現代将来の小説的発想を一新すべき僕の描写論 岩野泡鳴 大正7年10月号掲載 謹んで一読を乞ふー 一、態度の図解  小説に於ける描写のことを僕が解釈してゐるやうに解釈す ると、決して過ぎ去つた問題ではなく、いまだに僕以外では 左ほど人々の自覚に達してもゐない部分があるのである。そ れは何かと云ふと、作者と作中の一主要人物との間に於ける |不即不離《ふそくふり》の関係だ。作中のあらゆる人物に対して作者が持す べきだと云はれる程度の不即不離は、|田山花袋《    》氏でもその散 漫な平面的描写論からよく云つたことだ。が、僕のはあらゆ 、、、、 るでなく、主要な一人物、寧ろ主人公にのみ限られた作者の 不即不離に重きを置く点に於いて特種の意味を有してゐるの である。描写論にはなほいろくな問題があるが、先づここ にはこれだけを論じて見る。  多くの人は作の材料を選定する前の態度と選定後のそれと を混同してゐるのである。たとへば、ここに甲乙丙丁を分子 とする一つの仲間があるとして、そこに起つた事件若しくは 気ぶん若しくは人生を描写するとする。この場合、作者の空 想やただの理論をも取り入れて考へると、三つの行きかたが ある。乃ち、その第一は、作者が公平にそして|直接に《、、、》仲間の 諸分子の気ぶんや人生を達観若しくは傍観するのだ。比楡の 例で云へば直楡に当るやうなもので、これは単純な鳥轍的若 しくは平面的描写論の註文であつて、|地《ぢ》の文句を許さぬ脚本 をその形から云ふと、これに最もよく相当してゐるやうに見 えよう。乃ち、これを図に示めすと、左の如きー (図一第) \甲乙丙丁/ 作者 人生  第二は、作者が先づ仲間の|一人の気ぶん《、、、、、、》にな つてしまうのである。それを甲乃ち主人公とす れば、作者は甲の気ぶんから、そしてこれを通して、他の仲 間を観察し、甲として聞かないこと、見ないこと、若しくは 感じないことは、すべてその主人公には未発見の世界や孤島 の如きものとして、作者は知つてゐてもこれを割愛してしま うのだ。そして若し割愛したくなけれぱ、その部分をも主人 公の見聞感知してゐるやうに書く。これが僕の小説家並に批 評家として主張し実行して来た態度である。これが図解は左 の如し、ー  此態度は作者が甲(若しくは乙その他のでもただ一人に限 る)に第三人称を与へてゐても、実際には甲をして自伝的に 第一人称で物を云はせてゐるのと同前だと見れば分りよから う。若し甲が作者その物であらば、かの第一の行き方での自伝 的小説になる訳だが、ここでは甲の、上にまた作者の不即不離がある。  (図二第)  作者ー甲 乙丙丁 人生  或一人の気ぶんを通じて人生を見るのだから、表面では作 者は人生に|間接《、、》な位置に在る。けれども、この問接は、却つ て作者の説明的概念を|没《ぽつ》して具体化を来たす所以になつてる のぐめる。たとへば、直楡に対する隠楡または表象的発想に 当っこるもので、云はば、直楡に於いて『あなたは高峯 の花の如きである』と云ふは、女と花とを平面に並ベて比楡 者はそれらに直接に向ひ合つてゐるけれども、この両者はど こまこも別物である。が、|の如き《、、、》を取り去つて、『あなたは 高峯の花である』と云ふと、その比楡者は花には間接になる けれども、女の平面を一段深めて花その物に合一させてる。 かの直喩ではその直接関係の為めに概念と説明とを脱し切れ ないが、この隠楡若しくはそれ以上の発想法に於いては、問 接が却つて物に具体性を与へる。この修辞学や詩論上の解説 を僕の描写論に当てはめると、かの第一態度は単純な直楡的 であり、第二態度は複雑で純化したわけの隠瞼的、若しくは それ以上的だ。  |第三《、、》には、第一のと第二のとを併合した行きかたである。 尤も、これは第一のと同様理論上だけでのみ完全らしく成り 立つ考へであるから、おのづからあくどい複雑な図にならな いではゐない。作者がその材料とする仲間の一人を限らず、 甲乙丙丁の各々を通じてその各々互ひの気ぶんなり人生なり を見て行くと云ふわけになるのである。乃ち甲を通じても見 るが、その他を通じても見ながら、結局は矢張りその四分子ー から鳥轍的平等の見地に立つてゐようとするのだ。その図を 見せると、即ち下に掲げた第三図のやうになる。ー  けれども、斯う無制限に複雑な理論ばかりで考へて行く と、第三図に於ける作者の位置をまた一段高めて、作者に直 接に接し得られるものを一番うへの甲乙丙丁のうちのどれか 一つに限つてしまつて、その上に作者を置くこともできる。 これを理論上だけでは|第四《  》の態度としてもいいが、実際に於 いては、第三図は第一のに帰し、この第四のは第二のに決し てゐるのである。ところで、僕等は人生観に於いても、現実 主義に立つて飽くまでも現実を深化純化しようとしてゐるの であるから、議論にも空理を避けると同時に、創作にも概念 と説明とを遠ざける。その為めに、かの第一態度の如き(説 明的説明ではないとしてもの)説明的描写を否定して、描写 的描写なる第二態度のみを採用するのである。が、その故を これから論じて行くつもりだ。 二、真の人生観と唯一の態度  一体、人間は人生を傍観(平面視や鳥轍視もそれだと)し ただけで人生の内容が撰めるものではない。人生は人間自身 の主観に這入つてこそ、そして這入つただけが、真の人生で ある。自分の主観を鏡の如くすると云ふのも直楡に過ぎない 第三図 作者 甲 乙 丙 丁 人生 ことで、若し実際に鏡と同じものであつたら、自分は神であ つたらう。然らざれば、その主観はがらすで出来てただら う。また、冷静を貴ぶと云つても、それは程度のあること で、その度を越えれば生きた人間の主観ではなくならう。人 間は知情意の無差別燃焼体である。その燃焼力、乃ち、充実 緊張が少しでもゆるんでる時にでも、それが為めに分離に傾 くところの知なり、情なり意なりが不具的にだが働いて、そ の場の色を自分の主観に塗りこくつてるものだ、して見ると、 人間はその本体の若しくはその特別な場合の色ある主観を経 ないでは人生なり他人なりを見ることができないのである。  自分以外に甲その他のものがゐることさへも自分が知つて る範囲だから確めてゐられるのだ。その範囲を越えて甲なり 乙なりがゐると思ふのは、空想でなけれぱ僧越である。まし て甲その他の心持ちに至つては、甲その他が実際にこれを分 つてるやうには、こちらの自分には分らないのだから、自分 は見たり聴いたり現実的な想像をめぐらしたりして分るだけ のことしか自分の世界に入れることはできない。だから、人 間の世界なり人生なりは、実際には万人が万人として知つて る世界や人生ではなくて、彼等がてんでに自分一個の主観に 映じて持つてるそれである。云ひ換へれぱ、自分を帝王とし た世界であつて、そこには他人の主権を許さない。かかる人 生観を考へのない者はよく傲慢だとか、誇大妄想狂だとか云 ふが、自分の受けた範囲以外を空想や無制限論理で以つて少 しだつても貧らうとしないところは、|阿部次郎《    》氏一流の遊戯 論理家等の如き貧慾に落ちて行かないところは、世に最も謙 遜な態度と云はなけれぱならぬ。  そこで、この人生論を背景として、自分が創作者である場 合を考へて見る。作者は自分が自分を分つてるやうには他人 を分つてゐないものだ。従つて、如何に客観すると云つて も、如何に冷静に傍観すると云つても、他人の心持ちの全部 (この場合、既成的なのを云ふ)は書けない。これは作者が 男であつて女に対する場合でも、大人として子供に向つて も、また人間として他の動物に対しても、同じく云ヘる。書 けるのは自分の色に合した範囲内のことだ。此制限をはつき り確定してゐないから、創作界に曖昧不熟の描写や描写論が 飛び出すのであるが、ーたとへば、沙翁に『万人の心あ る』と云ふ尊敬的形容詞が残つてるのは、客観を無制限に肯 定し得た時代の遺物である。僕等の研究によれば、渠はわが 近松のよりも無教育で浅薄な主観を以つて渠の脚本に出る 『万人』を色取つてゐた。此の場合、大主観小主観などの区 別を云ふのは無用だ。  これをわが国現代の創作家に就いて云へば、滑稽なほど適 確な事実になつてる。曾て僕が別々に論じた通り、かの|正宗 白鳥《   》氏の冷静な主観と云はれてゐるのは渠の胃病的憂欝がも たらす態度に過ぎず。|田山花袋《    》氏の感傷的主観は、渠の思索 的経験がやつと老境に至るまでは現はれないで、青年時代を 不具な感情的にばかりすごした習慣の為めであり。また、|島 崎藤村《    》氏の処世術的には考へ深さうであつて実は殆ど無内容 な芸術の行きかたは、余りに世俗的な苦労を世俗的にして来 たからである。|有島武郎《    》氏の感激だらけ、否、意気込みだら けの主観は、ーこれはまだ一度もよく論じなかつたが、 ——思想的生活上若しくは感情的生活上の苦労を可なりして 来てゐながら、それをあまり自分に反省しなかつた為めのや うに受け取れる。尤も、これはすべてその創作から見てのこ とだ。  すべて斯うした作者が第一図に示めされた態度を取るとし て解剖して見給へ。第一図の条件は純客観的、鳥轍的、傍観 的、平面的、または感覚的といろくに云はれて来た。客観 的と云ふことが既に或程度までの反動条件に過ぎないことが 分つた以上、純客観などが作者にあり得よう筈はない。それ を然し甲乙丙丁に対して一様にあり得るかの如き書きかたを してゐる。神があると仮定すれば、その神より外に取れない ところの態度を無反省の為めに取つてゐるのである。これ、 何よりも先きに、青瓢箪やなまくら太刀や俗物(沙翁に至つ てはまた泥棒をしたとも云はれた)の人間たる分際として僧 越ではないか?そしてこの暦越を上からしようと云ふのが 鳥轍的、横からのが傍観的で、そしてこの両観のとどまると ころに就いて云へぱ平面的である。これが自然主義者一般の 傾向であつたのだ。いづれも肉霊合致者たる人間の分際を知 らぬのだから、僕はこれを機械的、物質的だとけなして来 た。そして僕自身の自然主義を別に内部的自然主義と名づけ て来た。今内部的写実主義となつてるのがそれである。これ では物質的を排斥するのだが、1蓋し上から、横から、若 しくはその平面に就いて五官上に受け取れただけを作者は書 くより仕かたがないと云つて、|田山《  》氏並にその追随者等(|中 村星湖《    》氏もそれであつたが、のち不正直に改宗したかして、 近頃早文に於いて僕を|強《》いてそんなことはうそだと云ふうそ を云つた)の如きに至つては、甲並にその他の心理その|物《》は 絶対に書けないものだと論じたこと迄がある。そして感覚的 とはそれだ。  渠等だつても、その対象たる人物の心理が推察できるやう なことは無論書くのである。渠の声を以つて渠等に斯う響い たとか、渠の挙動が斯う渠等に見えたとか。けれども、それ は物の内部または心理その物ではない。平面描写に於いてな ぜ心理が書けぬと云ふやうになるかと云ふに、渠等の態度に 於ける主観の偏狭若しくは有制限だと云ふ自覚に対する客観 的反動を概念の為めに無理な、あり得べからざる境にまで持 つて行つてるからである。作者の傍観は作の材料を選ぶ時 の、そして選んだのを書き出す前のことである。いよくそ の作に取りかかる時は、いやでも応でも甲なりその他なりの 心持ちになつて行かねぱならぬ。これを、近頃の外国学界で 勢力があるらしい感情(若しくは知力、意志)の移入説で説 明することもできる。自分の主観を成るべく偏狭でなく必然 の制限までに大きくしながら、甲なら甲、乙なら乙に移し入 れて、其者の気持ちになるのである。これは平面論者、平面 描写家でも知つてることだが、いよくさうなれば、作者と 作中人物との関係が一層深く、従つて狭くなつて、甲でなけ れば乙、乙でなくば丙の気持ちしかその範囲内では実際に分 らないのである。丁度人生に於ける自分が他人を分らないの と同じで、甲となれば乙が、乙となれば丙が分らない。ここ に感づいてるものは、I外国でも、我国でもー僕のほか には、また僕のこの説をよく噛み砕いてるものを除いては、 殆どゐないのだ。 三、一元的描写  |広津和郎《    》氏が二三ケ月前に読売新聞に連載した『二人の不 孝者』に於いて、一方で一つの事件が運んでると同時に、他 方では、現にその事件の関係者どもには全く必然内的な関係 のない他の件をもただ対照の為に書いてあつた。斯う云ふ書 きかたは、如何に用意があるとしても、作者の概念的用意、 乃ち、説明であつて、一方は他方と具体的な関聯や合致がな い。曾て渠に僕のこの種の議論をきかせた時に、用意があつ てのそれなら賛成だと云つてたが、その用意がこのやうな説 明の為めのものなら、まだよく分つてなかつたのだ。また、 |徳田秋声《    》氏の『威嚇』(中央公論六月号)を見給へ。大体の筋 では浅吉が主人公であり乍ら、内容の多くはおふきの気ぶん になつた。浅吉が見たおふきが出てゐるかと思ふと、直ぐお ふきの見た浅吉になつてる。短篇でありながら、而もこんな ぐらつきが幾度も繰り返され|詰《づ》めに終つた為めに、女が男を 威嚇すると云ふ重天事が男の受けた内容にもなつてゐず、ま た女の与へる気ぶんにもなつてゐない。つまり、作者が概念 的に外部から押し付けた物に終はつてしまつた。そして真の 芸術家を以つて任ずる僕等は芸術に於いて無合致のや概念的 やの創作を要求してゐるのではない。  作者が斯う云ふ物を斯う書かうとするに当つて、まだ筆を 取る前なら、各方面からその材料を観察し得てる以上、移入 的に考へを運んで甲にもなれる。乙にもなれる。また、丙に も丁にもなれる。が、作者自身のそれだけの、まだ決定して ない気持ちをそのままそのさきまでも進めると、甲を説明す る為めに乙その他にもなり、乙その他を浮動せしめようとし てまた甲にもなる。その場の都合々々で、作者の立ち場を容 易に転換する。これはまだ作者が作者としての概念的説明に とどまつて満足してゐる証拠である。云はば、作者が未熟の 為めに早変りの芸当を見せようとするのだ。早変りは芝居で も余技であつて、今や既に旧いとして殆ど用ゐられない。 が、小説界ではなほまじめなるべき芸術家も多くは通俗小説 家どもと一緒になつてこれを得意がつてる状態に在る。けれ ども、まじめなものなら、今一歩も二歩も踏み出し、概念の かな|網《あみ》をうち破つて、その底から人生の深刻な姿を具体化さ せるのである。それには、作者が自分の独存として自分の実 人生に臨む如く、創作に於いては作者の主観を移入した人甥 を、人に定めなければならぬ。これをしないではどんな作者 もその描写を概念と説明とから免れしめることができぬの だ。その一人(甲なら甲)の気ぶんになつてその甲が見た通 りり人生を描写しなければならぬ。斯うなれば、作者は初め てその取り扱ふ人物の感覚的姿態で停止せずに、その心理に までも而も具体的に立ち入れるのである。そして若し作者が 乙なり丙なりになりたかつたら、さう定めてもいいが、定め た以上は、その筆の間にたとへ時々でも自分の概念的都合上 乙若しくは丙以外のものになつて見てはならぬ。けれども、 これにぐらついてるものは一般だ。多くの作者が材料選定の 前後を混同してゐると僕が云つたのはそこだ。  この場合、仮りの移入主観と作者その物の主観とは二にし て一である。作者とその選定の一人物とは別であるけれど も、作者は自分の概念を以つてこの両者を区別しない。たと へば、おれは道徳論者であるけれども、おれの書いてる人物 はわさと不道徳家にしてあるとか、また、おれは理想家だが ちよりと無理想家を書いて見たとか、こんなことは考へな い。その代り、不道徳家や無理想家を主人公にしても、然 し、その不道徳や無理想がそつくりそれとして行き届いて、 その気ぶんの統一に少しも破綻を見せないやうに書くところ には、道徳や理想と云ふ言葉などではまだ云ひ足りないとこ ろの人情、乃ち人生味(これを最も深いヒユマニチ若しくは 人道とも云ふ)が具備するのである。そしてこれは別に同じ 態度で道徳家や理想家を描写しても到着すべき同一点であ る。理想主義者はこれを作者の概念に求めようとするが、写 実主義者の内部的なのはこれを作の一元的気ぶんの統一に現 はしてゐる。ここに作者としての大きな、具体化した人生観 なり、反省なり、批判なりもある。そしてこれには作の主人 公なる甲の立ち場や気ぶん外に独立した乙なりその他なりを 対照にしてはならぬ。否、対照として入れてもかまはない が、作者の押し付けたものでなく、甲の気ぶんに吸収された 範囲に現はれた対照であらねば困る。乃ち、無縫の衣にわ ざ/\概念の針を入れる恐れがあるからだ。 四、狭くとも深く  この一元的描写に比べると、第一図の態度は多元的であ る。斯う云ふと、又短見者流はいゝ気になつて、古来の哲学 にも一元論と多元論とは成立してゐるから、描写論に両方の あるのは変化があつて面白いなどと云ふかも知れぬ。が、変 化と深刻不深刻とは別だ。多元的平面論者が描写に於いて甲 にも立ち、乙その他にも立たうとするのは、先づ既成の甲を 立ててその甲だけでは満足できないところを発見するから で、1其不満足の原因は自分の見た範囲内で(そして作者 は自分の見えないところまでは行けるものでないとして)甲 の全部を作者の主観移入的に選定若しくは捕捉しないに在 る。さうした甲の全部さへ捕捉したら、乙其他は甲の見たそ れらにとどまつてていいのである。蓋しそれだけで、もう人 生を具体化してゐる甲として、なほ甲が触れないものまでも 求めるのは未発見の孤島を望むと同じだ。ところが、この実 際的理論を知らない者は甲乙丙丁のどれか一つにかかる全部 を見ようと努めないで、一の分らない半面を他の分つてる半 面で対照しようとする中途半端な計らひに出るから、結局、 却つて人生の全部化乃ち具体化が生じないのである。  で、第一図の態度はまだ空理と空想とがまじつてゐて、で きない相談をまとめようとする為めに、深く這入り込むより も却つておのづから浅きに浮ぶ要求だ。この概念にとどまら ないではゐられない創作も、通俗小説が存在してゐる意味に 於いてはあつてもかまふまいが、この態度で第二図のと並行 しようとするのはまた別な僧越であらう。概念の計らひにと どまるのを許す小説と然らざるとは、その深さ、その価値に 於いて雲泥の相違がある。けれども、之は近代思想と近代生 活とをよく噛みこなした作家どもでなければ云つても理解し えないことだ。先日、|中谷徳太郎《     》氏に出会つたので、渠の 『月夜』(中外八月号)に対する忠告をした。作者がお里にな つたり、おみつになつたり、またへたなブイオリン引きの男 になつたり、最後に今一人の男にもなつたりして、目まぐる しくその立ち場を転換した為め、どの人物の気ぶんも作者が さうだと説明したに過ぎなくなつてる。これでは他日に向つ ても有望にはなれぬ。|生田長江《    》氏が同席してゐたが、僕のこ の忠告をあまりに偏狭だと云ひ添へた。が、僕等は人生観に 於いても描写態度に於いても浅薄な寛大よりも深刻な偏狭を 取るべきだと思ふ。  |田山《  》氏と|泡鳴《  》氏とを対照して見れば、第一図と第二図との 態度の区別は一番よく分るだらう。渠は曾て、僕の『毒薬を 飲む女』に対して、女の観察がもつとしてあるベきだのに、 作者は中途にとどめてあると云つた。これは、その時僕が答 弁して置いた通り、僕が女を主人公なる男の見た範囲だけの 女にしてあるので、主人公以外から傍観すればもつと別な見 かたがあるやうになつてても、そこを割愛して、わざく見 せてないところに、却つて主人公のさうした性格なり生活な りを具体化させたのである。|田山《  》氏は平面描写の謬見に執し て、この点が分らなかつたのだ。ところで、僕はまた渠の 『一兵卒の銃殺』を評した時、故意に放火した兵卒がその翌 日白ばつくれて火事あとを見てゐる心持ちに対して、その近 処を偶然に通過した汽車中の客どもが火事あと1如何に同 じあとでもーを見て話し合つてる言葉などが、何の役に立 つかと云ふ質問的断定を下だした。これには渠の直接な答へ は聴かなかつたが、その余憤でだらう、別なことで渠は僕に いや味を発表したことがある。が、この場合の兵卒と汽車の 客とは作者の概念では対照にならうが、兵卒の人生なり心理 なりには蛇足の上にも不用であらう。  では、脚本はどうだと云ふものもあらう。脚本の外形で は、作者と諸人物とは全く平等の関係である。主人公に対し ても、その他に対しても、|地《ぢ》の文句がないのだから、その人 物の心持ち、心持ちからして出るせりふしか与へられない。 して見ると、そのせりふが一方から他方ヘ転ずる毎に作者の 立ち場も容易に転じてゐるやうに見えよう。が、それは形の 上でばかりである。一体、その作者がたとへば千代萩に於け る政岡と千松とを、もつと分りよく云へば、かの女とその腰 元とを平等に見てゐたか?また、もつと接近した関係で云 つても、ハムレトとオフェリヤとをそれぞれ別々な人生の 別々な立ち場に置いてゐたか? 決してさうではなく、ハム レトの苦悶にオフェリヤを属せしめてたし、政岡の愁歎に干 松や腰元は吸ひ込ませてあつたし、したに相違ない。そこに 作者が政岡またはハムレトを通して其見た範囲の世界を見た のが内容である。この点は沙翁やゲイテに於けるよりも、 イブセンやストリンドベルヒのやうな近代劇に至つて、ま すく自覚的になつてゐる。ゴルキイの『どん底』は作者が かの一老人を通してその周囲を描写してゐるや弓に、必らず どれか主要人物が作者の主観移入の仲介に立つてゐる、一脚本 が既にさうだのに、ましていくらでも地の文句の使へる小説 に於いてをやだ! 五、概念的中心と移入主観本位との相違  まじめな若しくは深刻な芸術を要求してる創作家たるもの に向つて、だから、第一図の態度が存在を許される場合はた つた一つある。乃ち、うへに立つ作者が同時に第一人称で作 中の人物になつてるところの自伝的小説に於いてだ。けれど も、これは作者の主観移入の仲介者がまた作者その人である やらになつてなけれぱならぬのだから、寧ろ第二図へ持つて 行つて、その図中の甲を作者兼甲と見た方が分り易からう。 なぜならば、仲介なる作者とそのうへに立つ作者その物とに は矢張り第二図通りの不即不離があるべきだからである。斯 うして僕は第二の態度だけを肯定するのだが、ー移入的仲 介者、乃ち、主人公としては男子の作者に於いても女子を選 ぶことができるやうに、男女の作家が他の動物の心理を描写 することも許される。  僕が曾て牛屋の事情に材料を取つた時、(その作は『五人の 女』に少し直して納めてあるが、)その一部に牛が喰ひ過ぎて苦 しむ心持ちをも書いた。すると、|前田晃《   》氏が動物の心理など 描写できるかと云ふ質問を発表したので、僕はできると答ヘ た。けれども、その時の『できる』は間違つてゐた。蓋し僕 がまだ第二の態度に熟達してゐなかつた時代であつた。矢つ 張り、|前田《  》氏等と同様、傍観的とか鳥轍的とか云つた風の不 熟で物質的な余弊があつたからである。今で云へぱ、丁度|有 島《  》氏の『凱旋』のやうな物だ。|有島《  》氏の傾向は、僕を除いた 自然主義者等の偏物質的なのに対しては、偏霊的特色を持つ てる人だが、僕の肉霊合致観から云へば、偏霊も亦他端の物 質的たるを免れない。で、この作も、他の大抵の作家等の作 (但し自伝的に行つてるのだけは無意識にだがうまくなつて るとしても)と同様、一元的でないことに於いて最高標準の 芸術にはなつてゐなかつた。乃ち、従来の通俗小説にも負け ず劣らずに作者の移入主観が早変りをして、老将軍になつた り、村の青年になつたり、御者になつたり、また凱旋と云ふ 馬その物の気持ちになつたりした。僕がこれを指摘したとこ ろ、この作者からなぜ馬を見て呉れぬ、馬を書いたのですと 云ふ私信を受けた。馬がこの作の中心若しくは集中点だと云 ふ意味であつたらう。  ところが、ここにさきの|前田《  》氏の質問との関係が附いて来 る。|有島《  》氏の意味なる中心と僕等が云ふ一元具体の中心とは 全く違つてるのだ。『凱旋』に於いて作者が馬の気ぶんにな つたところはほんの一小部分しかなかつた。そしてその他の あらゆる部分では、馬を見てゐるにしても、馬以外のものの 気ぶんになつてゐた。これでは馬その物を書いたと云ふのは 作者の思ひ違ひであつて、実際は、馬に接近を持つてたいろ んな人を而も無標準にばらくと書いたのである。斯く散漫 に書かれた人々が皆一つの馬を見てゐたのは事実だが、そし てその馬はただ作者の概念的説明の中心とは云へるけれど も、一元的描写の中心とは云へない。作全体として馬の気ぶ んになつてゐないからであつた。乃ち馬だけの気ぶんから馬 の周囲なる老将軍や御者、将軍の憐みや御者の無情が書けて なかつたのだ。そして僕が今註文する通りに馬を書けば、作 者に現実的幻影力がある以上は、動物だつても、それに作者 が移入した心理は描写できないことはない。男が女を書き、 貧乏人が成り金を書けるのもそれと同じ条件に於いてだ。 六、無縫の衣に対する諸家の無自覚  無縫の衣の如きかかる描写には、作者に於ける二言半句も おろそかであると、ただそれだけの為に折角の労作をも馬 鹿々々しい物に変じさせてしまふものだ。たとへば、|谷崎潤 一郎《    》氏を見給へ。渠の苦心するところはただ筋を運ぶ脚色と 表面的な文章の彫琢とにあるかして、少しもその発想の内部 化に努めてゐない。かの『小さな王国』(中外八月号)に於い て、その主人公なる貝島の心持ちになつてるべき筈のところ で、本人が『K町の内藤洋酒店の方へ歩いて行く|様子であつ た《、、、、、、》』と書いてある。自分が歩いて行くのに、行くらしい、行 く様子をしてゐたなどとは作者の説明的説明でなくて何のこ とだ。また、同じ条件のもとに、『口もとではニヤニヤと笑 つてゐながら、眼は気味悪く血走つてゐた』とあるが、これ も誰れか別に人があつて見たと云ふ時なら具体性を帯びる が、本人の気ぶんからはさう云ふ感じがしたと書かない以上 は、作者がわざくおもてに顔を出して説明をしたわけにな つてる。  大抵の作者どもは、然し、このやうな馬鹿々々しさを平気 で実行してゐる。|島崎《  》氏に割り合にこれがー無意識的にだ らうがーないのは、多く自伝的な作をしてゐるからであら う。|正宗《  》氏の『老僧の教訓』(中央公論七月号)は、これを平 気の為めに、老僧と若僧とおよしとの気ぶんをはなればなれ のものにしてしまつて、創作としては散漫な物になつてる。 |上司《  》氏のになつては、もうすべて論外だ。外国人の作をお手 本にして、若しくはそのお手本によつてやつてるわが国の諸 作家をまたお手本にして、それを弁解の根拠としてこの馬 鹿々々しさと平気とをー…注意されてもIi悟らぬものが多 い。また、|徳田秋声《    》氏や|野上弥生《    》氏の如きは、僕に向つて短 篇は僕の云ふやうにしても書けるが、長篇はそれでは書けな からう、書き苦しからうと云ふやうなことを云つた。が、そ んな呑気で書けないのは長篇ではなく、無縫の衣の如き芸術 をである。少し口幅つたいが、今の僕は長篇にも短篇に於け ると同じくこの態度を取つてゐる。(但し、『放浪』だけはま だ、この見地から云ふと欠点があつたので、その原稿八百五 十枚のうちから百枚分ばかりは割愛して改訂のを持つてゐ る。)  トルストイやツルゲネフには全く此種の自覚はなかつた。 が、ゴルキイ以後の露西亜小説家には多少これが意識にのぼ つたやうだ。が、僕は外国人などの如何に関せず僕独得の描 号や描写論をやつてるのである。そしてかかる緻密厳密な人 牛観や描写論は近代文学の精神がわが国民性の、面なる執り盾 心と徹底心とに触れて初めて世界に出現したものとして、僕 はわが祖国に感謝してゐる。ボドレルの内部的発想法が仏蘭 西に生まれて、やがて世界の詩を一新したやうに、この僕の 描与論は、わが国の発展につれて、他日必らず世界の小説界 を一新せしめるものだと信じてゐる。  もう、与へられた紙面は尽きたが、なほ簡単に云つて置き たいことがある。露国の作家で(多分アルチバセフであつた かと思ふ)磯えた狼の群衆的心理を書いたものがある。ま た、|菊池寛《   》氏の『敵の葬式』(新小説八月号)では、殆ど中心 人物さへなく、飛行将校の団体が主人公と云へば云へるので ある。斯う云ふ一群若しくは一団体の心理を描写するにしで、 も、一元的描写は内部からすべきであつて、決して単純な傍 観の態度を取つてはならぬ。それから、また、甲と定つた士」 人公はその仲問若しくは社会の人生を作者に仲介してゐれば いいのであつて、必らずしも他の作中人物より多く活躍しな ければならぬものではない。たとへば、僕の『独探嫌疑者と 二人の女』(黒潮の六年十二月号)では、常識的反省力ある俗 物の一求職者が主人公であつたけれども、最も活躍したのは 女の一人である。然し、その女の活躍は主人公の見たそれで あつて、主人公の気ぶんを少しも離れてゐないところに、仲 介者の位置が確立してゐた。  どうかこの議論を僕の私見ばかりと見ず、わが国文学の深 化純化の為め、また世界の芸術の為めにすベての作者も批評 家も特別に叮嚀に読んで貰ひたいのである。 (大正七年九月十一日)