教師より本屋に 岩波茂雄 教師より市民に  私が教職を止めて商売人となったことについては、人々からよく奮発なさいましたというこ とをきく。白分にとっては奮発の意味が一向わからない。奮発という詞の中には努力の意義が あるようだが、私が商人になったのにはその努力が少しもない。責任のある自らを苦しむるこ との多い境涯から免かれて、比較的責任の軽いのん気な境涯にはいったまでである。もし叶…同 で、学校の教師という何だか有難}てうな高尚そうな境涙から、私が大学を出ながら士畏工商の 中でも一番低い階級とせられている商人となり下がったということを、物珍らしく奮発とかい うならば、それは大なる考え違いである。田圃にあって糞桶を担ぐと、教壇に立って教鞭を振 るうと、さ柄それ自身に何の差別があるでしょう。 「愛あり信ある者の手に取られたる鋤は、 空閑にして虚栄を擁する王者の剣と何れぞや。」昨日までフロックに山高をかぶって学校に通 ったとて、今日荷車を引き大風呂敷を負って自転車でかけ廻るということが、何の珍らしがる ことがあろう。奮発とかいわれることは自分にとっては無意義である。没交渉である。  私が現代の日本の若き女子に対し多大の同情を持つことより女子教育に従い、その興味も同 情も衰えぬに教職を拠ったのは次の理由によるのです。  第一、私の考えている教育上の理想と現代の教育の実際との懸隔があまりに甚だしく、また 私が微々たる自己の理想を実現せんとしてもそれは現代の学制が許さず、また私の居りし境江 も許さなかったためです。私の居りし学校は幸い私学であったために、くだらない形式的束縛 はうけずにすみましたが、所思を断行する者において遠慮しなければならぬ場合が多かったの です。自分の主宰せる学校でない限り、これはやむをえぬ当然の運命ではあるものの、理想に 生きんとする自分にとりて、教育者としての自分の理想を実現することのできぬ境涯にあるの は矛盾でもあり、また苦痛でもあったのです。それに真面目に考える場合、特にその苦痛が多 くなって、遂にやめようという気を起こしたのです。  第二に、私は教育者として人の下に働く場合には事務的、職業的でなく感激の心を持ちたい のです。 「人生意気に感ず功名また誰か論ぜん」というのは素朴幼稚なる感想かも知れません が、自分にとりては今もなお共鳴を覚える詞でありますcその主義において、その理想におい て多少異なるところある場合にも、その人の知遇に感激するところあれば、己をまげてもその 人のために尽くしたいのです。一片知己の感を抱くあらば、もとより物質的条件たど念頭に浮 かぶはずのものではありません。己を信じ己を愛する友のためには、、この身この心をすてんこ とを願えども、感激なき生活の繋縛には長くたえられぬのです。幸いにわが友教え子と自分と の間には、この感激の気息が通い同情交際ができたので、自分の教員としての生活は大いに慰 められ、これが教員生活を四年間もつづかせた唯一の理由となったのである。私の主宰者は私 を重用し信頼するというのですが、私の心の狭きためか偏せるためか、それを受け入れること ができず、したがって感激の念が一向起こらなかったのです。その上、主義理想においても幾 分の蓬庭あり、また教育に対する熊度にも相容れぬものがあったので、止めるよりほかなきこ ととなったのです。  それに自分は信州に生まれ、同国人の血を受け、かの稜々たる山岳の間に養われたためか、 とかくわがままで自由とか独立とかいうことを欲する念が盛んである。個性を専重することに して他人と歩調を合わせる点においてはなはだ不得手である。自分の行きたいところに自分独 りで勝手に行きたい。これが私の性分であるから、他人の下、特に主義理想も同じからぬ、ま た感激の念も起こらぬ他人の下に働くということは根木的に不可能葺である。これらの理山に よりて、私は前の生活をつづげることがでぎなくなったのですが、全然教育に関係するこンを 思いきりましたのには、さらに根本的の理山があるのです。それは内省の結果、自分は人の子 を教ゆるに足る資格を備うる者でないと自覚したからです。  これまで教育上の理想とか主義とか感激とか独立とかいったことは、この理由の前にはきわ めて薄弱なる理由となるが、それらはいずれもこの動機を与えた外部の刺激となったのです。 試みに自分に問うて見る。神聖なる教育事業に従茸して人の子を導く資格ありや、汝の人格性 行は他の典型たりうるか、白紙のごとき児童の脳裡に汝の与うる印象は如何、汝の教育上の理 想、主義なるものの根底は何処にありや、汝なんの権威をもって人の子を導かんとするか、静 かに内省するにわが心は虚偽迷妄の魂のみ。信仰なく、所依なく、自覚なく、根底なく、ほと んど適従するところを知らない有様である。かかる不安撹乱の心持をもって、いかで人を教う る大任を果たすことができようか。人を教うる前にまず自らを教えねばならぬ。人を救う前に まず自らを救わねばならぬ。自分は在来の白活のあまりに大胆たりしに驚いた。かつ苦しみも した。そして何は措いても人の子を賊うごとき苦痛の境涯より免かれんと決心した。これが私 の断然教育という世界から関係を断たんとした唯一根本の理由であります。  一高にありし時代に自分が人生につき考えさせられ多少苦しんだことが縁となって、今でも やはり同じ問題に苦しんでいる。宗教や美術や天然や、また僅少なる人によりて僅かに慰籍は 得ているものの、不可解の問題は不可解として永えに残っている。   前不見古人   後不見来者   思天地悠々   槍然独涙降  悠々たる天壌の無窮に思い入りては、何とはなしに寂蓼悲哀の感に襲われ、独り涙を流すこ とは今でもないではない。  私はかかる気分を持って市民としての生活にはいりましたが、比較的苦しみの少ないことと、 のん気なることとは心に緩容の思いを与えます。商人としては、品物を選択し比較的安!、売っ ておれば、人の用にも立ち決して人の子を賊う心配はありません。勉強するも下勉強なツωも白 分の勝手で、他人に多くの迷惑をかけぬのです。もちろん一市民としての責務を果たすには相 当の努力を要するのですが、他人に関係する責任は教育者たる生活に比ベて比較的に軽いと思 われます。  重き責任に堪えられずして軽き責任の地位に身を置いたのですから、私の商人となったのは 発展でなく退嬰である。凋落である。戦敗隠家を市民たる生活に求めたのである。 正札主義と簡易生活  偽りなき生活は人の子には全然不可能の生活かも知れない。しかし偽りたぎ真実なる生活を したいという欲求は、われわれの意識に潜在する犯すベからざる厳乎たる事実である。われわ れは日々虚偽の生活を送って平気でいるが、一度反省黙思する機会を得れば、この真実なる生 活をせねばならぬという衷心の叫びに驚かされるのである。偽りなき生活はわれわれの衷心に |幡《わだかま》っている至深至高の要求である。  いわんや出世間的の生活でなく俗悪なる商人生活において、この比較的偽り少なき生活を送 るということは至難のこととは思うが、私は利を求めてこの境涯にはいったのではないから、 微力の続かん限りこの可成的真実なる生活を求めんために健闘するつもりである。正直では商 売ができない。これは昔の人の一種の迷信で、私は不可能ではないと信じ、あくまでも真面目 にやって見たいと思う。万一誠実をもって立つことが出来なかったら、いつでも潔くこの境涯 を放擲するだけの決心はある。正義をもって立てない境涯には私はいささかの未練もたい。私 は初め商人となろうとした時、利害という観念にはなはだ乏しいところから、とてもやって行 けぬと考えたものが多く、必ず損をし失敗すると断定を下した人もあった。私白身にしても、 実世間を知らぬだけに多少の不安がないでもなかった。開業以来まだ一年に過ぎぬ。誠実な態 度で充分やって行ける。私はそれを歓喜している。  古本の正札販売はこれまで、ある人によって試みられたが、結局失敗に終わったらしい。私 は先生や友人や同業者の不賛成または不可能を唱えるにもかかわらず、断然やることにした。 もちろん多くの困難と不利益とはあるが、やってやれぬことは決してない。現に正札販売を現 行して一銭一厘も引かずに頑張り、多くの犠牲を払い、不得策を忍んでいる。誰も知る通り、 古本屋、古着屋という商売は最も|たち《ヽヽ》の悪い、掛け引きの盛んな商売とせられている。この古 本屋の四十軒も五十軒も並んでいる所に初めて店を開いて、一銭一厘も引かずに通そうとする のは実にもって至難のことである。店の主義を了解する人は友人知人のきめわて少数で、他は 通り一べんのひやかし客である。これに対して一々私の店は正札ですと弁ずることすら非常な る煩わしさである。これを現行するといっても信ずる者は少ない。ある人に対しては、誠実に 仕入れ値段まで打ちあけて正札を説明しても、冷笑をもって迎えられる。そんな場合には腹も 立つ。 「価のいかんにかかわらず貴下には売りませんから他店で買って下さい」と言っで.追い 出すようなこともある。客の方から言えば、至る所で掛け引きをするから、正札を信ぜぬのも 無理はないが、自分の真実な生活を理解してくれぬもどかしさについ怒って来るようなことに もなる。ゆえに自然まけないために、また掛け引きをせぬために、買わずに行く客がずいぶん 多い。中には、一たん出て行ったものが後に帰ってきて買って行く客もある。これがために売 L上げの少ないのも事実である。売上げを多く利益を多くする上からいえば、世間普遍の値をつ け、こちらの好意をもってできる限り引いて(いわゆる掛け引きでなく)やる方針を取れば、 一番よく売れるだろうが、私は掛け引きを全然排斥したいから、不得策ながらも正札販売を現 行することにした。そうして店を信頼してくれた人とのみ取引をしたい。  私は商人としての簡易生活を打ち立てようとしているのにほかならぬ。よい客に対する謙譲 と親切とは当然であるが、みだりに叩頭平身する虚礼悪習は学びたくない。店員はすべて素人 のみで、いわゆる商人風の者は一人もいない。かつて富山の某書店にいる男が来たが、商売人 風のところが気に入らないために断わった。私の店は商業上の第三帝国でありたい。  私の店は私の個性の上に立てられた城でありたい。人形町の坂井屋と、神田小柳町の伏見屋 とは古衣屋の正札販売をやっていると聞いて、私は知己を得た思いがした。時代生活は目を追 って忙しくなってゆく。われわれ商人は日を追って正直に、率直に、そして簡易な営業ぶりに はいらねばならない。批評の徹底した時代がきて、自分どもの態度が認められることを私は信 じうる。これまでは私はつねに通う学校の教壇で同じ生徒の顔ばかり見ていた時とはちがって、 毎朝六時頃より夜の十一時頃まで、入れ代わり立ち代わり幾多の人に接するのですから、人問 についての種々の知識をうることができる。店の位置がちょうど古本屋町の中心に当るので、 あらゆる階級の人があらゆる要求を持ってやってくる。哲学書を探しに来る大学生、産婆の本 を求めに来る女学生、陶宮術の本を探しに来る老人、赤ん坊を泣かせずに育てる書を求めに来 る若夫人もある。帳場に坐って静かにこれらの客の尋ねぶり買いぶりを見ていると、なかなか 興味が深い。堂々たる風采のいわゆる紳士(?)階級の人が、一銭しか儲けのない雑誌を三残 値切って、断わられて買わずに行く者もあれば、ハッピを着た、ただでも本をくれてやりたい と思うような工夫が、求めたい詩集を陳列棚から取り出して、正札通り金を置いてサッサと出 て行くこともある。また、面倒臭いくらい、ていねいにおじぎをして本を尋ねてくる人もあれ ば、立派な風をしてそり|返《ちさ》って「オイお前の店にこれこれの本があるかい」などと威張り返っ てききに来る客もある。ちょっとした尋ねぶり買いぶりにも、人々の個件が窺われてなかなか 興味が深い。|かっばらい《ヽヽヽヽヽ》に来る者を除いて、本を求めんとする者の名くは値切るのが普通だが、 その値切り方にもいろいろある。一銭も引かないと聞いて却って安心して買って行く者もあれ ば、正札だと説明しても一、二銭引かせようとして貴い時間を十分も二十分も浪費する気の毒 な連中も多い。興文社発行の少年漢文叢書は以前三十五銭で売ったが、その後値上げをして三 十七銭で売っている。これを二銭引かせるために、二日にわたって三、四回足を運んで結局、 正札通り三十七銭で買っていった人もある。値切り方の最も甚だしいのは支那人だが、これは 国民性にもよるだろうし、また一つは、古本屋が支那人に対して特に誠実を欠くという点から も来ているかも知れない。帝大や=高にもずいぶん汚い値切りをする者があるが、比較的に一 番買方のきれいな方である。一般に女の人の買うことの少ないのにも驚くが、値切りの細かい のにはさらに驚かされる。いずれにしても、値切らずに買うものでないという誤れる先入主感 情に牢として抜くべからざるものがあるらしい。何ほど安くても負けろといい、負かさずに買 うことをもって一つの恥辱と信ずるらしい習慣の惰性は恐るべきものである。多少の値切りは 習慣上やむをえぬが、こちらの仕入れの半分にしろなど平気でいわれるときには、自分を詐欺 師だと思うかと反問したくなるくらいである。フロックにシルクハットの堂々たる紳士が、二、 三銭の教科書をわざわざ取り寄せさせた上、届けさせ、店員ではありながら使いにやるもいた わしいほどの子供の使いに、割引をなぜせぬかと叱られたことなどもある。 新本取次販売と入銀  新本の取次ぎについていえば、普通堅実なる書は八半掛、すなわち一円のものが八十五銭で 発行元からくれるはずになっている。これを小売店では一割引、すなわち九掛で売ることにな る。一円のものに対して五銭はきわめて薄利であるが、今のところ一割引だけはしたくてはな らぬ習慣になっているからやむをえない。もっとも本によれば八掛のものもあるが、これは八 十五銭で売ることになっている。博文館の七大叢書のごときはそれである。八十銭が仕入れで 八十五銭に売るのが普通となっている。きわめて薄利である。  したがって、こんなことでは新本屋の経営は困難であるが、多少本屋にとって有利なことが ある。それは新本が出来ると多くは|入銀《にゆうぎん》と称し、普通八半掛のものを七半掛くらい(つまり普 通の原則たる掛より一割か五分くらい安く)にして卸す。  この時は本が出たばかりで売れるかどうかわからぬ時であるが、このとき取ったものを一割 引で売るとすれば一割五分の利得となるはずではあるが、しかし万一売れないものを仕入れて 売れ残る場合には、十冊とったものが一冊残っても損をしたければならないはずになる。私の 店で新本を二割引で売るのは、七半掛の入銀の品を五分の利で八掛で売るのである。入銀でと った品がなくなった場合には、仕入れが八半掛で在来の売価より五分高く仕入れる理であるか ら、売るには九掛すなわち一割引で売らねばならぬことになる。ゆえに私の所で新本を二割引 で売るからといって、入銀の品のない他店にも二割引にせよというのは無理である。他の店で 一割以上引くことがあっても、私の店に入銀の品のない場合には、一割以上引くことはできな い。また特別に大市などで仕入れた品は一割や二割は安く売ることができる。新本は普通の場 合、一割以上引くことのできるものではないが、それ以上できるのは、入銀の品や大市の品が あるからである。大市は十月と三月と二回ある。だから安く買わんとする場合には、この時期 にとりつけの本屋にたのんで大市の品をとってもらうがよいと思う。新本の普通の取次ぎをし て五分くらいの利得では、とうてい生活ができるものではない。地方においては郵税がかかる から、定価より割引のないのが当然である。 一割くらいの割引があれば、東京より取り寄せる よりも安くつくのである。そんなわけだから、本屋に対して一割以上の値引を要求するのは少 し無理な注文である。とりわけ法律書のごときは卸しが九掛もしくは九半掛だから、いくらも 割引が出来ない。医書のごときは、二分くらいしか割引がないから、定値通り売っても幾らも 儲けがない。教科書のごときも一割引くらいが原則だから、引いても五分程度のもので至って 僅少である。 古本販売三方法  古本の仕入れについては、古本の市がたえずあって、そこから買うのと、同業者間を廻って 買うのと、素人より買うのと三通りある。素人より買う場合には市価より一割安くらいに買う のを普通としている。素人より買う時には、市に出しても多少の利得になるように買うのであ る。古本の価は一定しておらぬ。市価を標準とするはずだが、市価は時節により、本の古さの 程度により、競争者の如何により、高低があるから一律にいうことは出来ない。古本は買値に 二割も三割もかけて売る。ただ古本は新本と異なり、この上古くなることはない。新木のごと く古くなったためにその値の安くなるという気遣いがないから割りがよいのである。古本では 原価の十分の一くらいのものもあれば、半額くらいのものもあり、またよく売れる品となると、 ほとんど新本の値に近いものもある。 『模範英和』のごときは、古本でも新本と二十銭も相違 がないくらいである。 『み、ずのたはごと』などは、古本でもきれいなものは一円十銭くらい である。また絶版の書籍になると、定価以上になるものもある。したがって古本の売買は結局 確実なる古本屋に信頼するか、方々の店を聞き合わせて安きを選ぶより道はない。古本の注文 についても、店にあるものは比較的安く売ることはできるのであるが、他店からわざわざ取り 寄せて差上げる場合には、勢い安く売ることができないのはやむをえないことで、取急ぎの注 文の時にいくぶん高くなるのはこれがためである。急がない場合には市に出るのをまち、また は安物を捜す機会をうるから、安くできる。  古本の問合せに対し、店にあるものだけの本の価を申し上げることは容易だが、あらゆる種 類の要求に対し店にあるものは多くはないから、他店を捜索してその価を確かめて知らせると いう順序を経なくてはならぬ。捜索には第一に神田の古本屋を何十軒となくさがし、さらに早 稲田や本郷や三田の方をもさがしてお知らせすることになる。ゆえにこのために多くの時日を 要する。東京に手紙を出せば早速わかると思うのは大なる誤りである。捜索について本屋の苫 心は尋常一様でない。それも注文なればともかくも、 一応の照会に止まって、照会の中で注文 のくる部分は僅少である。利得など眼中に置いては、本当に照会者に対して満足なる解答を与 えることはとうていできない。どこまでも義務のために義務を果たすという考えが必要である ように思う。  別のことであるが、かつて雑誌一冊の注文を受け、折から雨降りで自転車に乗ることもでき ず、先方では至急の用であるというので、取次店に行ってみたが取次店にはなく、わざわざ遠 方の発行所まで電車でとりに行き電車で届けると、一銭の利得に対して電車賃往復一回と片道 一回十四銭の損をしたことなどもあった。まさか実費などといって、こちらより電車賃を要求 するわけには行かない。一市民として小なる責務を全うしようとするにも多少の努力がいるの である。  自分は本屋にあきて、別の境涯にはいることがあるかも知れないが、いずれの境涯にはいる としても、真実なる生活を求むるという態度において一貫したいと思うている。一市民として の私の小なる努力に対しても多少の共鳴があり、また未知の友より書を寄せられて激励せらる ることは感謝にたえない次第である。天上星展の美あり。地上には新緑の滴るあり。また、世 には自分ごときものを了解してくれる僅少の友人がある。自分は生来の厭世子であるが、時に はシラーの言った 「此地 尚美し、人たること亦一の喜びなり」という感をもつこともある。 51