科学への道

石本巳四雄

 天地自然の悠久(ゆうきゆう)なる流れは歩みを止めることがない。この間に各人が暫時(ざんじ)生れ出 でて色々のことを考える。しかし、人々がいかなることを考えても、人間の能力に は限度があって、自然現象を研究し(つく)すことは不可能である。

 しかし、古来思想の卓絶(たくぜつ)した碩学(せきがく)逐次(ちくじ)()でて、(かん)より(みつ)に、()より(はん)に研究 が進められ、自然現象の中に認められた事実は仮説(かせつ)と云ふ形式によって(つづ)られ、今 日もなおその発展が続けられているのである。この綴られた体系は、即ち科学と称 せられるものである。自然の研究は、近時日本において、研究者の増加と卓越(たくえつ)せる 人士の出現とによって、急峻(きゆうしゆん)に行なはれて居るのは事実に相違ないが、その研究方 針に対しても自ら(かえり)みる処があっても宜敷いであろう。

 筆者もこの自然現象中に生を()け、自然現象の研究に(たずさわ)る一人として、或る時は 自然微妙(しぜんびみよう)の現実に接し、ある時は自然の(うるわ)しい調和も感じている。もちろん科学の 体系は諸先輩の労作によって組成されたものには違ひないが、筆者も微力(びりよく)を致して その体系に寄与(きよ)せんとする念願(ねんがん)を持って居る。

 しかし乍ら、凡庸(ぼんよう)たる生涯(しようがい)は全く科学体系を拡張すべき実力なきを(なげ)くは勿論 であるが、或る時は研究室に出入して自然より事実を摘出(てさしゆつ)すべき操作(そうさ)機巧(きこう)に 思を悩まし、ある時は静夜(せいや)人なきに天を(あお)いで自然現象の研究に妙諦(みようてい)自得(じとく)せん とし、斯道(しどう)(たずさわ)って二十余年、無為(むい)に過ぎた年月を(かえりみ)れば、漸侃(ざんき)()へないが、一 自然研究者としての心機を吐露(とろ)して、ここに自然研究の一面を語らんとするもので ある。

 自然は固く(とびら)()して、凡庸(ぼんよう)の力を以て打ち開くことは難事である。(しか)りと雖、 また考へ方を変ずれば、一木一石に宿(やど)る自然の妙理(みようり)も現はさざちんとするも 現われぬはずはない。即ち天才は自然を観破(かんぱ)して、世人にその理法を指示する。天 才に関する所論(しよろん)は已に多いが、天才は狂人と列を並べると云ひ、或ひは常人の 努力の結果到達(とうたつ)すべきものであるとも云ふ。此れ等の所論に関して、筆者の豫ねて (いだ)ける意を逡巡(しゆんじゆん)することなく説述(せつじゆつ)して天才論を試みたのである。

 地震現象に関する研究は日本学者の世界に優位を占めるは、其の研究材料の豊富と 研究の必要性とによるは勿論であるが、地震の災禍の研究精神に及ぼす影響も看過することは出来ないであろう。地震現象の研究中にも、地震原因に関する論説は輓近地震学諸部門の発達に俟つ所多く、旧来の考察方法と別途に新興の勢にあるものと感ぜられる。 此の意味において、筆者は十数年来検討せる所説を此の際、通俗的に平易に述べて、専門家以外の人々にも呈せんとするものである。

 自然現象に関する所説は一朝一夕にその価値が批判されるものでなく、多くの年 月--たとえは百年程度--の検討を経て、その決定の行なわれるものもある。し たがって現今妄説(もうせつ)と考えられるものも、復活の運命に()ふこともあれば、今日の名 説と雖、その間死滅(しめつ)して忘却(ぼうきやく)の運命に遇ふものもあろう。筆者も亦平生自 然研究者の一人として学会に名を連ぬるを名誉となし、自己の忌揮(きたん)なき自然研究の 方法を祖述(そじゆつ)せんとするに当り、柁谷書院主人の尽力(じんりよく)を加へて、上梓(じようし)する運びとなっ たのは筆者にとってこの上なき喜びである。

昭和十四年四月

著者

科学を志す人々へ

第一章

学者と自然

 自然現象は我々の感覚を通じて認めることは当然であって、科学者のなすことは 第一にこの感覚を通じて、自然現象中に単純な事実を見出すことである。感覚の中 にも視覚に頼ることがもっとも正確を期す場合が多いので、眼による判定を採用す る。(しこう)しておよそ事実は場所、時を超越(ちようえつ)したものでなくてはならぬので、世界の諸 学者の賛同(さんどう)を得ることが必要であるのは申すまでもない。

 しかし乍ら、科学者は事実の摘出(てきしゆつ)を以てのみ満足するものではなく、此れを或 る方式に従って系統づけることを()して初めて科学として受け入れることになる。 即ち単純な事実を自然現象中に認めて、これを科学の系統下に置くことが科学者の 務めとなるのである。(しこう)して此の系統下に置く場合に各学者の主観が介在(かいざい)する事 となるので、この方法が常に議論されると同時に、その編入方法の良否、巧拙(こうせつ)が問 題となるのは当然である。

 即ち科学者には以上二つの仕事が課されてあるのであって、第一に事実を自然現 象中から摘出(てきしゆつ)することと、第二にはその現象を系統づける事とである。第一の仕 事は非常に努力を要することには相違(そうい)ないが、凡庸(ぼんよう)学者もなし得るに反し、第二の 仕事は恰も外見は努力少なく見える思索(しさく)を以てなし得るのである。しかし、こ の第二の行程が極めて重大なるものであり、数年の経験、数多の推理を以てしなけ れば到底窮極(とうていきゆうきよく)の目的に到達し得ないことを充分知っていなくてはならない。

 もちろん第一の行為においても、これには一種の(かん)(過去の経験による綜合的判 断)を必要とし、已に多くの学者によって(あさ)(つく)されたる部分をいかに探求して も、新事実は出てこないのが当然であり、(いま)だ人々の手をつけぬ新部分を探さなく てはならぬことは勿論である。この為に或る場合には(きわ)めて偶然的、云はば ()(もの)式の行為がよき成果を(もたら)す場合もあるのであって、結果のみから見れば輝か しき発見として現はれるものでも、その心底には全く偶然的の行為が充分存在する ことがあるのである。

 しかし、勘の力とはいえ一面考へ方によればこれは程度の差であって、これは科 学的、それは偶然的の発見であるとは決し()ねる場合に逢着(ほうちやく)する。したがってこの 行為(こうい)は全く学者の運、不運にも帰せられる。この事実は学者間にも常に問題となる のであって、たとえば一学者は好運に恵まれているなどと()沙汰(ざた)するが、いかな る手段を以てするとも、新事実を発見する人は常に発見し、発見出来ないものは常 に発見出来ないのを常とするから、此れは単なる偶然の結果とすべきではない。 斯様な人は得て何事か努力する傾向にあることも事実であり、又些細(ささい)の事に対し ても注意深いと云ふ特長から新事実を発見するものと云はざるを得ない。

 自然現象の中、我々が容易に肉眼(にくがん)等により認め得るものは先人がすでに摘出(てきしゆつ)して 居るので、今日我々が見出さんとするものの多くはいわば荊棘(けいさよく)の下に隠れて居ると 思はれる。この故を以て我々は一層の努力を行なわなければ発見は不可能であり、 適当の科学器械を製作して、(しか)る後に研究という行為を行なわねばならぬ場合が多 い。即ち我々はここに科学器械について一言述べる必要がある。

 自然現象の認定は我々の感覚によるものであることはすでに述べた。(しか)るに感覚 には或る限界があって、その限界外の事物に対しては(ほどこ)す術がないのである。即ち 我々の眼はある限界より小なるものを見ることが出来ないのであるから、それを見 るためには顕微鏡を要する。また遠いものに対しては望遠鏡を必要とし、電流測定 には電流計を、音響(おんきよう)測定にはマイクロフォン其他を必要とする。此らは何れ も感覚の限界外である事物を対象とすると同時に結局何れも眼の判定に(まか)す方 法に外ならぬ。

 又我々の感覚判定は数量的に云ふいうことが出来ない。即ち二つのものを比較して 相対的に大小を云ふことは出来ても、例へば一つのものの重さを手でさげて数量 的にいうことは困難である。練習によって多少はその領域を拡張することは出来て も、(はかり)で測定するごとき量は感覚的に決定することは出来ない。即ち我々は科学器 械を使用することによって、これを感覚限界外に延長し、しかも現象を数量的に表 わすことが出来る次第である。

 また感覚により我々の外界認識は主観的分子を含むことを余儀(よぎ)なくされたのであ るが、ガリレオが十六世紀の末期、寒暖計を製作したことによって、我々の感覚に 従って暑い寒いと(とな)へていたものが温度、即ち液体柱の長さによって云ひ表はし得 ることとなった。これは全く科学の一大飛躍であって、此の時から物理学が創立さ れたと称しても過言(かごん)ではないのである。即ち我々は感覚によってのみ寒暑の別を 云つて居たものが、外界にある液体の膨脹(ぼうちやう)を見て、殆ど我々の感覚に一致する 階段(スケール)を以て言ひ表す事になったからである。此れは全く我々の感覚を離れて外 界に温度の上下することを認めた初めである。当時ガリレオはまた望遠鏡を発明し て天体に向け、木星の衛星、太陽の黒点(こくてん)の存在を認めたのも全く科学器械の発明に 負ふ結果に外ならない。

 かく(かん)(きた)れば新事実の発見は全く科学器械の製作に(ちよ)を発するものであり、其 の器械を採用して自然を探求することによって自然の実相が判明するのである。即 ち、今日いかなる科学の部門と雖も器械の採用を躊躇(ちゆうちよ)しない。若しありとすれ ば斯かる部門はたちどころに進歩は止まり、科学的に取り残された部門となってし まふからである。

 科学器械の使用が如何ばかり今日の科学を進歩せしめるか、とくに新事実の発見 に寄与(きよ)して居かは、今日の科学発達の道程を見れば直ちに判明することである。 又その器械も多くは写真装置を(そな)へて、現象移動を時間的に明瞭(めいりよう)とすべき努力が 行はれているのである。即ち如何なる速き現象と雖も此れを写真に(うつ)して固 定し、(しか)る後、時間を充分(ついや)してその現象を閑明(せんめい)せんとなしつつあるのである。

 次に科学者の第二行為である新事実を系統付けることについて述べよう。

 大部分器械の採用によって科学者が新事実を見出したならば、此れを説明するこ と、即ち今まで存在した科学系統の中に入れること、もしまた入れることが出来な ければ従来の科学系統を(こわ)してまで、また言葉を代へていうならば科学系統を拡張 して新事実を包含(ほうがん)せしめるのである。したがって先づ(もたら)された新事実が真の事実で あることが要望される。もし(しか)らざる時には科学系統を変更せしめるのに値しない からである。一科学者の主張する事実が真の事実でない事は屡々である。これ は観測(かんそく)実験(じつけん)が誤れる場合もあるが、器械の悪い場合、あるいは器械の精度以上の 事を摘出した結果である。斯かる場合、一科学者がいかにその事実を指摘しても他 の学者が認めない限りは新事実として認めること(あた)はず、またその事実を許容(きよよう)す るために科学系統を拡張する事の必要もないのである。

 各時代に(わた)って以上の如き似而(えせ)事実(じじつ)が屡々報告されるものであるから、 学者は充分の注意を必要とするが、余りに自重するために却つて保守的態度に (おちい)る学者も少なくない。確かにその偏執(へんしゆう)は悪結果を(もたら)す。

 扨て得られた新事実を科学に系統づける場合には、個人的、或ひは団体的主観 に()ふものである為めに偏見(へんけん)()する恐れが充分あり、先入主観に左右されて、正 しき(かたよ)らざる判断が行なわれぬ場合がある。斯様な臆測(おくそく)が横行する場合に於ては、 科学は全く進歩せず、停頓性(ていとんせい)を示すのであり、偉人が出づるに及んで常道(じょうどう)に引き戻 され、正しき進歩が行なはれる。かかる場合に於ても多く投機的(スベキユラテイブ)の考察が見えぬ事 はないので、その時代に於ては他学者は誹誇(ひぼう)の言を発することも屡々である が、新事実が集まれば集まるほど、天才学者の云ふことの正しきために、遂に結 局の栄冠(えいかん)が彼に与へられることとなる。即ちある科学の部門のごときに於ては、数 十年の後初めて科学者の真価が判明した例も多くある程である。

 この系統づける問題は極めて微妙(びみやう)なものであって、(いず)れが正道に属するやと云ふ ことが当時は極めて不可解であり、学者の去就(きよしゆう)に迷ふ事も屡々である。しかし 乍ら、今日科学者間の交通開け、決定は世界的に行はれる結果は有数の大学者 の判定に()つことが多いので、その判定には先づ懸念(けねん)することが無用であらう。(しこう) して科学系統を拡張するには単に学者のムラ気から行ふのでは無く、各学者の自 然観に従って行はれるのである。此の意味に於て各学者は充分其の自然観を持す る事が正しくなくてはならぬ。自然観は一種の哲学であるために、学者は哲学思 想を持って居る事が要求される。恐らく自然科学者は(みずか)(かえり)みて各自に哲学を 持つて居ることを公言するものは少ないであらうが、多少に拘はらず、又良否を 問題とせず科学系統を拡張すべき態度は持ち合せて居るのである。此の自然観が適 当でない場合には発展性を失なつて、此の人にとっては科学の拡張は覚束(おぼつか)ないもの となつて仕舞ふのは当然の事である。

 世の中では科学者は自然そのままの状態を綿密に叙述(じよじゆつ)することが科学者の本分と 思ひ、科学者自身の中にも斯く信じて居る者もあるが、此れは宜敷くない。科学 者は自然其のものを明細に書き表わしたと考へても、無限の拡がりと無限の自由度 とを有するものを(すべ)て書き上げる事は絶対不可能であり、ある一部分、ある状態 を指摘(してさ)するに過ぎないのである。これはある事実を認めるに役立つことがあるかも 知れぬが、一般性は全く失はれているのである。此れを系統づけることの行為に よつて一般性を()ち得て科学として永久に取り扱はれることとなる。日本の多くの 科学者の中には事実を精確(せいかく)に認めることを以て科学と心得(こころえ)、此の方法にのみ走るを 以て足れりとするが、此れは真の科学に寄与(きよ)する道ではないのである。西洋文化を 輸入して已に数十年を経過したが、今日にてはその面目(めんぼく)を稍々変更し、事実 を系統立てることに努力する学者も輩出(はいしゆつ)する気運に接したのは、誠に喜ぶべき現象 である。

 また屡々聞かれる事であるが、人々は如何なる故に自然を研究するかと云ふ 問を発するが、これに就いて述べて見度い。

 人間は自然現象を観察するにおいては、此れを何とか理性的に説明しようとす る欲望を持つ。即ち人間は本能的に自然を理性的に解釈せんとする傾向を持つと称 して差支(さしつか)へないのである。此に就いては先づ各国の神話を読んで見れば解るで あろう。無知単純の野蛮(やばん)時代においても人間のまず第一に驚くものは、太陽が毎日 東から出て西に没する現象であるが、此の現象を(とら)へて(たく)みに説明したものが多く あることを知る。また地震発生に疑問を持つが、此れは多くは大地を支へる動物が 存在して、其の運動によつて説明せんとする、科学的に見て極めて幼稚(ようち)な考へでは あるが、理性的に説明せんとする努力の存在することは確かである。

 以上の意味を以てすれば、人間は自然現象に対して本能的に此れを了解せんとす るものであり、其の欲求を満たす為めに荒唐(こうとう)なる説も()えて辞せずと云つたやうな 行動をとる。科学の進歩に伴って、或る時代には宗教と葛藤(かつとう)を生じた事もあるが、 科学者は敢然(かんぜん)として立うてこれに反抗した事実がある。此れは同じく本能の(しか)らし むる処と思われる。今日と雖も科学研究、或ひは科学所論に圧制(あつせい)が加へ られるにおいては再び中世紀の所為(しよい)()り返へすかも知れない。

 自然現象の研究はいかなる理由において行はれるかと云ふ問題に関して古来主 として哲学系科学者の考へたものが多いが、此所にポアンカレーの所論を紹介する と、

 科学者は実益あるが故に自然を研究するのではない。自然に愉悦(ゆえつ)を感ずればこそ、此れ を研究し、また自然が美しければこそ、これに愉快(ゆかい)を感ずる。……この特特殊な美を 求める心、宇宙の調和に対する感覚が吾人をして此の調和に貢献(こうけん)するに最も適した事実を選択せしめるのである。

 Le savant n'etudie pas la nature parce que cela est utile; il l''etudie parce qu'il y prend plaisir et il y prend plaisir parce qu'elle est bell. …… C'est donc la recherche de cette braut'e sp'eciale, le sens de l'harmonie du monde, qui nous fait choisir les faite les plus propres `a contribuer `a cette harmonie.

                             H.Poincar'e

と述べて居るが、即ち彼の思想の根本は「自然に対して愉快(ゆかい)を感ずるから、自然 を研究する」と云ふ。吾々は確かに自然研究に対して愉快を感ずることは事実であ るが、その愉快が立所に研究と云ふ行為を取らしめるか否かは今少しく検討 を要する。自然を研究しつつ了解領域の次第に増加するを見て喜び、結着点(けつちゃくてん)に達す る愉快を心に描き、勇気の百倍してますます研究に(はげ)む事は我々の経験し見聞す る処であるが、自然研究の発芽が(すで)に愉快から発するとは考へ(にく)いものである。

 又シュレディンガーによると、

 人間は生活の余力(よりよく)を以て肉体的遊戯(ゆうぎ)または競技を()すが、このほかに智的遊戯をも行 ふ。智的遊戯の諸例としていわゆる机上遊戯、即ち骨牌(かるた)将棋(しようざ)、ドミノオ、または謎 の類を挙げる。然し自分は此の種の中に凡ての智的活動、科学の如きも同様に 含有せしめる。此れは科学の全部でなくとも、少くとも科学の前哨(ぜんしよう)である研究行為自体を意味するものである。

With man the same surphus of forces an intellectual play by the side of the physical play or sport, Instances of such intellectual play are games in the ordinary sense, like card games, board games, dominoes, or riddles, and I should also count among them every kind of intellectual activity as well as Science — and if not the whole Science, at any rate the advance guard of Science, by which I mean research work proper.

E. Schrödinger

 と書いて居るが、彼は自然研究は競技の一種として主張しているのである。少な くとも、研学者は外に目的を求めることなく、自然研究自体に意味ありということ を強調するものであって、功利的立場を排撃(はいげき)するのである。この点に関しては全く、 競技的精神と自然研究精神とは一致するのである。百メートルを十秒程度で走って みても、何の役に立つか、早く行きたければ自動車、汽車に乗っていったらよいであ ろう。人は水上を百メートル泳ぐに一分程度の時間がかかるが、汽船を以て行けば もっと短時間に到着する。人間は何を好んで競技をなすかなどと反問(はんもん)する人々には、 科学精神の根本は(いま)(さと)れないのである。

 ポアンカレーの所説(しよせつ)浪漫的(ロマンテイツク)であるのに反し、シュレディンガーの所説は適切(てきせつ)で ある。前者は夢を見ているに対し、後者はこれを競技と解釈したのである。競技は 上述のごとく、なんら目的を有せずその行為自体に意味あることを思わしめ、相互 に切磋(せつさ)すると同時に勝負を必然的に暗示(あんじ)する。またある場合には個人的の優越性(ゆうえつせい)を 認めることもあるが、また団体的の優越性をも考慮(こうりよ)される。以上を思い合せれば、 自然研究精神は正に競技的精神と極めて協調する点の多きことを思わしめるのであ る。

 功利的精神に(つちか)われた人々は決して科学者になることも理解することも出来な い。自然を研究しても今日直ちに実益を得ることは困難である。人間はその欲求と して自然の構成を了解するのであって、人間の生活に対していかなる影響を与える かという事を考慮(こうりよ)する(ひま)がないのである。世間では工学者と科学者とを屡々混 同することがあるが、工学者は全く功利的立場にあり、人生直接の交渉の下に企図 されたのであるが、科学の根本精神はなんら人生と直接関連を保つものではない。 したがってこの意味において科学者は全く世間と没交渉(ぼつこうしょう)となり、偏見(へんけん)的学者の輩出(はいしゆつ) する(へい)をも生ずる。

 しかし、この偏見的学者は科学が社会と関係なきものの結果生じた所産(しよさん)と考える のは(あた)らないであろう。科学者は自然研究に没頭(ぼつとう)する(あま)り、常識を欠如(けつじよ)する事とな るのであるから。

 上述のごとく科学者が自然を研究する態度は、愉快(ゆかい)を感ずるからであるといい、 また研究は遊戯(ゆうぎ)であるというが、自分はこれを本能的所作(しよさ)であると考える。誠に人 間の行動を説明するに種々の説があるには違いないが、この科学的研究の説明にも 種々の仮構(かこう)ができるのである。根本は本能でありながら、研究が順調に進む場合に 於ては確かに愉快を感ずるものであり、ある場合とくに研究の進捗(しんちよく)が行なわれない 時には、世の中にこれほどの不愉快はないのである。しかし、素人(しろうと)科学者は知らず、 自ら科学者を以て任ずる者は不愉快だから止めるということは出来ない。人生これ ほどの悲痛(ひつう)はないのである。研究が順調に進むものは、その愉快に誘われてますま す研究が行なわれて大科学者となり得るが、不愉快を長年月に(わた)って繰り返えすも のは中絶して他方面の職業に転ずるものさえあるのである。

 自然の研究には難易(なんい)のあることは事実であり、初めは易より入って難に(おもむ)くべき 性質のものが、初めより大望を(いだ)いて大研究を夢みるために、成るものも成らずし て失敗を招く事が屡々である。このためにはよき指導者を必要とし、自然研究 に(たずさわ)るにおいて、常に愉快に進捗しなければならぬ。ポアンカレーの自然に愉悦を 感ずる態度もおそらくかかる消息(しようそく)を物語るのではないかと思われる。

 確かに物理学を研究するものには数学を必要とし工学を研究するものには(おおむ)ね 物理学を必要とする。しかしながら、数学、物理学、工学は厳然(げんぜん)たる区別のあるこ とは周知の事実である。数学者は物を離れて、数の存在を系統的に閲明(せんめい)することを 要し、物理学者は実益を度外視(どがいし)して物の性質を(きわ)める。工学者は人生と関連を求め て働く。けだし科学と工学の差異(さい)は実益の有無を対象と()すか否かと見えるが、こ の区別方法に対しては筆者は不満を感じ、ここに別途の区別方法を提案する。

 即ち以上二学の区別を有象的、無象的を以てその差となすのである。即ち理学は 無象的であり、いかなる大学者出ずるとも地上に創作する有象物は絶無であり、た だ自然界の法則、原理の存在を人々に教えるのみである。これに反し工学の(もたら)すも のは全く有象的であって、建築物をたてる、汽車を作る、燧道(すいどう)を掘る等一つとして 有象物を生産しないことはないのである。このために、有象物は相当の価格の推定 が出来て経済問題と密接の関係に置かれる、工学に携わる人の中にはよき教師で あっても、有象的に事物を取扱わざる限り、これはよき工学者と呼ぶことは出来な い。

 またよき理学者は事を作る事は知らずとも、自然界に存する新事実、法則、原理 等を閑明(せんめい)し、人々に知らしむるならばそれにて足るのであって、彼の死後残るもの は、論文の外はないのである。世人はややもすれば、有象的事物を以て科学の進歩 と考えるかも知れぬが、これは工学の進歩であって、決して純正の意味において理 学の進歩ではない。理学は即ち無象物であるために世人一般に認められること少な く、また鑑賞(かんしよう)されることも少ないのである。

 工学の世を益するということは人生と直接関係あるが故であり、理学は人類最高 の理想を現出せしめんとするのである。世人は多く功利的立場に立つものであるか ら、世を益する、益しないの判断を下し、理学を以ていわゆる利用価値なきと判定 するごとき軽挙(けいきよ)()えてする。科学者は数百光年の先の星の光を分析して、その中 に含まれる原素を知っても何になるか、原子の構造が陽電子、陰電子、中性子から 成立していても何ら役にたたぬと考える人には、すでに科学の何たるかを論ずるに 値しないのである。科学はたんに自然現象の構成を明らかになすを以て足り、科学 者はこれを行なうを以て天職と考えているのである。我々は先天的にすでに自然現 象を理性的に解釈せんとする欲求を持ち、これを以て自然を表現せんとする理想を 抱いている。もちろん今日科学者は自然に直面してすべてのものを理性的に解釈し 得たりとは信じていない。とくに精神的方面においては(しか)りであるが、年月の経過 によりまた努力によって何時の日にかは全ての自然を理性的に解釈し得ることのあ るを信じている。

 かくて科学者は自然とともに生き、その調和ある美しさを理性的に閲明(せんめい)(つく)さん としている。即ち得難(えがた)き人生もこれに(ついや)してあえて(くい)なく、以上の生活を至上(しじよう)のも のと感じて生存しているのである。(知性第二巻一号)

第二章

自然と研究 科学者と思想

 自然科学者は自然現象を研究するには相違(そうい)ないが、その研究たるやたんに子供が 楽しげに玩具(がんぐも)(てあそ)ぶごときものではない。既知(きち)の知識の上に追加すべき知識を系統 立てて積みあげることである。即ち一面には新しき知識の開発と他面にはそれらを 系統立てるために、ある時は極めて大胆(だいたん)な仮説を必要とする。即ち科学者は以上二 段の手法を体得(たいとく)する者でなくてはならないし、その行動も、これに合致(がつち)する作業を しなくてはならない。

 確かに多くの学者は新事実(しんじじつ)を見出すために働き、仮説(かせつ)を作るために奔命(ほんめい)するには 違いないが、その報償(ほうしよう)は決して大なるものとはいえない。一生働いて大した新事実 も見出せず、また価値ある仮説も呈供(ていきよう)し得ないで死んで行く多くの学者がある。こ れらは正に能力なき研究者と卑下(ひげ)してよろしいのであろうか。(おも)うに、確かに無能 な研究者はなんら()すことなくして、時日を(ついや)し、一生を無為(むい)に送るのは当然であ るが、相当に頭脳(ずのう)明晰(めいせき)な人間といえども、研究者として大なる働きの出来ないも のもある。これは自然研究者に適しないといえばそれまでではあるが、その天分に ついて少しく吟味(ぎんみ)して見ることも徒労(とろう)ではあるまい。

 自然研究者が新事実を見出す行為において、極めて偶然(ぐうぜん)的要素のあることは(だれ)し も認めるところである。古くは()のガリレオのごとき、偶然にもオランダの眼鏡屋 の言葉を聞き、これを基として望遠鏡の製作に志し、完成後望遠鏡を天体に向けて 各々の星を(うかが)ったことに起因(きいん)して、天文学上の多くの発見をなした。発見をなした ることは真に偉き事なれども、その本源は単なる()()みから発しているのである。 当時存命中の仏国哲学者デカルトはその発見を聞き、

 我々の生活のすべての作用は感覚に(かかわ)っている。(しこう)して感覚の中、視覚はもっとも一 般的でもっとも高貴である故に、その力を増すに役立つ発明は確かにもっとも有用な ものである。中にも驚くべき眼鏡の発明以上に視力を増加するものは見出し難い。こ れはつい先頃から用い始められたにも拘らず、すでに天空に新しい星を、また地上に 新しい事物を以前に見たよりも(はる)かに多く観測した。...... しかし我々の学問に対して 恥ずべきことには、これほど有用で驚くべき発明は、初めはただ経験と偶然とによっ て発見されたのに過ぎなかった。

と言って、望遠鏡の発明が我々人間にとって、偶然性という恥ずべき行為によっ て成されたことを指摘している。確かに哲人にとってはその偶然性を(いやし)めるかも知 れぬが、偶然的事物を取り上げ得る能力は正に科学者として非凡人と考うべきであ ろう。古来物理学、化学上の発見にして偶然ならざるものが果して幾何(いくぱく)あったであ ろうか。熱電気、X線、放射性物質等、考え来たればいずれも偶然の発見といわざ るを得ないものの多くあることに気がつくのである。昔時は我々の経験により自然 現象と接触(せつしよく)していたものが多かった関係上、容易に研究に立ち入ることが出来たの であろうが、これらの経験を辿(たど)って充分に自然現象を研究し尽して後は、我々の意 表に接触する偶然の現象を把握(はあく)するほかはないようになったのである。

 かように偶然的の現象を(とら)えることの出来た人間は少数であったに違いないが、 接触する多くの人々のあった中に、それに留意(りゆうい)して初めて発見の栄誉(えいよ)(にな)うことと なったのである。発見の行為が(はず)べき偶然の行為から出発していると考えるのはど う考えても(こく)としか思えないのである。確かに今日といえども発見の偶然性を(いやし)め る人がないでもないが、さようならば新事実の発見者に対して栄誉を贈ることも意味 なきことになるといわなければならない。

 次に仮説の設立に対する行為について述べよう。

 新事実の発見があれば、これをいかにして旧来(きゆうらい)の系統の中に挿入(そうにゆう)するか、また旧 来の系統を破壊(はかい)して挿入するかという問題に直面する。従来、日本人の自然研究者 の中にはかようの仮説を設立することを喜ばぬ傾向が充分あった。西洋人の打ち立 てた仮説に賛意を表することが、誠に忠実な行為であり、これに異説を唱えるは狂 人であるか、(しか)らずんば学者としての教養なき者として白眼視(はくがんし)されたものである。 これは明治時代に欧米の文化を輸入するに忙殺(ぼうさつ)され、自己発展の機を(いやし)んだ影響で もあったであろうが、とにかく、仮説設立に対しては反対的立場を持する学者の多 かったことは(いな)み難き時勢であった。学は確かに仮説を作って、統轄(とうかつ)するところに 真意があるのであって、ポアンカレーは、

 人々は科学を建設するに事実を以てする。これはあたかも家屋を建築するに石材を用 うるに等しい。それ故、秩序なき石材の堆積(たいせさ)を家屋と呼ぶことの出来ないと同じく、 たんなる事実の集積を以て科学と呼ぶことは出来ない。

On fait la science avec des faite comme on fait une maison avec des pierres, mais une accumulation de faite n'est plus une science qu'un tas de pierres n'est une maison. H.Poinca'e

 と叫んでいるのは、仮説なき科学は石材の累々(るいるい)たるに等しく、一つの系統、人間 の考える設計あって初めて家屋の出現することに科学を(たと)えたのである。科学の系 統は国境の有無を問わず、時の古今を超越(ちようえつ)したものには相違ないが、その手法、そ の設立の可能、不可能については、正に国境内に(つちか)われなければ発育出来ないので ある。これは砂漠の中に植物の生育せざるごとく、培養(ばいよう)の要素が()き限りは覚束(おぼつか)な い。またあるいはピアノ無きところにピアニストは出でざるがごとく、自然研究設 備とその精神の無きところには決して科学者は出ないのである。中にもこの科学精 神なるものが極めて貴重なものであって、この精神の酒養(かんよう)なければ科学者の大成は 決して覚束(おぼつか)ないのである。

 誠に科学を進歩せしめんとするには、まず科学者の精神の根底思想から打ち立てら れなくてはならぬ。ポアンカレーは公正にして、(かたよ)らざる心を(つちか)うことの必要性を 説くが、東洋人の思想の中にも、王陽明(おうようめい)思索(しさく)参禅(さんぜん)要諦(ようてい)等はいずれも偏らざる 本性の自然に発露(はつろ)するを工夫しているのである。科学者たるものも不偏(ふへん)なる心を養 うことを忘れては学の大成することはむずかしい。曲げられた思想ほど恐るべきも のはないからである。

 科学者の思想はあたかも船の(かじ)のごとき役目をなすが、人々はその船の何処(いずく)に行 くという事をはっきり自覚しないために、なおさら方向の向け方が難かしくなるの である。船にはしっかりした舵があり、船長の命令によって、思うがままに目的地 に進むのである。科学者も心の中にしっかりした方向を定める舵のない場合には、 行きつくところは全く不明となり、(とうと)き人生も無駄(むだ)にしてしまうのである。この確 保された思想、これによって我らの方向は定められ、力を(つく)して前進が行なわれる。

 またこの思想は、自然観と呼んでも差支えないものである。我々は朧気(おぼろげ)であるい は明確を好くかも知れぬが、自然はかくあるべし、自然はかく進展すべしという観 念をもっており、この観念が自然現象に接して、ある時は正しき例証を得、ある時 はその正しくないことを見る。正しき例証を得て初めて研究者の進み行く道が指示 されるのである。自然研究に接してもっとも唾棄(だき)すべき行為は、撓曲(どうきよく)された観念を 自ら抱いてしかも自然現象と照合(しようごう)することを行なわず、ついには自然現象さえも自 己の不正観念に束縛(そくばく)することである。我々はかかる例を屡々見るのであるが、 かかる研究者は自己の研究発展が行なわれぬのみか、他研究者に対しても害毒を散 布する()()学者であることを極言(きよくげん)するのである。

 即ち我々は公正不偏の思想を有する研究者をもっとも(たつと)ぶと同時に、かかる研究 者の行動は正に大成することを思わなくてはならない。自然科学は全く、自然現象 中の事物を堪念(たんねん)描写(びようしや)することが研究者の(つと)めのごとく信じている人々もいるか も知れぬが、それは間違っている。研究者はまず自己の思想を正しく持することの 修養から出発しなければ、自然を正しく見ることは覚束(おぼつか)ない。自然の中に調和ある 法則を見出すことは、結局自己の心の中にある調和的のモチーフを自然に照合(しようごう)して 見出すのである。心の中に()きものが果して見出せるものであろうか。眼底に映ず るすべての事物も注意することなければ、認めることは出来ないのである。

 ニュートンの万有引力の仮説は林檎(りんご)の木から果物の落ちるのを見て考えついたと いわれているが、この伝説の真偽(しんぎ)をここに問うのではない。一つのあり()べき話と して()け入れ、かつその道程を考えて見れば充分である。幾万人の者がニュートン 以前にも果物の木から落下するのを(なが)めたであろう。(しか)るにニュートンが初めてそ の落下する有様を見てから引力の存在が考え出されたのである。ニュートンの心の 中にはすでに万有引力説が芽生えており、準備的の行動がすべて出来上っていたが 故に、林檎の落下によって点火(てんか)されたまでである。思想が先にあったか、林檎の落 下が先にあったかというならば、筆者は即時に思想の先在を主張するのである。こ の点から見ても思想の大切なることは充分判るであろう。

 即ち研究者の心に画くものがあれば、自然現象の中に実相が把握(はあく)出来るのである。 したがってここに不正の思想によって心に画くものが間違っておれば、極めて妥当(だとう) を欠く表現が行なわれる。この故に研究者は絶えざる心の教養を()むことを必要と し、漫然(まんぜん)自然研究に携ることを深く(つつ)しまなくてはならぬ。この意味を強調するた め筆者がかつてものした短文を以て結語(けつご)とする事を(ゆる)されたい。

 科学者は自然研究に熱心であるというのみでは未だ足りない。人間知性の構成せる科 学という体系に(もとづ)き、その拡張を敢行(かんこう)する研究行為を必要とする。(しこう)して科学者の自 然現象に直面して自己の研究を遂行(すいこう)するに当っては、もちろん技術的方法を以て自然 界より純粋に現象を取り上げる。したがって世人の中には単にかかる能力あるものを 目して科学者と呼ぶ場合もあるであろう。しかしながら、真の科学者はその技術の優 秀なるに加えて、科学体系の拡張を正しき方向に進ませ得る、いわば舵手(だしゅ)のごとき役 目までも具備(ぐび)していなくてはならぬ。これはたとえばいかなる船といえども舵なくし て目的地に進行し得ざるごとく、たとえ自然研究の目的地は明確でなくとも、舵なく して科学の拡張に合致すべき研究はいかなる努力を費すとも、実現性の覚束(おぼつか)なきを知 る故である。

科学者と理性

 科学者という者が社会からは別箇孤立の人間であるごとく考える人もあろうが、 彼らはもっとも理性に忠実で好んで自我を表現せんとする人間であるからでもあろ う。人間一般は時代の進歩に伴って、より多く理性生活をなす状態になったが、未 だ前途はほど遠いのである。即ち科学の進歩は絶えず行なわれておりながら、我々 今日の知識として自然現象を充分闡明(せんめい)し得ることが出来ないからである。なかんず く、生命に関する問題は人生にとってもっとも重大な事件であるにもかかわらず医 学者の未だ触れることすら出来ない現象が暗黒の中に(ひそ)んでいるからともいえるで あろう。即ちこの点で迷信が跳梁(ちようりよう)することも致し方なき次第である。

 世の中には迷信(めいしん)的な()()めがはなはだ多い。中にも縁組(えんぐ)み、葬式(そうしき)住居(じゆうきよ)等に関 するものは日常見聞するところが多いが、()来に対する人間の禍福(かふく)逆賭(ぎやくと)(がた)いと いう点から出発しているのである。科学者はこれらの煩項(はんさ)に対して理性的反抗をあ えてするが、周囲の説得に対して、心ならずも従うに余儀(よざ)なくされる。

 かような問題に対して筆者が人々に質問される場合に於ては、まず我らの周囲に は自然現象の存在すること及び事物の発生に偶然性のあることを以て答える。即ち 我々の生活には一日という単位がある。朝になれば太陽が上って明るくなり、夜は 暗い、これは地球の回転による我らの従わざるを得ない自然現象である。春夏秋冬、 これらもいかんともすることは出来ない。またこれらに附随(ふずい)して、農作物の収穫等 までも自然現象にもっとも深く関連する人為(じんい)的の所作(しよさ)ともいえるであろう。

 これは大部分周期性を(そな)えた現象と視得(みう)るであろうが、世の中にはこれと性質を 異にした、偶然性を充分具備(ぐび)した現象の多いことに気がつく。風の吹くこと、雨の 降ること等も偶然性に属するものとして()げてもよいであろう。もっとも偶然性あ るものはたとえば地震のごときもの、これは何時来襲(いつらいしゆう)するか予察(よさつ)することも知らな ければ、またその周期性もなく突然に発生する。もちろん地震の大きさについて発 生回数に差のある事はもちろんであって、小地震は多く、大地震は少ない。この配 分にも何か意味があるのであろうが、現今我らの知識はその点に到達していない。 鳥の()くのも、(こい)の水上に()び上るのも周期的現象ではなく偶然性のものに属する であろうが、なお偶然性を持つものとして、我々の生命を(おびやか)すものは病気の来襲で ある。

 病気は極めて不秩序に来襲する。もちろん冬に呼吸器の病に(おか)されやすく、夏に 消化器の病に冒される率の多いということはあるであろうが、一個人としては病を 得るのは全く偶然性と考えてよいであろう。病気の発生が極めて偶然的に来襲する ことを以て、これを理性的に解釈し難いものとなし、世人一般はこれをなにごとか の原因、たとえば日の悪いこと、方角(ほうがく)の悪いこと、信仰(しんこう)の足りないこと等に結びつ けて納得(なつとく)しようとする。この行為は正に迷信(めいしん)(しか)らしむるところである。即ち理性 的にはこれは偶然性を以て説明せんとするに反し、一方には迷信的行為が擾頭(たいとう)する のである。

 科学老は全く事物を理性によって合理化せんとする人間であるだけに、世間一般 よりは変哲(へんてつ)な人間と見られることもやむをえない。しかし、一般の人間が今少し理 性的に進歩するならば、おそらく消滅(しようめつ)すべき観察となるであろう。即ち我々は偶然 性を信ずるが故に、以上の事物に対して全く理由なきことをいうのであるが、無智 人あるいは宗教的信仰上から、天讃(てんけん)の存在を信ずる者に於ては決して偶然性として それを考えることが出来ないで、なんとか原因を考えなければ承知(しようち)が出来ないので ある。またその説明たるや極めて荒唐無稽(こうとうむけい)たるもので、むしろ噴飯(ふんぱん)にたえざるもの がある。科学の発展あるいは施設が進んで、ある場合には我々が偶然と考えたこと も、未然に説明し得ることも生ずるであろう。

 一方に於ては全く理性的考察のみによって、判明する場合もあろう。たとえば伝 染病のごときが来襲する道程(どうてい)は明白とすることが出来るのであって、家相方位(かそうほうい)天譴(てんけん)等の思想はこの前に全く消散するのである。今日我々はコレラ、天然痘等の伝播 経路(でんぱけいろ)は全く明らかにせられて、たとえば東京において生ずる患者のごときは偶然に 生ずるということなく、世人も禁圧(きんあつ)祈鷹(きとう)等によって、その罹病(りびよう)から(まぬが)れんと試み るものの一人もなくなった程度に理性的考え方の進んだことは全く慶賀(けいが)すべきこと である。漸次(ぜんじ)他の病気にも及ぼして、病原体の絶滅(ぜつめつ)せられるならば全く偶然性はな くなるであろうが、今日に於ては病原体の各処に散布(さんぷ)され、人間の各所に存在する 限りは、罹病(りびよう)するものは全く偶然的であるというよりか、その域は脱し得ないので ある。

 自然研究に当るものも、以上の二区別に該当(がいとう)する研究法のあることを思い浮べる ことができるのである。即ち全く偶然性なくして、人々が理性的に働く事によって、 いわばその時間に比例して仕事が進捗(しんちよく)し得る性質の研究法があるのである。しかる に一方には、いわば偶然的に事物が判明するものがあって、我々の経験がある事物 に接触(せつしよく)して、初めて研究の発展が行なわれるものがある。これは上述の二種の病気 の場合と同じである。(しこう)して偶然的に接触する我々の経験のほうが科学の発展にお いて、輝かしき業績(ぎようせき)を残しているもののほうが多いのであって、いずれの科学者もか かる偶然性を望まぬものはないであろう。 またかような希望が民族的に、時代的に異っているのは事実であって、試みに以 上の分類に従って科学史上の業績を調べてみるならば(ただ)ちに判明することである。 たとえば、ラテン民族の科学上における業績は多く、発見、発明という部類に入れ 得べき業績の多きに反し、ゲルマン民族の科学上の業績は推論的事物の著しきこと を知るのである。この区別がいかなる原因により、またいかなる雰囲気(ふんいき)によって(かも) されたるかは、容易に説明し得ざることであっても、以上の事実は(げん)として疑うべ きものではない。

 我が国においても、従来科学の研究は欧米人の糟粕(そうはく)()むるを以て、本旨なりと いう思想があり、異説を立つるに於ては、科学者として背徳(はいとく)もはなはだしき者とし て、爪弾(つまはじ)きされたのであるが、これは必ずしも学力の低劣がかかる事態を生ぜしめ たばかりではなく、思想上かかる処置を生ぜしめたと考えられる。これは明治年代 になって、海外との交通開け、その国固有の科学発展なき国民は欧米の燦然(さんぜん)たる文 化に目を(くら)まして、一も二もなく欧米の文化を模倣(もほう)する態度に出でたのであって、 その影響としては欧米を師として、日本科学者末輩の先鞭(せんべん)をつけることを深く(いまし)め たともいえよう。我々学生時代において学界諸先輩の言動の中、かかる思想のしば しば発露(はつろ)したるを見聞するに於て、以上の原因に胚胎(はいたい)するものとして想像を(ほしいまま)にし たものである。しかるに今日においては自然研究者として多くは独自の見解を持し て、研究に遭進(まいしん)する傾向にあるは慶賀(けいが)する状勢といわざるを得ない。が、中年以上 の研究者中には自己の力を信じて遭進するというよりは欧米の研究に依存(いぞん)して、そ の道に従って研究を進める(やから)のなきにしも(あら)ざる状態である。

 研究者はまさに欧米における研究に眼を配るべきは当然ではあるが、この道のみ が唯一の進行方向であると考え、彼の荊棘(けいきよく)()みたる楽なる跡を追従(ついじゆう)するに於ては、 実に(なげ)かわしき次第である。彼の研究を参考にするはよし、追従するべからず、こ れは一般に他研究者の行なえる業績に対する態度であろう。この意味を以てすれば 研究者はいたずらに文献を渉猟(しようりよう)することは()けなければならぬ。渉猟するあまりは 彼らの説に引き入れらるるおそれが充分窃るからである。むしろ研究を初めとして、 幾分にても自己の仕事が進捗(しんちよく)せる上にて文献を参考とすべきである。別々に仕事を 始めて他人と同じ研究をすることはほとんどないといってよいであろう。人が異なる 場合に於ては装置、材料等の全然一致することはあり得ないことであるから。

 研究を遂行(すいこう)しつつある時に研究者は全く偶然的に新しき現象に接触することがあ るであろうが、これを把握(はあく)し得る人はまた一種の才能を有しているのである。偶然 を全く当て物のごとく考えて(いやし)めるは()らざるところである。偶然にもせよ推理の 結果にもせよ、科学の発達に寄与する現象を捕え得たのは、その道として全く慶賀 にたえないものであるからである。誠にかくして科学は進み(きた)ったのである。我々 は今日の伴戦の鱗蟹に先輩諸学者の功績を僻び、現在それに寄乎せんことを職い、 将来ますます発展に(あずか)る諸学者の努力精進を夢見るものである。科学は永久にして、 人生の短きを嘆じなくてはいけない。短かい人生の努力の集合が、科学をして永遠 たらしむるのである。 外国語と自然研究

 外国語の習得(しゆうとく)は通例の日本人は中学初年級から始める。英語を(もつば)らとするが、高 等学校に入るに及んで、ドイツ語あるいはフランス語が追加される。(しか)るに自然研 究に携る人士は多くドイツ語を学ぶのである。(しこう)してかくして多くの書籍、多くの 研究論文を読み得ることになるのである。今ここに考えようとするものは実に習得 語の自然研究者に及ぼす影響の問題である。高等学校以来外国語を習得する時間は 生活中の相当時間に当ることは事実であり、少なくともこの間は言葉を通じて、外 国語の組立て方法、思索(しさく)の仕方、あるいは文化の発展道程に()らされることも事実 といわざるを得ない。即ち一外国語をたんねんに習得する場合においては、語学の みならず思索方法についても、その国独特の傾向を受入れることは否定し得ないこ とであろう。したがって一外国語に精通する研究者の思索、手法等はドイツ化しあ るいはフランス化すると称しても差支えないのである。しかもある外国語に精通す ればするほどその影響は顕著(けんちよ)となるのである。言葉を習うことになんら危険もなく、 なんら不合理の点はなき様なれども、言葉を知るに及んでは思想、手法がその言葉 に同化される恐ろしさを知っている人はおそらく少ないのではないかと思われる。

 以上述べたるがごとく、日本教育の大部分はその範を英国、独国に採っていると ころから、我々は知らず知らず、両国の影響を充分に受けて、自然研究に携るに於 ても両国の方法に学ぶ点が多く、また、かように進展させなければ納得し得ない学 者も多いのではないかと思われる。

 確かに両国、とくにドイツ流の研究に於て科学の進捗(しんちよく)発展する部分のあることは 信じて疑わぬものであるが、かかる影響のみにて可なりやという問に対しては、直 ちに否と答えるのは筆者のみに止まらぬところであろう。その理由とするところは あまりに演繹(えんえき)的の研究であり、独創飛躍(どくそうひやく)的の研究に遠いというのである。ドイツに おける科学の発達はあまりに空想(くうそう)的に()するを(うれ)え、フンボルトの(とな)うる実証的研 究をもっぱらとすべしという議論に基づき、研究発展の道を辿(たど)りたるには相違ない が、ウィルヘルム一世治世下において、隣国仏国科学の独創的発展の著しさを思い、 同名を冠する研究所を建設して、隣国に劣らざる発展を計画したものである。その 行為たるや誠に結構なる発足には違いないのであるが、その結果から見れば、むし ろ競争をして科学の一番乗り(あらそ)いをするというよりは、隣国の及ばざるところを独 逸国が補い、隣国の企てなき点を独逸国が進捗せしめて完壁(かんぺき)なる科学を地球上に打 ち建てたと思われるのである。したがって、日本国に将来せられた科学および自然 研究方法の大部分は完壁なる科学の一部分であると見る方が正しき判断であること を思わしめるのである。即ち、日本の科学は範を一国に採るだけに、一方面の発展 せる片寄った存在であることを思わなくてはならぬ。

 筆者はドイツ流科学の悪口をいうつもりでこの文を草しているのではない。しか し、世界的科学の建設に対して一国の流儀(りゆうぎ)のみを導入して完壁なる自然科学の発達 は出来ぬと考えるが故に、かく切言するものである。また一国の文化の標準をも示 すべき科学発達を高める上に於ても、一方的の存在を以てしては、はなはだ満足し 得ない状況にあることを説かんとするものである。

 (しこう)してこの到達はもっばら外国語の偏重(へんちよう)から出発しているという事を指摘するも のである。日本における外国語の教養が上述のものである結果は、フランス科学と 接触すべき機会がはなはだしく縮小され、極めて特種の日本人のほかはラテン民族 文化の全く等閑(なおざり)にされていることも事実である。即ち研究に志す人々の中、高等学 校として収容する極めてわずかの学生および、なおわずかな数のものとしてフラン ス文化に(あこが)れを以て渡仏して勉学をするものを除いては、全くラテン科学に接触す るものは絶無である。ヨーロッパ各国において行なわれた自然研究は各専門雑誌を 通じて世界各国に報道されるから、何もその国土を踏む必要なしというにしても、 科学のみがその国を代表するものでもなければ、かかる科学を生じたる文化の母体 を観察することが必要である。また日本人の自然研究者が果してかかる雑誌を容易 に読み得てラテン科学のみにても接せんと心掛ける人があるであろうか。これは確 かに学校課程における欠陥(けつかん)(しか)らしむるところであり、フランス語の習得を行なわ ぬ結果であるが、フランス語に接せざるが故にフランス語が読めないという事はむ しろ些細事(ささいじ)であって、フランス語に接しないことによってラテン的科学思索の欠乏 に陥ることの方が全く寒心(かんしん)()えないことである。

 かく論じ来れば筆者はあたかも自然研究はすべてフランス(りゅう)を尊べというがごと くに聞こえるかも知れぬが、かかる意図は全くない。ただフランス的に物を考える ことなくして科学の前進が行なえるかを反問するにほかならない。これは一面から 見れば科学思想の論争である。国家思想に関するもののみが思想論争ではなく、む しろ科学思想中にあって、正しき処置を必要とするのであって、放任することの不 可なる点を説くのである。

 筆者は習得する言葉の関係が思想に影響することを述べたが、その言葉には自ら 思索が伴うものであり、知らず知らずの間に思想が(つちか)われて、物事の考え方も自ら 導かれて行くのである。

 科学は世界唯一に合致するものであるとか、あるいは科学に国境無しなどとの所 論を屡々聴くが、出来上った(あかつき)はおそらく何人も理解する点に於て(しか)りであろ うが、実際に創造し、形成する場合においては全く異った見地にあることを知らな くてはならない。フランス人の発見、発明の業績に富むに反し、ドイツ人の演繹(えんえき)的 業績に(ぬさ)んでることは衆目(しゆうもく)(ゆる)すところである。日本人の自然研究者の中にはこの 両者の思想の奈辺(なへん)にあるかを知らずして、互に他を誹諺(ひぼう)して(みにく)き個人攻撃の生ずる 等も要するに、思想問題の致すところであろう。

 誠にあらかじめ定められた定理、仮説から出発してそのものの中にすべての現象 を包含(ほうがん)せんと試みる論者に対して、なんらあらかじめ待ち設けたることなく、研究 の進むにつれて随時(ずいじ)追加、拡張して研究を進めんとするものとの二種を見ることが 出来る。また研究方法についても、あらかじめ定められた器械を以てただ測定に従 事することを以て研究の常道(じようどう)と心得るものがあるに反し、簡単なる器械を以てある 程度までは進み、必要に応じて複雑性を増して研究を進める態度との間には自ら確 然たる区別のあることは一度研究者間に立ち交って、その行動に注意するならば充 分見聞出来るものである。

 次にフランスにおける科学の発展過程を見るに、何故に発見、発明の多いのであ ろうか。ラテン民族はチュートン民族に較べて隔絶(かくぜつ)した特長を持っているのである。 それは第一に直覚的推察力(すいさつりよく)を有するという問題である。この直覚的行動はおそらく 先天的に具備(ぐび)したものに相違(そうい)ないが、後天的にも涵養(かんよう)されたものでもあろう。即ち、 一般社会が直覚的の行動を好み、かつ賞揚(しようよう)する傾向にあることも事実であるからで ある。この創作的の事物、即ち多少は不備の点はあっても、人々の意表に出でたも のを以て充分の価値ありとして認める点は日本に於ては見られぬ事柄である。日本 の学界においては創作的のものを賞するよりはむしろ、不備なる点なく、確かにし て労力のかかったものの方を採用する傾向にある。これはおそらく民族の共通嗜好(しこう) であるかも知れないが、科学文化の発達に対しては一階段であり、その嗜好も時の 流れとともに変化するごとくである。

 かつては上記の態度が一層著しかったものであるが、今日にては多少変遷(へんせん)を見せ た様に思われるところもある。また従来の傾向は本来日本人の性格ではなく、いわ ばゲルマン民族からの借り物であったかも知れない。即ちゲルマン文化に接触して いる中にその嗜好に移ったのであって、日本はその文化、その思想に(わざわい)されて、本 来の性格を失っておればこそ、時の流れとともに変化を来たしているのであろう。

 ラテン民族の作り上げた文化は直覚的文化といって差支えあるまい。その科学上 の業績においてもその傾向の著しく見えるのは、一度科学史を(ひもと)くもののただちに (うなず)かれるところである。フランスに於ける科学発達も決して自国人のみにて築き上 げられたのではない。ルイ十四世治世においてはヨーロッパ各国より著名学者を 巴里(パリ)誘引(ゆういん)して、研究を旺盛(おうせい)ならしめたのである。オランダ人ハイゲンス、イタリ ア人ラグランジュ等はいずれも招聰(しようへい)された学者である。これは正に富の力によって 学問の発達が行なわれたと考えられよう。聞くならく、北米合衆国に於ても主とし て独逸(ドイツ)系ユダヤ人学者を招聰(しようへい)する傾向にある。かくて学風の起こることは結構であ るが、将来に対する葛藤(かつとう)有無(うむ)は何人も断じ難い。

 このフランスの学派の栄えたのも結局、ルイ王朝を中心として興ったもので、国 力の進展せる時代の波に乗って科学も進展したのである。今日、日本の科学が一転 機となり、ここに旺盛(おうせい)転換(てんかん)しようというのも全く、シナ事変の影響として日本国 が一大転機に属しておるのと同様に見られる。(しこう)して科学の研究の要素として、ゲ ルマン文化も必要であると同時にラテン文化の要望も行なわれなくてはならぬ。一 個人にて両文化を体得することは困難であろうが、以上の二特色を別人を以て備え しめることは充分可能のことである。日本文化は今日のところ、ヨーロッパにおけ る二大潮流を合流せしめ、ここに美しき日本文化の咲き誇る園を実現したきもので ある。

 今日、日本において要望する自然研究方法は正に直覚を充分働かせたものであっ て、自然現象を見ればただちに月並手法を以て、解析(かいせき)に努めるごときやり口は捨て、 現象の研究大道にいかなる役を演ずべきかを熟慮(じゆくりよ)し、小を捨て大につき、研究の大 方針を定め、その命ぜられるがままに直覚的に研究題目の選定に当り、研究の大系 に即して各自の行動を盛ならしめなければならない。研究という美名の下に隠れて、 些細(ささい)なんら大道に縁なき研究に得々(とくとく)として従事する研究者輩の数はいかに大なりと いえども決して、科学に寄与(きよ)することの少なきは寒心に堪えざるものである。

 以上の論に対してある人はいうかも知れない。研究者の人数を多くすることが結 局よき研究の生ずる所以(ゆえん)であると。しかし、筆者は決してそうとは思わない。思想 の正しき研究者を少数にてもよろしいから、かかる人士を集めて、かたよらざる(おこた) らざる態度にて研究を進捗(しんちよく)せしめるならば、科学のいかなる部門といえども容易に 発展するものと信ずる。この思想の涵養(かんよう)、これこそ至難事(しなんじ)といわざるを得ない。

 思想の教養は、修得せる外国語と大関係あるはすでに述べた。これは語学の罪に 非ずして外国語に()らされたる思索傾向によるものと思われる。筆者のいうところ はラテン文化に即する思索の持主を今少しく養成して欲しいということである。 滔々(とうとう)として世を挙げて研究の一つの型に迎合(げいごう)するを研究となすことに不満を呈する のであって、違った種類の研究方法を充分導入すべきであると信ずる。周期的に変 化する曲線を見れば、フーリエ分解をなすのみにて事了(ことおわ)れりと考える人も必要であ ろうが、他の考察から別途実相を把握(はあく)する研究もあってよいのである。これは正に 思想の区別から生ずる。誠に自然研究に大切なものはこの思想の傾向である。 特長ある人間

 自然研究者は自然を研究する特別の人間、即ち一般人とは特種の才能をもった人 である。世の中が分業になってくると一人ですべての才能をもつよりも、一つでも よいから、人々を越えて優れた才能をもっていることが望ましい。この点は充分判っ ておりそうであるが、社会的に(学会の一範囲でも)認められ方が少ないのではな いかと危ぶむ。

 たとえば中学校、高等学校等の教育において、数学がとくに秀でていても卒業す ることは出来ない。修身、体操のごときものも同時に出来なければ駄目(だめ)である。修 身、体操が出来ないというのも、実は一生懸命にやらないからであるともいう。ま た少し頭のよい生徒ならば、やれば出来るのであるから、そんな学科を馬鹿にして いる性質が悪いのだといえば一応の説明はつく。もっともそれも理窟(りくつ)には相違ない が、今少しく各個人の特長を認めて、その才能を充分伸ばすことに注意する気持が 充分必要であろう。大学に来ると、自分の好きな特種の学科に入学出来るのである から、その心配は大してないが、各学科の中にもまた、小分けがあるのはもちろん である。同じ物理学科の中でも実験の上手な人と数理解析の充分堪能(たんのう)な人との区別 がある。この程度の学生になると彼らは自覚を以て好きな方に行くようになる。実 際好きであり、かつ得意な方面に行かないと才能が伸ばせないから自然にその一方 に行くのかも知れない。

 筆者の知人に理論物理学者がいるが、時々学生時代の思い出を聞く機会がある。 その時筆者は、この人間のオ能は自分とはまるで違っているという感じを第一に受 ける。どうしてあんな困難な数理解析に興味を持って、毎日やっておられるかと聞 くと、(おれ)は学生時代から面白(おもしろ)くてならなかったのだという。なるほど、その人は特 別の才能があって、高等学校まではなんら別の人間ではないと思っていたものが、 大学で数理的理論を学ぶと、とつぜん(たましい)が入れられたかのごとく、興味が油然とし て()いて、面白くて仕方がない境地に(ひた)れたのだと思う。

 これを考えると何故もっと若い年齢からこの随喜(ずいき)的境地に浸してやらなかったか とも思う。これは日本の画一教育が相当の年までかからなければ出来ない欠陥(けつかん)とも 考えられる。人々は各自に違った才能を持っているのである。しかし、その才能は 他人にはもちろん、自己といえどもその境地に接触(せつしよく)して見なければ判らぬ場合が多 いようである。ただし子供の時に汽車が好きである者が、汽車の設計者になれると いうものでもなければ、また冒険談の好きな子供が探検家になるというのでもない。

 また以上とは反対な場合もある。人々の才能を多く必要としない職業に携る場合 も大いにあるであろう。自分には何の特長がないと思って、ただ人の進んで行く方 に進んでいる中に大学を出てしまい、そのまま会社、銀行に勤めるという手合もあ ろう。この方があるいは多数かも知れない。特長がないと思っているもの、必ずし もないのではあるまい。その特長に接触する機会を失した者だともいえる。

 かよう考えて来ると各自の特長に接する機会を多く作ることが第一になすべきこ ととも思える。而して好きなものがあれば、それに突進すべきである。ただし人生 は一本道であるから、やり直しは絶対に禁止されている。幸に突進する岐路が見つ かればよろしいが、後戻りをしてほかの道に行くことは許されない。理学部、文学 部に入った多くの人は、自ら求めて突進する者と考えられる。自ら求めた道は苦し くとも致し方がない。かような人といえども自然研究に対して才能の有無を疑う場 合もなきにしも非ずであるが、かかる人はおそらく極めて些細(ささい)の原因に左右されて、 その道に入って来たものであって、むしろ才能の()き違いであったのであろう。

 自然研究に携る人々を見るに多くはその道に適した才能ある人である。また才能 なければ人々の意表に出ずるごとき仕事の出来ないのも当然である。しかし、その 才能も充分分業的であって、数理理論に特長を持つものもあれば、実験に堪能(たんのう)なる ものもある。いわば角なきものには牙あるの類である。而してこれらの特長は(ようや)く 大学に来って、自己の興味から定まったものも多い。すでに述べたごとく、同じ物 理学の中においても、全く別人の感を抱かせる変化(パリエテイ)があるのであって、かくて各自 の好きな方面に各自の腕を振えばよいのである。学の進歩を見るに、確かに以上の 変化が如実(によじつ)に現われ来るごとくである。即ち各時代に各学科に学者はいるが、いず れの学科も平等に進歩を()げるということはない。特長ある人間の散布によって、 ある学科がよりよく発展する時代があると同時に、次の時代には沈滞(ちんたい)を続けるとい う状況を示す。これらはいずれも止むを得ざる状勢で、天才のその学科に現われた ると現われないとの差である。

 ブッフォン Buffon の警句によれば、

 天才は辛抱強いという一つの優れて大なる才能にほかならぬ。

Le g'enie n'est qu'une grande aptitude `a la patiance.

Buffon

というのであって、先天的なものではないという。(しこう)してもし先天的にありとす れば努力を続けて行なう性質がそれであると解釈出来る。しかし、筆者は天才の才 能も先天的なものと考えたい。(たま)(みが)かざれば光はなけれども、瓦は磨いても光を 現わすことはないのである。この意味を以て、たとえ天才ではなくとも特長ある人 士を要求し、またその特長を磨いてこそ、優越的な位置に立てるのである。

 運動競技(スポート)を見ていると、いかにも特長ある人々が直ぐに区別出来る。確かにその 道において(すぐ)れた人がいるのである。理智的才能の有無を見分けることは困難であ るが、スポーツとして走る、投げる、泳ぐ等は特長あればこそ勝つのである。スポー ツに勝って何になるか、そんなツマラない勝敗はやめよと識者はいうかも知れぬ。 しかしスポーツにても優勝し得る人は特種の才能を持っている人で、一般人とは何 事か秀でた性質を持っているのである。科学に携る人々も、側から見ると自然の現 象が判っても何等(なんら)益にもならぬ、何んで心を悩すかともいう。しかし、そこには人 間の本能として心の奥に(ささや)くものを覚えるからである。これは人間の心の中にある 理性慾から来るという人もあろうが、その外に人間を後から押すものがある。これ は優越感である、理性の慾望から見ると、確かに優越感の方が(いやし)いとも考えられる であろう。しかし、いかなる学者といえども優越感のなきものはないであろうし、 優越感なくして社会に生きていることも出来ないであろう。

 この優越感について筆者は、

 軍人は敵と戦って常にこれを撃滅(げきめつ)する愉快(ゆかい)を思い、スポーツマンは練習を(おこた)る事なく 優勝の誇りを心に画く。自然研究者の自然を研究し、またその結果を発表するに当っ ては、他人の企て及ばぬ境致(きようち)に到達し得たことを喜ぶ。これらはいずれも優越感に非 ずして何ものであろうか。真理の追求に努力するところ、もちろん自然科学者の理想 は存在するであろうが、優越性を感ずるところ、力も()(ほこ)りも生じて、研究の進捗 する事実は何人も否定し得ぬものであろう。

といったことがあるが、確かに優越感に導かれて研究する科学者は多いのである。 誠に優越性を感ずる(うれ)しさは人生の一要素である。優越性を感ずるのは全く、特長 づけられた方面において他人と競争することである。筆者はランニングの選手にも なれなければ、角力(すもう)の横綱にもなれない。したがってこの方面で人々と争うことを ()さない(ばか)りである。また逆に双葉山(ふたばやま)にも才能の欠けたところは充分あるのである。

 人々は各自の才能を認めて、それを活かすところに意義がある。この点を誤る場 合に於ては人生を誤るのである。しかもその才能を磨くことの必要はもちろん、ま た優越的喜びを充分味わって差支(さしつか)えないのである。優勝劣敗(ゆうしようれつばい)は自然界の法則であ る、勝って誇らず、敗けて悔まざる精神も必要であるが、勝って喜ばず、敗けて悔 しがらざる精神は採らざるところである。学に携る人々こそ誠に喜怒哀楽(きどあいらく)(かた)(かな) 眼底に映じて見えず

 眼中の網膜(もうまく)に映じたものは、物理的には見えることになっているが、注意するこ となければ決して見えるものではない。即ち眼底に映じたものと、意表に上ったこ ととは別である。自然研究においても、万人の眼に触れているものでも、それを存 在物として学界に報告するということは常に出来るものではない。事物を認めると いう事は人々の意志の働きであって、これはその人々の思想によると称しても差支 えないものであろう。この思想は自然研究者にとって極めて大切なものであって、 これに従って事物が見えたり、見えなかったりする。古来偉き学者はいずれも、よ き思想の特主であったのである。ポアンカレーも言っているごとく、学者の功績を 讃える場合に仕事の多寡(たか)を論じるより先に思想の良否を云々しなければならない。

 汗牛充棟(かんぎゆうじゆうとう) (ただ)ならざる論文を書いても、不良思想の下に、(いぶか)しい現象のみを認め て労作をしていたならば、何物も学の進歩に寄与(きよ)するものとはならない。研究者は労 作する前に各自の思想の良否をまず反省すべきである。自然研究者が研究に没頭(ぼつとう)す ることは結構には違いないが、重い石を山の上まで転がすような労作は全く無用な 仕事である。即ち思想の吟味(ざんみ)--これは自然観の吟味とも称せられるが、  --を充 分行なうように、自然研究者の態度が定めらるべきである。

 この思想は人々の心の中に先天的にあるいは後天的に(つちか)われて生じたものであ り、自然現象は全く外界に行なわれるものである。見る人の眼は心の傾向、即ち思 想的背景に従うものであるだけに、一個人の考える自然は、その思想範囲に止まる のはもちろんである。また一方に自然研究者は観測をなし、実験をなして自然現象 の実相を(とら)え、己れの思想と対照して、思想を是正(ぜせい)するのである。即ち、自然現象 の中に事実としてあたかも外界に在する現象の設立が行なわれる。この事実の設立 の前には思想は訂正されなければならぬ。事実は断乎(だんこ)として躁廟(じゆうりん)することは出来な いのである。ただし事実を考えるものは人間思想の力である。パスカルは言う。

 人間は一本の(あし)に過ぎない。自然の中でもっとも弱いものである。だがそれは考える 葦である。彼を()(つぶ)すには全宇宙が武装するを要しない。一吹の蒸気、一滴の水で も、彼を殺すに充分である。しかし宇宙が彼を圧し潰しても、人間は彼を殺すものよ りもなお高貴であろう。何故かといえば、彼は自己の死ぬことと、宇宙が彼を超えて いることとを知っているが、宇宙はそれについて何も知らないからである。

L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature, mais c'est un roseau pensant. Il ne faut pas que 'l'univers entier s'arme pour l''ecraser. Une vapeur, une grotte d'eau, suffit pour le tuer. Mais quand l'univers l''ecraserait l'homme serait encore plus nobble que ce qui tue, parce qu'il sait qu;il meurt, et l'avantage que l'univers a sur lui. L'univers n'en sait rien.

Pascal.

誠に人間は事実を自然現象の中に知ると同時に思想的に事実を統轄(とうかつ)して、系統を 立てる偉さがあるのである。この偉さを知らないで、自然研究に従事している人が あるのは実に悲しむべきことである。

 科学者の中にも研究の根底をなす思想云々(うんぬん)のことは何もいわないで、その行動が 極めて理に(かな)った人がいる。これは結構なことであって、たとえ科学の構成に関す る知識を知ったといえども、その行動は決して自然研究の大本と一致するものでは ない。たとえば画家が画論を充分知ったとしても、その描く画との価値とは別であ る。画論を一切知ることなくても、画法は自ら体得してその描くものはすばらしき 絵をなすことがある。否、むしろ多くの画家は後者の画論を知らざる者に属するの であって、かえっていたずらに画論を説く者に画の堪能(たんのう)なる人はないようである。

 科学者においても充分この傾向のあることに気がつく。黙々(もくもく)として実験室に閉じ (こも)つて勉強する学者は科学の何たるかに疑問を持つものもなければ、好んで筆を ()って科学論も書かないのである。筆を()(ひま)に勉強をするからである。科学本質 論は正にせざる方が賢いともいえるであろうが、これも人々の性質、傾向のいかん によるものであり、科学の構成、自然研究の本義に対して考えずにはおれない人に は致し方がないのである。

 自然研究の発達道程を見るに、少なくとも日本においては、年の経過とともに一 般科学者の心境は変って来たように思われる。明治、大正時代においてはいわゆる 欧米依存主義であって、欧米人のいうことには心服し、その打ち立てた仮説、原理 等に対しては、一も二もなく賛意を表し、彼のいうことを金科玉条(きんかざよくじよう)として研究を進 めたものである。

 (しか)るに今日においては、彼の主張を参考にする事はもちろんであるが、独自の見 解を持して、これに生きようとする努力が充分見出し得るのである。独自の見解は 正に各自の自然観から出発するものである。即ち、一層よく独自の見解を徹底(てつてい)せし めるには、思想の鍛錬(たんれん)を充分に積まなくてはならないことになる。この思想の鍛錬 はいかにして成果を得るかの問題は、上述のごとく、あるいは生れながらに体得し ている人もあろうし、四囲の条件によって、労せずして直き思想に合致するものも あろう。しかしながら、 一般的に見て自然科学者の自然観涵養は十分力を尽すべきものと思われる。涵養方法としては専ら科学史 の 譒読によるのを最も適当と思われる。 古来の科学者がいかなることを考え、いかにして新事実の発見に到達したか、また いかなる思想を持って研究に従事したかという事績を(かえりみ)ることが必要である。当時 は多く荒唐的(こうとうてき)な思想として周囲から(あざ)けられたものも数十年後には、もはや(くつがえ)すべ からざる定理として、ますます光輝(こうき)を増すもののある事実を知るであろう。またあ る時には当時学界の人々の充分の理解を得て、たちどころに受け入れられ、名誉あ る賞讃(しようさん)を浴びるのもある。いずれにもせよ、結局、科学を構成するものとして欠く べからざるものになるには相違ない。

 (しこう)して現今各研究者が汲々(きゆうきゆう)として(おこ)なう研究も上記二つの中、いずれの種類に 属するか、(はか)り知り難いが、個人的には学界の直ちに認め得ない研究と考える方が かえって適当であるであろう。即ち、我々の科学上の仕事は今日なんら認められる 必要はないのである。科学を構成する一分子として何時か発展に役立つならば、そ れで満足であり、またそれを以て(めい)すべしである。

 ただし我々のもっとも遺憾(いかん)とするところは、折角(せつかく)の仕事も科学の発展に充分寄与 するや否やの問題である。科学の進展に多く寄与(きよ)しない労作をあえてしても、これ こそ全く徒労に終るのである。即ち科学に寄与するところ大なるや否やを認定する ことは、人々の思想的解釈の(しか)らしむるところである。この見分けをなすべき思想 が豊でなければ、科学者としての一生も重大事を研究せずして全く無為(むい)に終ること ともなるのである。

 思想のいかんは、あたかも我々をして眼底に映じた事物を注意せしめるや否やの 問題であって、科学に寄与(きよ)する重大さを先ず判定せしめ、それより行動に(うつ)さしめ る。禅語に次の句がある。(碧巌録第四十則の頒で、これは碧巌録百則中の絶唱とい われている。)

聞見覚知非一一
山河不在鏡中観
霜天月落夜将半
誰共澄潭照影寒

聞見覚知は一一に非らず
山河(せんが)鏡中(きようちゆう)(かん)には()らず
霜天月落(そうてんつきお)ち、()まさに(なか)ばならんとす
(だれ)(とも)にする澄潭(しようたん)(かげ)(てら)して(さむ)きを

 誠に我々の見たり聞いたりするものは、多種多様の如くであるが、一人の人間が が見る時においては、一個一個の事柄でなく、人間の一思想を以て見て居るのであ る。鏡の中には山も河もすべては写し得るが、見えて居るのではない。仰いで見れ ば霜夜の月が傾いて夜半となつた、暗い湖畔に立つて、黒影の寒く映るを誰と共に 徘徊して己が心境を語らうか。 科学者と先入主

 科学者というものは(かたよ)らずして平静な心の持主であろうと想像するが、実は決し てさようでなく、先入主の()(かたま)りとしか見えぬ人にも接することがある。しかし、 この人達は決して大なる科学者とは思えないのである。

 科学者に()る資格の中には、先人が自然現象の中から苦心して取り上げた事実を 記憶していなくてはならない。またそれらの事実を根底として組み立てられた系統 --即ち法則とか定理とかと呼ばれるもの--を知っていなくてはならない。即ち 事実と系統とが教えられてしまうと、今度新しい事実が出て来ても両立しない場合 に於ては新事実の出現を知らぬことにするか、認めない態度に出る学者がいる。こ れは全く先入主が心の中にあまり幅をきかしておる結果にほかならない。

 学校に在学中は極めて記憶力のよい善良(ぜんりよう)な秀才であっても、いざ学校を出て自然 研究に携ると全く物事の受入れ方の悪い人があるが、これらはあまりに忠実に勉学 した結果とでもいえよう。頭の中に先入主が横行(おうこう)して、もはや新しき事実が入り込 む余地がないのである。この意味では、いわゆる秀才が研究に携ると得て失敗を招 いて退場するのである。この点から見ると、学校での教育というものはだいたいの 外郭を教えて、新事実を見つけだすことおよび受け入れる余地を有して置きたいも のである。(おそ)わる方も、教室で覚える定理、原理も真理と考えないで、何時でも変 更され、また発展されるものと観て、剛直(ごうちよく)な態度を持ち続けないことである。筆者 はかつて、

 先入主ほど人の心を偏執たらしむるものはない。恐ろしさを心に抱いてこそ、尾花も 幽霊(ゆうれい)として現われる。したがって自然研究者はいたずらに多読して心の主裁者を造る より、平静にして捉われざる心境を養い、自然に直面する心掛を常に持たねばならぬ。

 といったことがあるが、筆者も常に注意していわゆる偏見(へんけん)(おちい)らざるよう注意を しているのである。しかし、この点は至って(むず)かしい。

 自然現象の研究はあたかも、人跡未踏(じんせきみとう)の森林中に道を(ひら)くがごときものである。 道をつけぬ中はどこから入り込もうが勝手であるが、一度入る所を定めて道を作っ てしまうと、楽であるからその道のみから入り込むようになる。前人未踏(ぜんじんみとう)の地にか ように道を作って人々の入り込むようにすることは至極(しごく)適当なことには相違ない が、見残しがないでもない。見残したところから(かえ)って珠玉(しゆぎよく)を手に入れることも出 来るのである。

 かように考えるならば、いたずらに道を作って人々の出入を楽にするのもいかが であって、その道からでなくては奥へ入り込むことが出来ないとするならば、これ は考えものである。苦労をしてもよいから、人々が勝手な道を求めて前進するのが よいのである。科学の大道はすでに出来ていると見てよいであろう。最先端は(やぷ)を 切り開きながら小道を作りつつあるのである。小道を作るに於ても労力は易しいも のではない。この道は各人勝手の道を開いているが、いつかは消滅(しようめつ)する道もあろう し、終には大道となって人々の通ずるものとなるのもあろう。初めから何の道でな くては駄目だなどときめて働いていることは間違いである。さようなことには眼も くれず、一心で道を開く気になって突進すべきである。他人の事は気に留めるとか えって悪い。また浅墓(あさはか)な先入主観念はさっばり捨てて進まなくてはならない。

 元来科学書というものは、すべて正しいことが書いてあると思うと大間違いであ る。たいがいの本は早ければ十年、遅くとも二十年を経れば、その大半の頁は書き 直さなければならぬ運命に逢着(ほうちやく)する。研究は日進月歩の勢いで進展しつつあるので ある。この場合、先入主があっては十年もすれば劣敗者となるばかりである。なお 注意すべきことは未だ充分検討の足りない学問に於てはとくに(しか)りであって、大学 で習ったことを後生大事に覚えている者の方が後れ、全部忘れてしまったものの方 がかえって成功をするのである。これは要するに先入主の(もた)らす悪い影響である。 もちろんこの成り行きは本人の批判力が足りないためもあって、かような結果に落 ち行くのでもあろうが、先入主的批判に()つことは全く禁物である。

 寺田博士はかつて筆者に「最近のつまらぬ論文は読まぬ方が宜敷(よろし)い。それよりも アリストテレスの書いたものでも読む方が()めになる」といわれたが、これは至言(しげん) である。確かに、これは先入主悪癖(あくへき)()むなということに解し得ると思う。

  一体科学というものは、現象のすべて自然に備っているものを、各時代ある限定 された知識を以て説明せんとするものであるから、その時代に於てある現象が説明 し得たと思っても、新事実が出れば破壊されてしまうのである。即ち、今日の自然 現象は今日の知識を以て説明されるものであって、明日は当然明日の知識を以て、 再び説明さるべきものである。この結果として学説の生るべきは当然ながら、これ を固守すれば飛んでもないことに(おちい)ってしまうのである。今日の学説は明日の学説 ならざるものが多いのである。それは知識が増加する結果にほかならないからであ る。 事実と仮説

 自然科学の構成は事実と仮説から出来ていることはすでに述べたところである が、果して自然科学とは何かと間われることがある。筆者はただちに次のことをい う。

自然科学とは自然現象の中に事実を認め、 これら事実を理性的に統轄系統つけるもの である。

 しかしながら、ここに質問されることは、事実とは何ぞやということである。即 ち事実とは、

人々の感覚に訴えて存在性の確認される事物。

 と答えるのである。たとえば机の上に茶碗(ちやわん)があれば何人が見ても茶碗の存在は確 認されるから、その机の上に茶碗のあることは事実である。夜中に銃声が聞えたと 一人がいっても、多くの人が聞かないといえば事実とすることは出来ない。ただし 聞いたという人が一人だけ起きていて、他の人がすべて寝ていたというならば、こ れは決定する限りではない。それは感覚の有無が問題であるから。いずれの場合に おいても、器械を採用して記録するならば事実の認定に役立つことが多い。とくに 現象がある時間中にのみ介在して、その他の時間には消失するもの等に対しては、 もっばら器械の採用が必要となる。上述の銃声のごときも、常に音響記録装置を以 て音響を記録しておくならば、人々の起臥(さが)には関係がないこととなる。夜銃声があっ たことは朝になって起きてから記録を調べればよいのである。

 これと同様なことは地震の発生であって、地震計が常に運転されて地震動を記録 する故に、地震学者も夜中安眠して可なりである。邸ち我々の感覚の延長が記録装 置であるといえよう。

 次に起こる問題は直接感覚に訴えないで認め得た事物は事実といわないかという ことである。たとえば電波のあること、分子、原子のあること等である。これらに 関しては我々は直接感覚によってその存在を覚知(かくち)しないが、ある種の器械を以てす れば、必然的にその存在を確認するものであるから、これも事実と称して差支えな いと思う。この類に属するものとしては、地球の球形なること、電流の存在、気圧 の存在、徽菌(ばいきん)の存在等は直接感覚に訴えることは不可能であるが、器械の採用によっ て認知し得べきものである。

 次に仮説として我々の認めるものは、およその原理、あるいは法則等はすべて、 この部類に属するものである。世人の中には科学は真理を教えるもの、原理、法則 等はいずれも真理であるかのごとく考える人もあるかも知れぬが、筆者はいずれも 仮説としての価値を持つものとなす。仮説はある年代には永久不変に打ち立てられ た真理のごとく(あが)められたこともあるであろうが、人間の作るものはすべて仮説で あり、仮説であるが故に進歩発達が()げられる。即ち仮説の進歩によって、一歩一 歩真理に近づくのではあるが、真理には永久到達し得ないものである。ニュートン の法則ももちろん仮説であり、その他著名な原理といえどもいずれも仮説ならざる なしである。

 いずれの法則にしても(すべ)ての場合を(つく)して、その当否を決定したのではない。当 時の知識を以て現象に対すれば、その経験範囲に於て一定の法則ありという許りで ある。即ち箇々の事実を覚えることの煩雑(はんざつ)を妨ぐため、便宜上法則の形にして覚え るに都合よくしたものに過ぎない。科学者は法則を神聖視して(あお)がんばかりである とある科学批判者はいったが、物の判る科学者は決してさような行為はしないのみ か、ただ自然研究に都合よき指針(インデクス)が出来たとしか見ていない。いたずらに科学の園 を棚外から見て、自己の誤れる思想から科学を曲視する行為は止めてもらいたいも のである。 自然研究の結果がかくも不確かな仮説を以て(つづ)られるのはいかにも不安であると 考える人もあるかも知れない。それは我々の経験が未だ(ひろ)からず、深からざる所以(ゆえん) である。経験をますます積むことによって、打ち建てられた法則が確かならば長年 月の齢を保つのである。また科学法則は一般に場所と時とを超越(ちようえつ)したものであるこ とが必要である。ヨーロッパにて認められたことはまた日本においても認められな ければ、一般的法則とはならぬ。即ち一度打ち建てられた仮説も時間的に、場所的 に諸々の検討に会うが、それでも同じく認められるにおいては、より確からしき、 あるいは疑い少なき仮説として永続性を示すのである。我々は大なる安心を以て、 信用してこれらの仮説を採用するに躊躇(ちゆうちよ)しないのである。

 (しこう)して、かかる形成された仮説を以て自然の構成を明らかになすのである。自然 そのもののその仮説の集合により代表せしめるといえるのである。

 即ち自然は我らの外界にあれども、その中より事実を摘出(てきしゆつ)して、仮説の下に統轄(とうかつ) して科学となすならば、これはもはや人間の作った無縫の記念塔であって、人間の 心の動きが、その中に躍如(やくじよ)としていることは争うべからざるものである。しかも人 間の心は自ら調和を貴ぶについては自然の中に調和あるものを見出し、これを系統 的に並べて科学として美しき自然像を作るに於てなんら疑うに当らないのである。

 即ち自然が調和的であり、また簡単を喜ぶと称しても「その中の本源は人心が調和、 簡単を愛するに外ならぬ結果であり、したがってかかる現象を取り上げて科学が作 り上げられつつあるのである。我らはかくて人々がいかにして自然の中に調和を認 め、単純さを認めんとするか、順次その心の働きについて述べてみたい。 科学の拡張

 自然を研究して科学の拡張を行なわんとする行為は、科学者の天職と信じている ものであり、この点に努力をするのは当然である。努力と称しても、いわゆる世上 の努力と混同してはならぬ。およそ努力といえば嫌でも何でも意志の力を以て遂行(すいこう) するものを名付ける傾向があるが、良き科学者の努力はすき好んで行なう行為であ り、外観的には努力と見えるであろうが、実はその点に大差があるのである。

 科学者は心の中に何事か(ささや)くものを感じ、それに示唆(しさ)されて自然を研究せずには いられないのである。研究は全く天職と信じ、行動は至上のものと確信している。 世上の繁雑(はんざつ)からは脱却(だつきやく)して、只管(ひたすら)に科学に身を(ゆだ)ねる。確かに学府を出でて初めて 研究に身を(たく)するものに、以上の信念に持ち来すところに指導者の任務があり、も ちろん指導者も絶えずこの精神のために向上するものである。この点は精神的の所 (しよさ)においては、修道院における修行となんら変りなきように見える。彼においては 神に仕えて精神の潔白(けつばく)を持せんと修養するに引替え、これにおいては自然の機構を (うかが)って、理性的に科学の構成を設立せんとするのである。心の趨向(すうこう)は異なったもの であるが、各々の行動に現われる点には数多の類似点が見出されるのである。

 信仰者が神の御前に(ひざま)ずいて神の加護(かご)のために心をくだくのも、科学者が自然現 象に直面して、科学を進展せんとする意気込みも以通(にかよ)った点が大である。したがっ て科学者は科学尊重(そんちよう)のためには敢然(かんぜん)として立った場合があるのである。ガリレオは 七十歳にして宗教裁判の法廷に立ったのであるが、敢然として科学の曲ぐべからざ るを弁じ、その意気の不撓(ふとう)を示したのである。

 幸い今日においては文化の発達とともに宗教との葛藤(かつとう)も解消し、科学者がなんら 諸説を発表してもほとんど(とが)筋合(すじあい)のないのは誠に喜ぶべきことである。しかしな がら、今日といえども絶無ということは出来ない。アメリカ等にてはダーウィンの 進化説を学校に於て教授することは禁ぜられてあるとかいう。これは宗教の教義(ドクトリン)抵触(ていしよく)するからであるという。人間はアダム、イヴを祖先とすべきであって、動物の 進化によって人間が生じたとする説は正しくないという。

 日本においてはキリスト教の浸潤(しんじゆん)少なく以上のごとき蒙説(もうせつ)を社会的に持ち出す 人士のなきは誠に結構なことである。科学は全く仮説による構成である。諸説紛々(ふんぷん) としても、一向差支えないのである。自然現象を説明する上にもっとも適合した説 を各自に採用すればよいのであって、実体に対する考察は立場々々によって、採択(さいたく) は強制しているのではないのである。しかし、科学者は事実を認めることと理性の 下に判定を下す事だけは遵守(じゆんしゆ)しているのである。ある科学者は、

証明せられざるものは信ぜず。

Non credo ci`o che non `e constatabile.

 といったごとく、理性に即することが、科学発展の原動力であることだけは確か である。

 ここに科学を発展さすべき方法ありや否やの問題がある。物理学者--研究者-- のある会合があったことがある。筆者は若輩の故を以て末席に(ひか)え、諸先輩の 演説を傾聴(けいちよう)したのであったが、今でも覚えていることは、演者は異口同音に「我ら は研究して」とか、あるいは「努力をして」という文句が口からは迸り出でるのであっ たが、筆者は実に不思議の感に打たれたのであった。それはいかなることが研究で あり、またいかなることが努力であるか、少なくとも大本に沿うべき努力、研究は いかなるものであるかを自ら深く考えるほかはなかったのである。

 確かに海岸で砂の粒の目方を一つ一つ測っても研究になる。停車場の出入口に出 入する人々の数を数えてもまた研究になる。またいわゆる物理学者の行なう種類の 実験も研究である。いかなれば前者が研究として価値少なく、学者が実験室で行な うものが価値があるか、またその努力的立場からすれば彼も此れも同等であるに違 いないのになどと、かような問題を考えてみながら、演者の話を聞いていた時、自 身は何事か研究の中に階段を付けて考えねばならぬということを感ずるようになっ た。これがもう二十年前のことである。

 即ち、自然研究の中には何やら価値多き研究と価値少なき研究とがあることは明 白であるが、それをいかにして区別するかということである。自然研究は当然価値 多き研究を企図(きと)しなければならぬのは当然であるが、その価値判断に於ては人々の 思想に待つことであり、また研究の成果については研究者の技巧(ぎこう)の上手、下手によっ て成功するものもあり、しないものもある。これらは結局研究者の成し遂げた仕事 として現われるものであるから、研究者としての価値がまた判断されるのである。

 この故を以て研究者は思想と機巧(きこう)とを兼ね具え持っていることが必要となるので ある。研究者はその研究する対象が、科学の構成をよりよく、早く進捗(しんちよく)せしむべき ものであるや否やの判断をまず下さなければならぬ。もちろん思想は研究者、判定 者によって異なるものであるかも知れぬから、その判断も決して同一であることの 必要はないが、多人数が見て決定されたることは多く科学の発達に寄与(きよ)するもので あるといわなければならぬであろう。

 またある研究は今日進展しつつある科学の流れに沿うものにあらずして、根底は 全く単独にあって、なんら関係の薄きものである場合がある。かかる場合において は本人は科学の最尖端のごとく思惟(しい)するかも知れぬが、これは本人の判断違いで あって、科学本道の発達には寄与することのほとんどないのである。

 これらはいずれも研究者の思想問題であって、かかる思想の存するに於ては科学 は奈辺(なへん)放浪(ほうろう)するか、全く寒心(かんしん)()えないものといわざるを得ない。即ち、思想が 一歩誤れば科学の正しき拡張は覚束(おぼつか)ないのである。正しき科学の拡張の行なわれざ る限り、科学は停滞(ていたい)しているのである。而して天才科学者が出でるに及んで初めて 正しき方向が指示されるのである。これを思えば、一国に小天才は十年に一人、大 天才は五十年に一人現出する程度であればよろしい。これは科学史を(ひもと)く者の直ち に首肯(しゆこう)し得ることである。 科学と単純性

 科学は自然現象中の事実を理性的に系統付けたものであるといったが、その系統 付けるにおいて、複雑化することは好まれないで、もっとも単純化されることが要 望される。即ちもし二つ以上の系統付ける方法がありとすれば、その中にてもっと も単純なるものを採用すべきである。ただし自然現象の中には、複雑なものもある。 かかる現象に対してのみ、我らはやむをえず、複雑の系統を作るのであるが、これ は好んでなすのでなく、やむをえない操作の結果である。また一面から考えて見れ ば、複雑なものはむしろ我々の将外(らちがい)に置いてしまって、簡単なものから手をつけて いる。これがまた科学として系統付ける手法であるともいえるのである。

 科学者の中にはことさらに複雑なる自然現象を解析して、より深く進み得たと 得々たるものもいるが、科学の進展に対しては果していかなる寄与(きよ)をなしたかは疑 問である。自然研究は簡単なるものを以て行なうべきものが、自己の手腕を人々に 見せんがために、ことさらに難解なる考察方法を採るものもある。科学の進歩は決 して事の轍邑て定まるものではない。同じく説明出来るならば、単純化せるもの を採用するのが科学の根本原理である。以上は要するに人々の思想問題であって、 いかに自然を見、いかに自然を研究すべきか、心の中に画かれたるものの当否に帰 着されるものである。自然研究に携る人々の才能を越えてもその背後にある思想が 適当でなければ、いかに研究に没頭(ぼつとう)しても無駄(むだ)の結果を(もたら)すのである。

 ニュートンが太陽系の説明として万有引力を提出する以前に、人々は太陽を中心 として惑星(わくせい)がその周囲に公転運動を行なっておる現象は知っていたのである。コペ ルニクスの地動説、同じくガリレオの賛同説はもとより、ケプラーはチホ、ブラヘ の観測結果を基として三法則を提出し、太陽系の全貌(ぜんぼう)はほとんど明瞭(めいりよう)となっていた のである。しかしながら、惑星の運動を説明するに当っては、ある人は渦巻説(うずまきせつ)を採 用してあたかも水槽中における水の渦の場合のごとく、水面に浮んだ物体の運動が 渦巻の中心を中心として廻転する状況に類似を求めたのであった。

 かくてニュートン出ずるに及んでは、太陽に中心引力がある事を提唱(ていしよう)し、その結 果として、各惑星の運動が説明され、ケプラーの三法則も同時に証明されることと なり、渦巻説主張者の影も消滅(しようめつ)するに至った。即ちニュートンの法則は中心引力の 作用によって簡単に一元的に現象が説明出来るのに反し、もし渦巻説を採用するな らば、多くの仮説の導入を必要とする拙劣(せつれつ)さを忍ばなければならなかったからであ る。今日に於てはなお多くの事実が認められるに於て、万有引力の仮説は確乎(かつこ)とし て認められ、いささかも反対的立場の人はないのである。

 以上のごとき著名の問題に対しても、学説発達の進行には物語るべき歴史をもっ ているのである。(いわ)んや一般の学説において論争の絶えざるはもちろんのことであ ろう。アインシュタインは次のことをいう。

 科学的知識における進歩が持ち来す結果から見ると、一方で理論の根本的仮説と、他 方で直接に観測された事実との間の距離や瞬隙を大きくするような犠牲(ぎせい)(はら)わなくて は、形式的単純性を増すわけにはいかない。理論はどうしても段々に帰納(きのう)的方法から 演繹(えんえき)的方法に移って行くように余儀(よざ)なくされる。でもどんな科学的理論に対しても下 されなければならないもっとも大切な命令--即ちそれが事実と適合するということ --だけは何時も残存(ざんそん)するであろう。

 今日理論と事実とを協調するに当って単純化すべき努力は各研究者によって行な われているに違いないが、自然の研究は全貌を見て事を下すのではなく、ある部分 --代表的と見倣(みな)される--を見て判断するものであるから、人々によってその帰 着点の異なるはまた当然のことといわなければならない。即ち学説の相違の起こる のも当然である。しかしながら、この相違も研究が進歩すれば氷解さるべきもので あって、この場合いずれが勝ったとか、敗けたとかいうことはないのである。新事 実が見出されない前においてはいずれも同価値で、いずれの説を採用しようが優劣 は決して極められなかったのである。(しか)るに新事実が発見された結果として事が定 まるのであって、諸説の中、一つが新事実を説明するに適するというまでである。 この意味からすれば、諸説は多い程よいのであり、またそれと同時に新事実の発見 に努力すべきである。即ち学説多き現象は未だ研究が不充分であるからであり、単 純化せんとするも未だ支障があるものといわなければならぬものである。

 要するに、研究が進むにしたがって事態が単純化されるものもあれば、今一層単 元を添加(てんか)しなければ説明の出来ない、いわば複雑性を増加しなければならないもの もある。しかし、かようの行動は複雑性といってはならないと思う。何故ならば、 現象が新しく見出された以上、これを科学系統中に編入するためには、法則の一部 分を破壊してまでも、系統中に取り入れなければならないからである。

 この行為はむしろ現象の単純化とも考えられるので、いわゆる複雑化を恐れて、 自然現象に眼を(ふさ)いでいるのではないのである。筆者のいわんとするところは、あ くまで現象を追究する態度は保持して(しか)も単純に為し得るものはあくまで単純性を 失なわない態度であることが必要である。

 よくある事であるが、物理、化学の実験に於て温度の上昇に従って物質状態の変 るもの、磁気の変化するもの、あるいは容積の変化等を測定する実験に於て、しば しば二、三の点がかけ離れて、線上に並ばないことがある。そうすると二、三の点 は捨てて体裁(ていさい)よく線上に乗るものだけを採用する実験者を見受けるが、その心持の 中には二種の心理状態が含まれている事に気がつく。

 第一には実験者が怠けていて、あるいは実験の(つたな)いことから点が散布したと考え て線上にないものは取り去る。第二は事柄を簡単にしようと念願する。即ち自然の 現象にはそう複雑なものがないから、飛び散る点はあろうはずがないし、またその 現象を簡単に表わそうとするためには、散布した点は目障(めざわ)りになるので消し去るの である。前者は自己の欠点となすに引替え、後者は自然の単純性を信ずるからであ る。また前者は新発意(しんぼち)の心理であり、後者は研究老巧者の心理である。いずれにも せよ、一つの実験に対しても単純化せんとする心持はおよその研究者が持っている ものである。

 かくのごとく研究者は現象を単純視せんとする傾向は持っているにもかかわらず どうしても単純に持ち来たせない現象があれば、これは統計的の研究に(ゆだ)ねてしま うのである。たとえば人々の寿命(じゆみよう)が極めてまちまちであって、その死去の年齢が一 人一人に対しては何事もいえないものであっても、これを統計的立場から見るなら ば、人間の平均年齢であるとか、死亡率が何歳頃から急に進むとか、その外色々の ことが判明するのである。これらはいずれも統計結果であって、個々の場合には当 てはまらないが、一般的状勢については充分の判断が下せることとなる。統計的研究 は一つ一つでは極めて不規則であり、何ら手の下しようもないものであっても、単 純化する一手法である事はもちろんである。

 確かに科学は単純性を骨子(こつし)とするものであり、単純化することに科学者の頭は() らされているのである。このために自然現象も多く単純性を有するごとく見えるの であるが、実は人間が単純性を欲する結果として、自然現象中に単純性を認めると もいえるのである。 研究と熱意 碧巌録(へきがんろく)』(第九則)に次の文句がある。

明鏡在台研醜自弁  明鏡(めいきょう)(だい)()って、研醜(けんしゆう)(おのずか)(べん)
鎮錦在手殺活臨時  鎮郷(ばくや)()()りて、殺活(さつかつ)(とき)(のぞ)

 この句の禅意はおそらく深遠(しんえん)なるものも含んでいるであろうが、我々に密接な境 地から解釈してみると極めて適切なものを感ずることが出来る。すなわち科学者が 自然に対する時、鏡のごとき明澄(めいちよう)さを以て現象を識別(しきべつ)し、研究の対象を選択するが、 その対象に向っては(やいば)のごとき鋭利(えいり)さを以て現象を純化し、その表現に努める。こ れは正に科学者の常に考えていることであって、正しき思想の下に自然現象を捉え て、科学構成を豊ならしめんとする行為にほかならない。

 我々が自然現象に対する場合、まず行なうべきことは現象の熟視(じゆくし)であり、手を下 す前に実に注意深く(なが)め入ることが必要である。この行為が大切であることを知ら ないでいたずらに手を下してしまうと、多くは失敗に終るのである。筆者が研究を 始めた頃、多く考えもしないで--多く考えても致し方がなかったかも知れぬ --手を下したために多くは辛き失敗の連続であった。この当時ある人に話したこ とであるが、「実験というものは十回の中一回しか成功しないものだ」といったもの である。これは要するに思慮が足りなかった結果でもあろう。

 しかしながら、年の経過とともに、次第にその成功率が多くなってきたことは事 実である。また以上の実験作業の中にも熱意の足りなかったことも認める。実験は 全く、暗中模索(あんちゆうもさく)をつづけているごときものである。したがって自分には少しやって みてうまくいかなければ、()きにやめてしまう(くせ)があった。もっと勇気のある人な らば知らず、筆者のごとき気の弱きものであると、少時して気が(くだ)け心がふさいで 中止するのが常習であったともいえる。しかしながら、時には当ることもあるので、 そうなると勇気が()いてきて、自然に仕事が(はかど)り、仕事が捗れば勇気が増すという 調子で、結局レールに乗った汽車のごとくに進行する。十年ほど経って後は決して さようのことはない。登山者が仰いで山頂を望むごとく、中腹は雲に(かく)れていても、 頂上に登りつく勇気は出でて、遮二無二(しやにむに)に頂上に行きつこうとする。決して勇気の (くだ)けることもなければ、道を迷って中絶するごときこともない。即ち言葉を代えて いえば、以前は五里霧中(ごりむちゆう)に迷っていたものが、後には晴れた頂上を認めて道を開い て進むごとき気持を覚えるのである。

 かくのごとき研究法は相当年功を積んでからでないと判らないらしい。ただ行き 着くところの(あて)が自ら判り、途中熱意を以て努力すれば目的地に達するという自念 を得るのである。この自念によって熱意は自ら()いて外観からは懸命に努力するよ うに見えるが、研究者は山頂を極める嬉しさによって行動しているのである。あま りに努力が続けられると、側からの観察によれば気違い()みてくるのである。自分 の経験にもそれが自分から感ぜらる場合が屡々あった。

 実験、あるいは器械の製作等には熱意あることが要件である。ただし熱意はさよ うに屡々かつ望む時に出てくるものではない。少なくとも自分には目的とする 到達地が見えて、初めて熱意も生じ一気呵成(いつきかせい)に困難を排除して仕事が出来るのであ る。目的地が見えぬ場合には、仕事は遅々(ちち)としてなんら進歩がない。到達すべき目 標が自然に判るということは理窟(りくつ)ではない、何だか心の中に()いてさような気がす るまでである。これはおそらく直覚的判断によるらしい。直覚的判断というものは ある人は極めて神秘的のもののごとく思うかも知れぬが、筆者は決してさようには 考えない。これは従来の経験を基とした綜合判断でなんら不思議とするには当らな い。人間にはただちに思惟的判断を下すこともあろうが、直覚的判断も下せると自 分は信じている。火鉢を見て火鉢と判断するものは前者であり、ある人の顔を見て、 何時か()ったことのあると思うのは後者の類に当るのである。

 以上のごとく自然の研究は、研究者の経験によって容易に解決の可能、不可能が 決せられるのであって、研究をしてみなければ判らぬものはむしろ少ない。研究を して見なければ判らぬものが、あるいは本当の研究ともいえるかも知れぬが、これ はまた考え方によれば当て物類似の研究であるともいえる。とはいうものの、研究 手段はいかであってもよろしい。要は自然現象中に新事実を確立すればよいのであ るから。

 研究遂行に当っては、常にその問題に即して離れぬことが肝要である。頭の中に はその問題のみで一杯で、ふと思えばそのことのみが脳裏(のうり)に浮んでくるほど思い() めなければ決して出来上るものではない。相当些細(そうとうささい)なことであっても、これだけの 行動は必要である。ある時には気狂になるのではないかと思うが、結局仕事が出来 上って後も、忘れる事が出来ないでそのことが常に頭に浮ぶ。およそ半歳位の間は 忘れることが出来ないではなはだ困ることがある。忘れてしまわなければ次の問題 は一心に考えることが出来ないからである。人々はこの行動は研究の熱意と呼ぶが、 これは熱愛と呼ぶ方がむしろ適切であるとも考える次第である。

 この熱意こそは研究の原動力であって、ある学者は研究はあたかも、山の中に洞 穴を穿って行くようなものである。柔かい土ならば進行も容易であるが、堅い岩に ぶつかれば、それを切り開いて行くのはなかなか困難である。鶴噌(つるはし)もたたない堅さ においては(ほどこ)す術がないようであるが、堅い岩も氷のごときものであって、溶すも のはただ熱意だけである、熱意あるところには必ず堅い岩も自ら解消(かいしよう)する、といっ たのであるが、この比喩(ひゆ)は研究者にとっての一大教訓である。

 しかし、ここに残された問題はいかにして熱意ある研究者になれるかという問題 である。この問題に対しては先天的であるといえばそれまでであるが、筆者は全く 力量であるといいたい。研究者は力量を養うべきである。小問題から初めて次第に 大問題を取り扱う力量を備えなければならぬ。力ある者は必ず熱意が生ずる。力量 を養うことは即ち勉強をすることである。本を読むことも勉強の一つであろうが、 それ以上に大切なことは、現象をよく見て考えること、およびそれをいかに取り出 すべきかということである。

 古来大学者の生涯を知れば、いずれもかかる生涯を経ていることは明瞭(めいりよう)となるであろう。 ローマは一日にして成るに非ず。学会の栄冠は絶えまざる学の修養に俟つて 初めて得られるのである。

 熱意が先天的であるという説に対して少しく論ずるならば、研究に(はげ)むことも先 天的といわなければならず、頭脳(ずのう)の良否も先天的なりということになる。確かに頭 脳云々に到ってはおそらく先天的の要素が大部分であろうが、かく論じ来れば運命 節(Fatalisme)にも同意しなければならぬことになる。運命説が誤に陥っていると いうことは誰しも指摘し得ないことであるが、また(しか)るが故に真理であるというこ とを考える人間は一人もいないであろう。運命説に加擔せざる人ならば、正しく以 上の見解、即ち研究者の大成は先天的要素があるとはいわないであろう。後天的の 要素が彼をして大研究者に向上せしめたのである。

 ブッフォン Buffon は云う。

天才は辛抱強いという最も大なる才能に他ならない。

Le genie n'est qu'une plus grande aptitude `a la patience.

 携学の徒よ、安心して可なりである、事は定まっているのではない。才能と呼ば れるものも、結局心の持ち方一つである。棺蔽(ひつぎおお)うて初めて功績が判明するにおいて は、研究者は怠ることなく(はげ)めばよいのであって、熱意も生じて出来るであろうし、 この熱意を以て障碍物(しようがいぷつ)を打ち(くだ)いて進めばよいのである。 ムッソリーニも負けずに叫ぶ

敢えて行うものは勝つ

Vincer`a chi sapr`a caare.

この句を口ずさむところ、研究者は何人も大学者になれる。人は常に若い、而して学は 永遠である。

科学と芸術

 科学と芸術とは一見対蹄的位置に立つごとく見えるものであるから、科学者は芸 術を遊戯(ゆうぎ)のごとくに(さげす)み、芸術家は科学をあらずも(がな)所作(しよさ)と断ずる。しかし、こ れらはいずれも人間性に立脚(りつきやく)した崇高(すうこう)の所作であり、真と美に対する人間の創作た ることを信じて疑わず、かっ尊敬するに躊躇(ちゆうちよ)しないのである。即ち人間性中、美を 対象として(あこが)れる心も、理性的に自然に即さんとする心も、いかなる外力を以てし ても()(つぷ)すことは出来ないのである。これらはいずれも本能に起因される所作で あるからである。

 芸術家の養成については、その才能がまず問題となり、全く好きであるという出 発点があって、音楽家となり、画家となり、彫刻家となる。即ち芸術家になるには、 科学者のそれのごとく外国語を学び、数学を学び、実験方法を学ぶごときいわゆる 方法的(メソデイツク)な修練は見出されないことである。

 もちろんいずれの芸術家といえども、その表現方法に熟達するまでには相当の年 月を費して騨れ切る必要があるのであって、たとえば音楽家は一定の音楽教授所に 入って数年の日子を費して勉強し、卒業後といえども練習に練習を重ねなければ、 一流の演奏家として立つことは不可能である。とくにピアノのごときは一日の休怠 が早速演奏上の技術に差支えるとさえ言われている。また画家においても(しか)りで あって、日本においても数多の画会があって若い人々の絶えざる技術習得が行なわ れておるが、巴里においてはなおはなはだしく、ドニスのアカデミー、アマンジャ ンのアカデミー、何々のアカデミーと呼ばれて若き男女の修業者が堂に(あふ)れている という。即ち画家に志す人々は適当の年月の苦心を積まなくては、一流の画家と相 伍することは許されないのである。確かに芸術家にならんとする人々の、その道に 捧げる時間は、科学者の研究に充当する時間よりも大でこそあれ、小という事はお そらくないであろう。

 しかしながら、ここに問題とすべきは、方法的(メソデイツク)修練(しゆうれん)の有無である。確かに科学 のあまりに発達せざる十七世紀時代においては、以上の修練は多く必要でなかった かも知れぬが、今日においては自然を自ら研究する資格を得るには、相当の年月の 鍛錬(たんれん)を必要とするのであって、大学を出た程度では、未だ一人立ちが出来ず、進ん で数年の日子を費さなければ、研究者としての完成には達しないのである。

 この話が芸術家と科学者との鍛錬方法の異る点であるが、それはいかなる原因に 基くかといえば、科学の構成上の性質によるといえるのである。即ち科学は従来よ りの業績を堆積(たいせき)して一つの体系となす故に、より進んだ体系を構成せんとするに於 ては、その程度までの理解を必要とし、(しか)る後に各自の研究に着手(ちやくしゆ)しなければなら ないのである。

 芸術においても、先人の業績を(かえりみ)る必要は絶無であるとはいわない。しかしなが ら、東京美術学校の卒業生が、システン礼拝堂の、ミケランジェロの壁画を研究する 必要もなければ、マネーのオランピアの画の手法を知る必要もないのである。自己 単独に画刷子(パンソー)に油絵をつけて、絵面(タブロー)の上になすりつけることの出来る人ならば、一 芸術家と呼ぶ事は出来るであろう。

 これに反して科学者は自然を研究すべき方法を充分知っていなくてはならない。 物理学者においては、相当の数学、また物性に対する相当な知識、研究に要する測 定器械、器械の操縦法、従来行なわれたこの方面の業績等を少なくとも知らなけれ ば、極めて簡単と考えられる実験も行なうことは出来ないのである。即ち自然研究 者として修得する予備工作の極めて多いのは申すまでもない。

 芸術は人間性の中にある審美情緒(しんびじようちよ)を基にして生れ来たものであり、科学のなかっ た時代にもすでに繁栄(はんえい)し、今日の名手でもその程度まで拮抗(きつこう)し得るもののなきほど 最上級の階位に到達したものが見られる。また皿う禽隊の概伽を榊雛すれば、奈良朝 時代の文物に多く接することが出来るが、今日より以上と思われる工芸品の多くあ ることに驚くほかはないのである。芸術は温床(おんしよう)あればたちどころに発達するに引替 え、科学の進歩は全く(ちち)々たるものである。芸術は人一代にて最高峰に達するので あるが、科学は一大天才出ずるとも、当時審かにせられたる事実の外には一歩も踏 み出すことは出来ないのである。芸術が万人に訴えてその判断の実を得ることが出 来るのであるに反し、科学はある限られた人の鑑賞に待つほかはないのである。こ の故に、芸術の社会に伝播(でんば)すること早く、科学のいわゆる象牙(ぞうけ)(とう)蟄居(ちつきよ)して社会 と(ぼつ)交渉となるのである。

 芸術家の態度が科学者に必要であるか否か。一般の科学者はなんら必要なきを 異口同音(いくどうおん)に叫ぶのであるが、筆者の考えは衆口とは異なるのである。芸術家は外観現 象に対して極めて感受性に富んだ人間である。また理窟を考えることをしない。こ の中には科学者の大いに学ぶ点もあるのではないであろうか。

 画家が(とらえ)る風景は門外漢(もんがいかん)の全く気の付かぬところにあり、逆に絵によって風景が 教えられるともいえるであろう。また異様の風物に接しても、なんらその理窟をの べるのではなくして、体得の嬉しさをまず語ろうとする。即ち芸術家は自然外観に 対して極めて感じ鋭き存在であり、その見聞を形を変えずに承認する。

 科学者は一般に感じの悪いのを常とする。おそらく感じが悪いのではなく、充分 事実の正しさが切迫(せつばく)して来なければ行動に移さぬのであるかも知れない。科学者の 中にも感じのよき者は荊棘(けいきよく)の間にこぼれたる種までも拾うのであるが、一般は気が つかずに過ぎ行くのである。芸術家の理窟を考えない点もまた面白いのである。科 学者とてもまず事実の発掘を喜び、(しか)(のち)(おもむろ)に系統づける態度でよいものである のに、初めから系統づくべき理窟が先に立って、結局取り上げる期を逸してしまう のである。筆者はかつて次の句をものしたことがある。

我らを囲緯(いじよう)する自然は
美しき調和の対象である
科学者は自然の中にその調和を見出し
人々にこれを知らしむべき天職を有する
かるが故に科学者は自然に対して
あたかも芸術家のそれに比すべき
一種の感受性を必要とする
自然の調和の美を求める心
それは我らをして研究という行動を採らしめ
かくて自然はその風貌(ふうぼう)をますます美しく
目前に髪髭(ほうふつ)せしめるのである

 誠に科学者も芸術家も互に分野は異なるけれども、その心底の行動は互に相照す ところがあるのである。芸術家には天動説であろうが、地動説であろうが、関する ところは少ないであろうが、太陽系の調和ある運動を知るに及んでは、またその設 立に多くの人が力を(つく)して働いたことを思えば、自ら尊敬(そんけい)(ねん)()くと思われる。 我々は美しきラファエロの壁画(へきが)の前に立って、いかにも美の極致(きよくち)であることを考え ずにはいられないのである。限られた外郭(がいかく)の中に、躍然(やくぜん)たる人々、相互間の関係、色 彩の調和、誠に美の最高峰に遊ぶ思いをなさしめる。

 研究を発達せしめるには質の同じきものをあくまで追求して、いわば幅を拡げる 研究方法もあるが、まるで質の変った飛躍(ひやく)的前進を試みるものもある。前者は出来 上った器械をどこまでも用いて、種々の物質について実験を行なう態度である。た とえば、磁力計を作り上げると、鉄は(もと)よりニッケル、コバルトあるいはそれらの 合金について、温度、器械的取扱等を変じて磁力の変化を測定する。これは素より 磁力性に関して幅を拡げようとする行為であるに相違ない。また後者は一つの性質 が判れば、次にまた他の性質の研究の実験に移るというやり方をなす、磁性ある物 質についていえば、もはや磁性を単なる対象とせず、物質の比重変化を測定すると か、弾性を調べるとかその他異なった方面から追究する。かようの例はもちろん飛 躍的と称するには当らぬかも知れぬが、一つ器械で実験を繰返す者よりは、前進態 度が見られるというために挙げたまでである。

 筆者は以上二例の研究方法の優劣をここに挙げようとするのではない。ただ二つ の異なった方法を挙げると同時に、日本の人々によって多くは前者を採用しておる ものが多く、しかもそれが唯一の研究方向である等と考える人がいるならば、少し く目を前方に向けて欲しいと思う老婆心(ろうばしん)を卒直に申し述べるのみである。

 確かに、いわゆる飛躍的研究を行なうものは、芸術的情緒(じようちよ)を愛する人によってな されることを指摘し、自然研究の中に芸術的情緒を持てる人々が入り込むことが研 究を豊かにすることを考えるのである。筆者は芸術家がただちに自然研究に没入出 来るとは決して述べない。ただ今日、日本の科学者が今少しく芸術を真に理解する 人々が多ければ、今日等閑(とうかん)に附せられている研究方面の開拓が、よりよく行なわれ 得るであろうと思っているのである。要は今日飛躍的研究が欠けているということ である。この飛躍的研究は初めは従来の系統将外(らちがい)にあるために、旧套(きゆうとう)を持する一般 科学者から白眼(はくがん)を以て見られ、ややもすれば存在性が危ぶまれそうになるのである。 また一面にかかる態度を許すならば当然科学の旧系統が破壊されるものであるから 不安を感ずるからでもあろう。

 しかし、科学史を播読(はんどく)して、古来際立って著名な科学者の行為はいずれもこの道 程を経て来たものが多く、その誕生に当って誹諺(ひぼう)されぬものはほとんどないのであ る、他人に誹誘されることを恐れてはいけない。誹誇されるものほど、価値多いと 思うべきである。衆愚(しゆうぐ)の前には宝石も豆粒にしか価しない。確かに常に同じ方法を 用いて自然現象の測定に従事することは全く無駄(むだ)であるとは言わないが、大学を出 て研究の第一線に立つ最高指揮者の行動であるかと問われる場合には、(しか)りと答え ることに大なる逡巡(しゆんじゆん)を感ずるものである。

 要するに最高の研究者は常に思想を養って、飛躍的研究に進展することを心掛け、 自然現象に対してますます理解を深め、自然の風貌(ふうぼう)をますます(うるわ)しく取り上げ得る 手腕を発揮(はつき)しなければならぬと考えられる。 研究と教育 自然を研究する人を作ることと、 多くの人々に科学教育を(ほどこ)して文化人を世の中 に送り出すこととは全く種類の異なったものである。たとえば競技の選手を作って、 人間力量の最高峰を実現することと、体育をさかんにして健康な人々を作ることと の別があると同様である。学校は小学校、中学校、高等学校、大学と分れて順次の 過程を踏みながら、社会人として恥かしからぬ人間が養成されるが、研究者は果し ていかにして作られるか。教育すれば研究者が出来ると一般には思うかも知れぬが、 教育したからといって(すぐ)れた研究者が必ず出るものではない。さりとて教育をしな ければ研究者は絶対に出ないのである。(しか)らばここに両者の本質とその関係とが問 題となってくるのである。

 学校の教育はたんにその定められた経路(コース)を踏んで行くことであり、正規の試験を 通過すれば、それで資格が与えられ、卒業という順序になる。頭の悪いものでない かぎり、普通の勉強をすれば自然に大学は出られるはずである。もちろんある(クラス)に は頭のよいもののみが集り、ある(クラス)には頭のあまりよくないものが集る懸念(けねん)はなき にしも(あら)ずである。また時代的に見て頭のよき人々の輩出(はいしゆつ)することもあれば、さし て感心出来ない人々の輩出することもあろう。いずれにもせよ、組中で落第する人 数は少ないのであるから、凡庸人(ぼんようじん)も卒業出来ることになる。

 教育というものはある一定以上の学力、文化的教養を積めばよいのであって、お そらく傑出(けつしゆつ)することは要求されていないように見える。体育の問題においても、あ る種の課程をパスすればよいのであって、なにもラジオ体操が人並優れてよく出来 ても、体育という趣意からすれば必要のないことである。学校に於ても学業を教授 するのはいかなる目的をもっているかを考えて見るに、大学は大学令第一条に示すご とく決して職業に携ることとそれに必要な学課を学生に教授しているところではな いが、卒業生の大部分は教わった学問を基とした職業に携って生計をたてているの である。結果はともあれ、大学の教育はむしろ学生に一般的知識を授けて文化的教 養を漉養(かんよう)せしめると解して差支(さしつか)えないであろう。

 (しか)るに研究者の養成はこれと立場を少しく異にするのであって、正当の学課を修 めた上に研究能力の養成、即ち無形の争闘を必要とする。即ちもっとも優秀なる人 士を作って技を競わしめ、優勝劣敗が目の当り見えるのである。一刻の猶予(ゆうよ)なく自 然研究は進展しているのであって、うっかりしている中に敗残者となってしまうの である。長岡博士は随筆中に、

世の中にみじめな者は沢山あるが、(あわ)れなものは学問の落伍者(らくごしや)である。口を開いて議 論を()けば陳腐(ちんぷ)(そしり)を受け、引き込んでいれば死人同様、せっかく学んだ学問も筋道 を無にして進んでいくことに気づかず、一旦横道に這入(はい)って迷児(まいご)となり、これは間違っ たと気がつく頃には時代の尖端を走る学者の跡を追うても追いつかず、落担(らくたん)のあまり(つじ) 棲の合わぬ屍理窟を考え、そして再び嘲笑を買うような憂目を見ねばならぬ。現時の 物理学の進歩では往々(おうおう)この醜態(しゆうたい)暴露(ばくろ)しているが、スポーツに於ける落伍者と幾何(いくばく)の 差があろうか。

 確かに研究者はスポーツ選手と同様である。一寸も休むことは出来ない。すぐ後 から追いついて来る人があるからである。また落伍をしてしまえば、またふたたび 先頭に立つことは難かしいのである。スポーツはある期間を限って行なわれるに引 替え、自然研究は春夏秋冬絶えず行なわれており、研究者の数も次第に増加してく るのであるから、一刻の猶予(ゆうよ)も出来ない。ただし研究者の中には他人の追従(ついじゆう)をしな い、極めて縁遠い研究に身を(ゆだ)ねて得意然(とくいぜん)たる人も絶無でないが、これは常道から はずれた無風地帯であって、決して学が深遠であるのでもまた高潔であるのでもな んでもない。ただ競争者がないというだけである。研究室は正に競争場裡である。 世界の各人が(うで)(より)をかけて一番()けをしようと思って働いているのである。勝敗 は立所(たちどころ)でなくとも、幾年かの後には自然に明瞭(めいりよう)となるのである。自然研究者の養成 は学校教育のみでは出来ないのである。学校教育はその根本をなす場合もあろうが、 研究者の仕事は人間知力の金字塔建設のために働いているのである。功利主義の下 において自然を研究するのではない。自然そのものの構成が明らかとなり、それの 体系を人々に知らしめれば目的は達するのである。美しき調和ある自然、その構成 に対し我々の智識が増すべく努力すれば、それでよろしい。科学を()いて自然構成 を明らかにするものはないからである。

太陽は大空に運行し
大河は永久に海に注ぎ入る
厚き地層の音もなく海底に育てば
大地は震いつつ隆起(りゆうき)
人々よ何を(おも)うて低迷するか
自然永遠の像は
科学者の()まざる力もて
目前に展開しつつあるに非ずや

 哲人の教うるものは、自然の構成ではないであろう。これは科学にまって初めて 進展されるものであり、科学は正に自然像と呼ばれて差支(さしつか)えないものである。

 大学を卒業して自然研究に携るものは相当の人数である。しかしながら、卓越(たくえつ)せ る科学人になるものは極めて少数である。学校において学課の習得に極めて優秀な る成績であったものも、自然研究には適当しないものもあるに引替え、学課成績に ては頭角(とうかく)を現わさぬものが、三十五、六歳にて初めて優秀性を発揮(はつき)するものもある。 研究者には特別の勉強があって向上するということはない。研究者がいかに勉強し ても研究の精神は書籍の中には書いてはない。本を読むことによって知識は確かに 増加するであろうが、自然研究の要諦(ようてい)は結局正しき思想の下に自然現象を自ら探し 出すほかはないからである。もちろん研究者としての生涯の始まるのは大学を出て 研究室に入る時であるが、この時、よき指導者、よき伴侶(はんりよ)がなければ正しき方向に 進むことは困難である。この時機においてなんら方向づけられずに終ってしまうな らば生涯無為(むい)の研究者となり終るであろう。

 この意味において大学卒業後の三年間の研究生活は確かに人生の危機といわざる を得ない。麻中の(よもぎ)は助けずして直し、三ヵ年に研究精神を体得(たいとく)しなければ、地上 を()いまわる蓬となってしまうのである。

 また三十五、六歳になると各人の思想の表現が行なわれる。もしその思想が豊で なければその後の発展は難かしい。思想なければいかに技術を持っていても、一生 技巧を主とした職工然たる研究者が出来上るのである。もちろん優秀な技術は何人 も修得し置くべきものではあるが、これに加えて、その技術に活を入れる思想を必 要とするのである。思想は船の舵のごときものであり、また自然から研究題目を選 択する場合、いずれを()るか命令するものである。思想は先天的に定まったもので あるかも知れない。しかし、涵養(かんよう)によってその光を増すと同時に、ある時に大悟徹 底翻然(だいごてつていほんぜん)として階段的の進捗(しんちよく)を見せるものである。階段的の(さと)りはその日に出来たの ではない。平素(へいそ)永年の苦心が一日に報われたのである。この学究の精神を体得して いわば研究者の資格が備わったとも考えられる。

 研究の成果の中には偶然的要素もあるであろう。しかし、優れたる技術と科学的 思想の把握者(はあくしや)こそ、古今東西において(はず)かしからぬ学者の完成であると、豪語して も差支えないものである。

 この科学者の思想という問題は、とかく注意されること少なく、人間が生い立つ 中に自然(そなわ)るべきもののごとく考える人が多いようであるが、これは先天的仮定に 信を置くものの考え方であって、思想の修養的過程を忘却(ぼうきやく)した趣旨(しゆし)に等しい。悪心 を防げば善心に立ち戻る、善心も(みが)かざれば悪心と同等である。心の働きを正しく 持することによって、我々の行動は正しく、進展もし、飛躍もする。自然研究の根 本は心の問題であり、思想の研磨(けんま)である。

 筆者はかつて一友人とともに京都大徳寺(だいとくじ)に太田老師を訪問したことがある。折悪(おりあ) しく老師は不在であったのは遺憾(いかん)であったが、(ふすま)に、

  仏法は水中の月

なる句を見出した。なるほどと二人は顔を見合せたのであったが、その後東京に帰っ て来た。それからしばらくしてその同じ友人とあった時に、彼は次のことを筆者に 語るのであった。

  科学というものは人間の人格レンズを通じて、壁上に映じた写像である。

  人格が曲っていては正しい写像は得られない。

 彼は大徳寺で悟道(ごどう)を得たのである。科学は正に自然の映像である。個々の人間が 作り上げたものである。もし私欲があったり、小利に目をつけると自然は曲ったも のとして映像が作られる。この点は道徳者のそれのごとく、心の持ち方に於てはな んら変りはない。自然から事実を摘出(てきしゆつ)して科学像を作り上げる場合に正しき思想の 下に、自己を(めつ)した行為で働かなければならぬのである。 研究と読書

 研究者は他人の業績を知るために専門の学術雑誌類を読むことは必要である。ま た専門学の単行本が屡々刊行されるのであるから、それも読むことは必要であ る。これらは研究初心者にはとくに必要なものであろうが、その読み方を見るとど うも()(ちが)えて、本の中に真理が伏蔵(ふくぞう)されておるかのような態度で、目を皿のごと くにして読む人を見受けるが、それは考え物である。

 いかなる本、たとえば教科書のごときものでも、自然研究の目的に対しては、書籍 は結局案内書のごとき役目しか持っていない。研究の行き道を示してあるまでであっ て、その手引きによって目的地に到達するには便利であるが、実相はその上におい て充分活眼を開いて見ることが必要である。いかに良き本であっても、書いたもの は他人であって見る者は自己である。実物に即しての見方は違うのが当然である。

 今、中禅寺湖(ちゆうぜんじこ)華厳(けごん)(たき)を見物に行こうとするに、それには案内記のあることは 便利である。人に聞き聞き行くよりも、案内記を読めば間違う事なく、滝壼(たきつぼ)までも 行けるのである。しかし、実際滝の前面に立って、水煙の立ち昇る景色、水が互に 衝撃(しようげき)して百雷のごとき(ひびき)を立てる状景は、その場所に行った人でなければとうてい 想像することも覚束(おぼつか)ないのである。 自然の研究も正にそのとおりである。教科書を非常によく読んだといっても、実 状を体得することにはならない。おそらく本を詣しく読んで教壇上から学生に話を 伝えることは出来るであろうが、実際その有様を体験上から話せることは出来ない。 確かに研究者の話は狭いかも知れぬが、実際に即したものであり、読んだものを伝 えるのとは違うのである。自然研究には多くの書籍を必要としない。各自の手で器 械を作って、それで自然現象を研究し、その中から事実を取り上げればよいのであ る。むしろ研究本旨からすれば本の必要はないのである。

 古来日本の学問においては書を読むことに絶大の価値を置いたように見える。読 書酢っ嵐意自ら通ずとか、瞬岩縦翫に機すとか称して、書の中に真理のあるごとくに 教えてきたものである。書を大切にするという考えは、全く儒教(じゆきよう)の影響、とくに朱 子学派の主張のごとくである。朱子は南宋の学者、四書五経に註するを以て終生(しゆうせい)の 事業となし、これを研鐙(けんさん)することによって、聖人の域に達すると考えた。この考え が日本にも弥漫(びまん)したのであろう。書を読むことが有徳者たるの資格を有するものと 信じ、かつそれを鼓吹(こすい)したものである。

 徳川幕府が朱子学を以て国学と定めたことの一面には四書五経中に示されたこと を遵奉(じゆんぼう)して、決して異説を立てない方便にも採用したのであろうが、結果学者の盲 目的読書癖をつけるところとなったのである。その結果としてたとえば漢学の試験 のごときも、漢文がいかによく読め、いかによく書けるかというを試みるに非ずし て、伏字(ふせじ)試験として一字、二字、三字という風にある古き有名な文章中の文字を隠 し、しかも読め得るものをして、及第を決したという。これは正に暗記試験に比適 するのであって、漢学に暁通(ぎようつう)しているか(いな)かを試すのではなく、漢書を暗記してい るか否かを試すものであったのである。

 今日かかる試験のあったことを言えば何人も唖然(あぜん)たるものであるが、自然研究者 にとっては全く不必要な読書方法である。これに反して南宋の学者、陸象山(りくしようざん)の言句 には極めて適切なるものがある。

  学(いやし)くも本を知れば、六経は皆註脚なり。

 と観破(かんば)した意気は、我々をして粛然(しゆくぜん)たらしむるものがある。象山は朱子と時を同 じゅうして生存した学者であるが、その態度に於ては対蹄的立場にあり、その教え の後継者としては王陽明(おうようめい)が出で、日本にも陸王学を奉ずる人士中には卓越(たくえつ)せる人士 の輩出を見、国家を危難から救った例は国史を(ひもと)けば直ちに判ることである。しか もこの思想は革新的思想であるという(かど)で、徳川幕府は国学として採用しなかった ところであるが、維新の大業に加担(かたん)した人士はすべて陸王学により修養した人のみ であると称して差支えないのである。日本に於て陽明学(ようめいがく)を初めて鼓吹(こすい)したものは中 江藤樹(なかえとうじゆ)であって、その言葉にも、

  天地の間に己れ一人生きてあると思うべし。天を師とし、神明を友とすれば、外人に 頼る心なし。

 といって、自らの行動に依存的思想を排除(はいじよ)しているのである。この意気こそ自然 研究者にもっとも大切なことである。いたずらに読書に没頭(ぼつとう)しても無駄(むだ)な場合が多 い。自然現象の中、我々が今日知っておることは極めて小量である。その小量を問 題とするよりも、隠れたる大量の解明に(つと)むべきである。筆者は過去の成果を整理 して学を講ずるものに対してあえて反対はしない。しかし、自然研究者の態度は自 ら異なったものでなくてはならない。ニュートンの言に、

余の労作に関して社会は何と見るか知るに由ないが、余自身より見る時は、自分は(かい) (ひん)に遊んでいる子供のごときに過ぎないのであった。ある時には他の石よりも輝いた 小石を見出し、ある時には他の貝殻(かいがら)よりも美しく色づけられた貝殻を見出したりした といえども、しかし(はて)の知られない真理の大海はまだ極め尽されないで余の前に拡く 横たわっている。

 とある。自然研究者は真理の大海に船出しつつあるのである。これにはこの羅針盤(らしんばん) と舟の舵とがしっかりしていればよいのであって、なんら書籍は必要ないのである。 書籍は一方に先人の業績を知るに役立つものと、研究に乗り出す案内書および辞書 があればよいのである。

 自然研究の要旨(ようし)は自力的分子の充分含まれているものであって、自分の力で困難 を克服(こくふく)し進行を継続するところに意義があり、全く依存的思想を排除(はいじよ)するのである。 この思想から出発するものであるから、ある場合にはその(へい)として自己の考えが最 良なるものとなし、排他的行為(はいたてきこうい)となる。これは大いに(つつし)むべきものであって、常に 他人の事績に対して注意を(おこた)らぬことは必要であり、これと同時に一層研究史を読 むことが奨励(しようれい)されるべきであり、科学史の研究が今一層(さかん)になることが望ましい。

 しかしながら、今日科学史を研究する人の中には、いわゆる第一線の研究に立っ てもっとも活躍する人士の氏名を(いつ)する傾向があるために、科学史研究団体なるも のが、不活澄の(そしり)を受けぬとも限らないのである。また科学史それ自体がいわば骨董(こつとう)的存在のごとくに白眼視されるのも事実である。科学者として立つならば自然を 研究すべきであるのに、科学史に浮身(うきみ)(やつ)すのは感心出来ないという人がある。ま たこれは第一流学者のなすべき仕事ではないと附言する人もある。

 ともあれ、科学史の必要は充分認められ、またこれを読むことによって、適進(まいしん)自 然研究に携るべき原動力を附与されることは事実である。なかんずく科学者の伝記、 研究の生涯など全く感銘を受けずにはいられないのである。この意味に於ては読書の 価値を充分認める者である。

 以上のごとく自然研究者の心を磨き、技術を向上せしめるものは、自然研究にあ るのであって、読書により直接進展が行なわれるということはない。もしありとす れば、これは初学者で未だ技術の習うべき点があるからであろう。研究者はむしろ、 多少方面の異なった本により稗益(ひえき)されることが多いのである。他学科においては異 なった手法、異なった器械のすでに開発されたものがある。これらを知って自身の 研究方法に資することも出来る。しかしながら、斬新(ざんしん)のものは、すべて学術雑誌に より報告されておるのであるから、それを読めばよいのである。また英国のある物 理学者は一切学術雑誌も読まなかったそうである。それは雑誌を読む暇に働く方が 先へ進めるという理由であった。尖端(せんたん)に達すればかようなやり方も是認(ぜにん)されるので ある。一般読書の要は先入主を作らざることと、案内書程度と思っていることが研 究者には適当のことである。 研究と器械

 自然研究者は自然現象の中に事実を認める行動から出発する。人間の感覚には限 度があり、また数量的に指示することが出来ない関係上、器械の助けを借りなけれ ばならぬ。即ち現今の研究者はほとんどすべての場合、器械を採用して観測、実験 に当るのである。ある学部門では器械を用うることの出来ない性質のものもあるか も知れぬが、器械を使用しないことのために進歩向上が止ってしまったと思えるも のさえある。器械は確かに現今科学の進歩に欠くべからざるものである。即ち、自 然研究は器械製作から始まると考えても過言ではないのである。

 今日既製の器械もあるからそれを用いても研究出来ないということはないが、既 製器械は多く現象の研究済みであって、その器械によって新事実の摘出(てさしゆつ)を多く望む ことは出来ない。新器械は研究者の手で作らなければならぬということにもなる。 もっとも根本的の器械はとうてい研究者の作ることの出来ないものである。かかる 器械に属するものはいわゆる工作機械、尺度類、望遠鏡、顕微鏡、天秤(てんびん)、電流計類 である。これらを作ることははなはだしき労力を要するものであり、製作専門家が 製作しなければほとんど不可能である。この種の根本器械類は既製品を購入するほ かはないが、その他のものは多く自ら製作すべきである。即ち、かような根本器械は 少なくとも実験を主とする研究室にはぜひ備えて置くべき必要があるであろう。

 器械の製作に始って器械の採用は我々の感覚を補助、あるいは新感覚に役立つも のであるから、一面から見れば窓のごときものであり、この窓を通じて我々は自由 に外界の景色を眺めることが出来るのである。筆者は器械を窓として考えたことが あったが、今日では今一歩進んで器械を眼であるとも考えるようになった。これら 器械は正に感覚の一部分とも考えられる仕事をするからである。

 しかしながら、器械はあくまで器械で、その働きは正に人的要素が加わらなけれ ば完成されないのである。現今の器械は現象を写真に写し、器械的に記録して、そ の得られた記録を後になって充分の時間をかけて測定する便宜(べんぎ)が得られると同時 に、当時の有様がそのままに固定されて記録されてあるので後の証拠(しようこ)ともなるので ある。現象が記録されることは確かに便利である。

 地震計を造っておけば、地震学者は安眠することが出来る。地震が夜中に起こっ ても、すべての震動は地震計が記録しておいてくれるのである。温度の記録、圧力 の記録等も器械が絶えず記録してくれるので、人々は後になって検出すればよいの である。

 記録し得るものはすべて記録しておくのは全く器械のお蔭であり、これによって 自然研究がますます確かにかつ容易になるのである。

 また人間の感覚によってはどうしても検出出来ないものをやりとげるのである。 人間は一ヵ所に位置を占めているほかはないが、器械を二台作って二ヵ所に置けば 二ヵ所の有様が同時に判る。これは記録器械のお蔭である。

 天秤(てんびん)の能力も、これによって始めて質量(しつりょう)の比較が出来たという歴史をもっている のであって、フロジストン説を永久に駆逐(くちく)してしまったのである。金箔検電器はラ ジウムを析出するに役立ったこと等は人間の能力以上の働きをしたのである。今日 ではかようの働きは自然研究に欠くべからざるものとなった次第で、これはあたか も眼無くして研究が出来ないということと同じである。

 器械の働きが全く我々の感覚を超越(ちようえつ)して、外界自体に現象のあるということをな したのも大なる功績である。このために初めて物理学の発足が生じたともいえる。 ガリレオは一五九七年に寒暖計を製作して温度の上昇に伴って、液体が管中を上昇 することを認めた。この現象は正に寒暑の差が人間の感覚に訴えて初めて判るもの と信じていた人々を驚かしたのである。即ち我々の感覚に頼ることなく、すでに外 界に温度の差を示すものが、出来上った次第である。これは我々の感覚を通じての み外界があると信じていたことの非なることを教えたのである。ここに物理学の第 一歩が創生されたと考えられるであろう。即ち外界の現象を認めるに我々は感覚を 仲立として認めているのであるから、感覚の誤差(ごさ)によって、外界がいかにも変化し そうであるが、寒暖計の示すところは我々の皮膚感覚とほとんど平行な液体の昇降 を以て表わせるということである。この点は正に物理学の根本観念を確立したとも いえるのである。

 器械の役目は現在ほとんどすべての現象を目の感覚に持ち来すところにあるよう である。本来目に訴えるものとして遠きものは望遠鏡を、小なるものは顕微鏡を採 用する。電流の大きさは電流計の針の振れ、時の長さは振子の振動回数、重さは秤 量器械の示針等いずれも目に訴えた長さの量にて帰着されるのである。目に訴える ことのみが自然現象の測定ではない。音の振動数の判定はよく訓練された耳ならば コンマまでも比較されるというし、指先による振動体の振幅は、〇・一ミクロンま でも達せられるという。あえて視覚に持ち来す必要はないのであるが、現在の物理 学においては視覚に転換せしめることがもっとも高尚(こうしよう)なことのごとくに信じられて いる。

 確かに視覚に持ち来すことは判定方法として安全であり、一船に誤差の少ないこと も事実である。ただし聴覚、嗅覚、味覚に訴えた物理学も出来てよいのである。こ れにも適当の器械を用いて到達することが出来るかも知れぬ。要するに器械の使命 は、外界の現象を単純になして、我々の感覚に訴えしめるものである。

 したがって器械は単に我々の感覚延長であって、全く方便に過ぎぬものである。 即ち器械を製作することによって我々の感覚が精鋭(せいえい)されたと同じ訳である。器械は あくまでかかる意味において製作されるのであって、器械を作る事は未だ研究でな い、その器械を使用して、自然現象の中に事実を認めることから、研究が始まるの である。望遠鏡を作ったり、顕微鏡を作ったりしても、これは科学者といえないの は当然のことである。

 科学器械は以上のごとく今日においてはもはや我々の感覚の一部分となったと考 えても差支えないもので、器械を用いたから気分を害すの、器械を用いないから神 秘だとかいうことは科学の領域の中にはないのである。ゲーテは器械の採用を好ま なかったものと見えて、「顕微鏡と望遠鏡とは実は純粋な人間の感覚をかき乱すもの である」といったが、現在そんなことをいう人はないのである。器械はあくまでも 用うべしであり、器械を通じて我々は自然現象を見なくてはならぬとさえ言えるの である。したがって器械の性能の吟味が充分されてなければ、たとえ測定し得た量 であろうとも役には立たぬこととなる。研究者はまず実験器械の性能を調べてから 実験に取りかかることが必要である。 研究と労作

 自然研究に当っては人々は極めて多くの労作に時を費さなければならぬ。一つの 事実を認めようとする場合においても、出来るだけ四囲の状況を確めてみてようや く一つの事が判明する場合が多くて、これだけの労力は決して(いと)ってはならぬ。し かも事実の穿整(せんさく)のみが科学の要素ではない。得られた事実を系統統轄(とうかつ)することもも ちろんである。このためにはたえず考えていなくてはならぬ。すべての事実を系統 立てる行為は頭の中の仕事であって、決して目には見えない。したがって外観的に 遊んでいるごとくに見える場合もあろうが、むしろこの頭中の労作ほど偉大なもの はないのである。また頭中の労作は目に見えないために、これをよき(さいわい)として、獺惰癖(らんだへき)(おちい)る学者もまた絶無とはいえない。ともあれ、自然研究者は一方に体力的労 作をなすと同時に、他方に精神的労作を常に行なっていなくてはならぬのである。 前者は事実の探索(たんさく)に当り、後者は仮説を以て系統づける行為に当るのである。

 およそ研究者は労を(いと)うものではないが、ある場合には研究の岩壁に()き当った かのごとく、一歩も前進出来ない破目(はめ)に陥ることもあって、全力をつくしてあがい てもなんら効果ないことがある。この時は果してどうすればよいのであろうか。

 かようの境地はいかなる研究者といえども味わったことがあろうと思うが、筆者 の経験によればそれは研究者の力の足りない故に原因するとも考えられる。即ち取 組むべき角力の相手が強すぎるのである。力弱きものはそれ相当の相手を選んで取 り組まなくてはならない。学校出たての若い研究者は容易なものから手をつけるこ とが必要である。いたずらに大望を抱いて古来大学者の列に加わらん等と考えるこ とが貯嵐いのもとである。たとえばアインシュタインのごとき大学者の業績を調べ て見るに、二十歳頃から一ヵ年平均十個の論文は発表している。しこうしてその中 最高峰たるべき相対性原理も含まれているのである。彼の美事に踏破(とうは)した最高峰に 登らんと試みる研究者の意気はよろしい。

 しかし、いかなる山岳登撃家(とうはんか)も、ヒマラヤ山を克服(こくふく)する前に比較的低くしかも容 易な山に登って、自己の能力を高めてから、ヒマラヤ山に戦を挑むのが順序である と思われる。いたずらに暴虎漏河(ぼうこひようが)の勇気を以て突進しても、決してヒマラヤ山は征 服することは出来ないのである。

 自然研究も同様である。初めから諸大家の業績に(あこが)れることはほとんど危険であ る。自分の能力相当の仕事をなすべきである。かような仕事をしている中に、腕前(うでまえ) もあがってくるし、経験も積む事によって、次第に困難な研究も出来てくるのであ る。筆者が研究に従事したばかりの時であるが、研究の成果の出来上ったものは極 めて少なく、十度に一度位の割合であった。その中に経験も積み、手法も向上した のであろう。現在にては十度の中九度は成功するようになったのである。しかもそ の労作はほとんど同程度でありながら。

 この頃若い研究者に向っては、まず十編の論文を書くことを試み給えという、そ うすれば研究者として一応待遇(たいぐう)されることとなるから、また死ぬまでには百編の論 文を書いて見給えという、そうすればその中、二、三編は人に負けない良い論文が 必ずあるに極っているからという。誠に一生百編の論文を書くことは労作である。 二十年間働くとすれば、一ヵ年五編程度の論文を書くこととなる。これは生半可(なまはんか)の ことではやりとおすことは出来ない。人々はいうかも知れない。もし以上のごとく に働いたら体を壊すか、あるいは粗製濫造(そせいらんぞう)(そしり)は充分受けると。この点に関しては さようの心配はあるかも知れぬが、働いたが故に病気となるのは、働き方を知らな い人の言うことであるし、粗製濫造のものが果して発表出来るか、これは研究者の 良心に待つほかはない。慎重(しんちよう)なるべきものは、かえって悪いことがある。自然研究 に充分以上の慎重を以てすれば、一生涯一編の論文も書けぬこととなる。慎重貴ぶ べし、過ぎれば害毒ははなはだしいというほかはないのである。 自然の研究に無駄骨(むだぼね)を折ることは屡々である。いくら働いてもなんら効果を (もた)らさぬ研究がある。これは初めの研究すべき対象の選定が悪かったということに もなるが、およそいかなる問題が効果的であるかという反問も生ずる。この問題に 対してはポアンカレーの言えるごとく(かたよ)らざる公正なる思想を以て事に当るには違 いないが、末梢的研究と根本的研究との差は充分あるはもちろんのことである。

 これらの判定は人々の思想傾向の問題であり、また趣味であるともいえるのであ ろう。一般に見て根本的研究に携ることは人々の望むところであるが、研究者の趣 味、性格的に末梢的(まつしようてき)のものに興味を有する人もないではないのである。考え方によ れば、これも絶対役にたたぬということはない。しかし、同じく労作するならば効 果多き根本的研究を遂行(すいこう)すべきである。少なくとも科学は新事実を探し出し、これ を従来の系統の上に建設するものであるから、従来の系統をより多く拡張する態度 は充分もっていなくてはならないのであり、この気持の下に労作に従事しなければ ならぬのである。

 人々の意表に出でんとする希望が念頭にあるあまり、従来の系統に無関係に建設 を行なわんとしても、この行為はかえって学界の嘲笑(ちようしよう)を招くほかはないであろう。

 自然の研究は科学の発達として世界的仕事でもあるから、国際的に協調すること が一面に極めで必要である。このために研究結果は世界的に読まれる国語を以て記 載する必要が生ずる。したがって自然研究者は外国語が読めるばかりでなく、書く ことが出来なければならぬ。日本人は中学時代から英語を習う関係上、英語がもっ とも得意である故、得て英語のみが世界語の感を深くし、欧洲を旅行しても英語で 押し通そうとする。英語を知っていることははなはだ結構(けつこう)なことであり、学術論文 も英語で書くことは国際協力の目的を達する上に役立つことではあるが、英語のみ が国際語でないことは充分知っていなければならぬ。たとえば測地学、地震学、火 山学に関する国際中央局の刊行物の表題は決して英文で書いてはない。英語のみが 世界的に通用する言葉でないことは明らかである。英語を以て論文を(つづ)る労作もま た必要には違いないが、それだけでは学者は未だ足りないのである。 「学者と外交官は仏語が出来なくては駄目である」という言葉は去年伊国を巡遊(じゆんゆう)し た時外交官から聞いたものである。確かに自然研究者は自然研究ばかりに堪能(たんのう)で あっても、外国語が出来なければ、国際的に自分の意思を発表することが出来ない のであるから、外国語を理解し、外国語で発表の出来る程度の勉強に労力を費さな くてはならない。自然研究者は一生を費して、この道に精進(しようじん)するのであるから、そ の中の数年を語学勉強に充当するも決して惜しくはないのである。要はその決意一 つである。

 以上のごとく自然研究者は常に自然現象に力を(つく)して、常に現象に注意すること に仕向けられればよいのであって、初めの中は少なくともつとめてその行動に()ら されることが必要である。野騨忘るる事なく自然現象の探究が念頭にあって離れな ければ、自ら研究の進捗(しんちよく)が見られる。またその目的のためにはなんでも勉強してか かればよいのであって、この傾向が習慣となれば必ず一世の大学者となれるのであ る。労作なきところに学なし、古来の自然研究者にて怠惰(たいだ)なるものの大学者となっ た例はない。しかも目的ある努力は一生中継続することはむずかしい。博士になろ うと思って努力するもの、賞牌(しようはい)を貰わんがために労作するもの、これらはその目的 が達すれば勉強を放棄(ほうき)するのである。外観的にはいかに努力と見えても内心は楽し んで学に携るものは、後世恐るべきものとなるのである。論語に、

  之れを知る者は之を好む者に()かず

  之れを好む者は之を楽む者に如かず。

科学と功利

 科学が役に立つか、立たぬかの議論が屡々なされるが、科学研究者以外の人々 はほとんど自然を研究すれば直接役に立ち、また直接役に立つ科学が研究価値ある ものと考えている。科学は以上論じたごとく直接役に立つことを目的として研究し ているものではなく、自然現象を闡明(せんめい)するところに科学の本領があるのであって、 その研究が、直接役に立てば幸であるが、直接役に立たずとも価値がないというこ とはない。ただし末梢的研究は役に立っても、科学的に価値なきものもある。自然 現象の中には理性的に闡明(せんめい)されない部分が極めて多いのであって、その本体が明ら かにされることによって、必然的に応用方面の道も開かれてくるのである。したがっ て既知(きち)の現象を(とら)えて応用的、功利的の傾向に移すのも結構であろう。しかしなが ら、この場合自然研究者の態度とはおのずから異なったものになるのは当然である。

 しからば自然研究者のなすことは全く社会には意義なきことのみであるかという と、これは全く文化的、精神的の問題であるといえる。社会的にもっとも縁遠しと 考えられる天文学についていうならば、天文学の中には時刻の研究がある。しかも 一秒の千分ノ一までの議論が今日()されているという状況にある。しかるに社会的 の実状からすれば、一秒程度の時間の差は現在は不必要であって、汽車の発着など も一分を単位としているくらいである。また運動競技用の時計にしてもようやく一 秒の十分ノ一を(はか)る程度であるから、一秒の百分ノ一、千分の一を測ることは必要 はないと考える人もいるであろう。しかし、これは立場の相違であって、必要説と 研究説との差異から生ずる結果である。

 人々には理想というものがあることは誰しも知っている。この理想に即して我々 が行動することが人間至上の徳行とされており、道徳が我々の行動を純潔ならしめ るのである。世の中には道徳などはない、金を(もう)ければよいと考えている人もあろ う。また衣食の事が(さき)である、なんら道を聞いても仕方がないという人もあろう。 即ち「衣食足って礼節(れいせつ)を知る」とか、「恒産(こうさん)なきものに恒心(こうしん)なし」とかいうことが言 われているごとくである。したがって功利説者に対しては道徳の美しきこと、理想 の存在ということは説いても無駄(むだ)である。まず衣食を足らしめよである。

 科学者には理想がある。人間の出来得べき最高峰まで昇りつくさんとするのであ る。理性的に現象を究めつくすまで働きたいとするのである。これはおそらく人々 が本能的に持っている欲望であろう。かような欲望の前には、必要性も功利性も眼 中にはないのである。やむにやまれぬ精神的行動というほかはないのである。人間 の文化向上のためにつくすのであって、自然現象を聞明あるいは学を保つために努 力するものである。

 人間はもちろん衣食を得んがために働かなければならない。科学者も人間である ために生活をなすことが必要であるが、食うために働くのには非ずして、働かんが ために食うのである。芸術家は己れの作品を(ひさ)ぐことによって衣食の道を講ずるが、 学者は教壇に立ってようやく生活するが、これは本領ではない。ある学者のごとき は教壇に立つことが本領と思っているが、かようの人はよき教育者であっても、よ き科学者と呼ぶことは出来ない。教育者にも厳然(げんぜん)たる本領があるものであるから、 決して卑下(ひげ)するものではないが、科学者としては当然自然研究に没頭(ぼつとう)するものを指 すのである。

 功利論者のいうこともなんらか国家社会に奉仕してこそ学の存在理由があると主 張するであろうが、これは別個の人間、あるいは科学者が本領を替えて働いている のである。科学者が自然闡明(せんめい)のみに立ち(こも)ることに相違ないが、応用学、社会国家 に直接ためになる仕事をなす場合には科学者という立場からは離れているのであ る。あまりに心を狭く持って、自分は科学者である、他のことに携ることは真平御 (まつびらごめん)であるという科学者もあるかも知れない。また科学的根拠から出発して社会国家 に稗益(ひえき)する行動をとる学者もあるかも知れない。これらは人々の適、不適、あるい は性格の然らしむるところであるというべきであろう。

 科学者には確かに本領があり、自然を研究する事に対して天職を感じており、ま た感じていればこそ、衣食の心配をすることなくして、各自の仕事に没頭(ぼつとう)出来るの である。即ち科学者は人間文化を高めんとする精神的労働に甘んずる種類の人間で ある。したがって功利的の仕事に触れないばかりか、精神労働が応酬的に金持にな ること等も夢みていないのである。しかも自然研究に数十年携って克ち得ることは 自然研究に必要な思想とその手法とであって、汲々(きゆうきゆう)としてこの()の為めに尊き人生 を(ささ)げつくして(くい)ないのである。この科学者の高き理想はなんら曲ぐべきものはな い。ただしある科学者に対して、一向つまらない研究に没頭(ぼつとう)しているという非難は どこから起こるのであろうか。

 考うるにこれは科学者の力量と思想問題とである。いずれの人達も科学の根元に 携る研究をしたくは思っていても、些々事に気が奪われてその方の研究に突入して しまうのである。自然現象はどこにもあり手当り次第である。この中に研究対象と して撰択せしめるものは、各自の脳中に介在(かいざい)する思想の命令である。したがって、 些細の事にても研究は研究なりと考える者は、好んでもかかる研究に没入するので ある。

 ある学者は些細の事にても研究しておけば何か役に立つというが、科学の本流が 方向を替えるに於ては一切役に立たぬことも生ずるであろう。些細の研究は必要が 生じてからなせばよいのである。また力量が足りない時においては、本源的の研究 が出来ないで、容易な小さい問題を捕えてお茶を(にご)しながら、研究者として職責を つくす態度を示しているのである。かような研究に対しては、少なくとも具眼(ぐがん)の士 はその成果に対して鑑賞的情緒(じようちよ)発露(はつろ)せしめないのである。

 科学は人間精神的労作であり、これに接する場合一種の美的情緒を感ずべきもの であり、この情緒あればこそ、そのところに尊敬(そんけい)すべき、理智的美感を生ずるので ある。しかもその鑑賞を生ぜざる労作は価値的に劣ると称せられても致し方がない のである。科学は正に芸術に対するとほとんど類似の感情を以て律し得べき点が多 いのである。芸術に美を感ずると類似の感情が科学に接する場合に起こるものでな ければ、科学の価値は云々(うんぬん)することが出来ないのである。この心持は人間根本の本 能的処作として存するからであろう。

 自然の研究は本能に立脚(りつきやく)しているのであるが、これは精神的の所作(しよさ)であるが故に 尊く、またこれをどこまでも発展せしむべきものであると信ずる。人間には道徳も あり、理想もある。これらはいずれも精神的行動であると同じく、自然研究はただ 精しく写真のごとく、自然をそのままに叙述することではない。もちろん事実とし て自然現象を明らかに誤らずに見ることは必要であるが、その事実を基にして系統 を組み立てるところに自然研究の本領があるのであって、これ即ち精神的労作にほ かならぬ。一切功利的行動を脱却(だつきやく)して自然の風貌(ふうぼう)を画き出すところに理想を持って いるのである。学者は貧に甘んじ、素を保ちて精神生活に精進しているのである。

 自然中の事実をただ報告するものは、科学者として低級のものであって、かかる 人間の多きためにややもすれば、科学者なるものは自然現象を克明(こくめい)に叙述するもの、 正確を主として働くものと思う人もいるであろうが、これは善意に解釈しても、科 学殿堂の建設に於ける石材の運搬者程度の役目をするに過ぎないのであって、設計 者の精神生活、石材の積上に関する力学的計算等がなければ、結局建物は出来上ら ないのである。かかる行動を無視したる科学は全然成立しないことを知らなければ ならないのである。

 かように論じ来れば科学は全く功利主義とは歩調の同じく採れないものであるこ とは判明するであろう。即ち二者は別個のものであるが、自然科学的研究の結果は 人生に役立つものの随時(ずいじ)に生ずることも確かである。利用すべきものは大いに利用 して、人間生活の恰懌(いえき)を満し、苦悩を減ずべき方法を講ずべきである。

 しかし、科学者の本領はあくまで、精神生活であり、自然微妙の境地に俳個(はいかい)して、 調和ある自然の美しさをますます(たた)え、 いものである。 ますます系統づけることを念願して止まな 研究と学徒

 高等学校から大学に入ろうとする時悩むことは、理学部に入ろうか、工学部に入 ろうかという問題である。それにはもちろん家庭の事情もあって大学を卒業すれば ただちに家庭の経済を見なければならぬから少しでも余分に収入のある方に行こう という人もあろう。また家庭は裕福であって、なんら生活に差支えないから一生学 問の研究に身を捧げても差支(さしつか)えないという条件の人もあるであろう。

 しかしながら、これとは別に今一つ考えさせられることは、果して自分の能力が 一生学問をなすに適するであろうかという問題である。よく高等学校を経て大学に 入学せんとする人に聞かれることは、この問題である。筆者はかかる質問に対して 直ちに答えることは、「頭が人並であるならば差支えない、ただし学が好きであるこ とがより以 必 である」と答える。自然の研究といっても、これは人間の行なう ことである、難かしいには違いないが、人の出来ることで自分に出来ないというこ とはない。また自然研究の中たとえば物理学の中にも色々な部門がある。難解(なんかい)な数 学を使うのみが研究ではない。むしろ自然現象を熟視(じゆくし)してその中に事実を認め、こ れを単純の方法で取り上げることが科学を発達せしめる重要な因子であるから、自 然現象に執着(しゆうちやく)を感じ好きであるならばそれでよろしい、やりたまえと付け加える。

 大学の使命は奈辺(なへん)にあるか、学の蘊奥(うんのう)を極め、人格陶冶(じんかくとうや)にあることはもちろんで あろうが、その目的を達するための手段が、学生生活三年間に完成されるとはだれ しも考えていないであろう。考えられることは三ヵ年は準備時代であって、卒業し てから人格的にも技術的にも優れた自然研究者として立つことが要望されるのであ る。正に自然研究は一生を費しても未だ足りないのである。たんなる努力主義、功 利主義を以てしてはとうていやりとおすことは困難である。心から好きに生まれた ものでなければ、自然研究者にはなれないのである。自然研究を夢寝忘ることの出 来ない人でなければ、やりがいがないのである。

 自然研究者を見ておると、学生中は秀才として(うた)われ、これほど頭の明敏なるも のはまたとあるまいと信じられた人間が、だんだん年をとるに従って、才能現われ ず、研究者として凡人化する例は多いのである。(おも)うに学生中の優秀さは何か目的 があって、努力をした結果であろう。両親を喜ばすためとか、自己の単なる野心を 満足せしめるためとかで努力を重ねていた結果であろう。この目的が達成されれば、 もう努力する必要がなくて凡庸化(ぼんようか)するのである。

 これに反して、学を好むものは、たとえ在学中の成績はいかがあろうとも、その 研究は常に続けられ、何歳になっても絶えることはないであろう。研究は一生の事 業である、十年二十年で終るものではない。この故に最後の勝利は絶えず、中絶し ないものに与えられるのである。

 また年の経過とともに家庭を持ち、家族を養うに於ては勉学の気勢の()がれる者 がある。家庭の雰囲気というものは極めて大切なものである。学を尚ぶ風潮がなけ れば、いかなる剛気(ごうき)の研究者といえども学より遠ざかる傾向に引きずられる。博士 にもなった上は、そう汲々(きゆうきゆう)として勉強することもいらない、身体を大切にして長命 することを心懸けては等と、家庭ではいう妻君もいるかも知れない。こんな家庭の 空気では科学者は育たないのである。もちろん勇猛心ある学者はこんなことに引き ずられないであろうが、家庭経済の泣き事にはさすがの学者も心を弱めずにはいら れないこともあろう。

 現状日本の制度においては学者に遇するに極めて薄く、大学を出て十数年後にて も完全に自己の俸給(ぼうきゆう)を以て家庭を養い得ることは困難である。恒産(こうさん)なきものの学に 携ることの不明を責めるならばいざ知らず、このままならば多く子供を教育するに 当って極めて低級の生活をするに非ずば事態は不可能である。かかる環境中にいて 研学する人士は志の極めて強固の者であることを必要とし、さもなければ自然に凋 (ちようらく)の道を辿(たど)るほかはない。かような例は常に見聞するところであるが、筆者思うに 四囲の状況に影響されるのは学者として未だ志の修練(しゆうれん)の足らざるものか、学者とし て(ひん)(あま)んじ、学を楽しむ天分に欠けるところがあるかとも解釈出来るのである。

 要するに学者と貧乏とはつきものである、貧に甘んじ、これを克服してこそ学者 の本領が輝いてくるのである。学者はかかるが故に学を好むものでなければ、貧に 打ち勝つ事が出来ないで中絶してしまうのである。若き学徒もこれだけの決心がな くてはならない。

 学徒の心配はその性質が自然研究に適するか否かよりも、生活の間にいかに科学 者に作り上げられるかの方が心配である。質の良否よりも、作り上げられる思想の 良否である。生活中の修養いかんによっていかなる道にも入り込むのであるから、 常に心の舵を正しき方に執ることを忘れてはならない。あるいはこれらの思想は先 天的のものの多くあるかも知れない。しかし、いかなる玉も磨かなければ光を放つ ものではない。正しき思想あってこそ研究の選択と進捗(しんちよく)とが実現するのである。末 梢的些細(ささい)の研究に可惜(あたら)人生を費してしまう実例が多いのである。

 また研究能力を養うことを忘れてはならない。この力の培養(ばいよう)等閑(とうかん)に附するなら ば、いかによき研究対象を捉えても取り上げることが出来ないで、そのまま小問題 として発表するほかはないのである。この意味では常に研究能力を養うことを心掛 けていなくてはならぬ。

 学校における勉学は全く準備時代であって、それから自然研究に乗り出すのであ るが、この時にはよき先達(せんだつ)を必要とする。先達なくして登山することが出来ないと 同じく、研究中には途方に暮れる時に方向を示してくれるのは先達の存在である。 よき先達を得るか、よき先達を得ても軽視するかによって、その人の研究生涯は定 まるのである。くだらない思想が(つちか)われるならば、その人の一生はそのまま駄目に なってしまうのである。考えの方向がつけられてこそ充分発達の余地が残されてい ることが判ると同時に、また新しき開拓が生ずるのである。この思想の問題はいわ ゆる頭の良否とは別である。もちろん頭の良きことは欲するまでであるけれども、 頭だけよくても方向の定まらない研究者であるならば、いかに働いても成果は挙げ 難い。よき思想の人ならば頭の良否は次の間題となる。

 今別の話を以てこの間の消息を述べるならば、あるとき嵐蘭が芭蕉(ばしよう)に向かって俳譜(はいかい)要訣(ようけつ)(ただ)したところが、

一、器の優れたるもの第一
一、此の道に熱心にして寝食を忘れ、財宝色欲に替える人
一、歳四十を越えざる人
一、暇ある身に非ざれば行い難し
一、貧賤にして朝夕に苦しめられず、富貴に非ずといえども、商売農土に穢れず
一、博識にあらずとも和漢の文字に乏しからぬ人 云々

 と六ヵ条を以て答えたという。蓋し此の六ヶ條は自然研究に携わる人士にも極めて 適切なる教訓であると感ずるのである。 自然研究と知識

 往古(おうこ)の学者は万巻の書を読破(どくは)してことごとく脳中に納め、博覧強記(はくらんきようき)を以て誇りと したものである。今日においてもある種の学者はかかる才能のあることも欠くべか らざる要素であろうが、自然研究者はむしろ別処にその才能を(ひら)めかす頭の働きを 必要とするのである。それは自然現象より事実を摘発(てきはつ)して系統づけ得る才能である。

 確かに、我々は読書することによって、古人の業績を知り、我々の進まんとする 方向も自得するのであるが、いたずらに多読(たどく)して物事を知的に吸収する場合に於て は、かえって自然に対する感受性を没却(ぼつきやく)してしまうのである。人々の研究論文を読 むことはさして弊害(へいがい)はないが、教科書類は、すべて自然は現在の知識にても完壁(かんぺき)の ごとく教えるものであるため、水も(もら)さざる完全さを眼前に開陳(かいちん)する故を以て、人々 は自然を心に(えが)いて、疑義(ぎぎ)を生じない(へい)を生ずる。これはおそらく書籍の罪という よりは読む人の心構えの罪ではあろうが、書籍の得て人を誤るのは見逃(みのが)し得ない状 態である。

 即ち自然研究者の読むべき書は自然現象を解析(かいせき)的に取り扱う手法の書いてあるも の、正しき思想を漉養(かんよう)するに適するもの、研究に当って不退転(ふたいてん)の心の生ずるもの以 外には読むべき書は極めてわずかである。我々の知識は多く書から得ると思い読書 を(すす)める人士が多いのであるが、じつは科学者の知識は自然現象の観察から直接受 けるのである。書籍に書き上げる時には遺漏(いろう)なきを期するため、自然現象がすべて 判ったような書き方をするから迷わされるのである。

 我々はまた一面に知識の多いことを以て誇りとなす傾向があるが、じつはこの知 識の多いということがかえって研究の妨げをなすのである。このために自然研究者 は知識の少ないことの方が適当であるともいえるのである。知識の中には誤ったも のもあるであろうし、半可通のものもある。これらを正しき知識として覚えるに及 んではかえって不結果を来たす。

 また正しき知識であろうとも、かえって物事を知っているために勇気が(くじ)けて前 進することの出来ないことがある。人のいうことに信を置くよりも自ら進んでこと に当ることを心掛けなければならない。

 古人の糟糠(そうこう)()めたり、後塵(こうじん)(はい)したりするのはくだらないことの例に挙げられ るが、古人より後に生れたる人々は古人に追いつき、追いこすためにはそれだけの 道程(どうてい)を踏まなければならぬのである。古人の糟糠(そうこう)()めて(とどま)っていることは感心出 来ぬが、追い抜く一つの過程ならば、喜んでその道に突入しなければならないので ある。

 自然研究には勇気というか、迫力というか、かかるものがなければとうてい進展 を続けることが出来ないのである。研究論文を書けば必ず他学者の誹諺(ひぼう)を浴びなけ ればならない。(だま)って研究を発表しない方が平安を保っていられるのである。勇気 に欠けているものは前者を捨てて後者をとる。したがって一個人としては気迫(きはく)の欠 けた人間となるが、研究所のごとき団体においては、火の消えた幽霊殿のごときも のとして現われる。この意味において、研究者は知識を増加して勇気を(くじ)くよりも、 知識を減らしても気迫(さはく)を充実する方が望ましいのである。しかし、もし知識がいか に増加しても勇気の欠けない人があるならば、それこそ尊ぶべき限りである。

 科学者としても知識が増加するのが決して窮極(きゆうきよく)の目的であるとは考えられない。 むしろ自ら手を下して自然現象を取り上げ、仮説を以て系統を拡張する行為に即す ればよろしいのであって、いたずらに読破(どくは)せる書籍を書架(しよか)に飾って、(なが)め入ってお ることが科学者の喜びではない。即ち科学者の喜びは智の増加でなく、自然研究 の結果、如何にに科学を拡張したかと云うことにある。確かに教育者は智の増加を喜 ぶであろう。即ち教壇に立って知識の豊富なるを以て講義し、絶大の讃辞(さんじ)を受ける ことが願わしきことでもあろうが、科学者の喜びは自らそれと(おもむき)(こと)にするのであ る。

 筆者は知識の蓄積増加(ちくせきぞうか)することを不可なりと断ずるのではなくして、その影響と して自然の研究力が消滅(しようめつ)するのを恐れるからである。

 学校生活中極めて優秀の成績を持して秀才の(ほま)れ高き人も一度自然研究に携わる において何ら優秀さを示さない者の屡々あるのを聞く。これは自然研究の才能 なき故であると考えるよりは、よって来る行動に欠陥(けつかん)なきかと考える方が適当では ないかと思われる。

 世の中に学校における智育偏重(ちいくへんちよう)の声が屡々(やかま)しいが、学校の先生は生徒の 鵬鵡(おうむ)返し的試験に優秀な成績を示す者を奨励(しようれい)し表彰する。この結果は学生はいわゆ る秀才型の知識の吸収に汲々(きゆうきゆう)として(つと)めるのは当然のことに違いない。またかくす ることによって入学試験等は見事に合格する。学校教育は決して自然研究者をのみ 作り上げる所ではないから、それに適する人のみを作ることは出来ないというかも 知れぬが、智的偏重の余波(よは)は研究者の思想、動向にも反映して、自然研究の何もの たるかを(わきま)えず、智的向上を以て自己の優位を感じ、あるいはこれこそ研究者の使 命と信ずる者もないとはいえぬ。しかし、自然の研究は自己独創の下に自然像を組 み立てるところに本領を発揮(はつき)すべきである。

 東洋儒学に於ても知行一致(ちぎよういつち)ということが唱えられているが、科学に携る人も智の みではなんら役に立たず、行に移すところから科学者の本分が始まるのである。智は行 動の準備であり、また行動を制限する障壁である。我々の行動が手綱(たづな)を放れた 奔馬(ほんば)のごとく縦横(じゆうおう)()け廻るを馴致(じゆんち)する役目を持っているのである。適当に馴致 することは充分必要でありながら、かえって(つの)()めて牛を殺す行為もたえず行な われているのである。薬もあまりに嚥用(えんよう)すれば害をなすごとく、智も多きに過ぎれ ばかえって害となって、気迫(きはく)から遠ざかるのである。科学は行の上に立つものであ るから、この本領を充分知っていないと研究者として優秀性を発揮(はつき)する者とはなれ ないのである。

 研究者は学に最も寄与(きよ)すると考えられる題目を選んで研究に従事する。(しこう)して研 究に適当なる器械を採用するが、多くの場合、自ら器械の製作あるいは装置の組立 に従事しなければならない。かようの行為が相当年月続いてから、実験であるとか 観測であるとかの行動が始まる。器械あるいは装置がよろしくない場合には、窓ガ ラスが(ゆが)んでいると同じく、現象は正しく見えないで(いびつ)に見えるのは当然である。 この意味において自然現象中から事実を摘発するに於ては、まず器械の正当性を吟 (ざんみ)してかからなければならないのである。世の中のすべての科学器械は厳密(げんみつ)な感度 試験を施してからでなければ使用してはならないし、その精度以上の議論をしては ならないのである。確かに器械は我々の感覚である、感覚なくしては現象もないの である。

 智の蓄積は結局、科学者の求めて止まざるところであるにもかかわらず、そのた めに自然研究の態度は(はば)まれるのである。これは全く個人の場合であって、一般文 化という見地から見れば、自然について智が増加すればするほど、結構なことはな いのである。この個人の問題にしても、個人的思想があって、その思想を命ずる下 に、解析が順次に行なわれて行くならば、その考え方においては、もはや論ずべき ものが皆無(かいむ)に近づくのであるかも知れない。一面に智の増加が研究心を鈍らすこと は肯定出来ると同時に、個人の思想下の労作が満足の域に達した結果であるともい えるであろう。

 この意味においては各個人は各自思想の開拓(かいたく)に心掛けて、洞渇(こかつ)せざることを第一 としなければならぬ。豊かなる思想、発展極りなき思想は永久に研究者を労作に向 わしめ、知識の豊満(ほうまん)によって研究を放棄(ほうき)することはないのである。

 しかしながら、古来の科学史上に現われたる思想を以てすれば、思想も歴史的の 発達によって順次に繰り広げられるところを見れば、個人的思想といえども各時代 の科学主張を反映しているに過ぎないのであって、ただ大天才のみが階段的に思想 の飛躍(ひやく)的発展を試みるに過ぎないともいえるのである。 研究と啓示

 自然研究に携るものの行動はあくまで真摯(しんし)公正であることはもちろんであり、次 から次にひた押しに進むことが研究の本道であるかのごとく考えている人も多いの であるが、筆者は決してさようには思わない。なんとなればかかる研究法は同質の ものの発展にはよろしいであろうが、決して異質のものに研究を延ばそうというこ とは出来ないのであるし、また研究がなんら感興(かんきよう)もなき日常工作に終ることによっ て、精神的に萎縮(いしゆく)することを知るからである。

 たとえば化学的に自然を研究せんとするものが、果して黙々(もくもく)として化学分析 --天秤(てんびん)濾紙(ろし)との操作(そうさ)--に終始(しゆうし)して貴き人生を濫費(らんび)してよいものであろうか。 化学分析の必要なるは筆者も人後に落ちず、もちろん認めるには相違ないがなんら 科学向上の光明を認むるなく、自己の理想を実現すべき行為なくして、一日一日の 暮れ行くを見送る態度であって差支えないのであろうか。

 自然研究者は少なくとも科学向上の一途を念願(ねんがん)して、比処(ここ)に理想あり、その理想 に適合する行為に生きなければならないのである。それには、よき思想の下に科学 向上に資する考えをなさなければならないのである。

 またもっと極言(きよくげん)するならば、単に考えるのみでは足りないで、空想が生む飛躍的 考えまでも必要である。水瓶(みずがめ)の縁の周囲を歩いている(あり)はおそらく、出発点に帰着(きちやく) してもその歩みはつづけるごとく、人々がいかに考えても同じ道を幾回廻っても同 じことである。いかに新しいものを探そうと思って努力をしても見つけることは出 来ない。研究者の考えはある時は空想的と思われ、空中楼閣(くうちゆうろうかく)的と誹諺(ひぼう)されるかも知 れぬが、決して自ら(はじ)入ることはない。かような空想から質の異なった貴きものが 生まれ出るのである。天才は狂人と(へだた)ることはわずかであるということは屡々 聞くところであるが、狂人の空想が実果を生むものが天才である。とうてい常人に は考え得ないものが天才には考えられる。これは正に狂人の空想に似通(にかよ)うところが あるからである。

 日本における自然の研究なるものが、ややもすれば同質の研究を以て、その本領 と考える傾向の多いことは従来の慣習(かんしゆう)のごとく思われるが、これは従来の研究の中 に異質の研究が少なかったことにも起因(きいん)すると思われる。(しか)るに当今に於ては、そ の傾向がやや脱却(だつきやく)されて異質に及ぼす研究--いわば精神的活動--の方向に向う 傾向になりつつあるのは喜ばしきことである。また同質の研究は肉体的活動ともい えよう。この精神的活動は自然研究者にとってもっとも必要とするものであって、 これからすべての科学向上が出発すると称してもよいのである。もちろん肉体あっ ての精神ではあるが、精神的活動が肉体的活動を制御(せいぎよ)することは思わなくてはなら ない。

 精神的活動の中には極めて不可解の要素を含むもので、研究の問題においてもな

  んら表面的に現われぬ心の活動がある一方に、極めて急激な、いわば神の啓示(けいじ)() うような事柄(ことがら)が生ずる。筆者はキリスト教的の神の存在は否定するものであるが、 世間一般の慣習語として神の啓示する言葉を使用するに過ぎない。即ち数年来夢寝 忘れる時なく考えていて、全く暗中模索(あんちゆうもさく)的研究にあったものが、一瞬にして光明下 に輝く大道が眼前に貫通(かんつう)するを覚えるものがある。また数年来(はげ)みつつ器械の完成 に急いだものの、いくら考えても出来なかったものが、一夜人静まって思いを(めぐ)ら す時に不意に考えついて、たちどころにすべてが解決したという例もある。事の成 るは一瞬のごとくであるが、その準備と考えられる行動は数年を費すもののあるを 思わなくてはならない。 斯様(かよう)な精神の働きについて、科学者は決して神の啓示(けいじ)などとは思わぬであろう が、あまりに瞬時的に解決が到来するので意外の感に打たれるに違いない。ローマ は一日にして成らずと云う古諺があるが、自然研究の場合にも解決は一瞬であって も準備には数年を要したのである。しかも古来の科学的業績の多くはかくのごとく して出来上ったといえるであろう。ニュートンが林檎(りんご)の木から果物の落ちるのを見 て万有引力(ばんゆういんりよく)の原理を見出し、ガリレオは洋燈の動揺するを見て等時性に思い及んだ のである。数年努力した思想が心の中にあれば、外界の現象に口火が切られて、一 瞬にして解決された訳である。いたずらに一瞬に成る事を(こいねが)って貴き光陰(こういん)を費して しまっては取り返しのつかぬものである。いかなる研究も心の営みが根底となって、 結局解決という終局に持ち来されるのである。果報(かほう)は寝て待っていても来るもので はない。瞬時というものの根は実は長いものであることを思わなくてはならない。

 研究者にとっては啓示(けいじ)が極めて必要であり、この飛躍的解決がまた勇気を附与(ふよ)し て研究が急進的に成果を(もたら)すのである。常に行なっている研究は、時を費せば費す 時間に比例して研究結果が見られるものであろうが、人間はあきることもあれば疎略(そりやく)になることもある。また時の経つにしたがって日常経験事となって、なんら感興(かんきよう) も伴なわず、時間に比して研究の実の(あが)らぬものである。かような方法に()するこ とは相戒(あいいまし)めて、比較的短時間の中に研究は進捗(しんちよく)するよう、またある時は多少不備で あっても己れの業績を発表するように(つと)める。かかる時にはかえって研究が進捗し、 従来考えなかったことが突如(とつじよ)として脳中にも浮ぶのである。要はある機会を充分活 用して、乾燥無味的研究に陥らぬことを注意しなければならないのである。

 啓示的(ひらめ)きは常にあるものではない。多い人でも一生の中三、四回程度であろう。 しかも問題の大なる場合も小なる場合もあろう。また年齢的に見ても四十歳を越え てははなはだ覚束(おぼつか)ないごとくに思われる。研究者は絶えず天の一角からなにごとか (ささや)くものあるを感知し、働かずにはいれない境地に置かれ、時あってか天の啓示に 接して瞬間的にものの解決が(もたら)される。これは外界に存する神の仕業(しわざ)ではない、 各自の心の働きであり、常に思索する事の結果齎らされるものである。

  常に考えよ、心は自然の扉を開くのである。

と叫ぶほかはないのである。神の啓示に遇わんと(こいねが)っても効果はない、常に考え ること働くこと、そのほかにつくす術はないのである。

第三章

天才論

 自然研究者の中にはとくに天才を要望するのであって、天才が出でて初めて研究 が進捗(しんちよく)し、天才が出でざれば停頓(ていとん)するのである。天才は出ずる事がはなはだまれで あり、天才はまた薄幸(はつこう)である。おそらくその時代においては理解出来ない議論を() く故でもあろうが、時の経過とともに尊敬(そんけい)されるのである。天才は正に科学史を綴 る人である。凡庸(ぼんよう)は単に科学を持続けるに役立ち、科学を横に(みなぎ)らせることは出来 ても前進させることは出来ない。天オは果たしてその出現を期待し得べきものであ ろうか、また天才は栴檀(せんだん)二葉(ふたば)より(かん)ばしというがごとく、幼少よりして聡明(そうめい)なる ものであろうか、筆者の思索は低迷(ていめい)する。

 天才は先天的要素を如実(によじつ)に備えたものであるともいう。天才は生れながらにして 凡庸(ぼんよう)とは全く異なった頭脳(ずのう)を保ち、苦することなくして常人を凌駕(りようが)して意表に出で るともいう。また天才は絶えざる労作の結果、その位置を()ち得るものともいう。 結局は努力の結晶により、他人より(すぐ)れたる効果を()げるものであるという。仏国 科学者ブッフォン Buffon は、

  天才は辛抱強いという一つの優れて大なる才能に外ならぬ。

Le genie n'est qu'une plus grande aptitue `a la patience.

Buffon

と叫んで、天才は後天的要素を充分備えたものであるという。この論を是とする にしても辛抱(しんぼう)強く研究し得るという才能も一種の天オであるかも知れない。しかし ながら、現在自然研究に携る人の中にも単に辛抱強く、一つの事にのみ携って研究 に没頭(ぼつとう)している人でも、天才とは考えられぬ人がいるのである。天才の才能中には 一種の見通しのごときものが必要で、よし一つの事物を研究しても、これを辛抱強 くやりとげる場合には、必ず大なる効果が(もたら)されるという自信が出来なければな らぬのである。またついにこの自信ある見通しがあればこそ、熱意(ねつい)も生じ、辛抱強 く働くことが出来るのである。

 とにかく、外観からすれば全く努力の結晶のごとき態度も、本人は行き着くまで の手段としか考えていないともいえるのである。筆者はこの見通しの出来るものを 天才の要素として考えたいのである。

 パスツール L.Pasteur は血清療法(けつせいりりょうほう)を発明したその開祖として全く天才的の学者 として尊敬されるが、彼の手掛けた最初の二つの実験--狂犬病と羊の脾脱疽病 --はいかにして彼が手を染めたのであろうか。門外漢は全くその選択が偶然的で あるかのごとくに感ずるが、彼の手掛けたこの二つの病気の処理こそ、現在のもっ とも反応いちじるしき実験であるという。彼はそれを知っていたのではない、偶然 に取扱(とりあつか)った二つの実験がもっとも容易に認定(にんてい)し得べき実験と一致したのである。こ の実験を手掛けたことによって彼の手法は全く天才的の技禰(ざりよう)が認められたのである が、彼は数多き他の実験に一瞥(いちべつ)も与えなかったかということに疑問を有する。世の 中には極めて多くの研究すべき病菌があり、手を染める場合にいかなる病菌に接す るか、偶然論にては答え得ないものでも、天才パスツールは研究にもっとも容易な る二つのものを選び出したのである。

 天才なるが故に、知らずしてもかようなものを選び出すことが出来たというか、 偶然選び出したるが故に彼は天才となったといえるか、いずれにもせよ、偶然論的 立場を以てしては全く当てはまらないのである。

 また天才が極めて神秘的な存在であって、天才は初めからその研究が出来る、出 来ないの区別が洞察(どうさつ)出来るのであって、出来ると思えばこそ着手するのであり、し かももっとも容易に実験し得るものを選定出来ると考えるに到っては、あまりに天 才を過信し過ぎる(きらい)がある。即ち天才にかほどまでの能力あるは信じ難いところで ある。然らば天才は単なる努力者であるかというに、筆者は決してさようとは思わ ぬのである。思うに天才に附与(ふよ)されたるもっとも大なる才能は直覚的行動であろう。 この直覚的行動が極めて神秘的なるかのごとくに考える人もいるかも知れぬが、実 はさように考えることも不当なることを、まず弁ぜんとするものである。

 よくよく直覚なるものは、理由なくしてしかも説明することの出来ない判定能力 である。また今少しく言葉を代えていうならば、過去の経験による綜合判断と称し ても差支えないものである。たとえば甲の人がある風景を見て、ここはいつか見た ことのある風景と同じである、(しか)もそれが何所(どこ)にあったか、またいつ見たかは思い 出すことは出来なくとも、確かに同じものを見たことがあるというのは、全く過去 に見たという経験が再び意識上に上ったことである。

 人間の意識は極めて複雑で、あるものを見た場合に、必ずこれと類似な(ふる)い経験 が浮び上って来るのも当然であり、これらのことから全く理窟(りくつ)はなしに判断の出来 るものである。これは程度の低い一種の直覚的判断といわれるであろう。この直覚 力の発達している人には凡庸(ぼんよう)の考えるよりもよき判断、よき結論が得られる。即ち 一種の(ひらめ)きとして判断の結着(けつちやく)が行なわれるともいえるのである。この過去経過の即 時に(よみがえ)らし得る能力は全く天才の充分に具えた能力であって、何も神秘なることも、 不可思議なることも含まれてはいないのである。

 天才に附与された能力の中には、従来人々の考えた体系の外に、別の体系が考え られるということがある。即ち我々のいう狂人は全く、一般人とは異なった考え方 を持っているものであるが、そこに統轄性(とうかつせい)がない。天才に於ては同じく一般人と異 なった考え方を持つというよりは、狂人的考えを持っているが、その上に統轄性を 充分備えているのである。天才と狂人との区別はここにあるごとくに思われる。天 才は狂人と隔ることがわずかで非常の類似をもっているには相違ないが、この統轄 性いわば秩序性ある言動が相違点である。しかしながら、物の考え方はおそらく全 く同じ(てつ)にあると考えてもよい場合が多いのであろう。

 物の考え方は、外界に存する事物に接して脳中に生ずる印象、連想、進展等であ るが、その方法については、狂人、天才の行き方は凡庸人(ほんようじん)と極めて異なるのである。 天才は自然研究者あるいは芸術家として大なる働きを示すのは古来からの歴史を見 れば判ることであり、その他の部門に携る場合においては全く狂人扱いされること は当然である。この狂人的思索は全く常人の企て及ばぬ境致(きようち)に突入するために、そ の力量を重視するのであって、ある時は体系として無から有を生ずることがある。 しかも科学者、芸術家のみに於て天才が厚遇(こうぐう)されるということは、全く独力を以て 仕事が行なわれるという特権に起因(きいん)するとも考えられる。周囲の人とはいかに悪い 交際をしてもよい、他人の言動は一切()かなくてもよいという立場にあること、一 人の気持をそのままわがままに発展できるという境遇(きようぐう)なればこそ、天才も生ずるの である。外部から制肘したり、一言動を束縛(そくばく)したりしては天才の能力は発揮出来ない。 これは意識的に行なうばかりではない、無意識的にも社会の状勢がそのごとくであ れば決して天才は生まれるものではない。天才といえども社会に棲息(せいそく)する一人間で ある以上、社会の無形的圧迫(あつばく)が影響しないということはない。その無形的の事物が 天才をして、その能力を発揮(はつき)させないのである。したがって天才の出現する時代に は同時に数名の者が現出する事があり、また出ない時には皆目一人も出ないのである。

 この天才の出現に関しては全く一方には社会的状勢というか、天才の出現し得る 素地(そじ)のあることが要求される。文化の流れが適当に進展(しんてん)するところ、天才が現われ て文化をますます高調たらしめるようにも感ぜられる。文化は起伏ただならぬもの であり、ある時には咲き誇った花園も、一通り花が咲いてしまうとまた幾何(いくばく)かの時 日を待たなければならぬと同じように、文化の花園においても絶えず、百花捺乱(りようらん)た ることはないのである。ある時期1それには長短の差はあろうがーを経過すれ ば、やがて凋落(ちようらく)の運命に遇うのである。全盛に向わんとする時、天才は出ずるに反 し、凋落を辿(たど)る時期においては天才は影を(ひそ)めるのである。

 おそらく天才の種は常に()()らされてあるのであろうが、その生長はよき畑を 得なければならぬのであろう。乾地に蒔かれたる種、荊棘中(けいきよく)に蒔かれたる種、いず れも生長することは出来ない。温床(おんしよう)()かれたるもののみ、自由にしかも豊かに伸 び上ることが出来るのである。即ち天才の出現する準備的要素には、よき温床とよ き肥料とを必要とする。天オは内に向かってわがままであると同時に、外に向かっ てもわがままである。その育つ環境のいかん、摂取(せつしゆ)する養分、即ち社会的状勢に充 分左右されてしまうのである。

 この点において一般人がいかに努力し、いかに辛抱強(しんぼうづよ)さを以てするともある程度 までの成功は()ち得るにしても、考え方において異なった系統を組み立てるまでに は達し得ないのである。この意味においては一般人は労作において天才に到達する ことは不可能である。全く天才はその思索の傾向において、常人とは異なり、狂人 のそれと似通う点多きにかかわらず、天才としての才能は思索の統轄(とうかつ)であって、か くて科学として常人の開拓し得ざる新天地が出現するのである。狂人は正に思索の 統轄なく、たんに考えること、いうことは常人の意表に出でるかも知れぬが、なん ら建設的に、またなんら従来の科学の拡張に寄与(きよ)すべきところがないのである。

 ロンブロゾオ C.Lombroso によると、すべての天才はいずれも狂人であり、狂人 にして労作し得るものとなす。一見この二者における行動の中には多くの類似点を 見出すのである。しかしながら、彼のいう天才は全く狂人の列に置いて、天才の狂 人的言動のみを()げてもっばら天才的頭脳の傾向を滅却(めつきやく)せんとする主張は筆者の賛 成し得ないところである。

 以上述べたるがごとく、天才には天才としての風貌(ふうぼう)があり、あたかも狂人に似た るところもあれど、その精神的労作においては全く異なったものを持っているので ある。狂人の動作は全く、我々の夢の中における挙動(きよどう)のごとく、全く統轄的要素(とうかつてきようそ)を 欠くのを常とする。人々は夢の中において、すべて重力の法則を無視(むし)したがごとき 現象を是認(ぜにん)して決して不思議と思ったこともなければ、数十年前に死んだ両親と対 談してなんら疑惑を持たないのである。夢の中における我々の言動は全く理想を超 (ちようえつ)したものであり、おそらく狂人の行動と()を一にするものであろう。

 然るに天才の思索の中に系統が立派に立っていることである。たとえば科学上の 問題としても、従来知られたることがいずれの範囲であり、将来開拓さるべき方向 が奈辺(なへん)にあるかを察し、その言わんとすることに全く条理あるものである。この点 が全く狂人と異なるのであるが、科学者の中にも先入主を固守(こしゆ)して、決して他人の 論説には耳を傾けず、いやしくも古来の説以外に対しては賛意(さんい)を表せず、新説を以 て狂気の沙汰(さた)となす人士においては、天才よりも全く狂人の列に接近するのである。 科学者の中には天才も狂人も二者ながら存在していると見られるのである。

 かかることは歴史上屡々あったことであり、天才と狂人との作為(さくい)はその識別 に困難はあれども、科学発達の見地よりすれば科学系統を拡張すると否とにあるも のであるから、この点に照合すればよい。立派な科学的研究においても十年、二十 年の歳月を経てようやく学会に認められたという労作も少なくないのである。即ち 天才の真価が認められないことが多いのである。

 天才の仕事は全く学会の諸会貝に対しては、新事実であり、理解すべき範囲外で あるために、罵署護諺(ばりざんぼう)されて(ほうむ)り去られることが屡々であり、天才は狂人と して顧みられなくなる。天才はこの意味においては、全く不幸で一生を暮した例は いくらでもある。またあまりに順調に進むものの方がかえって仕事は凡庸(ぼんよう)で、不幸 にして物質に恵まれざる者のかえって大なる仕事の出来た例は非常に多いともいえ る。いずれにもせよ、天才の仕事は直ちに世人に評価されないことのあるを知るの である。現在は科学者も多く、学会も多士済々にて、明正なる会員の備っている条 件においては、天才の功績もただちに認められる時運に接しているようではあるが、 その点は断定的にさようであるとは言えないのである。

 学会における業績の判定はもっばら当時生存する科学者によって行なわれる。し たがって当時の学会に優秀なる判定者なき時には、当時の評価が妥当(だとう)を欠くことは 当然であり、いかなる天才といえども一般に認められることは出来ない。即ち天才 の認められぬことを(なげ)いた文句は屡々聞かれるのである。しかしながら、研究 の業績は論文として留めて置くならば、いずれの日か有識者が出でて来て、必ず取 り上げる機会があるのである。古来多くの天才の中にはかかる運命に()った者が多 くある事に気がつくであろう。天才といわず優秀科学者はかような覚悟(かくご)だけは持っ ていなくてはならぬ。また学会においても、その問題に直接携っておる人が常にい る訳ではなく、当時その方面に優れた人がいないと評価されることも、あるいはそ の当を得ないこともあるかも知れない。またその方面の人はいてもかえって(そねみ)から、 その研究を事実に(あし)ざまに言わぬともかぎらぬ。要するに、天才の業績はあまりに 尋常性から掛け離れているために理解が出来ないのである。

 天才はいかにして生れ出でて来るであろうか。天才は極めて数の少ないものであ る。およそ人間を分類して見るに、平凡というか、通常とかいう人間がもっとも多 く、優れた人および低能なる人間の数はいずれも少ない。いわば確率曲線を以て分 類出来るのである。即ち天才なるものが少数である事は自然の法則であり、また多 くの人の間には必ず少数の天才が生存すると考えなければならない。然も天才に階 級があって、十年に一人出る程度の天才か百年に一人出る程度の天才かという区別 もあるであろう。

 かように少ない人間が出るについては、果してかかる人間のためにのみ教育制度 があるべきであるか、一般凡庸(ぼんよう)の人間に制度の備わるべきかをいえば、諸人は異口同音(いくどうおん)にその凡庸のために教育を確立せよというに違いないであろう。しかし、実際 の学の発達は天才のみにて保持されるという有様であるから、十年に一人の天才を 現出せしむれば以て(めい)すべしである。かかる学校教育の是非はとかく穏健(おんけん)に取扱う ことを主とするものであるから、はなはだ不徹底には相違ないが、もちろん天才教 育を主とすることは要望されなければならない。

 この天才教育なるものは以上述べたごとく、極めて少数のためには適当であるが、 大部分の人間には不向きである。仏国は天才教育の本家のごとく見える。 中学校(リセー)を 卒業すればバカロレアの試験を受ける、これは国家試験で上級の学校に進む資格試 験である。これを及第(きゆうだい)しなければ上級の学校には行けない。上級の学校には大学と 専門学校の二系統があるが、大学は上級普通教育を主として、いかなる人士も聴講 することが出来る。ただしバカロレアの試験を通っていなければ正当の学生として 講義に出席し、大学を卒業することが出来ないのは当然である。専門学校の中にも 高等教授学校(エコールノルマル・シユーペリオルー)綜合工学校(ポリテクニツク)とが屈指(くつし)の優秀学校として認められている。即ちノ ルマリアンとテクニシアンとが幅をきかしているのである。いずれも歴史的に見て 優秀な学者を輩出(はいしゆつ)している故にほかならぬ。かかる学制によって仏国では人士の養 成に努めているのであるが、これが直ちに天才教育ということは出来ない。むしろ 教育は逆効果を示しているのではないかとさえ思われる。天才の生ずるのはむしろ 民族といおうか、社会構成とでもいおうか、その方にあるのであって、社会は人間 の完壁(かんぺき)を論ずる前に天才的人士の業績を賞し、民族は天才的行為を尊敬するからで ある。

 天才の出現は全く社会的要望であるということが出来る。世間の風潮(ふうちよう)が天才を育 てしむるごとき態度を示さなければ、決して天才の大成は行なわれないのである。 日本の社会においては天才を重んずる傾向よりも、人間の欠点を探し出すことに(つと) めるようである。また人間がわずかの欠点もなく完壁に達成されることを望んでお るかのごとくである。確かに儒教的(じゆきよう)完壁はおそらく数十年、死ぬまでを費して修養 することに迫られ、天才的才能を発揮(はつき)すべき時機を抑圧(よくあつ)してしまうのではないかと 思われる。あるいは社会が事勿(ことなか)れ主義を主張して偉人を抜擢(ばつてき)することをよくせずし て、いたずらに凡庸(ぼんよう)()と相具するために、天才も(くさ)ってしまうのである。全く社 会の天才に対する冷淡からの問題である。即ち良き事にも動ぜず、悪しき事にも制 裁を加えない結果である。

 学会の批判がまた天才の発育を(さまた)げる。日本人は人を()める事は決してしない。 悪口をいうことに()けていると見えて、発達せんとする発芽(はつが)も直ちに(つぶ)される。偉 大なる天才はあるいはなんら障害(しようがい)(こうむ)らないかも知れないが、いかなる仕事といえ ども出来たては赤児のごとく、その腕を(ひね)()げんと試みる。然も自己の不明から その不当なるを(なじ)る者さえ出現する。これは彼の間違った先入主的判断からである。 かかる状勢にては、いかなる業績の発育も難かしい。花園はわがままの犬に荒され ることが屡々である。学会は清き花園である。凡庸は天才の芽の生い出でるの を監視(かんし)するはもちろん、その発育を助長せしめる態度でなくてはならない。

 少なくとも世界各国を通覧(つうらん)して、天才の出現する国は決っているのである。それ はいわゆる文明国と呼ばれる欧洲の諸国である。オリンピック競技に於ても目覚(めざま)し き選手の出るのも同じく欧洲諸国である。これらは正に各人の特長を伸ばす社会組 織であると考えるほかはない。科学の発達も天才も競技選手として送り出すと同じ である。ただし知的競技は肉体的競技ほど明らかに勝敗を決することが難かしい。 もしも知的優秀性が明らかに決定出来るに於ては、必ずや一層の発展が出来ると同 時に、天才の価値も充分明らかになると思われる。

 世の中の(ことわざ)に、「十で神童(しんどう)、十五で才子(さいし)、二十過ぎれば(ただ)の人」、ということがあ る。小さい時には天才と騒がれた人間も年の経過とともに、没落(ぼつらく)して成人の後には なんら常人と変りがなくなるという例の多いことをいったものである。天才という ものはさほど沢山いるのでもないという(いましめ)であり、また同時に偉い人も没落(ぼつらく)して凡庸(ぼんよう)に化することのあるを諷刺(ふうし)したものであるともいえる。確かに二十歳過ぎにも未 だ天才と考えられる人が四十歳頃になると常人になったり、二十歳頃まではなんら 頭角(とうかく)を表わさなかった人が、それからめきめき腕を上げて偉くなる人もある。この へんの消息は果していかなることを物語るものであろうか。ラ・ロッシュ フコオ La Rroche Foucault がいったように、

神は自然の中に色々な樹木を植えたように、人間の中にも色々な才能を置き並べた。 だからそれぞれの才能はそれぞれの樹木と同じように特有な質と働きとを持ってい る。だから、どんな良い(なし)の木でも、極く普通の林檎(りんご)の実すらつける訳にもいかない し、またどんなに(すぐ)れた才能でも極く普通の才能と同じ仕事すらしでかす訳にはいか ない。

 即ち才能が早く現れても年を経るにつれて凡庸(ぼんよう)と同じくなるものが多いというこ と、また才能も分業的である結果は、しばしば年が成長してから、各自の特種な才 能が鶉蝋と現われて来るのである。もちろん今日においては分業的の才能を必要と するのであって、二十歳頃まではただの人であって差支えないが、それから人の追 従出来ない技禰を示せばよいのである。ただし才能の根本にはいずれにも共通なも のの存在するを忘れてはならぬ。自然研究者中天才として、各部門に尊敬される人 が出現するであろうが、その根本をなすものはなにものであるかというに、これは すべての事実を綜合し、体系づけ得る能力である。

 確かに自然研究として一つ一つの現象を見極めなく解析し、我々の目前に事実と して示すといえども、その技巧、労作については賞讃(しようさん)(おし)まないが、その人を天才 として賞揚(しようよう)することはいかがであろうか。およそ天才なるものは、以上の措置が出 来るというよりも、得られた事物を取り上げ綜合してここに体系を出現せしめ得る 才能を持っているのである。

 狂人は常人と異なって、従来ない考え方を案出することはあっても、組織的なら ざるところが異なるのである。狂人の案出した例として、「熱は圧力によって生ずる」 という問題を固守(こしゆ)してすべてを証明(しようめい)しようとする。地球の内部は高圧であることは だれも認める。即ち高圧なるが故に高温である、物を摩擦(まさつ)すれば熱が生ずる、即ち 圧力をかけて摩擦するから熱が生ずるのであるという。狂人は身辺のある特種現象 に目をつけて万象を解決せんとする。また「太陽は冷たい」などという論も現われ る。地上から昇って行くと空気は冷却(れいきやく)状態にある。したがって太陽に近づくに従っ て冷たいならば、太陽本体は正に冷却されたものの極でなければならぬという。地 上を離れて上昇する場合、空気の冷たきことの一事を以て太陽へまでも延長しようと する。狂人は(がん)として自説を固守して、裁判までにも持ち出した例は最近の出来事 である。

 天才の考えは確かに一面狂人と似たところがあるといえども、ただちに旧系統を 思い出すことが出来るのである。従来の系統は天才も常人も優れた多くの人が考え、 多年の批判を経て出来上ったものである。今日その体系を改正せんと試みても、根 本的というよりはむしろ、研究途次にある部分から入り込むことの方が多いのであ る。即ち事実として認定される部分の中に曖昧(あいまい)のところがあれば、それから入り込 み得るのである。事実の中に例外を認めて一時を弥縫(びほう)する態度は全くよろしくない、 例外のあるところから我々は自然現象の闡明(せんめい)に突入出来るのであって、そこからし てなお一層(うるわ)しい現象に直面出来るのである。

 天才の多くは努力したものであるか否かと云う議論は筆者の再三述べたことであ るが、世人の中には辛抱(しんぼう)強き人士を以て天才と早合点するものもなきにしもあらず である。天才の要素としては、学の有無、智の多寡(たか)よりも超越(ちようえつ)して、あたかも無よ り有を生ずるがごとき才能を発揮(はつき)しなければならぬ。ヴォーヴナルグは、

学無きは精神の欠陥(けつかん)(あら)

また智は天才の証左(しようさ)にも非ず。

Ni l'ignorance n'est d'efault o'esprit, ni le savoir n'est preuve de g'enie.

Vauvenargues

 といったが、確かに天才は知識の蓄積によって達せられるものではないのである。 むしろ知識の蓄積をよぎなくされる時においては、天才は消滅(しようめつ)するのである。学校 教育はむしろ知識の蓄積を()いるために、可惜(あたら)天才の出現を拒否するとも考えられ るが、また大天才はかかる障壁(しようへき)を乗り越して、進展するところにその本領があると も考えられる。天才の本領は正に自然現象中より得られた事実をいかに体系づける かという思索であり、常人の企て及ばない体系を案出するところに偉大さがあるの である。古来の天才学者はすべてかかる動作をあえて行なったが故に、この言をな すのである。天才の定義としてとくに自然研究に携る者に対して、筆者は、

科学として新しき体系を樹立する者

これ天才なり。

という。その行動が常人と異なり、いわゆる狂人と例を同じゅうしても、その仕 事が全く、自然現象中の事実をある考えの下に系統づけ得るならば、これ疑いもな く天才である。天才の中にも大きさにおいてまた多岐(たき)にわたる事実を系統づけ得る ものは大天才と呼ぶほかはあるまい。また自然現象中より事実の摘出(てきしゆつ)に大なる才能 を持ち、我々をして知識を豊富にせしめる人士がいても、これはよき研究者であっ ても天才と呼ぶことを躊躇(ちゆうちよ)する。事実の摘出はもちろん必要であるが、これよりは 精神的活動たる体系を組立てる労作を優位に置くからである。即ち天才の出現が科 学の拡張(かくちよう)を豊かにする結果にほかならない。新しい体系は全く無より有を作り出し たるがごとくに感ぜられる。否、感ぜられるのみならず、実際無より発足して有形 的に(もたら)せたのであろう。この行為ほど人間文化として貴きものは、またとないので ある。

 一般に天才を目指さすに、普通人よりも(すぐ)れた能力のあるものを以てするが、自 然研究者にとっては、単に努力的に労作してもこれは駄目である。何故かといえば 科学は、かかる行動で一部分しか目的が到達されないからである。

 然るに従来日本の学会の風潮の中には単に労作をなすことを尊しと考え、飛躍的 仮説の創造のごときは、あるいはかかる行動の出来ない人が多かった故でもあろう か、評価(アプレシエート)されることが少なかったのである。確かに無より有を生ぜしめる努力の中 には全く独自的色彩の発露(はつろ)することは争われぬ事実であって、その自己的行動を(いやし) めたものである。即ち科学は人類共有のものであり、(みだ)りに自己的意志を挿入(そうにゆう)する ことは目漬(ぼうとく)であるとさえ考えていたように思われる。したがって自然の研究におい ても、全く従来確められた事実を延長し、範囲を拡げることは差支えないが、当時 までに確立された事実に疑いを持ち、あるいは毀損(きそん)して新しき系統を作ることは禁 じられたがごとき状勢であったのである。かかる学風の下においては決して天才は 出でることはないのであり、学的には全く外国の属国的立場にあったと称して差支 えないのである。

 この主張に附随(ふずい)するものと考えられるのは、従来の科学は全く欧米諸国にて研究 されたるものが、欧語(とくに英語)により輸入されたものであるから、欧語にて 書かれたるものは真理を伝えるが、日本文にて認められたるものにはなんら価値な しと無意識に信じられていたがごとくである。今日といえども欧語にて認めてこそ 研究論文であると考えている人がないでもない。この心理的傾向は正に科学は人類 共通のものであるがために、己の研究したものも世界科学人に知らせる義務がある と考える結果でもあろう。

 確かに一面にはこの考えにも意味があるが、欧米人が自国語で書いて世界的と成 るに反し、日本人に大なるハンディキャップのあるは、いずれの日か克服出来るで あろうか。この問題に関してとくに大切なることは、たんに小事実の報告を欧文に てなすよりも、大なる思索的所物を欧文にて認めることである。然るに今日日本の 科学人は欧語の習得はますます低下する」途を辿りつつあるのであって、おそらく 思索的態度の結果優秀なる仮説(かせつ)の脳中に現出し、これによって事実を系統づける試 みが生じても、これを欧文を通じて充分に発表することが出来得るかは全く疑問で ある。たんなる事実的報告においては、その可能性は充分にあるにしても、思索(しさく)的 論文においてその意味を徹底せしめることははなはだ困難であると考えられる。然 らばいかにすればよいかというに、まず日本に思索的に優秀なる労作を作ることが 第一であるには違いないが、その次には日本語によって発表して世界的に認められ る努力をすることである。

 今日世界において学術語として認められる言葉は数種あるが、()しいかな日本語 は未だ認められていないのである。これは創作権(プリオリテイ)の問題であって、いかに日本人が 研究し、いかに日本人が自らの研究を日本語にて発表するもなんら世界的に価値な く、発見の栄冠(えいかん)は永久に彼らのものとなる現状である。即ち日本科学の優秀さある いは世界共有の科学の進歩は全く、日本語をして世界語たらしむる努力である。日 本語をローマ字化せんとする努力も、仮名文字(かなもじ)化せんとする努力も、一方には漢字 を覚える栓桔(しつこく)から(まぬが)れることも確かであろうが、日本学術を世界的になすという大 望までが含まれているのである。いずれにもせよ、日本人の自然観、科学思想を世 界科学界に自由に横溢(おういつ)せしめることははなはだ大切なことである。

 天才の出現はむしろまれであり、その出現を待ち設けることは一切に不可能であ る。また天才は当時の人々から敵対されることがないでもない。そのいうところ、 その()すところは従来の体系から見れば相容れないところがあるからであり、旧系 統保持者から見れば()くも(がな)の存在であるから。予言者(よげんしや)は故郷に貴ばれぬという(ことわざ) があるごとく、天才はその生国よりは外国においてより良く評価(ひようか)されるという例も ある。また天才の業績といえども、その時代にただちに評価されるとは限らない。 学会の人々にその業績を評価すべき能力がなければ致し方のないことである。これ らの問題に関してはその部門に良き研究者の陸続(りくぞく)として輩出する場合に於てのみ正鵠(せいこく)を得るといえるのである。

 日本における自然の研究はその歴史浅く、わずかに徳川時代にその痕跡(こんせき)があると も考えられるが、真の発達は明治以後である。今日といえどもある種の研究は世界 の標準にまで達し得たものもあろうが、多く追従の出来ないものもある。しかし、 この優れたものとても世界に先駆(せんく)するを必要とし、幾多の研究者、学習者あれども、 いずれも団栗(どんぐり)()くらべにて、その部門の第一人者を出さざる限り、日本科学の優 秀さを示す訳にはいかないのである。

 これはあたかもオリンピック競技会に於て第一等を獲得(かくとく)するや否やの類似のごと くである。世界的競技会に於て、日本人が第一人者となるもならざるもなんら影響 なしと泰然(たいぜん)たる人士も、実際競技場において競技会の第一等を日本人が勝ち得たる 時の感じは、全く日本に生まれたるを喜ぶほかはない。君が代の吹奏(すいそう)とともに日の 丸の高く蒼空(あおぞら)(ひるがえ)るを望む者、だれか感激なくして見送ることは出来ようか。ある 人は競技を以て青少年の行なう遊戯(ゆうざ)類似の行動と思うかも知れぬが、それにしても、 感激(かんげき)は筆紙につくしがたいものである。ましてや学問の争覇戦(そうはせん)において勝を占めた る場合、全く心を動かさざるものがあるであろうか。

 自然研究の競争は一刻も休むことなく行なわれているものである。その国の文化 施設が適当でなければ、天才は出現してこないのである。その道に携るものの安閑(あんかん) として日を送るべきではない。五十年に一人の天才を出すためにすべての学会は渇仰(かつごう)しているのである。日本国の津々(つつ)浦々(うらうら)までも探し出して天才の出現を心掛けなけ ればならない。

 現今の教育制度は大学を除いて、すべて上級学校の受験を目的とするかのごとく である。試験あるが故に勉強するということは一般に大なる通弊(つうへい)である。この欠点 を匡正(きようせい)するために、敢然(かんぜん)と立って試験を眼中(がんちゆう)に置かない主義の学校もあったが、結 局上級学校に入れぬという(いた)()に遭い父兄等の攻撃に遇って改悪(?)が余儀(よざ)な くされたという。これは現今の制度上の問題である。また父兄の虚栄心(きよえいしん)の結果でも あり、また社会的欠陥でもある。結局学力のいかんよりは大学を卒業することが目 的で、借金をしてまでも大学を出そうとする。統計によれば東京帝国大学で学生の 二五パーセントは家庭以外からの援助金を得て勉強しているという。筆者は家庭以 外から絶対に金銭の援助を受くべからずとはいわぬが、あまりに大学を卒業せんと する念願の強さに驚くものである。これは確かに大学卒業生という美名に(あこが)れるこ とと、社会が単にその肩書によって区別をするという(へい)から生じたものである。

 なお日本有数の会社において社員の出世、--おそらく上級社員--を標準とし て統計を取ったところが、小学校のみを卒業したものと、大学を卒業したものとを 比較するに、その数に於て約半分半分であるということがかつて報告された。(しこう)し てその説明として、会社においては決して学閥的色彩のないことが証明出来たと いっているが、筆者の見るところにおいては、この事実は全く学閥あることを如実(によじつ) に示すとしか受取れないのである。それは小学校を卒業した人数と大学を卒業した 人数との差が隔絶(かくぜつ)しているからいうのである。

 東京市内における小学校数は約六百なるに反し、大学の数は十にも足らぬのであ る。卒業生一ヵ年の数を比較するに、小学校卒業生がおそらく五千人あるに対し、 大学卒業生は約五百人程度であろうから、約十分ノ一程度である。

 然るに会社において小学卒業生にて上級社員が約半数であるということは全く大 学卒業者に対してはなはだしき優遇(ゆうぐう)(もたら)されているということになる。これは一 方に頭脳(ずのう)良きものは、小学教育に満足せずして、無理しても上級学校に入学すると いうことも考えられることには相違ないが、以上の統計をそのままに鵜呑(うの)みして、 社会が大学出のみを尊重(そんちよう)しないといっても承知(しようち)出来ないのである。

 かように社会までが学校卒業の有無について甲乙をつけるにおいては、父兄たる ものの、争って子弟を上級学校に入れんとするは火を見るよりも明らかなことであ る。

 父兄が自己の子弟に高級なる教育を施さんとする意志は誠に尊重(そんちよう)すべき動機なれ ども、その出世栄達(しゆつせえいたつ)をのみ図って、自己の困窮(こんきゆう)までも犠牲(ぎせい)にし、また子弟の頭脳ま でも(かえり)みずして、驚馬(とば)鞭打(むちう)つごとき振舞(ふるま)いに出ずることはいかに考えても正道に 確歩(かくほ)するとは思えない。子弟の学に携わらんことを願望(がんぼう)するはよし、子弟を苦しめ て父兄の虚栄(きよえい)を満足する行為は睡棄(だき)すべきものである。

 仏国における制度のごとく、大学の講義はすべて公開とし、何人といえども学欲 あるものは聴講(ちようこう)差支えなしという制度は誠に理想的である。しかしながら、極めて 多人数が押しかけるかと思うと決してさようではない。学を好むものは東西いずれ も極めて少数なのに驚く。学生は単に卒業証書を得んがために毎日通学するのであ る。この意味を以てしては、天才の出ずるということはむしろ不可思議とさえ考え られるのである。

 天才なるが故に入学試験には落第する、日常の学校の作業の中には良き点を取る 学課のみではない。学校制度は正に天才を殺すともいえるのである。学校は天才を (はぐく)むところではなく、凡庸(ぼんよう)をある程度まで引き上げるのであるというならば、とも かく、天才にとっては現今の教育制度は全く迷惑(めいわく)である。天才は五十年に一人、百 年に二人という程度ならば、かかる人間を標準にする必要なしと(うそぶ)く態度が現在の 教育方針である。

 しかしながら、一人の天才、一人の賢者によって、自然研究の大方針は樹てられ、 方向づけられることは古来の科学発展経過の我々に教えるところである。我々は万 骨の枯るるを(おし)みながらも、一将功なる輝きをなお仰ぎ望むものである。

 自然研究の大道が指示されて、その道に従って努力すれば、科学の発達が出来上 ると考えるものは愚者(ぐしや)の意見である。自然研究に、いかなる事物が飛び出すかは誰 人も臆測(おくそく)することは出来ない、ただ天才が出でてその方向を明示するのである。天 才は常人の考え得る以外の範囲を思索(しさく)するのであ奄この思索の力は、幾人かかっ ても比敵(ひてき)することは出来ない、全く一人一人の力の競争である。毛利元就(もうりもとなり)臨終(りんじゆう)の 床に子息を呼んで与えた教訓(きようくん)はこの場合、決してあてはめることは出来ないのであ る。天才は何人の助けをも()らずして一人にて自然の研究を進めて行くのである、 その頭脳こそ至宝(しほう)といわなければならない。天才の頭脳の構造は常人より力強いと か、繊細(せんさい)であるとかいうのではないと思う。なんとなれば全く質的に異なったこと が考えられるからである。

 したがって努力により、あるいは研究時間を倍加したりしても、決してよきもの が出来るのではない。たとえば通常の画家がいかに努力をしても、また、画布(キヤンバス)の前 にいかに長時間坐ってもよき画が出来るということはなく、むしろ長く書いていれ ばいるほど拙い画が出来るというほうが当っているのである。これに反して、天才 画家はむしろ努力をするというよりも、あたかも短時間働いて作り上げてしまうの である。これはいかにも理に合わぬようであるが決してさようではないのである。

 およそ自然研究に携る研究者にもこの傾向があるのではないかと思われる。それ は必ずしも机に向かっていることが勉強でもなければ、研究室で実験に没頭(ぼつとう)するの が努力でもないのである。もちろん、ある種の予備的労作は必要には違いないが、 それのみではなんら持ち来すところがなく、それらの労作に(たましい)を打ち込む思索行動 が大切なのである。即ちその人に(そなわ)った思想の現われが活躍しない限りは、作品と してまた成果として人々に仰がれるものが出来ないのである。思想の鍛錬(たんれん)は全く人 格の修養と同じである。万人は何程かの人格はあり、何程かの思想あれども、これ らを正しき、力あるものとなすところに涵養(かんよう)を要する。人一生の年月を費してもこ の道から離反することは出来ないのである。

 自然科学者は常に自然の動向に心を用いること、古来天才科学者の業績に接する こと、かくして自然の何たるか、自然研究の方法が体得(たいとく)されるのである。いたずら に凡庸学者の言を信じて、いささかも自然の風貌(ふうぼう)に接することなく、蟄居我説(ちつきよがせつ)棲存(せいそん)するはもっとも悪しき行動といわなければならぬ。

 天才といえども決して生まれながらにして自然現象を熟知(じゆくち)するものに非ず、また 研究方法を体得しているものではないのである。この世に生まれて来て初めて、自 然現象に接し、学に携って自然研究の徹進(てつしん)探索(たんさく)し得たのである。この研究方法の 中にも古来の諸学者の方法に暗示(あんじ)を得てその方法を進展しているものの多いことは 確かであろう。天才の異なる点は凡庸学者の手法を範としているのではなく、古来 の天才学者に(なら)って卒直にその行動を起こしたとも思われるのである。

 要するに凡庸と天才との分岐点(ぶんきてん)は正にその思想の動向である。いたずらに試す必 要なき研究を墨守(ぼくしゅ)して、貴重なる人生を費すか、思想的に必然性を認めて自然現象 の帰趨(きすう)看破(かんぱ)するかにある。しかしながら、思想とたんに命名(めいめい)するが、これは哲学 者流の思想とは全く異なるのである。科学者の思想は全く自然現象中の事物を基と して発足するのである。いやしくも自然現象中の事実に反した事物を論じてもなに ものにもならないのである。事実は最後に決定を与える宣言書(せんげんしよ)である。この前には いかなる科学者といえども決定権に服さざるを得ないのである。

 以上の意味を以てすれば、尊きものは事実であるという風潮(ふうちよう)(みなぎ)るかも知れぬが、 これは自然そのままの姿であって、決して人類の存在あるが故にという問題ではな い。人は自力を以て研究し、自力を以て仮説を作る、そこに尊さがあるのであって、 事実を聯接(れんせつ)して科学という一大体系を作るところに尊さがあるのである。科学者は 事実の前に服するのは当然であるが、それなるが故に事実の発見のみを尊敬(そんけい)すべき ものではない。これはあたかも裁判官の前に於てその判定に服すといえども、裁判 官は尊敬すべき人士であるや否やは別問題である。いわんや自然に備なわるものと して、これを摘出(てきしゆつ)する動作は自然研究上欠くべからざるものには相違ないが、科学 の本体に対して系統づけるところに絶大の意味のあることを思わなくてはならぬ。

 確かに古来科学上の論争が新事実の出現によって終結(しゆうけつ)を告げた例は多い。たとえ ば太陽系の遊星が太陽を中心として回転する事実を渦巻説を以て説明したものが ニュートンの万有引力説(ばんゆういんりよくせつ)によって置き替えられ、今日何人も不審(ふしん)(いだ)くことがない が、またニュートンの光粒子説は、フレネルの波動説によって完全に光の伝播(でんば)は波 動によって行なわれるということが確立された。また電子粒説はブロイの集合波説 によって大なる展開を示したが、いずれも観測、実験に照してその真相が(うかが)われた 結果にほかならない。然もその実証に携るものは天才として認められるのである。 なんとなれば余人はかかる現象を夢想(むそう)し得ないからであり、天才のみその思索範囲 が常人のそれと異なって拡張されているからである。この常人を超越(ちようえつ)した思想、こ の思想が結局実験を行なわしめ、事実を確立せしめたのであった。

 天才の思索は全く常人の考え得ない範囲にまで延長するため、その言動はしばし ば奇異(きい)の感を起こさしめ、いわゆる常軌を(いつ)すといえるのである。天才は常に系統 の改善あるいは延長を考えることに気が奪われているために、かかる言動が自然に 現われるのである。よく若き芸術家が好んで赤いネクタイを結び、荒い(しま)ズボンを ()いて人々の意表に出でんとする行為と混同してはいけない。一方は万事に無関心 になるに反し、一方は事毎(ことごと)に人目につくような振舞(ふるまい)をする。天才の言動は思索の高潮(こうちよう)(ひた)る結果、世事には無頓着(むとんちやく)になるのであって、全くある場合には監視人をも要 する。天オは全く常人と異なった種類の人間であり、全く思索上に卓越(たくえつ)した学者で ある。このために従来樹立(じゆりつ)された系統にあきたらず新系統を創立するのである。し かしながら、天才といえども従来の系統がいかなるものであり、また事実を解析理 解するに充分の能力あるを必要とし、ある点までは常人と同じ過程を踏まなければ ならない。

 天才としてまた必要なるものは、その生まれ時期であるとも考えられる。研究は 全く事実を自然現象中から摘出(てきしゆつ)する行為を必要とするのであるから、もし当時得ら れた事実がすべて系統づけられて、手腕(しゆわん)(ふる)う余地がないこともあるであろう。即 ち、大天才の没後(ぼつご)ただちにその道に向かってもおそらく大発展を()げることは困難 であろうと思われる。即ち当時までの事実はすべて系統づけられてあますところが ないからである。即ち科学の発展に於ても新事実の集るまで、事の経過を待たねば ならぬのではあるまいか。またある考え方によれば、事実はどこにも(ころが)っているの であって、以上の杞憂(きゆう)はなんらないものであるという論者もあるようであるが、筆 者の論説としては、ある時代、その時には事実の蒐集(しゆうしゆう)がもっともよく行なわれ、事実 の堆積(たいせき)混沌(こんとん)としてある場合に生まれた天才は幸福であるという。

 即ち石材は已に集まっているが、それに彫刻を施すべき巨匠(きよしよう)の出でざるためにい たずらに原石のまま横たえてある状態であるのに匹敵(ひつてき)されよう。ミケランジェロの 伝によれば、数年来フィレンツェの町に大理石(だいりせき)の大塊が人の手がつけられずに横た えられていたのであるが、彼は二十七歳にしてこれに手をつけて立派なダビデの立 像を(きざ)み上げたという。果たしてこの大理石の大塊なくして、ミケランジェロは、 彼の怪腕(かいわん)を振い得たであろうか。もちろんミケランジェロ出でずしてその巨大な像 の出現の覚束(おぼつか)なきはもちろんであるが、石塊なくしてもかかる巨像の出来上ったこ とも望めないのである。 この意味を以てすれば、筆者は天才の出現すべき時代にも大いに意味あることを 信ずるのである。おそらく各時代に、質的には天才として(うた)われる程度の人士が生 まれ出ずるのであろうが、時を得ずしてそのまま力量を示すに到らず、朽ち果てる のではなかろうか。また朽ち果つべき充分の理由を感ずるのである。天才の種子は 四方に()き散らされるが、育たずして枯れるというのは聖書中の言であるが、確か にその比喩(ひゆ)は場所的にも時間的にも言えることである。またある場合には学制の不 備であることから、天才の出現すべき道が断たれ、可惜絶世(あたらぜつせい)の才を以て生まれ来た れる天才も、そのままに葬り去られて、なんら()すところがないのである。 筆者はかつて、イタリアのルネッサンスに主として芸術方面ではあるが、偉人の 籏出せる事実を見て、その伝統の然らしむるところもないとはしないが、当時特別 の事情のあるを窺知せんと試みた。たとえば幾百年前の出来事であろうが、新星の 発現により、当時宇宙線がもっとも大量に地球に降り注いだ結果ではないかと疑っ た。もしかかる宇宙線の影響とすれば、世界各国平等に天才の現出するはずである が、日本に於ても足利(あしかが)時代の文化爛漫期(らんまんき)であり、能楽(のうがく)創始者たる世阿弥(ぜあみ)のごとき、 あるいは雪舟(せつしゆう)のごとき不世出(ふせいしゆつ)の天才の出現等と思い合せて、その威力の並ならざる を思ったこともあるが、天才の出現はむしろ社会的状勢を看破(かんぱ)すべきことの大なる を信ずるに至ったのである。 天才は地球上常に()き散らされているが、育つものは幾人であるか、天才の種子 こそ凡庸人(ぼんようじん)に比較して極めて少なきものであり、また生長しにくいものである。社 会は天才を生育すべく制度化されていないのである。即ち各所に障壁(しようへき)があって、天 才はこれを越えるに大なる困却(こんきやく)を感ずるものである。天才を育てしめる制度の良否 を考えて後ルネッサンスのそれに比すべき偉人群の出現を望むほかはないのであ る。天才はこの意味に於て全く人為的に出現し得るのである。しかし、多数の人間 中より少数の人間を選び出すことであるから、その点には多くの操作(そうさ)を要すべきは もちろんであり、多くの当事者の充分の理解を必要とするものである。

 天才の出現が極めてまれであるために、その出現にはなにか不可思議の存在があ るかのごとく瑞摩(しま)する人もないとはいえないが、筆者はそれにはなんらの疑惑(ぎわく)も考 えない。自然現象の通則として、人類の中、偉人(いじん)白痴(はくち)とは全体に較べて少数であ り、ほとんど全部は凡庸人である。統計的にはこれらの分布度を判定をなすことが 試みられていないし、また出来ないからでもあろうが、かような分散は必ず存在し ているのである。すなわち天才の少数なる事は統計上の問題であり、また少数なる が故に偶然的に発生するともまた考えられるのである。 (しか)るにこの偶然的発生において、その因子は全く社会的状勢によるものの多きを 思えば、天才は全く社会の産物であり、良き花園には良き花が咲き誇るのである。 花園を耕すことを忘れて天才の出ずるを待ち(こが)れていても駄目である。花園の開拓(かいたく) こそ、全く天才出現の素地(そじ)である。

 然らばいかにして天才の出現を待望すべきか、美しき花をいかにして咲き出でさ すか、ここに結着(けつちやく)の問題がある。天才を発育するためには、一律的な試験制度を(はい) 止することである。もちろん試験あるが故に勉強もし、学力もつくのであろうから 全廃するには及ばないが、ことさらに門をせまくしていたずらに競争試験を激甚(げきじん)た らしむるは不可である。

 またいずれの学課も一人にして完全に習得するごときことを賞揚(しようよう)せずに、むしろ 特長ある人間を養成すること、即ち数学と体操とを二つながら上達せしめるような ことはしないことである。もちろんいずれも出来る者があれば慶賀(けいが)()えないが、 人間中平等に恵まれている者は少ないのである。頭脳(ずのう)の優れたるものは体力劣り、 体力の優れたものは頭脳の働きは(にぶ)る。かかる二つの動作を画一とせず、優れたる 技倆があれば、それを充分発達努力せしめること、これは正に天才を見出す一つの 方法である。

 世の中に天才教育を標榜(ひようぼう)して、その到達を図る企てはあるにしても、一校、一団 体がこれを行なっても社会一般がこれと歩調を合せない限りにおいては実現は難か しいのである。社会はその学歴を以てその人の能力を査定(さてい)し、差別待遇(さべつたいぐう)をあえてす る。かかる現状においては、なんら進展する術がないのである。これはまた徳川時 代の封建制度下において、各人独特の才能をもっていても伸ばすことが出来ず、制 度下に坤吟したものよりは確かに進歩しているには違いないが、天才を育むべき理 想的制度からすれば、未だ前途遼遠(ぜんとりようえん)といわなければならない。天才教育の主旨(しゅし)は正 に万人の頭脳の改正から始めなくてはならない。その(あかつき)に於ては自然に筆者の主張 する天才教育に一致するのである。要は正しき教育を(みなぎ)らして社会一般の文化を高 めれば、その中には制度の改革が叫ばれるに違いない。

 要するに天才論なるものは多くの人々によって唱えられ、天才の本質について、 また天才の出現について多くの論議が闘わされたにもかかわらず、今日依然(いぜん)として 天才教育には程遠き教育が実施されているのである。要路の人々に改正の意志なき を(なじ)るよりも、現状のままにても、より多くの人々を教育する方が先決であるかも 知れない。天才教育よりもより多き凡庸教育を前以て()すべき努力を、必要とする かも知れない。天才は数においては極めて(わず)かである、少人数の偉人を作るよりも、 力量はそれよりも劣るが人数の多き凡庸中の優秀なる人間を作る方があるいは近道 であるとも考えられるであろう。現在は正にその通りを行なっているともいえる。 多数の優秀凡庸人が作られる時において、おもむろに天才教育が議せられてもある いはよいのでもあろう。現在教育の主義の中にはおそらく少数という理由を以て却下(きやつか)される傾向もあるのであるから。

 かくて天才に要望するものは、我々の思索する範囲を充分拡げて、この領域に未 だ凡庸人の労作する余地を示すならば足るのであって、この領域に再び進歩、発達 が(もた)らされるのである。天才といえども人間である、ある領域においては凡庸人に 敗けるところがあるは必然である。しかし、思索的領域拡張に対して、充分の手腕 が振えるならばそれでよろしいのである。したがって天才の一生は迫害の多きを知 るが、死後その努力の順次に展開されて(うるわ)しき科学の園に百花捺乱(りようらん)たるを現出する のである。