には困るんですよ。この頃の      ように炭や薪《まき》が高くなっては、その日暮らし同様の者はまったく凌《しの》げません。それで、実は     ね。(声を低めながら墓場を指さす。)わたしもあすこへ焚き物を見つけに来たんですよ。 お妙 あすこへ……。(伸びあがりてのぞく。) お留  あのお墓の古い塔婆《とうば》を少しもらおうと思ってね。 お妙  お寺でくれますかしら。 お留  (笑う。)くれるもんですか。どうでくれないに決まっているから、黙ってもらっていく      んですよ。 お妙  まあ。 お留  だって、おまえさん。そうでもしなければ、この大雪の日に凍《ここ》え死んでしまうじゃあり     ませんか。ほとけさまだって大目《おおめ》に見てくれますわ。 お妙 でも、まさかそんなことは……。 お留  まあ、黙っておいでなさい。ここの家《うち》へも持って来てあげますから。        (お留は枝折戸《しおりど》の外に出て、あたりを見まわしながら生垣《いけがき》を押し破って菓場に忍び入るを、お妙は縁        に立ちて不安らしく眺めている。やがてお留は、新しいのと古いのとを取りまぜてたくさんの塔饗を        引っかかえていで、縁先へ引っ返して来る。) お留  ねえ、おまえさん。これだけあれば一時の凌《しの》ぎはつくというものですわね。雪で湿《しめ》って      いるかもしれないが、ともかくもこれだけ置いて行きましょうよ。        (お留は塔婆の雪を払いながら、その幾本かを縁に置く。お妙はやはり不安らしく眺めている。) お留  こちらなんぞはすぐ隣りなんだから、焚き物に困ったらいつでもこうなさいよ。 お妙 でも、おかみさん。 お留  まあいいから、お父《とつ》さんの帰るまでに、早く暖《あつた》かい火でもこしらえておいておあげなさ      いよ。どれ、わたしも早く帰りましょう。まあ、御覧なさい。ちっとの間にまた積もりまし      たよ。        (笠を持ちて起《た》ちあがる。) お妙 気をつけておいでなさい。 お留  はい、ごめんなさい。おお、降る、降る、        (お留は笠をかぶりて塔婆をかかえ、挨拶してゆきかかる時、上のかたの竹藪の竹が二、三本、凄ま         じい音して折れる。) お留  (驚いて見かえる。)おや、竹が折れましたよ。 お妙  さっきから擁《たわ》んでおりましたが、とうとう折れたとみえます。 お留  この雪ではたまりますまいよ。わたしの家なんぞも小さいから、うっかりすると.圧しつ       ぶされるかもしれない。はははははは。         (お留は笠を傾けて去る。ゆうぐれの鐘きこゆ。) お妙  あのおかみさんはお墓からこんなものを持って来て……。(塔婆を見る。)そっと行って返     して来ようかしら。(起《た》ちかけてまた躊躇《ちゆうちよ》する。)ああ、雪が降る。お父《し う》さんはさぞ寒いことで     あろう。         (お妙はじっと思案の末、塔婆にむかい合掌《かつしよう》し、やがて思いきって炉の側《そは》へかかえて行き、げてれを炉 |臼《トド》       に折りくべて燧石《ひうら》の火を打つ。塔婆はいぶりて白き煙がうずまきあがる。表の雪は降りやまず。下         のかたより俳諧師|鬼貰《おにつら》、四十余歳、導引《とういん エ》のこしらえ、頭巾《 ずきん》をかぶりて破れたる傘をさし、足駄《あしだ》をは         きてとぽとぼと帰り来たる。お妙は透《す》かしみて縁に駆け出る。) お妙  おお。お父さま。お帰りでございましたか。 鬼貫  どうもよく降ることだな。 お妙 さぞお寒かったでございましょう。         (お妙は手っだいて、鬼貫は傘をすぼめ、頭巾をぬぎ、からだの雪をはらいて内にあがる。) お妙  朝から少しも止《や》まないので、お寒くもあろうし、お困りでもあろうと、案じ暮らしてお      りました。 鬼貫  (炉のそばに来る。)おお、灰の火が暖かそうに燃えているな。きのうきょうの大雪、外に      出ているものも難儀だが、内にいるものも難儀、ことにけさから焚き物はなし、内でもさぞ      寒がっているだろうと、おれも内を案していた。 お妙  この寒いのに焚きつけはなし、お父さまがお帰りになったらどうしようかと思っで、おり      ますと、あの左官《しやかん》のおかみさんが……。(少しく言いよどみて。)これを持って来てくれたので      ございます。 鬼貫  内に火のあるのはふしぎだと思っていたが……。ああ、これは塔婆《とうば》ではないか。 お妙 はい。(もじもじしている。) 鬼貫  (急に顔を陰らせる。)これを左官のおかみさんがくれたのか。 お妙  はい。 鬼貫  おまえが自分で取って来たのではあるまいな。 お妙  (あわてて。)まったくあのおかみさんが取って来てくれたのでございます。わたくしもど      うしようかと思ったのでございますけれど……。(涙ぐむ。)お父さまがさぞお寒かろうと存じ      まして……。 鬼貫 そうか。(嘆息する。) お妙  どうぞ御|勘弁《かんべん》なすってくださいまし。(手をつく。) 鬼貫 いまさら叱って仕方もがあるまい。まあ、湯でもわかす支度《したく》でもしr、くれ、(ややおごそ      かに。)こんなことをふたたびするなよ。 お妙 はい。恐れ入りました。        (お妙は眼をふいて、湯を沸《わ》かす支度をする。鬼貰はしばらく炉の火を眺めている。) 鬼貫  お妙。 お妙  はい。 鬼貫  米はなかったな。 お妙  (渋りながら。)はい。 鬼貫  (さびしく笑う。)いや、聞くまでもない。米|櫃《びつ》にひと粒の米もないことは今朝からわかっ      ていたのだ。おれもそれを知っているから、きょうもこの大雪のなかを一生懸命に歩いたよ。 |ヒドたもと《いろまち》     (挟より笛を出す。)この笛を吹いて、大坂の町じゅうを……。ふだんはおれの嫌いな色町の方      角まで、根《こん》よく流してあるいたが、馴染《なじみ》の薄いものはやっぱり駄目《だめ》だ。どこでも呼んでくれ      てがない。 お妙  (嘆息する。)そうでございましょうねえ。 鬼貫  それでも一軒の小さい米屋でよんでくれたので、隠居らしい老人の腰を揉んで、二十文      の銭《ぜに》をもらって来た。 お妙  (ほっとして。)それはよろしゅうございました。 鬼貫  それからもう一軒、質屋に呼び込まれて二十文、あわせて四十文がきょう一目の稼《かせ》ぎ      だ。(財布より銭を出してみせる。) お妙  それでもまあ結構でございました。 鬼貫  (またもや寂しく笑う。)結構かもしれない。今の身の上では四十文の銭でも尊い。これが      なければ親子ふたりが飢《うえ》死にだからな。 お妙  まったく尊いのでございます。(銭を財布に入れて押しいただく。) 鬼貫 いや、飢死にの方がましかもしれない。おれも以前は大和郡山《やまとこおりやま》の藩中で、軽いながらも      武家奉公をした身の上だ。若い時から俳譜がすきで、窮屈《きゆうくつ》な武家奉公がどうもおもしろくな      いと思っているうちに、おまえが十三の時に女房が死んだ。それから思いきって武士を捨      て、おさないおまえの手をひいて、すみ馴《な》れた郡山《ニおりやま》の土地を離れる時は、おれもさすがにさ      びしいような心持ちがしないでもなかった。 「笠とりて跡ちからなや春の雨」……それから      この大坂へ出て来たが、好きな俳譜をもてあそんでいるばかりでは、とても世渡りの道が立      たないので、思いついた導引揉《どういんも》み療治《りようじ》、これならばともかくも親子の口醐《くトす》ぎはなろうと、初      めは自分の家《うち》に看板をかけてみたが、ひとりも療治をたのみに来るものがないので、仕方が      なしに按摩《あんま》の笛を吹いて、毎日町なかを流してあるくのも、かぞえてみると毛.う足かけ五年      になる。家財も着類もみな売り尽くして、残っているものは親子ふたりのからだばかりだ。   お妙  (慰《なぐさ》めるように。)その不足勝ちのあいだにも、俳滑の道に心をかたむけて、月雪花《つレごゆしざはな》を楽し      むのが風流の極意《ごくい》ではございませんか。 鬼貫 (うなずく。)それはおれも知っている。 お妙  清貧を楽しむとか、ふだんからおっしゃるのは、ここのことではございませんか、 鬼貫  清貧を楽しむ……。(みずから嘲《あざけ》るように。)おれも今まではそう思っていた、そう思えば      こそ家代々の禄《ろく》をすてて、自分の好きな俳諧師にもなったのだ。しかし、今のおれ達の身の      上は、清貧などということを通り越して、あんまり惨め過ぎるではないか。月雪花を楽しむ      風流の極意《ごくい》もこの世に生きていればこそで、おれ達はもう生命《いのち》があぶない。おれ達はその日      その日の糧《かて》にも困っている。あしたの命もおぼつかないほどに飢《う》えに迫っている。むかしの      鬼貫ならば、この雪の日には是非とも一句あるべきところだが、きょうの鬼貫は歌も俳艦も     あらばこそ、どうしたら、今夜の米代を稼《かせ》げるか、あしたの薪代《まきだい》を稼げるか、どうしたら、                            くつたく                ↓わナ     親子ふたりの露命をつなげるかと、ただそればかりに屈託しながら、大雪に埋もれた帥走の      町を一日さまよい歩いていたのだ。大和《やまと》も寒いところであったが、浪花《なにわ》の冬も身にしみる 目げ        o        (お妙はうつむきて悲しげに聴きいたるが、やがて湯の沸きたるに心づきて、茶碗につざて父にすす        める。鬼貫はしずかに湯をのみてまた考える。) 鬼貫  おお、そうだ。たしか去年の暮れであった。やっぱりこんな寒いHであったが、おれは      この行燈《あんどん》の灯《ひ》をじっと眺めているうちに、つい一句浮かんだ。 「ともしびの花に春待つ庵《いおり》か      な」……そのころはおれの心にもまだ余裕《よゆう》があって、春を待つという楽しみがあったとみえ      る。その楽しみも今は消えた。 お妙  え。      (お妙はいよいよ悲しげに父の顔を見つめる。鬼貰はうつむきて溜《ため》息をつく。雪風の音して竹|藪《やふ》の        竹二、三本またもや折れる。その音に鬼貫は顔をあげて庭を見かえる。) 鬼貫  竹が折れたな。 お妙  さっきからたびたび折れるようでございます。 鬼貫  これほどの大雪に圧《お》されては、強い竹もさすがにたまるまい。こらえるだけはこらえて      も、積もる重荷に圧しつぶされて、倒れるもある、折れるもある。(じっと思案して気を換える)      これ、お妙。今夜の米を買って来なければなるまいな。 お妙  ほんにそうでございます。これからすぐに行ってまいりましょう。 鬼貫 油はどうだな。(行燈《あんどん》を見かえる。)いや、四十文の銭《ぜに》でいろいろの買い物もできまい。油      が尽きたら雪あかりでもことは済《す》む。ともかくもその銭で米と青菜でも買って来い。 お妙 はい、はい。        (お妙は財布を帯にはさみて起ちあがり、奥より風呂敷を持ちていず。) 鬼貫 ああ、いつまでも降ることか。日が暮れて路が悪い。気をつけて行けよ。 お妙 はい。気をつけてまいります。        (お妙は父の破れ傘を持ち、着物の棲《つま》をからげて、素足にて雪のなかを行きかかる。) 鬼貫  これ、素足《すあし》では冷たかろう。穿《は》きにくかろうが、おれの足駄《あしだ》を穿いてゆけ。 お妙 (少し騰露《ちゆうちよ》して。)なに、すぐそこでございますから……。 鬼貫  すぐそこでも素足ではたまるまい。構わずに穿いてゆけ。 お妙  では、拝借してまいります。         (お妙は父の足駄《あしだ》をはき、傘をかたむけて下のかたに立ち去る。雪風の音。鬼貰は立って縁先より娘         のうしろ影を見送りいたるが、やがて行燈《あんどん》をよきところに直して、小さき古机を持ち出し、しずか         に筆を執《と》りて懐紙《かいし》に何か書きはじめる。雪の音、木魚の音。下のかたより俳諧師路通、三十余歳、         乞食《こじき》の姿にて破れたる菰《こも》をまとい、古手拭いをかぶりていず。) 路通  (門《かど》よりのぞく。)この雪の日に難渋《なんじゆう》いたすものでございます。どうぞお慈悲《じひ》に一文やって       ください。 鬼貫  (書きながら見かえる。)気の毒だが難渋はお互いの身の上で、 一銭の施しもできない。ど       こかほかの家《うち》へ行ってくれ。       (言いすてて鬼貫はやはり書きつづけている。路通は伸びあがりて内を覗《のぞ》き、なにか考えながら下の        かたに立ち去る。鬼貫はやがて書き終わりて筆をおき、丁寧に紙をたたみて机の上に置く。それよ        り押入れをあけて袋に入れたる脇差しを取り出し、鞘《さや》をはらいて行燈《あんとん》の灯《ひ》に照らし視《み》るとき、下のか         たよりお妙は風呂敷包みをかかえて帰り来たり、門口より内をのぞきて俄《にわ》かにたちどまり、不安ら                           び"うぶ さか         しくうかがいいる。鬼貫は破れたる半屏風窪、疋に立てまわして、ワての蔭にはいる。その途端にお妙         は傘も包みも投げ出して内へ駆けあがり、屏風を押し倒して父の手に取りすがる。) お妙 (声をふるわせる。)お父《とう》さま。どうなさるのでございます。 鬼貫  お妙。もう帰ったのか。 お妙  こんな刃物を持って、おまえはどうなさるのでございます。 鬼貫 訳はそこに書いてある。それを読めばわかることだ。 お妙  いいえ、そんなものを読んではいられません。もし、お父《とう》さま。おまえはなんで自害な      さるのでございます。 鬼貫  叱っ、静かにしろ。 お妙  いいえ、静かにはできません。まあ、ともかくもその刃物をお渡しください。        (たがいに争うひまに、下のかたより路通はふたたび出で来たり、門口よりうかがいいる。お妙は一        生懸命に父の手より刃物を奪いとりて泣く。) 鬼貫  これ、静かにしろと言うのに……。なるほどびっくりするのももっともだが、たとい自      害しないでもおれ達はもう生きてはいられない……。よく考えてみろ。さっきも言うとおり、      あしかけ五年の浪々《ろうろう》に、わずかばかりの貯えはもちろん、家財も着類もみんな売り尽くして、      導引揉《どういんも》み療治《りようじ》にまで身を落としたが、それでも世渡りはできないで、先月から三度の飯も満      足に食ったことがない。これで幾日もつづいたら、親子ふたりが抱きあって飢死するよりほ      かはあるまい。考えてみても怖ろしいことだ。 お妙  飢死にするのが怖ろしさに、いっそ自害すると覚悟したら、なぜわたくしにも打ち明けて      くださいません。おまえに捨てて行かれたら、あとに残ったわたくしはどうなると思うので      ございます。やっぱり飢死にするよりほかはないではございませんか。(泣く。) 鬼貫 いや、おまえとおれとは違う。おまえはまだ若い身の上だ。いっそ自分ひとりならば、ど     こへ奉公しても生きていられる。決して飢死にする上うな心配はない。あの書置きを人に見      せれば、心ある人は欄《あわ》れんでもくれるだろう。おれも好んで死にたくはない。それできょう      まで我慢に我慢をして来たが、ほかのこととは訳が違って、人間がどうしても食えないとなれ      ば、死ぬよりほかに仕様がない。生きたいと言っても生きてはいられないのだ。わかったか。 お妙  いいえ、どうしても死ぬほどならば、まだ生きてゆく道があろうかと存じます。ただ今      のお話をうかがいますと、わたくしをお救いくださるために、お父《とう》さまが命をお捨てなさる      ように思われまして、あんまり悲しゅうございます。わたくしはそんな不孝者になりたくは      ございません。こういう時には、わたくしが死んでお父さまをお救い申さねばなりません。 鬼貫 ばかなことを……。おまえを殺してどうなるものか。 お妙  ほんとうに死ぬのではございません。ただお父さまは何処《どこ》へ奉公してもとおっしゃいま      した。その奉公にまいるのでございます。 鬼貫  奉公にゆく……。 お妙  はい。(決心したように涙を拭く。)奉公にまいります。と言って、お父さまに御不自由は      させません。わたくしに代わって朝夕のお世話を致すような、下女でも下男でもお雇い入れ      なすってくださいまし。 鬼貫 その日の暮らしに困る人間が下女や下男を置く。そんなことがどうしてできると思うの      だ。(娘の肩に優しく手をかける。)おまえは少し取り逆上《のほ》せている。まあ、まあ、おちついてよ      く考えるがいい。 お妙  (父の膝《ひざ》に手をかける。)もし、お父《とう》さま。わたくしは奉公にまいりまして、お父さまに御     不自由のないようなお金を工面《くめん》いたします。 鬼貫  むむ。       (鬼貫は賄《ふ》に落ちぬように考えながら、娘の顔をじっと視《み》る。お妙の眼からは涙が流れる。) 鬼貫  (にわかに思いついて。)あ、おまえは勤《つと》め奉|公《 エ 》にでもゆく気か。 お妙 はい。(父の膝に泣き伏す。) 鬼貫 (あわただしく。)いけない、それはいけない。おまえにそんなことをさせられるものか。 おれは今までただの一度もそんなことを考えたことがなかった。おれはそんな無慈悲ではな    いのだ。(娘の手を掴《つか》んで叱るように。)おまえはどうしてそんなばかな、間違った考えを起こし      たのだ。おまえが自《  ニロ》分ひとりで考え出したのか、それとも誰《だれ》かに知恵をつけられたのか。む     む、あの左官《しやかん》のおかみさんに教えられたのか。大事の娘に勤め奉公をすすめるなどとは、あ      いつ、思いのほかの不将《ふらち》な奴だ。 お妙  (父にすがる。)いいえ、左官のおかみさんの知ったことではございません。誰に教えられ      たのでもなく、わたくしが不意と考えついたのでございます。 鬼貫  いつそんなことを考えたのだ。 お妙 きょうの雪をながめながら、お父さまが外でさぞ寒いおもいをしていらっしゃるだろう      と思いまして……。(泣く。)わたくしのようなものでも勤め奉公に出ましたら、いくらかま     とまったお金も手にはいろうかと、不意と思いつきましたその矢さきへ、お父《とう》さまが……。      (落ちたる脇差しに眼をつける。) こんな覚悟をなさいましたので……。 鬼貫  いや、わかった。なるほどおまえの容貌《きりよう》ならば、郭《くるわ》へ身をしずめて相当の金にもなるだ      ろう。おれも楽ができるかもしれない。しかしそんなことがどうしてさせられるものか。 お妙  お許しはございませんか。 鬼貫  (またもや激しく叱りつける。)ええ、念を押すまでもない。たとい飢死にをすればとて、わ      が子に遊女の勤《つと》めをさせるなどとは、もってのほかのことだ。これ、よく考えてみろ。おれ      はおまえがかわいければこそ、自分を殺しておまえを生かそうとしているのだ。そのおまえ一      を苦界に沈めて、おれがその金で楽々と生きていられるか。親の心、子知らずとはおまえの      ことだ。あんまり腹がたって涙も出ない。おれが奉公しろと言ったのは、たとい水仕奉公《みオしぼうこう》にも      しろ、まっすぐな正しい奉公をしろと言ったのだ。おれは死んでもどうなっても構わない、      せめておまえだけは人問らしく生かしてやりたいと、苦労しているおれの心がわからないか9 お妙  それはよくわかっておりますけれども、わたくしはどうしてもお父さまを見殺しにする      ことはできません。 鬼質 どうしても身売りをするというのか。(つめよる。) お妙  (恐れるように。)では、わたくしは思いきって身売りを止《や》めましょう。 兜質  むむ、止めるか。それが当たりまえだ。 お妙  その代わりお父《とう》さまも……。死ぬのを止《や》めてくださいまし。       (鬼貫は黙っている。) お妙  もし、このとおりでございます。(手をあわせる。)       (鬼貫はやはり考えている。) お妙  これほどに申して聴いてくださらなければ、お父さまよりも先に、わたくしがいっそ死     んでしまいます。       (お妙はそこにある脇差しを取りて、縁さきへ走り出る。鬼貰はおどろいて押える。) 鬼貫 これ、とんでもないことをするな。 お妙 いいえ、死なせてくださいまし。 鬼貫  はて、わからない奴だ。 |但《ししト》       (二人はたがいに争うところヘ、路通は枝折戸《しおりど》より入り来たりて声をかける。) 路通  あ、待ってくれ、待ってくれ。       (鬼貫とお妙はおどろいて見かえる。) 鬼貫  (答《とか》めるように。)おまえは誰《だれ》だ。なにしに来た。 路通  (笑う。)さっき来た物貰いだよ。 鬼貫  物貰い……。       (路通は頬かむりを取る。) 鬼貫 (透かして視《み》る。)や、路通か。 路通 久しぶりだな。 鬼貴 まったく久しぶりだ。 路通 その久しぶりのお客さまが来たのだ。まあ、おちついて話そうではないか。        (路通は縁に腰をかける。鬼貫は早くその刃物を納めろと娘に眼で知らせる。不意の客来にうろうろ        していたお妙もひとまず刃物を鞘《さや》に納《おさ》める。) 鬼貫  (なつかしげに。)なにしろ、久しく逢わなかった。そこは寒い。まあ、こっちへあがって      くれ。 お妙 むさ苦しゅうございますが、どうぞお通りくださいまし。 鬼貫  (炉を指さす。)ここには火がある。寒さ凌《しの》ぎに早くあたるがいい。        (お妙は立ち寄って路通の菰《こも》をぬがせ、その雪を払ってやる。) 路通  いや、構ってくださるな。(鬼貫に。)なまじい暖かい火などにあたると、かえってあとが      寒い。宿無しはここでたくさんだ。しかしここらもずいぶん積もったな。 (庭を見まわし、そ      こに落ちたる傘と包みとに眼をつける。)や、ここにいろいろ勉《ほう》り出してある。        (傘と包みとを拾いて縁に置く。お妙は会釈《えしやく》して受け取る。) 鬼貴  (お妙に。)米を買って来たのか。 お妙  はい。 鬼貫  丁度よい。青菜の粥《かゆ》でも焚《た》いて、お客さまに御|馳走《ちそう》しろよ。 お妙 はい、はい。 路通  それは何よりありがたい。久しぶりで御|馳走《ちそう》になろうかな。 お妙  ただ今すぐに支度《したく》を致します。(包みを持ちて奥に入る。)        (鬼貫は茶碗に湯を汲んで来て、路通のまえに置く。) 鬼貫  郡山《こおりやま》で別れて以来だから、もう足かけ六年になる。そのあとはどうした。 路通 このとおりだ。はははははは。 鬼貫 ふたたび昔の姿になったか。 路通  おれはこの姿で東海道の松原に寝ているところを、芭蕉の翁《おきな》に見つけられて弟子の一人《いちにん》     に取り立てられたが、人問並みの生活《くらし》はおれの性《しよう》にあわないとみえて、師匠にさんざん叱ら     れた上に、二、三年前からふたたび元の宿なしだ。乞食を三日すれば忘れられないと言う      が、まったくこの方が気楽でいいようだよ。 鬼貫 そうかなあ。(考える。)それでも生きていられるかなあ。 路通  このとおりに生きているのが論より証拠《しようこ》だ。しかしおれはおれで、おまえにおれの真似《まね》      はできない。こうして平気で生きていられるのは、この路通ばかりだろうな。 鬼貫 (感心したように。)そうかもしれない。 路通  おまえはこうして湯をくれたが、おれは滅多《めつた》にこんなものを飲んだことはない。喉がか      わけばすぐにこれだ。        (路通は庭の雪を手にすくって飲む。) 鬼貫  腹の減《ヘ》ることはないか。 路通  あるな。一日に一度くらいしか食わない時がある。方々の家の門《かど》に立っても一文の銭《ぜに》だ      って容易に恵んでくれるものではない。現にここの家でも断わられたからな。(笑う。) 鬼貫  それはおまえと知らなかったからだ。堪忍《かんにん》してくれ。 路通  断わられるのは馴《な》れているから、さのみ驚きもしなかったが、どうも聞き覚えのある声     だと思ったから、また引っ返して来てみると、いやたいへんな騒ぎで、いくら無頓着《むとんぢやく》のおれ     もこれにはさすがに驚いたよ。鬼貫というほどの風流人がどうも無分別なことだな。 鬼貫  無分別と言われてもしかたがない。おれはもう切端《せつば》つまったのだ。 路通  それが無分別だというのだ。切端つまったと言っても、なんとか生きてゆく道があるだ     ろう。娘の方がおまえよりちっと利口のようだ。 鬼貫  (少しく激して。)おれは自分の娘を売っても生きていようとは思わないのだ。 路通  (笑う。)まあ、おちついて聴《き》くがいい。誰《だれ》がおまえの娘を売れと言った。おれはこのと     おりの独り者だが、たとい子供があったにしても、その子供を売り飛ばして金にするという     無慈悲な料簡《りようけん》にはなれそうもない。おまえの心はおれにもよくわかっているよ。 鬼貫 おまえも察してくれるか。 路通  むむ、察している。そこで、おまえも命を捨てず、娘も身を売らず、無事|安穏《あんのん》に生きて      いられる知恵を授けてやろうと思うのだが、どうだ、おれの言うことをきくか。 鬼貫  おれも死なず、娘も身を売らず……。(疑うように。)おまえにそんな知恵があるかな。 路通  あるから教えてやろうというのだ。一体おまえたち親子が死ぬるとか生きるとか騒いで      いるのも、つまりは食えないからのことだろら- 鬼貫 (うなずく。)まったくそのとおりだ。よくよくのことだと思ってくれ。 路通  さあ、そこだ。おれは独り者の上に、人間もほんとうに風流にできている。第一に乞食《こじキ》      馳れてもいるから、一日に一度ぐらいしか飯を食わないこともある。いや、その一度も満足      に食えないようなこともある。それでもちっとも驚かないように仕込まれているが、おまえ      達は素人《しろうと》だ。ただの人間だ。腹の虫が意気地なくできているから、一度も飯を食わせないと      すぐにぐうぐう泣き出すという始末だ。おれならこの境涯《きょうがい》で平気でもいられるが、おまえた     ちにはとてもその辛抱《しんぼう》はできまい。おまえ達にとっては腹の減《へ》るぐらい怖ろしいことはある     まい。そこで、おれが飯を食えることを教えてやる。親子ふたりが満足に三度の飯さえ食え      たら申し分はないはずだ。 鬼貫  それはもちろんだ。おれだって別に栄耀《えいよう》や栄華がしたいと望むわけではない。ただ無事      に生きていられればいいのだ。 路通  それにはこうするのだ。よく見ろ。        (路通は庭の雪の上に指にて書く。鬼貫は行燈《あんどん》を持ち出して、縁の上からのぞく。) 鬼貫  (気色《けしき》を変える。)なんだと思ったらとんでもないことを……。貴様はそれだから師匠にも      破門されるのだ。痩《や》せても枯れてもおれも鬼貫だ。そんなばかなことができると思うか。 路通 (平気で。)それが悪いか。 鬼貫 善いか悪いか考えてもわかるではないか。実にどうも篶れた奴だ。そん律鰍だから貴     様は乞食《こじき》の味が忘れられないのだ。もう貴様とは口をきかないから、早く出て行け。 路通 (ふたたび縁に腰をかける。)なにをそんなに怒るのだ。 鬼貫  ええ、なんでもいいから早く出て行け。さあ、出てゆけ。        (鬼貫は路通の腕をつかんで、縁より引きおろそうとする。) 路通  まあ、待ってくれ、待ってくれ。        (鬼貫は縁より下りて路通を引き出そうとする。路通は雪のなかに倒れる。) 鬼貫  早くゆけ。宿無しの乞食野郎め。        (菰《こも》を取って路通に投げつける。路通は頭から菰をすっぽりと被《かぶ》せられて倒れながらに高く笑う。) 路通  はははははは。そう無暗《むやみ》に腹をたつなよ。そういう馬鹿がたい料簡《りようけん》だから、大事の命を      安っぽく捨てる気にもなるのだ。 鬼貫 なんだ。(縁にある傘をとって振りあげる。) 路通  (菰から顔を出す。)まあ、待てというのに……。おれの言うことがおまえにはよく呑《の》み込      めないのだ。 鬼貫  ええ、ちゃんとわかっている。おれに芭蕉翁の偽筆を書けというのだ、偽物《にせもの》を作れとい      うのだ。 路通  そうだ。そうだ。(雪の上に起きあがる。)おれの師匠の芭蕉翁の短冊は、廉《やす》くも二分や三      分には売れる。相手によっては二両も三両も出すかもしれない。とろが、その直筆《じきひつ》の短冊と      いうものが世問に少ない。 鬼貫 それはおれも知っている。 路通  おまえは能筆だ。武家の出だけに、字をかくことは確かに巧《うま》い。そのおまえが芭蕉翁の      偽筆をかけば、誰でもきっといっぱい食わされる。それ、どうだ。短冊を一枚かけば、少な      くも二分や一両にはなる。おまえの導引揉《どういんも》み療治とはちっと訳が違うだろうぜ。 鬼貫  たとい幾らになろうとも、人の偽筆をかいて金|儲《もう》けをする。そんた曲がったことができ      ると思うか。 路通  それではおまえはやっぱり飢死にをするつもりか。それともかわいい娘を売るつ屯、りか。       (鬼貫は黙っている。) 路通  それともむざむざ娘を殺して、おまえもいっしょに死ぬつもりか。        (鬼貫はやはり黙っている。) 路通  どう考えてもおれの指図《さしず》についた方が利口らしいな。ああ、あんまりしゃベったので喉《のど》      がかわいて来た。(庭の雪をすくってふたたび飲む。) 鬼貫  いくたび言っても同じことだ。おまえのような人間を相手にしてはいられない。頼むか      ら帰ってくれ。(縁にあがる。) 路通  頼まなくてももう帰るよ。宿無しでも寝るところは何処《どこ》にかある。久しぶりで俳譜の話      でもしようと思ったら、とんだ喧嘩《けんか》になってしまった。はははははは。 鬼貫 (少し考える。)むかしのおまえなら、昔のおれなら、こういう雪のふる晩に、しんみりと     した心持ちで、ゆっくり俳譜の話でもできるのだがな。 路通  今だってできるのだが……。まあ、いいや。これでお別れとしよう。 (菰《ニも》をきて手拭いを      かぶる。)たしか其角《 ユきかく》の句にあったな。 「なき骸《がら》を笠にかくすや枯尾花」……おれの姿もワてれ      に似ているようだな。 鬼貫  おれはあんまり好きではないが、江戸の其角はまったく器用だな。 路通  ちっと小細工《こざいく》をするが、あいつなかなかうまいことを言うよ。 鬼貫 (っり込まれて起っ。)おまえはこのごろ一句もないのか。 路通  このあいだの晩、長柄《ながら》の堤《どて》の下に寝ていると、夜中に霜が真っ白よ。(坐る。)おれも眼      が醒《さ》めてびっくりした。そこでつい一句できたのよ。 鬼貫  なんという句だ。(縁を降りる。) 路通  「隠れ家や寝覚めさらりと笹《ヤムち》の霜」 鬼貫  「隠れ家や寝覚めさらりと笹の霜」……むむ、おもしろい、おもしろいな。(これも思わ      ず雪の申に坐る。)いや、おれもこの間の朝、長柄の堤を通って一句浮かんだよ。 路通  やっぱり長柄の堤でできたのか。して、その句は……。 鬼貫  「川越えて赤き足ゆく枯柳」 路通  なるほど。(うなずく。)赤き足ゆくが見つけどころだな。おもしろいな。 鬼貫 おもしろいか。 路通  おもしろい。こうしてみると、鬼貫はまだ殺したくないな。(笑う。) 鬼貫 死にたくないな。 路通  いくら戯晦をしても、おまえとおれとはやっぱり友達だ。ああ、久しぷりでおもしろか      った。(起《た》ちあがる。)どれ、帰ろうか。 鬼貫 もう帰るか。(これも起ちあがる。) 路通  いい塩梅《あんばい》に雪も止《や》んで、薄月《うすつき》が出たようだ。        (路通は下のかたへあゆみ去る。雪を照らす月の光青し。鬼貫はあとを見送りて縁に腰をかける。) 鬼貫  おれは一途《いちず》に怒ったが、あいつはやっぱり好いことを教えてくれたのかしら。        (鬼貫はじっと考えている。ばさばさと雪の落ちる音して、竹|藪《やぶ》のたわみし竹は雪をはね返して立      つ。) 鬼貫  (見かえる。)おれも生きることを考えなければならないなあ。        (奥よりお妙いず。) お妙  (そこらを見て。)おや、お客さまは…・-。 鬼貫  お客はもう帰った。 お妙  お粥《かゆ》がようやくできましたのに、もうお帰りになりましたか。 鬼貫  そうだ、そうだ。むやみに腹をたてたので粥のことをすっかり忘れていた。遠くは行く     まい。追っ掛けて呼び戻して来てくれ。 お妙 はい、はい。        (お妙はすぐ庭に降りて行きかかる。) 鬼貫(よび止め三これ、これ、路通に逢ったらばな。粥《かゆ》のことばかりでなく、まだほかにも     お話がありますからと言ってな。 お妙  お話のこと。 鬼貫 あの…:㌔(少し小声で。)短冊《たんざく》のことだと言えばすぐにわかる。 お妙 (不安らしく。)お父《とう》さま。 鬼貫 いいから早く行って来い。 お妙 はい、はい。               は      (お妙は出てゆく。鬼貫はかの書置きをひき袈いて炉に投げ込む。月の光あかるく、雪の竹の刎ねか      える音。)                                       ー幕1