心境の変化 岩波茂雄  犬養首相が臣節問題で天下に範を垂れてから、いわゆる「心境の変化」ははやりだした。例 の小川平吉氏など前の選挙には遠慮したものだが、今度は閉門蟄居の身柄をふりすてて大きい 顔をして議会に躍り出した。文壇にも学界にも、かかる類例は珍らしくあるまい。一諾千金操 守一貫などは昔のことで、時勢の推移と共に新らしい結構な道徳が生まれ出で、融通のきき過 ぎる詞が出来てくる。実は私にも「心境の変化」の経験があった。しかし自分としては以上の それと性質が全く違うと思うから、同一視されては困る。  今から一昔ほど前のことだ。上野にフランス美術展覧会が開かれて、ロダンの作品が多数陳 列されたことがあった。私はこれを見に行ってはじめて有名なロダンの多くの作品に接する機 会を得たが、特に私の心を惹いたのは奥の室の隅にあった、かつて写真でも見たことのない男 のトルソーであった。私は前に立ってじっと見つめて飽くことを知らなかった。また側面から 背面から見れば見るほど感心するばかりであった。これは私には力の塊のように思えた。また 人間の作ったものでなく、宇宙の一角がとんで来てここで固まったようにさえ感じられた。私 は会場を出る際にも再びここへ戻って、しばらく立ち尽くしていた。全くこの作品は私の魂を 奪ったのである。  この作品にうたれてから、私は何とかしてこれを手に入れようという野望を抑えることが出 来なかった。しかし私は第一に価格の点で躊路せざるを得なかった。いわば自分の嗜好品にそ れだけの額を払うことは、私の身柄にとって一大事である。欲しいという熱切な欲望と、身分 を考えて差しひかえるべきであるという厳粛な気持との深刻な闘争が私の心に続いた。煩悶の 結果、いっそ早く買手がつけばよい、そうすれば問題は自然消滅となり、私は苦しみより免れ ることができると、半ば絶望的にひたすらそれを願ったほどであった。  その頃彫刻家丁氏を訪ねることがあった。たまたま話が展覧会に及んだから、私は自分の心 を捉えたトルソーのことを話し、自分の求めたくも求められない悩みを率直に打ちあけた。そ の時丁氏に作品の大きさを尋ねられて、私は普通の人間の胴体くらいだと答えた。T氏は両手 を一尺くらい開いて、そんなに大きくはない、このくらいだろう、君は玄人だね、あれはなか なかいいものだが、素人向きのしないために買手がなくてフランスに持ちかえることになるか も知れない、惜しいことだ、何とかして日本に留めて置きたい、と言った。尊敬していたT氏 のこの言葉は一度に私の心に決定を与えた。今や問題は私の好き不好きという小さい問題では なく、芸術の問題であり、また国家的問題にまで進んだ。私はヒロイックな気持とたり、これ を求めざるは不心得である、これを求むるは国家に奉仕する私の喜ばしき義務であるとさえ感 じた。「心境の変化」はかくして私を煩悶の苦しみから救って朗らかな心持にすると共に、新 たに私を烈しい焦燥にひき入れた。もう一刻も猶予してはいられなかった。私は丁氏のもとを 辞するとすぐ車を上野にとばした。車中思いつづけたことは、すでに買い手がついておったら どうしようということであった。これまで買い手のつくことを切望していた私は、今は買い手 が他にあることを恐れた。そうしてトルソーには赤札がすでについているようにのみ思われて 仕方がなかった。いらいらした気持で会場についた私は、入場券を求むる間ももどかしく一散 にその場所にかけつけた。幸いにトルソーは赤札がついていないのでホッとした。見れば果た して丁氏のいった通り小さい物で、大きさにつき普通の人の胴体ほどと思っていたのは、昂奮 していた私の心の錯誤であったのだ。すぐ事務所に引き返したが、新たなる心配は別に買い手 がついて自分がそこへつくまでに行き違いに赤札が張られはしないかということであった。し かしそんなこともなく、途中、主催者のK君に会ってまだ売れてない事実をたしかめ、安心し て早速買い求める話をきめた。  私は始めて生まれた子供を見るように朝な夕なこれを見ずにおれなかった。それから約十年 たった今もなお、座右に置いて慰められている。私は「心境の変化」によってこういうものを 手に入れたことを、非常にいいことをしたと丁氏に感謝している。  私の「心境の変化」は私に無限の慰みを与えてくれるばかりでなく、芸術愛好者にとって参 考として役立つこともあろう。かような「心境の変化」は少たくとも国家に迷惑や損失を与え ることのないことだけは確かである。私はかつては「心境の変化」の本尊犬養宗の信者であっ た。その「心境の変化」の正体は知らないが、時局重大、邦家存亡のときである。ただそれが 幾分でもよい結果を生み出すことを首相のためにも、国家のためにも、今も祈って止まない。 また、「心境の変化」で議政壇上に立った勇敢な国士小川平吉氏に対してはもちろん満蒙問題 の解決たどに寸毫の期待をもたないが、せめてわれらの愛する祖国を冒漬してくれないことだ けを特にお願いして置く。                              (昭和七年四月『文芸春秋』)