古いノート・新しいノート 伊丹万作        戦時中のノートより  六朝期、晋の民間詩に「休洗紅」というのがある。その第一首は   紅を洗うを|休《や》めよ   洗うこと多ければ紅色|潅《あわ》し に始まり、第二首は   紅を洗うを|休《や》めよ   洗うこと多ければ紅水に在り に始まっている。人はこれを読んで何を感じるか知らないが、私はここにも現在の映画の運命を結び つけて考えずにはいられない。まことに映画もまた洗い過ぎると色のさめること紅のごときものであ る。  映画を美しく染め上げることはわれわれの職分であるが、それが人々の目に触れるときは、すでに 幾度か洗われて白布となっている。  いまや映画を染める人さえ|蓼々《りようりよう》として空しくなってしまった。 もりで素布を洗っているのである。  ただ、自分で気がつかないのである。 しかしてこれを洗う人は紅を洗うつ 同じころのノート 「無法松の一生」にたいする菊五郎の批評が去年の新聞に出た。その中に|唖《おし》というものは必ず|聾《つんぼ》のは ずであるが、あの中には耳の聞える亜が出てくる。これは疑問であるという意味の言葉があった。こ の唖の役は原作にないもので、脚色をした私の責任なのである。新聞を読んでここに到ったとき私は 思わずはっとした。  単なる知識としては、私はそのことを熟知していたはずである。しかるに知識が知識たるに止まっ て深く心の中に溶けこんでいなかったため、筆を執るときには忘却してしまっていたのだ。  もっとも極めて稀な例外として、耳のきく唖もあるいはあるかも知れない。生理学の知識に乏しい 私にはそのへんの消息はわからないが、たとえ例外があったにしたところで何の言いわけにもならな い。あの場合そのような特別の例外を登場させる理由はまったくないからである。  したがってこの場合の菊五郎の指摘はまさしく|肯繁《こうけい》にあたっており、私には一言の弁解の余地も残 されていない。従来私は自分の作品にたいする幾多の批評を|閲《けみ》してきたが、いまだかつてそれらによ って心肝を射抜かれた経験がない。また、いわゆる菊五郎の芸談などと称する類にも一度も感心した 覚えがない。  しかし、この時だけは別であった。いやしくも人間の生理の一大原則を見落したことは芸術家とし てほとんど致命傷に近い。  私がその新聞記事を読んでいるとき、側には誰もいなかったが、思わず首筋まであかくなるのを、 いやになるほどはっきり意識せずにはいられなかった。 「製造」と「製作」  撮影所は映画を製作する「工場」である。このことに間違いはない。われわれは撮影所のもつ「工 場」的性格を否定してはならない。いな、むしろそれを尊重しなければならない。が、しかし、それ と同時に次のこともまた充分に尊重しなければならない。すなわちわれわれは映画を「製作する」と は言うが「製造する」とは言わない。  そしてこのことはわれわれの作品が、一定の規格と一定の操作によって日産何千個と作り出されて 行くいわゆる製品とは違うことと関連している。では、その違うというのはいったい何が違うのか。 言うまでもないことである。映画の仕事は少なくとも美に関係しているのである。  もう一つ正確にいえば、仕事の中に美の創造が含まれている。規格にあてはめて同じ形のものを無 数に造り出すのではない。映画の一作一作は、内容においても形式においてもあらゆる他の作品に類 似することなく、独創的要素の多いことが要求される。  映画のこのような本質は、現在のような混乱期に際してはとかく見失われがちであるが、これは|警《いまし》 めなければならない。映画の仕事に従事するものは、いかなる場合にもこのような映画の本質に眼を ふさいではならぬ。そうでないと、おそらくその労働は見当ちがいのものになるだろう。映画の製作 に関する労働の中で最も下級で単純なものでも、なおかつ他の工場の規格製品を作るための労働とは まったく質の違ったところがあるはずである。そしてその唯一の原因は何かといえば、ただ映画作品 は一本一本違ったものだというところから来ているのである。 美観  長く病臥している私には近ごろの撮影所の状況などは想像もできかねるくらいであるが、人づてに 聞くところでは、一時の労働争議のころなど、東京の某撮影所などは、撮影所中いたるところに汚い ポスターを張りちらして、美観の上からはおよそ不愉快きわまる撮影所になってしまったそうである。 仕事に出るのでロケーション用のバスに乗れば、これがまた内も外も宣伝ビラでいっばいだったと言 うo  私はこのようなことは映画の撮影所に似合わしいことだとは思わない。なぜならぼ撮影所は少なく とも美を創造するところなのである。撮影所の人にはこのことを忘れてもらいたくない。汚らしいビ ラなどをやたらに張りまわさなくても目的を達する道はいくらでもあるはずである。 反省  これは必ずしも一般的な例とはならないだろうが、撮影所の労働争議などのさい、まっさきに飛び 出してきて過激な演説などをやって騒ぎたてる連中には、とかくふだん仕事はさぽっていて存在もは っきりしないようなのが多いということを聞いた。私は、必ずしもこれを資本家側の逆宣伝だとは思 わない。私の従来の経験から判断して、そのような例は必ずあると思うからだ。そしてこのような不 快な例は一日もはやく無くすることが労働者の信用を増すゆえんだと思う。 機械眼の記憶力  肉眼はその網膜に映じた現象をいつまでも持ちつづけることはできないが、機械眼の網膜(フィル ム)に一度印された映像は最初の精密度を確保したままいつまでも消失しない。  もしも画家が誰かの肖像を描いて、正確にその人物に似せようと思ったならば、彼は非常な長時間、 ときには長年月にわたって何百何千回とモデルと肖像を見くらべながら筆を進めて行かなくてはなら ない。考えてみれば、これはまた何という肉眼の酷使であり、何という根仕事であろう。  この長期にわたる肉眼の労役に相当する仕事を、機械眼は一瞬のうちに成し遂げてしまう。それは 一度見たものを決して忘れない恐るべき眼である。したがって同じ物を二度見る必要がない。  油絵の創始者であるヤン・ファン・アイクがその妻を描いた肖像画があるが、私はこの絵の芸術的 価値よりもむしろそこに描かれた|頭巾《ずきん》の鐵の丹念な描写により多くの興味を持つ。それはとても数え ることのできないほどおびただしい搬であるが、その細かく入り乱れ、重なりあった工合がいちいち 微に入り細を|穿《うが》って如実に描き分けてあり、その克明な仕事は、見ていると頭痛がして来そうである。 ヤンがこの搬を描くのにどれだけの時間を必要としたかはわからないが、ともかくもこれを見て人間 の肉眼の把握力と画家の写真力に驚嘆しない者は恐らくあるまい。  しかし、機械は是とほぼ同様の仕事を一瞬のうちにやってしまうのである。しかもそれは当然のこ ととして今さら驚嘆する者は誰もない。ヤンはその時代においてこそこのような仕事に熱情を傾ける ことができたであろうが、彼がもしも写真術の発明以後に生れたと仮定しても、なおかつこのような 根気仕事をもって機械とその克明さを争う気になれたであろうか。  仮にその気になったとしても、右のような鐵のある同じ頭巾をかぶったフランドルの女が三十人も 並んでいる絵を同じ克明さをもって描くに堪えるであろうか。  ところが機械は何の苦もなくそれをやってのける。しかも一瞬のうちに。  ヤンの残したこのような仕事を見ていると、少なくともそれの描かれた一四○○年代においては、 絵画は明らかに今の写真術あるいは映画の役割りを兼ねていたことがはっきりと感じられる。  殊に当時の肖像画というものの意義を考えると、それを描いた画家の純粋な芸術的感興よりも、む しろそれを要求する側の実用的意図のほうが主動的であったことは容易に想像されるのである。  写真というものを持つ現代の人々は、人間の視覚的記憶力の薄弱さを補う手段としてもっばら写真 や映画の性能を利用するが、写真を持たない当時の人々は、それと同じ要求を絵画によって満たすほ かはなかったのである。  現在のわれわれの立場から見れば、絵画のこのような実用性はその芸術としての本質からは遠いも のとしか考えられないが、写真術発明以前の人々が、実用性を絵画の本質の主要なるものと考えたと してもそれは決して誤りとは言えないのである。  しかし、現在においてはもはや事情が一変しているのである。少なくとも、人間の記憶を|保輩《ほきよう》する 手段としては、絵画に何十倍する機能を持つ写真が進んでその役割を負担しようとしている以上、絵 画はいさぎよくそのところから手を引くべきであろう。しかもこのような推移が生じたことは、絵画 にとってはむしろ幸福な出来事であるといわなければならぬ。なぜならば、絵画は、そのような役目 を他へ転嫁することによって副次的な実用性から解放され、写真などのうかがい知ることのできない 絵画本来の境地に専念することができるからである。     (『映画展望』昭和二十一年十月号)