おえふがまだ
浅間根腰の宿場の一つとしての、瓦解前の繁栄にひきかへ、いまは吹きさら
しの原野の中に、いかにも宿場らしい造りの、大きな二階建の家が漸く三十戸
ほど散在してゐるきりだつた。しかもそのなかには半ば廃屋になりながら、ま
だ人の棲んでゐるのがあつたり、さすがにもう人が棲まずになり、やぶれた床
の下を水だけがもとの儘せせらぎの音を立てて流れてゐるやうなのも
村の西のはづれには、大名も下乗したといはれる、
その少し先きのところで、街道が二つに分かれ、一つは北 国街道となりそのまま林のなかへ、もう一つは、遠くの八ヶ
岳の裾までひろがつてゐる
その
おえふの生れた家、
おえふたちは小さいときから、この生れた家を離れたきり てゐたのだつた。——もともと、おえふの父の草平といふ人
は、郡はおなじでも、ここから五里ほど離れた或村の赤屋敷 といはれてゐる旧家の出で、牡丹屋とは血つづきだつたが、
此の村の人ではなかつた。が、明治のはじめ頃にその牡丹屋 の主人がまだ稚い子を残して亡くなると、後見に頼まれて、
瓦解以来何度も倒れさうになつてゐたその世帯を引き受ける ことになつた。しかし、牡丹屋は、——といふより、この古
い
そこの村も村で、それまではほかの宿場とおなじやうな運 命をたどつて、ひどく衰へ、みるかげもない一古駅となり果 ててゐた。が、その村のなかに停車場のできるのと前後し て、そこいら一帯の風物がそのすこし前からはうばうに夏を 過ごす高原を捜してゐた外人の宣教師たちの目がねにかなつ て、夏だけ、そこに風変りな部落がいつのまにか出来るやう になつてゐた。
おえふは弟たちと寺の小学校にかよひながら、さういふ村 の急激な変化を、——村のあちこちに
おえふが年頃になると、その村の蔦ホテルから、突然、長 男の
大体、その蔦ホテルといふのは、もうその頃は村の北方に ある森の中にいかにも山のホテルらしいものになつてゐた
が、ついその前までは、旧道のなかほどにあつたほんの小さ な蔦屋といふ旅籠屋だつた。——若い頃村を飛び出して、静
岡あたりで伝道師をしてゐた当主の耕助は、このごろ自分の 郷里が外人のおほく集つてくる避暑地として
そのうちに好いパトロンが見つかつた。独逸人の寡婦で、 二三度泊りに来てゐるうちに、この村がすつかり気に入り、 本気でホテルをやる気があるなら金を出してやるから此処に もつといいホテルをつくつてはどうだと、向うから言ひ出し た。そこで、その独逸婦人の提案で、村の北にある小ぢんま りとした森のなかに場所を選んで、そこにともかくもさうし たホテルらしいものを建てた。さうしてそれから数年のうち に、ずんずん発展して、そのうち本陣でもやりはじめたホテ ルを凌駕して、村で一流のホテルになつてゐた。
ただ、さうやつて稼業のはうは一番工合のいいホテルにな つてはゐた。——だが、この狭い山のなかの村、ことに古い
家柄のものをいふ此の村では、なんとしても蔦屋の一家は家 柄が悪かつた。同じ稼業をしてゐる本陣とは、何かにつけ、
とても太刀打ちできなかつた。……そこで長男の
おえふが、親の云ふなりになつて、蔦ホテルに嫁いでいつ たのは、明治の末、かの女が十九の春だつた。……
結婚して一年。——おえふは、はじめて出来た子の初枝を 生みに、母親のもとに帰つてくると、そのままどうしてもも うホテルに戻らうとはしなかつた。理由はなんとも云はなか つた。それを云つても、誰にも分かつてもらへさうもないか ら、一そ云はずにゐようと思ひ込んでゐるやうな容子だつ た。……
おえふは、それまでとは打つて変つて、急に勝気な女にな つた。誰になんと云はれようと平気なやうに、店さきなどで 背なかにした初枝をあやしてゐるおえふの姿は、いかにも屈 託のなささうに見えた。
さうしておえふの父がいままで面倒をみて相当のものに仕 上げた駅前の店を、もう成人した本家のあととりに譲つて、 それと入れ代つて、隣りの村のもとの牡丹屋に隠居をするこ とになつたとき、おえふも初枝を連れてそちらへ一しよに往 つた。さうしてそれきり遂にホテルヘは戻らなかつた。
弟の五郎は、それを機会に、東京に出た。
おえふは初枝を漸くふところから離せるやうになつた頃、 ホテルでは草津の有名な温泉旅館からそこの評判娘を
が、それからまだ一年と立たないうちに、その娵も離縁に なつたことを知つても、おえふはもうなんとも思はないやう
になつてゐた。一たん詮らめると、かうも気が強くなれるも のかとおもはれるほど、かの女は全くいまの境涯に安んじて
ゐるやうにさへ見えた。さうしてそこいらの村の女たちと同 じやうになりふり構はない容子をしてゐたが、さすがに何処
か品があり、それがかへつてかの女のまはりに一抹の淋しさ を漂はせてゐたことはゐた、——が、そんな事にも無頓着ら
しく、いかにも何気なささうにしてゐるおえふには、ああ不 しあはせな
こちらの旧牡丹屋は、もうながいこと廃業同様になつてゐ たが、おえふたちが移つて来てから、夏など人に頼まれて学
生を二人三人預かつてゐるうちに、それからそれヘと聞きつ たへて、夏休みになると学生たちが行李に一ぱい本を詰めて
勉強に来だした。そのうち、村の南にある谷問に夏場だけの 仮停車場ができ、使ひ古しの乗合馬車が一台きりで、松林の
中を伐りひらいた道をとほり、そこと
おえふはその夏のあひだ、学生の世話を一人で引き受け、 小女などを相手に、昔の自分に立ち返つたやうに、赤い櫻が けで娘らしく立ち働いた。年よりもずつと若く見せてゐるお えふの美貌は、学生たちの間に、何かと噂の種を播いてゐ た。しかし、おえふはそんな事にはいつかう気もとめず、身 なりかまはずに働いてゐるばかりだつた。さうして夏だけ手 つだひに帰つてきてゐる弟の五郎などに何かぞんざいにもの を云つてゐるときなどは、これがあのおえふさんかと思ふほ ど、キびきびしたものの云ひ方をしてゐた。
そんな夏の或日のことだつた。おえふが少女と一しよに流 しもとで働いてゐると、丁度日ざかりなのでさつきから人け の絶えてゐる街道のはうに、急に人影がみとめられた。見て みる}、三村さんの奥さんと、娘の菜穂子と、もう一人、見 かけたことのない、痩せて背の高い、画家かなんぞらしい男 との三人づれだつた。三村夫人は日傘の中からおえふとふと 目を合はせると、何か見られたくないやうに、無言で会釈を して、すうつと通り過ぎていつた。おえふはその夫人の素ぶ りに何か異様なものを感じた。……連れの画家かなんぞらし い男は家の前に立ち止まり、菜穂子とならんで、まぶしさう に軒さきに突きでた龍の彫りものなどを見上げてゐたが、ふ と家の中から夫人と会釈をかはしたおえふの姿に目をとめる と、何か意外なやうな目ざしでかの女の方をじつと見た。 が、そのまま菜穂子と何か話し出しながら、いかにも疲れて ゐるやうな容子をして、そこから歩き去つた。 こんな山国にはこんな女もゐるのか、——男の目はさう云 つてゐた。おえふはそんな切ない目ざしでこれまでついぞ人 に見られたことがないやうに思つた。
さういふおえふは、それから何年立つても、その頃のまま のおえふでゐた。そんな山の中でずんずん年をとつてゆくこ ともいつかう苦にならないらしく、いつも何気なささうに暮 らしてゐたが、それでゐておえふは不思議にいつまでも若く 美しかつた。
しかし、おえふの背負はされてゐる運命はそれだけではな かつた。
娘の初枝が十二の冬、村の小学校への往きがけに、
一年たち、二年たつても、その病気はすこしも快くならな かつた。とうとう上田の病院に入れて、いやがるのを無理に
手術をさせたが、結果ははかばかしくなかつた。その上、初 枝は自分の病気に
おえふは、自分の娘がみすみすそんな廃人同様になつてゆ くのを自分の力ではどうにもならないことを、そのときまざ まざと知らせられた。
それから二三年の間といふもの、おえふの心痛には、殆ど 量り知れないものがあつたはずだ。——だが、みたところ、 おえふは相変らずもとの儘のおえふでゐた。
その春ごろ、東京から帰つてきた弟の五郎は、やつと村に 落ちつくやうになつても、すこしも家業に身を入れず、夏に
は学生たちを誘つて
「むゝ、あいつは家に落ちついてゐようなんて考ヘもしない んだ。若いうちにや、好きなやうにするがいいさ。」
老人はいつも為様がないといつた顔をしていふのだつた。
そのまま、その冬も、なにもかも吸ひつくやうな寒さのう ちに過ぎていつた。
その翌年。——何か暗いかげが、家全体をおほひ出してゐ ることはかくせなかつた。
そんな年の、秋になつてからだつた。ときどきおえふの許 に東京から手紙が届いた。おえふはよく何処かの物陰へいつ
て、一人でそれをよんで来ると、そのあとでしばらく淋しさ うな顔つきをしてゐた。
「どうせ生きられても、ちやんとした身体になれない位な ら、いつそ此の
おえふはさう心の隅でおもふこともある。ふいと何か希望 のやうなものがかすかに涌いてくる。
何度も山に雪がふつて、麓の村にもやがて雪がおとづれさ うになつた頃、初枝の工合の悪い日が続き出した。それまで
何か外のことに気をとられてゐたやうに見えるおえふは、急 に我に返つたやうになつて、初枝の看護に身を入れるやうに なつた。
「この
さうおもふと、自分ひとりだけの考への中にとぢこもつて ゐた此の頃の自分が、無性に悔やまれて来た。
おえふはもうすべてを
もう冬だ。明けがた、暗いうちに猟に出かけたぎり、五郎 は日が暮れても帰らないことが多かつた。暗くなつて帰つて きても、何もいはずに、獲物をはふり出し、囲炉裡に土足の まま這入つて、いつまでも一人きりで、冷え切つた体を温め てゐた。その問、うすぐらい土間で、ただジヤックの白いす がたが何やら轟いてゐるばかりだつた。……
老人は、たまにこの古駅を見にくる山好きの旅びとなどが あると、その客を相手に、若いころからの此の村の変りやう をさまざまに思ひ出し、夜のふけるのも知らぬやうに語りき かせてゐた。
その頃は、まだ何処にもいまのやうな官有林ができてゐ ず、わづかに赤松がまばらに立つてゐただけで、村から火の 山の糖野は一目だつた。
吹きとばす石もあさまの野分かな
さういふ古人の句さながらに、昔噴き上げられて落ちてき た焼石があちこち草の中に見えてゐるきりの、果てしない裾 野がこの村を過ぎる旅びとの足もとまで迫つてきてゐ、見あ げると、ついもうそこに火の山の火口がちぎれちぎれに煙を 飛ばせてゐる。……
さういつた野分のころの一昔前の村のありさまを、老人は さういふ話の折には、いつも好んで思ひ浮べるらしかつた。
その老人が一生のあひだ自分の骨折つてやつてきたすべて の事は殆ど忘れ、たださういつた野分の日のありさまだけを
自分の前に浮べながら、一と月ほど
老人の死後、思ひがけない困難がおえふたちのまへに生じ た。老人に旧牡丹屋を預けたのは老人一代といふ約束だ、と
本家のはうで云ひ出したのだつた。それはおえふたちには寐 耳に水だつた。その本家のあととりと老人とのあひだにどう
いふ約束があつたのか、誰もそれについては知らなかつた。 ——しかし、おえふたちにしてみれば、こちらの牡丹屋は自
分たちのもの、といふ気もちになり切つてゐた。それが当然 のことと思へてゐた。——だが、本家からさう云ひ出されて
みると、何分ほんの口約束だけだつたのだらうから、どうに も為様がないことだつた。結局、どちらに
そんななかで、五郎は、もと
おしげは、しかしそんな稼業をしてゐた女にも似ず、いか にも気立のいい女だつた。もうすつかり体もよくなり、牡丹 屋にきた日から、たつつけ姿で、おえふと一しよになつて働 いた。こんな山奥で、かうやつてなりふり構はずに働いてゐ る方が、この東京の女にはかへつて何んの気苦労もなくてい いらしかつた。
おえふたちもそれを見て、思はずほつとした。
ただ、これからみんなで唯一の頼みにしようとしてゐた五 郎が、その
そんな五郎の病気のおかげで、ここしばらく、本家とのい ざこざもその艦になつたきりでゐた。
夏になり、又学生たちがやつて来た。をととし頃からその 学生たちの間に、自分のことが何かと陰口にのぼつてゐるら しいのを、おえふも知らないことはない。おえふにはそれが 何よりもつらいことだつた。が、この夏は、おしげにすつか り学生のはうの事は任せてゐられたので、自分は殆どひきこ もつて初枝や五郎の看護に向ひ、あまりそんな噂には心をわ づらはせずにゐられた。
九月になつて、学生たちがみんな帰つてしまひ、家のもの だけになると、いつになくおえふは自分のまはりが急に淋し
くなつたやうな気がした。なんとなくいつもとは工合がちが ふやうに見えた。「また自分たちだけが取残された——」な
ぜか、そんな
秋が深くなつて、朝など山の方から猟銃の音がきこえ出す と、老犬のジヤツクはなんだかじつとしてゐられないやうに 走りまはり、不意と見えなくなる。さうして日暮れ頃枯葉を 一ぱい身につけて帰つてきては、囲炉裡のそばにさびしさう に上り込んでゐた。ひとりで山へいつては堆子などを追つて くるらしかつた。
冬になると、
「あれが越後屋の子さ。ああ、あつちかい、あれは……」そ んなことを老母がおしげに教へてやつてゐる。見馴れないお
しげには、まだ、どの子もおなじやうに見えるらしかつた。
十二月も末になつた頃、突然、見知らない洋装の男女が村 のなかに姿を現はした。
林のなかをしぱらくさまよひ、それから村はづれまで往つ て雪のある山を見たりしてから、村の子に案内をさせて、牡
丹屋にきた。三村さんの知りぴとらしく、そこの別荘を明け て一と冬使はせてもらへまいかと云ふのだつた。どうも様子
が変なので、それまで二人を泊めて、返事を待つことにし た。が、三村夫人からは何んの返事もなかつた。その代り、
有名な小説家の森さんといふ人から牡丹屋に宛てて為替を送 つてよこし、もしそちらにさういふ二人づれがいつてゐたら
何分よろしく頼むと云つて来た。そこで、おえふは病中の五 郎と相談して、丁度いま東の林のなかに一軒小さな家が
雪深い林のなかで、二人はそれきり滅多に村へも出て来ず に、ひつそりと暮らしてゐた……
おえふはいつしか二人の身の上を知るやうになつてゐた。 男は或雑誌の記者で、女は良家の娘だつた。現在の二人にと つては、自分たち以外には、世間もなにもないらしかつた。 山のなかの寒さも何んともないらしかつた。——さういふや うな二人の生活が何かしらおえふを脅やかした。……
二月の末、おえふは誰もほかにゐなかつたので、森さんの 送つてよこした書留をもつて、その林のなかの家まで届けて やつたことがある。
林の中には、まだ雪がところどころに薄汚く残つてゐた。 おえふはジヤツクを先に立てて、そんな中を歩きにくさうに 往つた。
林の奥から、ふと、人の
「お手紙がこちらに参つてをりましたので——」と少しため らひながら言葉をかけた。
漸つと男が外套すがたで出て来た。なんだか髪を逆立てて ゐた。
おえふはそちらを見ないやうにして手紙だけ渡した。
「これはどうも——」 男はそれを受けとつて、封筒を見ると、何か待ち切れずに
ゐたもののやうに、おえふの前でもうそれを披いてゐた。
「おい。」男は急に物陰にゐる女のはうに声をかけた。「森さ んは北京に往かれるんだとよ。……」
おえふはいそいで柴折戸のそばを離れた。
それから再びジヤックを先立たせ、残雪の間を拾つて歩き 止小き、いま見てきたばかりの
その林を出ると、冬の日がぱあつとかの女の顔にあたつ た。おえふはいつになく
それから二三日後、林のなかにはもう住んでゐるものがゐ なかつた。……
この頃になつて、誰が云ひだすともなく、古駅としておも かげをよく残してゐるこの村の家並み、ごとに昔の本陣だつ
たままの家作りの牡丹屋や
昔この
或日、老母がなんといふこともなしに昔話を思ひ出して、 初枝にきかせてやつてゐる。——昔、この村に古い狐が住ん でゐて、それが人知れず毎晩のやうに数年まへ武家に殺害せ られた或遊女の墓のほとりをさまよひ、ときどきそつとそれ に近づいてはそれを舐めてやつてゐた。村びとがやつとその 事を知つて、其処へいつてみると、その墓にもひとりでに深 い傷ができてゐたのだつた……
おえふはそばで、そんな話をききながら、自分もはじめて それを聞いた子供のころの事、——秋など、森のなかで真つ
紅になつた蔦のからみついてゐる古い小さな墓などを見かけ ると、きまつてその狐の話を聯想し、何だかかはいさうにお
もつたりした事のあるのを思ひ浮べてゐた。
「初枝もすぐ
考へてみると、十二のときに病気をしてから、いつまでも その日の儘の心もちで、自分にすつかり甘え切つてゐる初枝 を相手にして暮らしてきたせゐか、自分までが一しよにその 日から殆ど年をとるのをも忘れてしまつてゐたかのやうだつ た。
おえふには、その日から後の事はなにもかもついこないだ の事のやうに思へる代り、それより先きにあつた出来事はす べてがもう夢の中のやうに思へるばかりだつた。
こんないまの初枝のやうな年頃に、自分はもうあんな不し あはせな結婚をさせられてしまつて。——と、さう強ひて思 つてみても、その頃の自分のすべてが何ひとつ目を外らせた いほど痛ましい姿をして蘇つて来ないのである。……
おえふは、まだ四十にもならないうちに、こんなこだはら ない気もちで、自分の若い日のことが思ひ出されようとは思 ひも及ばぬ事だつた。
いそがしい夏場だけ、高崎の
しかし、今年も非常に客の立て込んだ夏の間、まだ五郎が リウマチスで寝たきりになつてゐる始末なので、そんな捨吉
でもゐてくれた方がずつとよかつた。
「こちらが
お殿様の間に泊つてゐる、松平といふ、美術史専攻の学生 は、いつもその部屋の奥で静かにレンブラントの画集なぞを
見ながら、さういふ捨吉の説明ををかしさうに聞いてゐた。
「捨さんもなかなか牡丹屋の説明がうまくなつたな。」
松平は捨吉の顔をみると、よくさう云つて冷やかした。
或日、捨吉が学生たちのしてゐた話を聞いてきて、おしげ に云ひつけてゐた。
「さつき藤棚の下に五六人集つて、何かおもしろさうに話し 合つてゐるので、ちよつと聞いてましたら、みんなで此の牡
丹屋の最後の日のことを勝手に想像しあつてゐるんです。誰 かが、もう五六年もしたらひとりでに突然目の前でがらがら
と崩れてしまふやうな気がすると云ふと、いや、まだこのま ま百年位はもちこたへて、この次ぎの浅間の爆発でやられる
さなどと云つてゐる人もゐました。……」
おしげはそんな事をきくと、本気になつて腹を立てた。
「馬鹿をおいひでないよ。お前はまたそんな事をとんまな顔 をして聞いてたんだらう。」
捨吉はさも困つたやうに、ただ、人のよささうな笑ひを浮 べてゐた。
「私、なんだかこはくなつたわ。」初枝は陰でそれを聞きな がら、おえふの方を何か訴へるやうな目つきで見あげてゐ た。
おえふは縫物をしながら、こともなげに云つた。「そんな、 お前、ばかばかしいことを。」
さう云つたきり、おえふは娘から目を外らせてゐた。おえ ふけそのとき心のなかでこんな事を考へ出してゐた。--…い
まこそ弟の病気のおかげで本家との問題が小康を得てゐるも のの、いつまたそれが再燃して、自分たちを
「そんなことをこはがつてゐた事には、お前……」 おえふはさう云ひながら、しけじけと初枝のはうへ目をや つた。
九月になると、学生たちはあらかた帰つてしまふ。急にひ つそりとなつた牡丹屋の前に、或秋らしくなつた日、一台の 最新型の自動車が着いて、そのなかから若い外人の男女が下 りた。蔦ホテルかなんかで知合になつた同志が、人目を避け て、此処まであひびきに来たらしかつた。 二人とも日本語がよく分からず、おしげは困つて、まだ滞 在してゐた松平に来てもらつて、通訳をたのんだ。
松平も困つたやうな顔をして二人と何やら押問答をしてゐ たが、漸つと笑ひながらおしげの方をみて云つた。この二人 は、二三時間でいい、どこか静かな部屋があいてゐたら、其 処で休ませてくれ、といつてゐるんですよ。さうしてあちら のホテルはどこも人が多過ぎる、と勝手な文句まで抜かして ゐるんですよ、と付け加へた。
おしげも笑ひながら、その厄介な客を連れて、裏二階にあ がつていつた。
松平はそのまま小さな本を懐に入れて、宿を出て、東の林 のはうへ往つた。……
夕方近くなつて、松平が林から帰つてくると、ずつと遠く の方から牡丹屋の大きな建物の前にまださつきの外人の乗つ てきた自動車の駐まつてゐるのが小さく見えた。それが何か 異様に西日にぴかぴかと光つてゐた。
九月の末になつて、一番最後まで滞在してゐた松平もとう とう帰つていつた。
捨吉は自転車にその荷物をつけ、一しよについてきたジヤ ツクとあとになり先きになりしながら、森のなかにさきに姿 を消した。
その森にはひる前に、松平は急にふり返つて、最後に村全 体を見わたした。村のあちこちの森から、炭を焼いてゐるら しい咽りがいくつとなく立ち上がつてゐた。
松平は、自分の去つたあともこの古駅に残る人達のことを 考へながら、そのまま森のなかへはひつて往つた。
谷間の駅には、捨吉が自転車に手をかけたまま、何かぽん やりとして待つてゐた。その足もとに、老犬もうづくまつて ゐた。
汽車のくるまでまだ
「信州つて随分淋しいところですね。」捨吉がふいに松平の はうを向いて云つた。
松平は意外なやうな面もちで捨吉の方を見た。さうしてこ のかたはな若者がこの村のものでなく、高崎の在から雇はれ
て来てゐることに漸つと気がついた。
「ふん、捨さんでも淋しいなんぞとおもふのかい。」
さう事もなげに云つてしまつてから、ああ、もうすこし何 んとか云つてやればよかつた、と松平はおもつた。
「さういへば、捨さんははじめて此処で冬を過ごすんだね。 冬は寒さうだなあ、ここは……」
捨吉は黙つたまま、足もとの老犬のはうへ目を落してゐ た。
松平もそれきり黙つて、もうすつかり秋めいて近かぢかと 見える火の山の火口のあたりに小さな雲がたえず移つてゐる のを見やつてゐた。小さな雲がひとつづつ立ち去ると、その あとに火の山の煙らしいものが一すぢ、かすかに立ちのぽつ てゐた。……