十年の辞 改造社小史 山本実彦  今晩は、御多用の際に、日本の文化を代表さるる各方面の方々の御来会が、かように盛大を 極わめたということは、本社のまことに光栄に存ずるところであります。  改造社の事業は、皆さん御承知の通り雑誌と出版、この二っであります。ちょうど私共の改 造社が始まりましてから、今月で満十周年になりますので、この機会におきましてわれわれの 執った行動そのものが、果たして文化の進展にどれだけの寄与をもたらしたか、私はこの点に つきまして皆さんの深き御考察をばお願い致したいとおもうものであります。われわれの執り ました態度が果たして文化のためにどれほどの価値があったか、このことは返えす返えすも皆 さんの御考慮をお願いしたいと思うのであります。  われわれが当時五、六人で帝都の一隅、品川の浅間台に改造社の編輯所を置きましてから 初めは単に雑誌のみを発行しておりました。すでに皆さんが御承知の通り、一号、二号、 三号と、この雑誌の表紙は、石井柏亭画伯にヴェルサイユの絵を書いてもらったものを使用し てあります。第四号から現在の『改造』の姿のようなものになったのであります。で、一号、 二号、三号とこの間におきましてわれわれの発行部数というものは、約二万でありました。こ の二万のうち第三号の如きは、実に一万三千という返品を見たのであります。六割以上の返品 を見ては、雑誌の存立ということは至難であります。そこで紙面の一大刷新を断行しまして、 第四号からは約二年間ほとんど売切れというような状態を呈しました。で、その間の事情を簡 単に、回顧的に今申上げるのも御一興と思いますから、わずかの時間だけ申し上げることに致 します。  第一号から第三号までは、われわれの雑誌は半分以下の読者しか持ちませぬでしたが、第四 号から約二年間というものはほとんど売切れの状態で、雑誌の発行はいつであるかというよう なことを、読者から待ちかねて聞きに来られるようなありさまでありました。その当時は、日 本の杜会運動の啓蒙期に当りまして、杜会主義及び労働運動に関する刊行物が、ほとんど幾ら 刷っても売切れるような時代でありました。ところが第六号か七号かと思いますが、サボター ジュというものを取扱って、われわれの雑誌は当局の忌誰に触れ、禁止の処分を受けることに なったのであります。それ以来二、三回禁止の処分をこの三年間のうちに受けましたので、同 人は雑誌はとても売れるけれども、この前途が果たしてどうなることかと思って不安心であり ましたから、私は既時、自分の持っている家や、宅地、道具一切を売り払って、雑誌の費用を 支弁したのでありました。ところがちょうど出版物に茄いても、今夜はお出でになっておりま せぬけれども、賀川豊彦君の『死線を越えて』というような本が、大分社会の読書階級の記録 を破って、二十万、三十万というような数の売行きを見たのであります。また『改造』の一般 の売行きというのも大方そのような状態で、出版と併行して、それから以後非常な盛大を見、 それから震災によってわれわれが五年間築き上げたところの鉄壁が一夜にして壊れてしまいま した。その壊れた城をいかにしてわれわれは復活するかということを、社同人で協議いたしま した。ところがわれわれの境遇に同情されまして、いろいろ資本の供給をして上げようという 人もありましたが、我が社は断乎としてそれを排斥し、社員協力一致して、とにかくいずれの 資本家の擁護をも受けないで、今日までの基礎をば築き上げたのであります。われわれは一に この権勢及び資本家というものについて、どうしても頼らないという、断乎たる決意のもとに 進んで、そうして自分らの頼るものは、一に読者のみの支持に依る、読者の支持に依って我が 社が盛んにならなければ、我が社は潰れてもよろしいという覚悟で進んだのであります。今日 では幸いに我が社の基礎工事だけが、皆さんの御同情に依って出来上がったのであります。こ れからわれわれはどういうような飛躍をして皆さんにお応えするか、これは社としましても、 われわれをば今まで支持して下さった皆さんに対して、そうしてこの改造杜の今まで執った態 度、行動、それを拡充して、あくまで民衆のために闘わなくてはならないと思っているのであ ります。それでこの雑誌と出版との今後執るべき行動も詳細に亙ってお話し申し上げたいので ありますけれども、今晩はそういうような時間もありませぬし、ただ概略われわれの行くべき 途を申し上げたいと思います。  われわれの執るべき行動が皆さんの指弾さるるところとならば、われわれは仕方がありませ ぬ。皆さんと別れなくてはならないと私は思います。で『改造』は今までもそうであったが、 今後も東洋の解放ということに力を特に入れたいと思うのであります。もちろん我が国の社会 経済、その他の政情の発展に心を用いるということは、今までの通りであります。出版におき ましてはいかなる非難がありましょうとも、われわれはあくまで大衆というものを目標として 行きたいと思うのであります。われわれのこの出版の革命に対しまして、 一部からはいろいろ な非難があるようでありますが、われわれは特権階級にのみ、もしくはそれをば中心として白 分の出版を盛んにならしめようということは、毛頭考えていませぬ。そういうことは断じてな いのであります。それですべての方向に対して、やはり改造社の従来執った行動を、いつまで も、いつまでも続けて皆さんの期待に断じて背かないと思うのであります。これは私の声でな い、改造社全員の声であります。  今夜は何にも御馳走はありませぬ。いろいろ御用事を繰り合わせて来て下さいました方々に 対して、まことにお気の毒に思うものであります。しかしながら時は彌生、ちょうど花も咲い ています。どうかこの夜をゆっくり落ちついてお傾け下さらんことを偏えに希望して止まぬの であります。                (昭和四年四月東京会館における『改造』十周年招待会席上にて)