七月二十二日の夜 嘉村礒多  歳月の経つのは早いもので、小説家S氏が物故してから、あわたゞしく三年 が過ぎた。明七月二十三日は銀座裏の日本料理屋「丹頂」で三周忌の小宴が知 友の間だけで催されるといふ、つまり祥月命日の前の日、私は世田ケ谷太子堂 に遺族を訪ねることにした。私は世間からはS氏門下とまで書はれるほど死者 の晩年は側近に侍した日も亦多かつたのであつた。従つて亡くなつた当座の間 は、私はたびたび仏様を拝みに行つたものであるが、その後私自身にもこれと いつて格別嬉しいことがあるわけでもなし、芸術が栄えるではなし、何や彼と 生活が、心の忙しさが、近来は特にそれを許さなくなつてゐた。のみならず去 年の十二月に、忘れがたみの幼い次女が、S氏命終の真際に私が買つて行つた 瀬戸の火鉢を抱いたま、上り権から土間にのめつて、ひどい火傷をしたことを 人伝に聞いて以来、私はひどく気を腐らし、縁起が悪いやら気の毒なやらで、 自然顔出しするのに拘泥を感じ強ひて控へてゐた。でも、此 度こそは是非にもと思ひ決して、ユキを急き立て早めに夕食 を済ました私は一しよに行きたがる彼女を連れて家を出た。  矢来通りの消防署前のホーリネス教会の黒板に、---われ 時を知れり、今は眠より醒むるの時なりー-と書いてあるの が不図眼に留まつた。病的なまでその聖書の章句が、私の魂 を混乱させた。私はわれを忘れて唖のやうに口を動かしぶつ ぶつ眩きを繰返し、時々立止まつたりしながら考へ考へ飯田 橋の停車場へ歩いた。山手線の中でも、功利的に何等かの解 釈の実感を呼び起さうと頻りに思案を重ねたが、畢寛、何事 も己のはうですすんで時を知ることは出来ない、唯、受身の 場合の外は宇宙人生に就いて毫も知り得ない愚しい自分だと 言つたやうな、至つて頼りない、悟しい気持であつた。  太子堂に着いたが、暮るるに長い夏の晩方はまだ薄明りを 留めてゐた。停留場から白い埃で埋没した狭い枝道を一丁も 入って行くと、電車やトラツクやの響きも次第に遠のく程 に、折からリンリンリンと蝸の金切声が、一斉にあたりの多 い木立の間に降り濃ぐやうに起きた。私は耳を歌てユキを顧 みて歩みをゆるめた。西の故郷の村の家で午睡の眼を静かに 開くと太陽は落ちてゐて向うの山麓で蝸がしげく鳴いてゐる のを枕の上の頭を振ぢてぢつと聴き入つた時の遣瀬なさが憶 ひ出された。行くうち、丘の上の鉄筋コンクリート建ての小 学校の新校舎とか、竹藪の中の塗りかへた赤い稲荷堂とか、 藁葺の間にペンキ塗りの新しい西洋風の家屋とか、四囲の開 化変遷に眼を向けつゝS氏御在生のむかし足まめにここを通 ?た時分に比べ、何か少時感慨めいた思ひに浸るのであつ た^.  二年前に故人の旧友の方々が、芸術壇の各位に醸金を仰い で、買ひ取つてあてがつた荒物屋の、撒き水をした、電燈の 暗い、ひつそりとした店先で、乳色のアイスキヤンデーを子 供に売つてゐた未亡人は、 「おや、まア、お久しぶりで……」と、幾分テレたやうに白 い歯を見せて、突然そこに現れた二人を慌てて迎ヘた。  私共は凹凸の土間に履物を脱いで店の板の間に上り、半間 の葦のすだれをくぐつて、お店のほか一ト間きりの我楽多を 乱雑に詰め込んだ六畳に導かれると、先づ無沙汰の言分け、 詫言を並べるのもずゐぶん極りが悪かつた。丁度まだ挨拶の やりとりの終らないところへ、焼けどした女の児が裏口から とことこと駈けて入つて来た。両頬から口もとと噸にかけて 見るも無惨に焼け欄れ、癒ヘ切らない傷痕からは膿のやうな ものが浮き出し、喉の中でがらがらといふ音がしてゐた。  と見た一瞬、筋を引きつる胴震ひが頭の先から足の先きま で走り、私は低く偽向いてしまつた。 「嬢ちやん、いらつしやい」と、ユキは抱き取るが早いか、 直ぐ湧き出た涙をはらはらと零した。 「困リたことをしましたね」と、私も長大息を吐いて言つ た。 「え、、わたしも、この子は育ててゆく気力がなくなりまし たの、.こんな情ない顔になつて。火鉢ごと店の土問にのめり ましてね、火鉢は真二つに砕け、いつぱいに拡がつた灰の上 に突つ伏して燥を口に入れましてね、一週間ぐらゐは口が腫 れて開きませんでしたの。これでだいぶん癒つたはうです が、いづれも少し日が経つて口を切つて大きくしてやらなけ れば、自由に食物が入りませんでしてね」  全く未亡人の言ふ通り、子供はユキの膝を下りると持つて ゐたキヤラメルを片つ方に歪んで醜く位置の変形した口に持 つで行つたが、唇の両端の上下の皮がくつ着いてゐてキヤラ メルほどのものでさへ押し込めば痛むらしく、へんに眉根を 寄せて戚足め面をする顔に、また私共は見てはならないものを 見るやうに恐る恐る夫々の眼をちらとそそいだ。 「いつそ死んでくれたのならと思ひますのよ」と声を絞り、 母性としての際限なき愁歎、警へやうのない苦悩の表情を未 亡人は両手で蔽ひ隠した。「……慶応病院の整形科にかかり ますとね、焼けた皮を剥ぎ取つて、腿の皮を切り取つて張り かへてくれるさうですがね、痕には縫目だけのこつて、それ も大きくなつてお化粧でもすると分らないくらゐになるさう ですけれど、二百円やそこらはかかるさうでしてね、酒屋の 二階に間借りしてゐる慶応の医科の書生さんが家ヘ煙草を買 ひに来なさるたんびにさう言つてすすめて下さるんですが、 もう怪我してから何んだ彼んだ百円の余もかかつて、家賃も 三ケ月分滞つてゐるやうな始末でしてね」 「整形科……それは是非に……」  私は出かかつた言葉をぐツと咽喉の奥に嚥み込んだ。所 詮、私如き微力で鍵一銭も思ふにまかせて助けとぐることは 能はないと思へたから。そして又、キヤラメルを口の内でも ぐもぐしやぶつてゐる子供を盗み見てゐると、やはり私は、 その整形科なるもので、離別した先妻との問に産れた自分の 故郷の子供の、六つの時打つちやり放しに他国に放浪して七 年も顔を見ない間にヘポ医者の手術から瞼が引つ張つて赤ん 眼になつてゐるといふのを、今にも東京に呼び寄せ進歩した 技術の力で癒してやりたい、さうして置いたら子供が年取つ てから苦しまなくてすむだらうに、不行跡な父として多少で も子供への申し訳にと突き詰めて考へ出すと、私は切なく騒 ぎ出して来た心を掻い抱くやうに腕組みして眼を屡叩いてゐ た。  するうち、出し抜けに、 「時に、近頃、あなたのご商売のご様子は如何ですの?」  未亡人の問ひに、はツとして私は頭を振り上げた。未亡人 の口尻の微笑を見ると私の臆病な胸は俄に熱くなつた。私は 言ひやうのない不幸な思ひをした。あの、何時の時か、S氏 が故もなく私を怒つて、へーイ、君なぞ作家になれるもんか よ、俺にさう言はれて口惜しかないか、へーイ、と酔ひどれ て毒吐き出した時、傍の夫人もS氏に追従して私に投げたロ 尻の微笑が、咄嵯に思ひ出されたのだ。それは恐らく私に対 した時だけかもしれないが、未亡人の、酒に酔つた時のS氏 の見よう見真似で、目下のものに遣ふ幾らかナメたやうなロ 調の影が、殊に今日此頃の僻みつぽくなつてゐる私にぐツと 来たといふわけでもなかつたが、しかし女の癖に、割合にア レで新聞の文芸消息欄や広告には注意するはうで、まア、無 名に近い私などは問題外であるにしろ、故人の仲間で誰それ が振るつて誰それが振はない、そんなことを知らうとするこ とが、|萎《しほ》らしさのない、慎しみの欠けたこと、限りもなく浅 間しいことのやうにさへ思へて、つい大人気もなく叩きつけ るやうに、 「一向どうもお恥づかしいことで。しかしですね、斯う申し 上げるのも何んですが、先生なんかも好い時機に死なれたも のですよ。今頃まで生き延びられましても、世の中がすつか り変りましたから……先生の嘗められた苦労より、もちつと もちつと苦労を今の芸術家はしなけれぱなりません」  と反抗的に口を滑らしてしまつた後で、女ひとりと思へば よくよく馬鹿にして自分も飛んだ不遜を口に出すやうになつ たものだと、何んとも言へぬ自棄クソな、捨鉢な、あああ、 と言つたやうな歎息が胸壁を圧して込み上げた。  つづいて未亡人は、不景気で商売の思はしくない上に、最 近は近所にできた公設市場に圧倒されて、もう二進も三進も やつてゆけない状態を憩へた。如何にもそれは尤な話で、し かも女の細い腕で周囲に対抗しようとして、前の頃は蓬々と 乱してゐた髪もきれいに結ひ、小ざつぱりした服装にも、商 人としての真剣さや尋常ならぬ心遣ひが察せられ、平素はさ うした愚痴の聞人もないのだらうからと、その心根にしみじ み同情もされた。が、どうも其日は私の虫の居どころが普通 でないのであつた。  全体、私はこんな立ち入つたことを軽率に言ひたくも思ひ たくもないのであるが、故人の親しい友達の皆さんの発起 で、途方に暮れた遺族扶養の目的で、一トロ五円の寄附金を 文壇の方々にお願ひするといふ企を余所ながら聞いた時、北 の片州にゐられる故人の正妻なら兎も角、謂はば事情のある 内縁の妻である未亡人並びにその間に出来た遺児の世過ぎの ために、印刷物を公の文壇の間に配付するといふことは、お よ一そ策の得たるものでない、人情としては涙ぐましい美挙で あり、他の窺ひ知らぬ温い友情の発露であることは十分に承 知し乍らも、何か非常に不条理な、筋道の通らぬもののやう に思はずにはゐられなかつた、仮令百計尽きたとしても。芸 術家の最後の理想として、われ随巷に窮死すーとのS氏の きびしい芸術観と言はうか、生活観と言はうか、とまれ、左 様な秋霜烈日といつた、いちじるしい気魂に対して、遺され た妻子たちは諸共に磯ゑた犬か猫かのやうに其処辺の道端に 手脚を投げ出して死んでしまつたのなら、土埃にまみれてプ ンプン悪臭の発散する板のやうになつた死骸を通る人々が下 駄で蹴飛ばしベッと唾を吐いたりするのだつたら、それを烏 の群が集まつて食べるのだつたら、それこそ故人の本懐、貧 乏徳利と盃とを前にして貧弱な庭の遅咲きの郷蜀の花を見や り伸びた口髭を引つ張りながら、人ト|為《ナ》リ友親ヲ絶スー…' 口吟んでゐた信念の勝利、将又、遺作全集五巻へ錦上更に花 を添へるものとして、蓋しその科りと幸福とはどんなであつ たであらうか1私には切歯し、声を挙げて号泣しても足り ない思ひがある。  それこそ、未亡人のお心掛としては、まことに感心な、見 上げた、真似のならないことではあるが、箸の上げ下げに も、死んだお父さんの流儀ですから、流儀ですから、と二言 目には言ひ出すことを忘れないなら、おめおめ他人様の御喜 捨に纏つて日々不平を言ひ、まだ不足々々の思ひをすると は、何んといふ生くるものの悲哀、生存の醜さーと言つて 何も決して決して未亡人ひとりの御姿とは申さない迄も、そ れが取りも直さず私の姿であり、よし万人の姿であらうと も、私にはこの人生及び芸術なるものが、理想と実際が、た だただ残念で残念で堪らないのである。  斯うした非難と矛盾の感情とを噛み締めながら、ややして 私は、癖れた足でふらふら立ち上り、床の間に積み重ねたビ ール箱の上のお粗末な御仏壇に向ひ、線香を立て、鉦をチー ンチーンと三つばかり鳴らして、芸術院善巧酒仙居士ー--と 書いた位牌に掌を合せ、毎度のやうに、(どうぞして私の拙 い小説にも日の照る時が訪れますやう、先生のやうに文名が 挙りますやう、出世の望みがかなひますやう、南無)と、一 心こめて薦らうとしたが、複雑な思ひ、不謹慎な心、何一つ お役にも立ち得ないに拘らず、とや角ケチケチした横着な批 判、余計なおせつかいを加ヘるなど、それらの邪念の疾しさ が胸の中でごつちやになつて、狼狽し眼を伏せて、逃げるや うに暇乞ひして屋外へ出た。  私はたしかに呪ひを受けて、顔色蒼然と、紫色になつた唇 をぶるぶる顛はし、よろよろと帰途に就いた。渋谷で郊外電 車を棄て、省線に乗り替へ、代々木でまた乗り替へると、 「ああ、頭が痛い、ふとすると眩量がくるかもしれん」と、 私は両手で頭を抱へた。 「困りましたね、わたしの膝に伏しついてゐて下さい」と、 ユキもおろおろ声で言つた。  車内の人目も揮らず私はユキに兜れかゝると、行きなり怪 しい睡魔に襲はれて、とろとろと意識が問遠になつて行つ た。  ー-共同便所の入口に友達を待たして置いて、自分はぐん ぐん家に入つて行き、出て来た顔の丸い色白の奥さんに取次 を頼んだ。ところが、この偏屈な、気むづかしい大家が会つ てくれることになつて、自分が玄関に上つたところへ、をか しなことには、奥さんが瀬戸の大火鉢をかかへて出て、(こ れを二階に持つてあがつて下さい)と命じた。私はかかヘよ うと焦るけれど、重くて持ち上げられず弱つてゐると、二階 からとんとん梯子を踏んで大家が降りて来、なんなく火鉢を かかへて廊下伝ひの落間に私を通した。二人が初対面の挨拶 をするはずみに二人の額と額とがカチ合つて、双方の眼から 火花が散つたが、二人ともあッ痛いとも言はねば、笑ひもせ ぬ。大家は一段高い室に上つて私を見おろしながら親切に話 してくれてゐたが、私は共同便所に残して置いた友達が気が かりで仕方なく、(わたくしはバツトを吸はなければ片時も ゐられません、そこまで一寸買ひに行かして下さい)と許し を乞ひ中座して外へ出た。(君、君、大家が会つてくれたよ。 不思議ぢやないか。では、失敬だが君は××さんのはうへ独 りで行つてくれたまへ)と自分が言ふと、友達は(ぢや僕、 夜汽車で行く)と不機嫌に言つてぷいと踵を返した。自分は 再び大家のもとに引き返さうとしたが、今度はどうしても家 が分らない。研り立つた火崩岩が銀白色にぎらぎら光る傾斜 した街に駈け上つたり、と思ふと窪地を尋ね歩いたり、狂気 のやうになつて捜してゐるうち古寺の台所口ヘ出た。それが 芝の青松寺である。お寺の娘さんが、(その家ならこの前の 家ですのに)と言ふ。私はほッとして玄関に入ると、奥の方 で天狗のやうな四角な顔のS氏が、(野封m間め1あんな野 郎は贋物だよ贋物だよ。ちよつとも心掛がなつてないぢやな いか、芸術家になどなれるものか1)とかんかんに怒つて夫 人と共に自分のことを罵つてゐる。私はわツと泣き伏した  ユキが、あなたあなた、と優れ声でゆすぶり起す先に、私 は自分の泣声で眼が覚めてゐた。車内の人々はびつくりし て、或者は立ち上つた。ピリピリと笛が鳴つて電車が一時停 車をしさうな気がした。訊かつて車掌が訊き糺しに来たの で、ユキが私を見守りながら何か書ひわけをした。夢の中の (贋物だよ贋物だよ)との罵声がきざみこまれ、眉間が裂け るやうにづきづき疹いてゐた。間もなく全身の脂汗が引く と、ぞくぞくと寒気が襲つた。飯田橋駅で下りるとユキは注 意しいしい私の手を扶けて見附へ出た。暗いお濠の上に点在 したボートのアセチリン瓦斯の灯が、二重三重に私の衰ヘた 眼に|量《ぼか》して映つた。ユキの言ひなりに私はそこの氷屋の縁台 に腰かけて、心悸の充進を鎮めた。そしてサイダーを飲んで ゐるうちに、だんだん元気が回復して来た。私は二一二度頭を 振つて見て、 「もう大丈夫だ、気遣ふな」とユキを慰めて言つた。  神楽坂の夜は今が人の出盛りであつた。いとけない児は手 をひかれて立ち、年老いた人は杖にすがつて歩いてゐた。私 共は両側の夜店の、青々とした水を孕んだ植木、草花の鉢、 金魚屋などの前で足を止めたりして坂を上つた。肴町の交叉 点近くの刃物店「菊秀」の前まで戻ると、疾から散歩の度毎 に覗いて、欲しくて欲しくて堪らなく思つてゐたナイフを、 今夜もまた見ようと思つて明るい飾窓に近づいた。 「あのナイフですよ。僕が欲しがつてゐるのは」と、私はユ キに人さし指で差して言つた。 「お買ひなさいましよ。三円五十銭?……いいぢやありませ んか。思ひ切つてお買ひなさいよ。買ひそびれたらなかなか 買へませんよ」 ユキの応援にまだ躊踏してゐると、前垂れがけの小僧が、 へえ、どれですか、と寄つて来たのに誘はれて到頭私は店の 中に這入つてしまひ、あれこれ手に取り上げて鑑定したが、 結局、予め気に入つてゐた品にした。私は大そう満足であつ た、この一挺のナイフを守り刀にして魔を払うて行かうとい つたやうな至極子供らしい考へに興奮して、大急ぎで家に帰 つた、  私が思ひがけなく買物をしたのでユキも喜んでくれてそは そはしてゐた。鞘には三つのボタンがついてゐて、安全弁を 左に廻して置いて一つを押せば長い方、一つを押せば短い 方、一つを押せば爪切りが跳ね起きる仕掛になつてをるの を、私は代る代るボタンを押してはパチンパチンと跳ね起し たり、折り畳んだりしてゐたが、突如、 「どうも、こいつは、狂ひが来さうだな」  さう言つて私は顔を曇らせた。あれだけ欲しく思つてゐた ものをやつと手に入れれば入れたで、直ぐ自分からケチをつ け出した不仕合せが恨めしかつた。私は机の上にはふり投げ たり、未練げに手に取つたりして暫らくの間苛々してゐた が、 「やつぱし、五円五十銭といつたアハビ張りの方が簡単に出 来てゐていい。あの方にすればよかつた。失敗した1」と、 私は絶望的に言つた。 「ぢや、アトニ円足せばいいんですね。それではわたしが買 ひかへて来ませう。あなたのことだから、さう言ひ出した ら、夜つぴて眠らないんですからね。わたしまで眠られやし ない。……取つ替へて来て今度はイヤとは言ひませんね。よ ろしいですか?」  心配して着物も着替へず側に寄り添つてゐたユキは、斯う 念を押してナイフを蝦墓口の中に入れ急ぎ勝手もとの下駄を つつかけたが、振り返つて、「ほんとに五円五十銭も出せぱ、 夏羽織だつて古着なら相当のものがあるぢやありませんか。 明日の会だつて、あんな染め直しのよれよれを着て行つて、 あなたはそれでよくつても女の恥になりますよ。羽織を買は うと言へば吸鳴り散らしたりして、近頃ほんとにあなたは病 気ですね」と言ひ捨てて出て行つたが、ものの三十分も経つ たと思ふと、顔ぢゆうに汗の粒を浮べぜいぜい息を切らして 帰つて来て、ナイフを手に握つたまま自慢さうに講釈を始め た。 「これは、ヘンケルと言つて、ドイツの会社でも一番有名だ つて、さう主人が言ひましたの」 「さうか、ヘンケル……なるほど」と、私はほくほくして言 つた。 「先刻のはハーデルと言ふんですつて。でも、ハーデルよか ヘンケルのはうが一枚上ださうですよ。この上の品は菊秀に はないのですつて」と、ユキはいよいよ調子づいた。 「さうか、ハーデル…-あなたも感心によく覚えて来ました ね、お利口さん、どれ、かしてごらん」  私は小づくり乍ら頑丈に出来たヘンケル製とかを手の腹に 乗せ首を傾げて重量を計つて見た。それから爪で中身を起し たり、息で白く曇るのを袖で拭いたりして、ユキの鼻先に突 きつけて揮り廻した。 「こうれ、おれの言ふことを聞かんと、これだぞ」 「おゝ、怖い……」ユキは大袈裟に笑つた。  鰭てユキは私に言ひつかつてナイフを入れる袋をこさへる ため、押入に頭を突つ込んで古葛籠の中を掻きまはしてゐた が、厚板の小切れを取り出して、火尉耳をかけたりしてゐる 問、私は彼女の傍に仰向けに寝そべつて、猶、ナイフをつま ぐり、刃先を飽かず眺めてゐた。  暫らく沈黙がつづいた。 「あなたのことですから、物を大事にする人ですから、一牛 涯持つてゐらつしやるでせうね」  きゆうきゆう縫糸を爪でこきながら、漢をすすつてユキけ 何気なく、そんなことを言つた。 「うん……」  私は軽く頷いたが、途端、今までの喜び全部が、暗い淵の 底に石でも拠つたやうにドブンと音を立てて沈んで行つた心 地がした。S氏が世田ケ谷のごみごみした露地内の、狭苦し い、蒸し暑い家で、口をパクパクニつ三つ喘がせて息を引き 取つた時、隣家の垣根を飛び越えて来た大きな虎猫が、・・ヤン ミヤンとドラ声で鳴いて近寄ると、未亡人が、「それ猫が来 た1」と縁側に出て手を上げて追つ払ひ、室に駈け戻ると生 前S氏が使つてゐた仕事机から、錆びた、安つぽいナイフを 出して、死人の枕もとに置いたことが、ふーツと頭に涯き出 したのだ。1実のところ、私もそんなに長く生き永らヘる 自信は持ち合せてないのであつた。時とすると死が足音をひ そませて忍び寄るやうに思へることが度々である。定めしユ キ一人に看護られ、何処かの佗び住ひで寂しく閉眼するだら うが、生臭いにほひを嗅ぎ知つた黒い野良猫が黄金色の目玉 を光らせて死体を喰ひに来た場合、剃刀は平日から持つてゐ ないので、泣き沈んだユキが、「しツ1」と猫を叱りながら 周章ててこのナイフを取り出して枕辺に置く1続いてさう した光景が眼に見えて描かれて来ると、そんなこととは知ら ずに一生懸命に針を動かしてゐるユキの顔が、もう正視出来 なかつた。  だが、と何ものかが絶え入るやうに滅入つた自分を強く擾 ね返した。自分一箇としては、独生独死は、かねての覚悟で あり深く思ひ知つてゐる筈ではなかつたのか? 今日私がど うにかしてほんに見窄らしき存在にありついたのも、先師芸 術院ゐまさずば、このたび空しく過ぎなまし、偏に専らS氏 の衿哀、彼岸からの鞭捷によるもの、引いては又、あれを思 ひこれを思ひ、度に落涙に打咽ぶのであるが、さりながら、 S氏が例の口をパクパク動かして名残おしさうに死んで行っ た際、一座の恋慕涕泣の真只中、私も外儀の姿は如何にも殊 勝らしき悲歎の色を装はうてゐたとは言へ、口でこそ何んと でも言ふとは言へーやれやれ、これで埼があいた、実に骨 の折れる人であつたが、ああ助かつた1自分は自分の狭い 安堵の心を神の前に秘め隠すことが出来ようか1  せめてもの自分の悔俊が最早神を恐れない程に高くしよう として、えんさこらさと梶棒でも挽くやうに、私は幾度もお 念仏を唱へた。  眼をつむつてゐると、S氏未亡人の境涯が新な欄みを以で.、 心底から同情された。そして二時問前の浅墓な、感情にから れた末梢的な非難が又改めて悔いられた。人の身の上わが身 の上、根本のことは、大した悲劇でも喜劇でもないとまで今 は容易に言ひ得るのであるが、地上の娑婆にあるあひだは、 根無草のやうに違順した愛憎の花が咲く。それにつけても、 肉親らしいものも寄方もないユキの身の振り方ー-我慢もい い加減にして、この際ユキを故郷に連れて帰り、両親に引き 合せて因縁をつけ、継子ながら自分の子にも因縁をつけて置 いてやることが、意気地ない哀しい打算ではあるけれど、私 に死別した後の彼女の平安のために、何より焦眉の急である ことに思ひ到つた。 (了)