雪の上の足跡 高原の古駅における、二月の夕方の対話  堀辰雄  主 やあ、どこへ行ったかと思ったら、雪だらけになって帰って来たね。  学生 林の中を歩いて来ました。雑木林の中なぞはずいぶん雪が深いのですね。どうかすると、 腰のあたりまで雪の中に埋まってしまいます。|獣《けだもの》の足跡が一めんについているので、そんな上な ら大丈夫かとおもって、足を踏みこむと、その下が|藪《やぶ》になっていたりして、とんだ目に|逢《あ》ったり しました。  主 君と、|兎《うさぎ》なんぞが一しょになるものかね。それに、もういくぶん春めいて来ているから、 |凍雪《しみゆき》もゆるんできているのだろう。だが、そうやって雪の中が歩けてきたら、さぞ好い気もちだ ろうなあ。  学生 ええ、実に愉快でした。歩きながら、立原道造《たちはらみちぞう》さんの詩にも、こうやって林の中をひと りで歩きながら、深い雪の底に夏の日に咲いていた花がそのまま隠れているような気がしたり、 |蝶《ちよう》の飛んでいる|幻《まぼろし》を見たりするような詩があったのを思い出しました。  主 立原は、僕がはじめてここで冬を越したとき、二月になってからやって来た。あいにく僕 が病気で寝こんでいたので、君のように、ひとりで林の中を雪だらけになって歩いて帰って来た っけ。そのときの詩だろう。もう七、八年前になるかなあ。……どうだい、|狐《ぎつね》のやつの足跡はつ いていなかったかい?  学生 狐の足跡はどうもわかりませんでした。どんなんだか、まだそれもよくは:.…。  主 そうだな、こう、まっすぐに、一本の点線を雪の|面《おもて》にすうっと描いたようなぐあいに、林 のへりなぞをよく縫い歩いているのだがね。兎のやつのは、そこいらじゅうを|無茶苦茶《むちやくちゃ》に|跳《と》びま わると見え、足跡も一めんに入りみだれているが、狐のやつのは、いつもこう一すじにすうっと ついている。そしてそのまま林の奥にほそぼそと消えていたり、どうかすると思いがけず農家の |背戸《せど》のあたりまで近づいて来ていたりする。  学生 狐なぞがまだこのへんをうろついているのでしょうかしら?  主 いるらしい。この、ころは冬になると、僕はからきし|意気地《いくじ》がなくなって、ちっとも雪の中 を歩かないが、二、三年前にはそんな足跡をいくつも見たことがある。しかし、いたって、もう たかの知れたもんだ。せいぜい農家の|鶏《にわとり》を|盗《と》りにくるくらいなものだろう。  学生 いつだかお書きになっていた、昔、武家に切り殺された、この|宿《しゆく》の遊女の墓に夜ごとに 訪れてくる|老狐《ろうこ》の話ーなんでもその墓にひとりでに|罅《ひび》が入って、ちょうど刀傷のように痛いた しく見えた、その傷のあたりをその狐が|舐《な》めてやっていたとかいう話でしたね。.ーあれはこの 村の話なのですか?  主 この村ではないが、隣りの村の古老にきいた話だ。ハアンでも好んで書きそうな話だ。あ あいう話が残っていたら、もっと聞きたいものだが、あまりないようだね。どうもこういう古駅 には一たいに昔話なぞが少ないのではないかね。|維新《いしん》前までは茶屋|旅籠《はたご》がたてこみ、|脇本陣《わきほんじん》だけ でも遊女が百人からいたという、名高い|宿《しゆく》のあとだもの。その日その日にちがった話を諸国の旅 びとから聞くのに追われて、山奥なぞのつれづれな|炉《ろ》ばたで人にときどきふと思い出されてはよ うやく忘却から|蘇《よみがぇ》らされて来たような、そういう昔話の残っていないのも当然だろうじゃあない か。  学生 そうかも知れませんね。しかし、まだ二つや三つはそんな話もありそうな気がしますね。  主 そう、ありそうな気もする。ところが、ありそうでないんだ。なんにもないくせに、そん な|雰囲気《ふんいぎ》だけはもっている——そこがまあ現在のこの村の一種の持味で、僕なんぞにはかえって ぴったりしているのだろうと思う。こんなに荒廃して、それがそれなりになんとなく|錆《さ》びて落ち 着いてきている、そんなところからそういう一種の味が出ているのだろ5ね。だから、つまらな いことまで妙に生き生きとして感ぜられて来ることもある。僕がはじめてこの村に来た当時の ことだが、ある日、昔の屋敷跡らしい大きな|石崖《いしがけ》のうえに立って、秋らしい日ざしを浴びながら、 病みあがりらしくぼんやり|蓼科山《たでしなやま》の方をながめていた。その晩、宿の主人がいうのに、そのとき そうやって石崖のうえに立っていた僕の姿を遠くから見かけて、ふと子供のときに見た一匹の傷 ついた|鹿《しか》のことを思い出したそうだ。なんでも霜のひどく下りた朝のことで、山のほうから追わ れて来たらしいその鹿は、ちょうどその石崖のところまで来ると、ちょいと背後をふりむいてか ら、そこをすうっと跳びおりて、下の畠のなかを|湯川《ゆがわ》のほうへ一散に逃げていった。そうしてそ の畠の真白な霜の上には、その鹿の傷ついた足の血が鮮やかに残っていたという話だ。1…-そん なことをきいてから、その石崖にかぎらず、この村のあちこちに残っている石崖のひとつひとつ が、僕にはなんとなく意味ありげに思われて来てならなかった。まあ、そういった鹿の跳び越え ていった石垣だとか、秋になると|蔦《った》かずらが真紅になったまま|捲《ま》きついている、何か|悽惨《せいさん》な感じ の、遊女らしい小さな墓だとか、ーそういうものなら、そのほかにも、まだまだ何かありそう だね、これという話らしい話がそれに伴っていなくとも。  学生 三好さんの詩にも、どこかの山村を、一匹の傷ついた鹿が足を縛られたまま、猟師にか つがれてゆく詩がありますね。あれはどこかしら?  主 |伊豆《いず》の湯が島あたりの風景だろう。僕は残念だが、とうとう鹿は見られなかった。向うの |小瀬《こせ》あたりでも、一昔前までは、よく鹿の|啼《な》きごえが聞えたそうだ。  学生 僕はこの間、チェホフの「学生」という短篇をよみました。復活祭で帰省していた一人 の学生が、ある日ー北風の吹いている、寒い日でしたが、なんだかこの世にはいつの時代にも こんな風が吹きまくっていて、そこには|無智《むち》と悲惨としか見られないような考えを抱いて、非常 にうち沈んだ気もちになって、散歩から帰って来ると、もう暮れがたで、隣り村のある農家の中 庭では|焚火《たきび》をしている。みると、それは昔自分の乳母だった|寡婦《かふ》と、その不しあわせな娘なので、 学生はしばらくその焚火にあたらしてもらっているうち、急に使徒のペテロもちょうどこんな風 に焚火にあたっていたんだろう、と思い出し、それからペテロが鶏の啼くまえに三たびクリスト を|否《いな》んだ物語をその二人の女に向って話しはじめる。女たちは黙って聞いていたが、そのうち急 に二人とも泣き出してしまう。学生はそこを立ち去りながら、なぜ彼女たちは泣いたのだろうか と考える。別に自分がその話を感動的に話したからではない。それはきっとその話のペテロに起 った出来事が、彼女たちにも、また、自分にもいくらか関係しているからなんだろう。とおもう と、そんな昔から今日まで、断絶せずに続いている一つの鎖が見えるような気がしている。自分 がその一方の端に触れたので、もう一方の端が揺れたのだ。真理と美とがあの大司祭の庭のなか で人びとを導いた、そうしていまもな茄それがわれわれを導いている。そう考えると、学生には 急に自分に青春と幸福の感じが帰ってきて、人生が何か崇高な意味に|充《み》ちみちているように思わ れて来る。ーそういった筋の、五、六ぺージばかりの短篇なのです。しかし、僕はそれを読ん で、なんだかその学生と一しょになって泣きたいほど、感動しました。  主 ふむ、いい短篇だね。僕は読みそこなっていたが、いつかその本を貸してくれたまえ。し かし、君の話だけでも、大体はわかるね。ちょっとそこにある聖書をとってくれないか。そこの ところを読んでみよう。ルカ伝だったね。(聖書をひらいて読む)「……やがて|鶏《とり》鳴きぬ。|主《しゅ》、ふ りかへりてペテロに目をとめ給ふ。ここにペテロ主の『今日にはとり鳴く前に、なんぢ|三度《みたび》われ を|否《いな》まん』と言ひ給ひし|御言《みことぱ》を|憶《おも》ひいだし、外に出でて|甚《いた》く泣けり」ー鶏が鳴くと、遠くから イエスが焚火にあたっているペテロの方をふりむいて見る、するとペテロは急にイエスに言われ たことばを思い出し、はっとわれに返って、庭の外へ出ていって、暗がりのなかではげしく泣き 出すのだね。チェホフの短篇の話をきいて、ここのところを読むと、なんだかこう一層、そのと きのペテロの|慟哭《どうこく》が身ぢかに感ぜられて来るようだな。  学生 僕はこの短篇を読んだときにも思ったのですけれど、このペテロの話にしろ、いつかお 書きになっていたエマオの旅びとの話にしろ、そんな縁遠いような物語がおもいがけず僕らの身 ぢかに迫って来て、妙に感動させられることがあるのですが、それに反して日本の古い物語はい かに美しく、なつかしいと思っても、それだけの強い力がないような気がするのです。何かfatal なものの前にわれわれを無気力にさせてしまいます。そのチェホフの短篇は、まず、森のなかの もの寂しい自然の描写ではじまっています。チエホフの筆だとそこが非常に美しいんですが、そ ういうもの寂しい自然がすっかりその学生の心をめいらせているのです。1そんなものからチ ェホフは小説を書きはじめていますが、日本のいいものはそれとは反対に、一番最後にそういう ところへわれわれを引きずり込んでゆくように思われるんですけれど-…。  主 確かにそういうところがあるだろう。これから君たちは大いにそういうfatalなものと戦 ってみるのだね。僕なんぞも僕なりには戦ってきたつもりだ。だんだんそういうfatalなものに 一種の|詮《あきら》めにちかい気もちも持ち出しているにはいるが。しかし、まだまだ|■《も》がけるだけ■がい てみるよ。……(ばあっと夕日があたって来だしたのを見て、窓をあける)毎日、こうして雪の なかの落日を|眺《なが》めるのが|愉《たの》しみだ。なんだか一日じゅう、冬の日ざしが明るすぎて、室内にいて も雪の反射でまぶしくって本も読めずに、ぼやぼやしながらその日も終ろうとする、iーそんな |空《うつ》ろな気もちでいるときでも、この雪の野を赤あかと|赫《かが》やかせながら山のかなたに落ちてゆこう としている日を眺めると、急に身も心もしまるような気がするのだ。君はいま「こういう落日を みながら、どんな文学的感情を|喚《よ》び起すかね?  学生 そうですね。僕には、いま、二つのものが浮びます。一つは|釈迢空《しやくちようくう》の「死者の書」を|荘 厳《そうごん》にいろどっていたあの落日の美しさです。それからも5一つは、フランシス・トムスンが「落 日|頒《しよう》」()の中で歌った、あの野なかの十字架のうえを血で染めたように 赫やかせながら没してゆく太陽の神々しさです。1向うの山の端に、いま、くるめき入ろうと しているあの太陽は、「死者の書」に描かれてある、ああいった山越しの|阿弥陀像《あみだそう》めいても感ぜら れ、それにもしいんとするような美しさを感じますが、それはなんといっても、やはり僕は、こ の雪の野のなかに、太陽の最後の光をあびて血に染まったようになって悲痛に立っている一本の 十字架を求めたいような気がします。  主 釈迢空と、フランシス・トムスンか。なかなか重厚な好みだな。……僕はきのうね、こん な落日を眺め次がら、ふいと|飛騨《ひだ》の山のなかのある落日をおもい浮べていた。もちろん、|想像裡《そうぞうり》 のものだがね。ー「|鷲《わし》の巣の|楠《くす》の枯枝に日は入りぬ」どうだ、|凄《すご》いimageだろう。|凡兆《ぼんちよう》の句だ よ。 「|越《こし》より飛騨へ行くとて|籠《かご》の渡りのあやふきところところ道もなき山路にさまよひて」とい う|前書《まえがき》がある。そんな山のなかで、鷲の巣らしいものがかかっている、大きな|楠《くすのき》の枯れ枯れにな った枝を透いて日が真赤になってくるめき入る光景だろう。鷲の巣は見たことがない、しかし、 楠の老木はかつて見たことがある。|上信《じようしん》国境にある牧場のまんなかに、その大木がぽつんと一本 だけ立っていた。その孤独な姿がいかにも印象的だった。そういう記憶があるせいか、この凡兆 の句にある楠も、僕には、そんな山のなかに他の|木《こ》むらからも離れて、ぽつんと一本だけ立って いる老木のような気がする。  学生 (目をつぶりながら)「鷲の巣の楠の枯枝に日は入りぬ」ー凄いなあ。  主 そんな句がみごとに浮ぶこともある。かとおもうと、ずいぶんくだらないことを思い出し て、いつまでもひとりで感傷的な気分になっていることもある。ある日などは、昔、村の雑貨店 で買った十銭の雑記帳の表紙の絵をおもい浮べていた。雪のなかに半ば埋もれて夕日を浴びてい る一軒の山小屋と、その向うの夕焼けのした森と、それからわが家に帰ってゆく主人と犬と、1 ーまあ、そういった絵はがきじみた紋切型の絵だ。ある日、その雑記帳を買ってきて、僕がなん ということもなくその表紙の絵をスゥイスあたりの冬景色だろうくらいにおもって見ていたら、 宿の主人がそばから見て、それは軽井沢の絵ですね、とすこしも疑わずに言うので、しまいには 僕まで、これはひょっとしたら軽井沢のどこかに、冬になって、すっかり雪に埋まってしまうと、 これとそっくりな風景がひとりでにできあがるのかもしれない、と思い出したものだ。そうした ら急に、こんな絵はがきのような山小屋で、一冬、犬でも飼って、暮らしたくなった。その夢は それからやっと二、三年たって実現された。1その冬は、おもいがけず悲しい思い出になった が、それはともかくも、あのころのー立原などもまだ生きていて一しょに遊んでいたころの僕 たちときたら、まだ若々しく、そんな他愛のない夢にも自分の一生を|賭《か》けるようなことまでしか ねなかった。まあ、そういう時代のかたみのようなものだが、iその十銭の雑記帳の表紙の絵 を、僕はこういう落日を前にして、しみじみと思い浮べているようなこともあるしね。……だが、 きょうは、君のおかげで、枯木林のなかの落日の光景がうかぶ。雪の|面《おもて》には木々の影がいくすじ となく異様に長ながと|横《よこた》わっている。それがこころもち紫がかっている。どこかで|頬白《ほおじろ》がかすか に|啼《な》きながら|枝移《えだらつ》りしている。聞えるものはたったそれだけ。 (そのまま目をつぶる)そのあた りには兎やら|雉子《きじ》やらのみだれた足跡がついている。そうしてそんな中に|雑《ま》じって、一すじだけ、 誰かの足跡が|幽《かす》かについている。それは僕自身のだか、立原のだか……。  学生 急に寒くなってきましたね。もう窓をしめましょうか。