『日本資本主義発達史講座』刊行の次第 岩波茂雄  一、昭和六年七月頃、平素懇意にしている羽仁五郎氏より、日本資本主義発達史に関する講 座が計画されているが、専門の学者がことごとく執筆する価値高きもので、かつ純然たる学術 研究なるがゆえに、岩波書店において発行してもらいたき旨申し込まれたと記憶します。なお 詳細は野呂栄太郎氏に尋ねられたしとのことにて、その後詳細の点については野呂氏と交渉し たと記憶しております。  二、右講座に関し、羽仁氏はもちろん、また野呂氏も慶応義塾大学小泉信三教授の推薦にて 翻訳の依頼を受けし関係もあり、さらに当時、東京商科大学教授であった大塚金之助氏は尊敬 した学者でもあり、個人的にも熟知しておりましたし、また平野義太郎、山田盛太郎両氏は新 進気鋭の真面目たる学究として定評のある人でしたので、これらの人々が主となって編集する この講座が立派なものであることは疑いをはさみませんでした。  三、店で書物を出す場合においては、学芸的価値高きものなるか、社会的・教育的意義深き ものなるかについてまず第一に考慮することを店是として溢ります。店において相談の結果、 この企図が店の伝統的精神にもとらざる出版物なることをたしかめることが出来ました。ただ 問題はいかに価値高くとも意義深くとも、その社会状勢において当局の許可せぬ方針の範囲内 のものであればこれをさけねばならないから、念のため、知友である当時の内務次官潮恵之輔 氏の紹介を得て、警保局図書課長に相談に行きました。これにたいし、課長はきわめて簡単に 「あなたのところで出されるものなればもちろん差支えなかるべし。もし何か故障でも起こる ことあらば自分に電話でもかけてくれ、出来るだけの便宜をはかるべし」との旨を申されまし た。親切なるこの御言葉に対し、私は感激して、たとえ内容の立派た講座が出来るとしても、 あくまで合法的にして、当局に御手数をかけるごときことは極力さけねばならぬと決意致しま した。ゆえに右講座を引受けるに際しても徹頭徹尾学術的たることと、また合法的範囲を出ざ ることとを強調力説してその完全なる承諾を求め、もしこの範囲を逸脱したと思われる場合に は、その編集をして当方の意に従って、右の約束通り履行厳守せしむる権利を保留してこれを 引き受けることとしました。たおまた講座執筆者には出来るだけ公平な立場をもって広く学界 の権威者を網羅されたき意見を付しました。その後編集者側との間に作製した覚書は別紙の通 りであります。  四、本講座は、その編集についてさきに述ベたるごとく学術的、かつ合法的なることについ て特別の厳粛なる条件を付して引き受けましたが、なお実際に当って店として一応通読して妥 当を欠くごとき文字は編集方面に注意して改訂してもらったことも少たくありませんでした。 また警保局図書課検閲係においても、内閣制度廃止後にもかかわらず、特別なる好意を寄せら れ、その時の公刊物として遺憾なきを期し、納本配本等の法定手続を厳守し、かりそめにも法 に違反することなきよう専念努力して刊行いたしてまいりました。  五、かくて一回、二回、三回配本とも無事に刊行されてきましたが、四回日に突如、発売禁 止処分にあいました。  内容については、当方の方針は寸分も従来と異ならず編集し、あくまで誠意をもって介法的 たらんと努力し来たりしに、突如としてかかる仕打ちに会って驚き、私は前の課、長との諒解の 件もあったことですから、当時の次官、友人河原田稼吉氏の紹介をもって図書課長を尋ねまし た。この時は以前の図書課長ではなかったと思います。私は率直に不服を述べました。取締り 方針の変更はその時勢によって生ずるとい弓ことは承知しているが、かかる場合にはあらかじ め出版業者に予告してもらえばお互に手数がなくて、社会上から見て無益な時間と労力をつい やすことなく、われわれあくまで合法的に出版を企図している者には、このたび当局のとった 処置ははなはだ残念である。これに対し課長氏は当方において検閲方針は変更せず、君の方の 編集方針が違ったろうといわれて、官憲に抗することは出来ないにしても、内心はなはだ不平 であったことを記憶します。後に聞くところによれば、この時、最高部におけるかかる方面の 取締りが天降り的に非常に峻烈に大変更されたとのことでありました。  六、それでその後の分はいっそう注意に注意を重ね、昭和八年九月に至って予約者に対して 配本の義務を完了することが出来ました。                                  (昭和八年九月)