私は図書出版に重大な文化的意義を痛感し、創業このかた二十余年、種類のいかんを問わず価値高き書の刊行普及を使命として微力を捧げて来たが、ただ教科書のみにはこれまで進んで関係することを欲しなかったのである。これ、教科書においては、編者の立場より見れば、自由なる意志が拘束せられてその所信を十分に発揮し得ざる遺憾があり、また出版者としては、特色あり生命ある出版が困難であると考えたからである。
しかしながら、翻って思えば、教科書は国民教育の経典として青年の理想を培養し人格を陶冶する厳粛なる任務を有し、国民精神の一大原動力たるがゆえに、諸種の制限があるとはいえその出版の責務を等閑に付すべきではない。しかも今や躍進して世界に対し重大責任を負える新興日本として、教科書の使命はさらに重大さを加えたことはいうまでもない。
神聖なるこの出版事業をしていたずらに利権の対象たらしむることなく、教科書本来の使命に立脚して最善を尽すことは、真摯なる学者と良心的出版者とに課せられた、現下における至要の責務であらねばならぬ。
叙上の情勢と所信とは、私をして今後信頼すべき学者の献身的なる協力を得て、理想的教科書の出版に向かって邁進すべきを決意せしむるに至った。なおその普及に関しては、不祥事件の歴史にかんがみ、あくまで公明なる手段と真摯なる努力とをもって、その本質的価値を直ちに教育者諸賢の識見と良心とに訴えんとするものである。
昭和九年十二月