感想 伊丹万作 誤植のこと  某誌からシナリオ時評を頼まれた機会に本年一月以降の雑誌にのった多くのシナリオを熟読してみ て、誤植の多いのに驚いた。  八田君の「女性新装」などというシナリオは、ラストがオlヴァラップでお終いになっている。オ ーヴァラップのラストなどは「隻手の声」にもまけたいほど玄妙不可思議なものであるが、作者の身 になれば笑いごとではあるまい。しかしこの場合はだれが見てもまちがいだなと想像がつくからまだ いいが、途中のしぼりや0・Lがまちがっていたらもうわかりっこはない。  このような記号のまちがいにかぎらず、一字一句の違いで効果が逆転する場合も決してめずらしく ないから、作者にとって(これを批評するものにとっても)誤植ほど恐ろしいものはない。  外国においては誤植は特別のことらしいが我国では普通のこととされている。これは我々の用いて いる文字が複雑すぎるせいもあるが誤植に対する考え方にも多少の開きがあるのではないだろうか。  各雑誌の編集者たちは、会ってみると皆まじめな人ばかりで、仕事をいいかげんに考えているよう な人は一人もいない。だから私はこの人たちの良心を疑う気にはなれない。おそらく非常に忙しすぎ るか何か、同情すべき理由があるに相違ないが、作者が粒々辛苦して探しあてた貴重な一字一字であ ることに思いをいたし、今後は一層の努力を切望せずにはいられない。と、同時に作者の側にも反省 を求めなければならないのは、かなりひどい誤字や当字が見られることである。  シナリォ作家の道はどこまでも文字による表現のうえに成り立っているのだから、誤字、当字、脱 字などは、やはり作家の恥である。少なくとも雑誌などに発表する場合だけでも、字書を参照して厳 留な校正を施すだけの手間を惜しんではならない。 映画の中の芸術家 映画を作る人、中でもシナリオを作る人は明らかに芸術家である。しかもそのような芸術家たちに よって作られた映画あるいはシナリオであるにもかかわらず、その中で本当らしい芸術家が描かれた ことがほとんどないのはどういうわけであろうか。  我々はふつう芸術家がどれほど長くかつしんぼう強い不断の努力によって所期の成長を遂げるもの であるか、またそれに対する褒美がどのようにおそくかつ少しずつ与えられるものかということをよ く心得ている。  しかるにひとたび映画に登場するや否や、芸術家のいっさいの事情はまったく一変してしまう。映 画に出てくる芸術家は多くの場合芸の修練の過程を無視して一躍認められたり、にわかに大家になっ たりする。あるいは悲境のどん底から突然光栄のまっただ中へ投げ込まれたりする。映画に出てくる 芸術家だけがなぜこのような奇蹟を行わなければならないのだろうか。  奇蹟を行った彼は一部の観客の尊敬するところとなるかもしれないが、そのかわりこの場合芸術の 本質はまったくゆがめられ、極端にいえば|富籔《とみくじ》にもちかいような偶然性を持ったものとして大衆に受 け取られつつあることを考えなければならぬ。作者が芸道の修練過程を正しく扱わなかったために、 芸術そのものが実際よりもはるかにばかな仕事のように見えた例は枚挙にいとまがないが、現在日本 ですぐれたシナリオ作家といわれている八田君や依田君のシナリオにおいてさえ、いくぶんその弊が 認められることは残念である。たとえば「女性新装」の末尾においても主人公の一躍認められる経路 に浅薄なものを感じるし、依田君の「残菊物語」においては大胆にも芸道修練に置きかえるに単なる 世間的苦労をもってしている。そしてこれと同じようなことは「浪花女」についてもある程度までい える。  なおこれと関連して私はいわゆる芸道三部曲なるものを改めて見たおしてみたのであるが、意外に も、それらはことごとく芸人の世界の人情を描いたものであって正しく芸道を描いたものは一つもな いことに気がついた。しかし外国の映画にも芸道をごまかさずに正しく描いた映画はほとんどないと ころからみても、この仕事の困難なことは想像される。  世間では溝口、依田のコンビに方向転換をうながす声が強いようであるが、目先を変える意味では それもよかろう。しかし芸道の表現はもはや十分だなどと、もしも二人が考えているとしたらそれは 大変なおもわくちがいである。芸道はいまだ表現されておらぬ。したがってそれが表現されるとした らこれから後であり、それを表現する人としてはやはりこの二人に期待がかかる。 汽車の速度 「指導物語」で機関士が兵隊を教育する中に、速度計を見ないでその時出ている汽車の速度を言いあ てる練習をするところがある。ところがこれが兵隊にはほとんどできない。機関士はいらいらして周 囲の景色と動きなどから判断せよといい、兵隊はいっしょうけんめい努力するのであるがいつまでた っても成功しない。  機関士はこの不成功の理由を教育期間の短いことに帰して考え、小説の作者もほぽそれに同意して いるようにみえるが、このような教育の方法自体にまちがいはなかったであろうか。  汽車のことについて何一つ知りもしない私がこんなことをいうのは|滑稽《こつけい》かもしれないが、もしも私 が機関士なら、あの場合兵隊に景色の動きを見ることなどは要求しないだろうと思う。むしろ眼なぞ つむってもいいからいっしょうけんめい汽車の音を聞けと命ずるにちがいない。  速度を知覚する器官として、耳が目よりもはるかに便利、かつ正確なものであることについては、 十分な心理学的基礎があることはともかくとして、我々は実際の経験で十分にそれを知っているはず である。たとえば私たちは周囲をまったく閉ざされた寝台車の中にねていても、汽車の音でおおよそ どれくらいの速力で走っているかだいたいの見当はつく。そして、このだいたいの見当を訓練してさ らにさらに精密な知覚に仕立てあげることは必ずしも困難ではない。なぜならば、我々が汽車の中で 聞く音響の基調をなすものは一連の車輪が線路の継ぎ目を通過する際に発するゴトンという感じの音 であり、軌道一本の長さは一定しているから、時速何マイルのときはゴトンの音が一秒間にいくつに なるかということはすぐに計算ができる。このようにして最初は時計の助けを借りて練習し、少し見 当がついてきたら時計を離し、純粋にテンポ知覚によることとすれば、案外短期間で目的を達し得る のではないかと思う。もっとも機関車の場合は、いろいろ音響が複雑であろうことは考えられるが、 それにしても同じ軌道の上を走る以上、基調の音に変りはないはずだと思う。  我々の五感はその機能が相互に結び合っており、視覚だけ、聴覚だけを切り離して考えることは実 際には困難であるが、このような場合には、主として視覚的に教育するのと、主として聴覚的に教育 するのとでは、その効果が比較にならないくらい違うのではないかと思う。現在の日本には多くの方 面にこのようなことがずいぶんあるのではないだろうか。 映画と癩の問題 数年来、映画をまったく見ていない私は、作品としての映画を批評する資格を持たない。したがっ て私は、映画「小島の春」を批評することはできないが、|癩《らい》というものが、あのような仕方で映画に され、あのような方法で興行されたという事実に対してはいまだに深い疑問をいだいている。そして この疑問はいまだに疑問のままで心の隅にわだかまっており容易に解けようとしない。そこで次にほ ぼ疑問の形においてこれらの問題を提出しておきたいと思う。  私の郷里は四国であって比較的癩患者の多い地方である。そしてその大部分は浮游癩というか、四 国遍路ないしは乞食となって仏蹟を浮浪してまわっているのが多い。したがって私は幼時から癩を意 識したり癩者を見たりする機会か多かった。たとえば1  少年の一日、私は仲間とともに遠足に出かけた。三坂峠という山地へかかる際の石の地蔵さまのあ るところで休憩を取った。  私は地蔵さまにもたれ、そこらいっばいに咲き乱れた卯の花を眺めながら片手で無意識に石地蔵の 肌をなでていた。すると、それを見た意地のわるい仲間の一人が私にいった。 「おい、ここは遍路の休むところじゃろうが。その地蔵も何べんどす(|癩《ちち》)になでられたかわからん ぞ。もうお前にはどすがうつったはずじゃ。どすは空気伝染じゃぞ。」  私はあおくなってそこの小川で手を洗うやら一人で大騒ぎをやったが、このときの救われない恐怖 と不安はいまだに忘れることができない。  私の生れた町の側に石手川という川があり、ここの堤防にはよく癩患者が野宿をしていた。  あるとき私はこの堤防の道幅の狭いところを歩いていると、乞食らしい男が、すっかり道を遮断し て寝転んでいた。近づくままに顔を見るとそれはもう末期にちかい癩患者で、眼も鼻も毛髪もまった くなく、口と鼻腔だけが無気味な闇黒をのぞかせていた。顔の色はところによって勝手に変色したり 槌色したような感じで、部分的な変化が多く、一貫した主色というものが感ぜられなかったが、だい たいの感じは真珠貝の裏に似ており、紫や桜色にテラテラと輝いて見えた。そして全体が|火傷《やけど》のあと のように引きつって見え、顔というよりも、むしろ何か極めて薄い膜を根気よく張り重ねてこしらえ た不規則な形の箱のような感じがした。  私は、ちらと見た瞬間、それらのことを感じると、今度は反射的に息をころしながら、道端の草の 茂みの中へ踏み込んでそこを通り抜け、駆け出さんばかりにしてそこを遠ざかった。  また、八十八カ所の霊場である石手寺の参道には両側ともびっしりと乞食が坐っていたが、その大 半は癩者であった。彼らが参詣人から与えられる小額の銅貨を受け取るため、絶えず前に突き出して いる手にはほとんど五指がなかった。我々はそれを見るのがいやさに、この参道を駆け抜けるのが常 であったが、あとで|生蔓《しようが》を見るたびによくその手を思い出した。そして石手という地名は我々の間で はしばしば癩の隠語として用いられるようになった。  このような環境に育った我々が、ややもの心がついてくるにしたがって、いやおうなしに癩の運命 について考えさせられたことは少しも不思議ではない。そればかりでなく、我々が人生について、宗 教について、恋愛について考え始めると、癩はいつも思考の隙間隙間へ忍び込んで、だまって首を振 っているようになった。そして癩は機会のあるごとに我々の耳へ口を寄せ、こういってささやく。「お れを肯定しないで人生を肯定したって、そんなのはうそっばちだよ」と。  かくて、いまや我々は癩というものを単なる肉体の病気の一種としてのみ理解しているのではない。 むしろ人生における、最も深刻なる、最も救いのない不幸の象徴として理解しているのである。  どんな不幸な人をつれてきても、「まア癩病のことを思えばいいじゃありませんか」という慰めの 言葉が残っている。しかし、癩病の人に何といったらいいか。上を見ればきりがない、下を見なさい と人はいうが癩者にとってはその下がないのだ。まことに、これこそ人生のどんづまりである。すな わち癩の問題に触れることは「人生の底」に触れる意味を持つ。  さて、一応以上の意味を了解したうえで、ここに一つの疑問を提出してみたい。つまり、芸術家と して、癩を扱いながら、しかも人生の底に触れることは、なるべくこれを避けようとする態度は正し いことであるかどうか。  次に、芸術家の好むと好まざるとにかかわらず、映画というものは、その持ちまえの表現形式があ まりにも具体的でありすぎるため、癩者の現実を直接かっ率直に描写することは最初からまったく許 されない運命にある。すなわち癩のあらわれとしての最もシリアスで、同時に最も本質的な面は当然 これを忌避しなければならぬことになる。  これをいいかえるならば、癩を扱う場合、映画は、自己の表現能力の特質を、すなわち、具体的表 現という、自慢の武器を使用することをやめなければならぬ。しかるに、映画的題材とは、映画の表 現能力を、力いっばい出しきれるような対象の謂でなければならぬ。  最初から映画的表現を封じられ、はらはらしたがら、そこをよけて通らなければならないような題 材をえらぶこと、いいかえれば映画作家として映画的表現に適しないものを取り上げることがなぜ良 心的なのであろうか。そして、それがなぜ企画の勝利といわれるのであろうか。  映画「小島の春」が拝情的で美しいということはいったい何を意味するのだろう。好情的で美しい 絵を作ることが最初からの目的であるたら、何を苦しんで癩のような材料を選ばなければならないか。 それはおよそ日的からは一番遠い材料ではないのだろうか。  映画「小島の春」を見て泣いたという人が多い。私自身も「小島の春」を見れば、あるいは泣くか も知れないと思う。しかし芸術の徒としての私は、芸術鑑賞および価値批判の|将内《らちない》においては人間の 涙というものをいっさい信用しない。  とはいえ映画で人を泣かせることには一応の困難が伴うことは事実である。普通の映画で客が泣く までに我々が費している手続きと思考は大変なものである。  観客の理解と同情と感激とを要求するに足るだけの条件、すなわち悲劇の展開に必要なあらゆる境 遇、あらゆる運命が手落ちなく描かれ、悲劇的なシチュエイションが十分に用意され、さてそのうえ で悲劇的な演技が始ってこそ初めて客の涙を要求することができるのであるが、この映画においては そのようなめんどうな手数をしはらう必要はない。いきなり癩患者(むろん初期)が出てきて仔情的 な風景の中で家族と別れる場面などをやってみせれば、それだけで我々は無条件に泣かされてしまう。  なぜならばこの場合においては、癩患者が癩患者であるということだけで泣くにはすでに十分なの であって、それは癩者個々の運命とは必ずしも関係を持たない。したがってかかる場合の観客の涙は その理由を作者側の努力に帰し難い部分が多い。  しかし、映画の癩者を見て泣いた人が現実の癩者を見て泣くかどうかは非常に疑問であり、芸術の 世界と現実の世界とのこのような喰い違いは、一般にはほとんど問題にならないが、この種の作品に おいてはかなり重要な問題であると思う。  私がかつて漂泊の癩者を何人となく見てきた経験によると、現実の癩者を見て同情の涙をもよおす ような余裕は、いっさいこれを持ち得ないのが凡人としてはむしろあたりまえだともいえる。こざか しい理智が何といおうと、私の感覚はあまりにも醜い彼らを嫌悪した。そうして伝染の危険を撒きち らしながら彼らが歩きまわっているという事実を恐怖し、憎悪した。  彼らが我々の杜会を歩いているということは、癩菌のついた貨幣を我々もまた握るということなの だ。癩者は、彼が無心に生きている瞬間においてさえ、その存在と激しく相剋しているのである。つ まり癩者と普通の人間とは決して相いれない存在なのである。そうして、おそらくはこれが癩の現実 であり、運命であり、やりきれないところでもある。  癩がそれ自身何らの罪でもないにかかわらず、現実には、かくのごとく憎悪されずにいられないと いう宿命のおそろしさに目をふさいで、快く泣ける映画が作られたということはいろんな意味で私を 懐疑的にしないではおかない。  いったい芸術的に(しかも拝情的に)癩を扱った映画が一本世に出るということはどういう意味を 持つものであろう。それは世の中へ何をつけ加えるというのだろう。  私は右のような公式主義的な考え方が好きではない。本当の気持をいえば、芸術家が魂のやむにや まれぬ要求から打ち出したものなら、常識的な意味では、世のためにたどならなくてもさしつかえな いと思っている。  しかし癩が題材に取られた場合には、このような考え方は許せないと思う。その作品を提出するこ とによって、癩者の幸福に資する点があるとか、あるいは社会問題としての癩に貢献する確乎たる自 信かないかぎり、これは芸術家1ことに映画のような娯楽的性格を持つ芸術に携わるものIlの触 れてはならない題材ではないだろうか。  もし映画「小島の春」が、癩に対する一部の認識を是正し、その伝染病たることを|閲明《せんめい》する音心図の もとに作られたのなら、あのような(シナリオによって判断する)まわりくどい表現は不必要だし、 またもし癩者の入園を鶴慰ぎためならば、先決問題たる現在の癩院の収容力不足(それは全国の推 定患者数の三分ノ一にも足りなかったと思う)の事実を素通りしてはまったく音黒味をなさない。  現在東京の銭湯に通っている癩患者は推定八十人もいるそうだが、政府の役人も、映画製作者も、 観客もそのような現実に背を向けて夢のように美しい癩の映画を見て泣いているのである。  いったい癩はどこにあるのだ。決してそれは瀬戸内海の美しい小さい島にあるのではない。それは 疑いもなく諸君の隣りにあるのだ。遠い国のできごとを見るようなつもりで映画を見て泣いてなんぞ いられるわけのものではないのだ。  我々は個人の運命としての癩をどうすることもできない。ただ、もう偉大なるその暗黒的性格に、 圧倒されるばかりである。それは客観的にはいかなる意味でも救いがない。そうしてこのようにいか なる意味でも救いのないものは所詮芸術の対象として適当なものとは考えにくいのである。  しかし、社会問題としての癩は、その解決が必ずしも至難ではない。先進諸国の例に見ても、隔離 政策の徹底的遂行によって、癩はほとんど絶滅あるいはそれに近い状態に達している。したがって、 現在のところ我々が癩問題に対する唯一の正しい態度は、隔離政策の徹底によって癩を社会的に解決 しようとする意志に協力する立場をとる以外にはあり得ないと思う。そして原著『小島の春』におい ては明らかにこのような立場をとっている著者の姿をうかがうことができるのである。しかしシナリ オによって想像する映画「小島の春」は癩の解決などということよりも小川正子さんのしろうとくさ い和歌のほうに多くの関心を示しているかのようである。  癩のような、人生の大問題を扱った場合に、何よりもまず作者がその解決をどう考えているかとい うことを我々が知りたく思うのは決して無理ではあるまい。もっとも答にもいろいろある。具体的の 場合もあれば、抽象的の場合もあり、あるいは象徴的の場合もある。ずいぶんわかったようでわから ぬ場合もあるが、作者がそれに関心を持ち、責任を感じ、答をさがす努力を惜しまなかったことさえ わかれば、我々はそれで満足する。しかしその反対の場合には、我々は不満を通り越してその種の題 材の選定を否定するところまでひっ返さなければ気がすまなくなる。  しかし癩に関する映画が、たとえどのように正しく扱われ、正しく描かれていたとしても、私一個 人はやはりそれを見たいと思わないし、そのような題材を劇映画で扱ってもらいたくないという願い に変りはない。  以上は最初に述べたごとく主として私のいだいている疑問であり、したがってはっきりした結論を 持たない。私が思考を誤っているところがあるなら識者の高教を得てさらに是正したい。(四月+二日)                              (『映画評論』昭和十六年五月号)