現代変形談 田中英光  諸君は、新宿駅裏の、裏ロマーケットの片隅に、 (人体変形移植保管会社)という、奇妙な長い名前の、 秘密会社があるのを御存じだろうか。  外見は、他のカストリ屋台となンの変りもない。鍵 の手のカウンタアの背後には、三十歳ぐらいの厚化粧 をした、肥り肉の妖艶な年増が、鼻の頭に、汗をかき、 せッせと、焼鳥をやいている。  その他、天ぷら、お新香、果物みたいなお菜も揃っ ている。酒も、ビイルから、かの爆弾と称するアルコ オル類まで、なんでも売ってくれる。  而し、その平凡な、時には売春も行う、肥った、国 子と呼ばれる年増こそ、実は、その秘密会社の社長な のである。彼女自身、戦争中、軍需会社に働きにいっ ていて、ある夜、爆撃にやられ、運河にとびこみ、見 知らぬ男に犯され、その途端に神かかりになったので ある。  彼女は、自分の内啓により、その身体に生理的変化 がおこり、いつでも随意に処女になれるかと思えば、 牝豚の頭脳、雌狼の心臓、なんでもなりたいものに、 なれるのを発見した。  だから、彼女は全然、絶望を知らぬ女にな↑た.そ の空襲の朝、彼女は、何人かの爆死をとげた、近くの 少女たちの肉体の中から、いちばん美しい、新鮮な、 大切な器官を、仕事ナイフで、綺麗にきりとり、それ を自分の汚れた器官と人替えてしまった。  それ故、国子は、三十になっても、まだ汚れを知ら ぬ処女であり、彼女が、時に売春をする際には、彼女 の手提冷蔵庫に入れてある、古い器官を取りかえるか ら、彼女は、どんな男と、何回、一緒に寝ても、処女 という確信を失わずにいられるのだった.  そして彼女は、敗戦後、そのマアケツトに店をだし、 飲み屋商売を続けている中、堕落する積りの娘たちが、 さびしそうに、彼女の店に、焼鳥なぞ食べに入ると、 一眼で、そんな娘たちの境遇をみぬき、声をひそめ、 こんな風に囁いてやるのだった。 「お前さん、家出してきたんだろう,どうも若い娘た ちには、生きにくい御時世だからねエ。代用食ばかり 食べさせられ、親たちに叱られ、こき使われれば、ど うしたって、派手な世問にでたくなるからねエ.しか し、やっぱり、自分の身体は汚したくない、お前さん の気持はよく分るよ。だからどうだい、ものは相談。 お前さんさえよければ、こんな手術をしてやろうじゃ ないか」  娘たちはギョッとする。まさかという顔で、国子の 顔をみつめるが、国子が、神のように厳粛な表情なの に気つくと、恥かしそうに、承知して、彼女の移植手 術をうけることにする。その詳細をここに述べること は遠慮するが、とに角、そんな娘たちは、自分の神聖 な処女器官を一度、取りのぞかれ、その代りに、豚の アレでも、馬のアレでも、又は、春婦のアレでも、望 む通りのものを、その同じ場所に植えて貰うのである、  そして、彼女の器官は、チケ〜トを貰い、国子の店 の、冷蔵庫に大切に、保管され、月に千円ほどの、 保管料を払っていれば、いつ何時でも、娘たちの望む ときに、チケ一ト引替に、返して貰える仕組になって いた、  だから、娘たちは喜び勇んで、夜の町にとびこんで ゆく。どんな男か相手で、どんな無態をされても、向 に平気である。供し、彼女たちの生活の必要ヒ、或い は、そのヤケ糞のロマンチシズムから、近くの地廻り の若い者なぞと、安宿で、同棲生活をいとなむ時なぞ、 こッそり、そη恋入ごけに、その秘密ヤ一)'っハけてし まう。すると、若い衆は、 「ううむ」と呻り、「それ本当か。お前のは、馬じゃ ないのか一 「アラ失礼」と、女は男の肩をなまめかしく叩き、 「あたしのは、れりきとした豚のアレだって、お国姉 さんが保証してくれたわヨ」 「ワァ」と、男はしぶい声でとび上り、「そうか、豚 か。どうりで。それは、そのなにか、男のやツも移植 して貰えるのか」 「えエ、無論でしょう」女は、自信ありげに、「あの 姉さんのことだから」 「そうか」と、若い者、半狂乱になり、すぐ、国子の 店にかけつける。彼も男である。別に女ほど、肉体の 貞操を大切にしている訳ではないが、豚の女と寝る為 には、自分も、豚のアレが必要と信じたからである。  そこで、国子姉さんの、(人体変形移植保管会社) の仕事は、たちまち、ひどく流行をきわめるように なッた。  なかには、肉体の下部ばかりでなく、そうした売春 行為は、良心が咎める、胸が痛い、なぞいう、殊勝な 男女もいて、そんな連中は、その頭や心臓を、|夫《それぞれ》々、 蛇や猿や狼のものなぞに移植して貰うのである。  だから程なく、そのマァケット附近の、若い男女た ちには、まるで人間らしい処がなくなってしまった。 自分たちが生きてゆく為には、何事も許される。但し、 本能的な自己保存欲は、獣よりも、狡滑なのだ。  それ故、この界隈では、ひとに知られぬ、殺人暴行 なぞが、しきりに起った。又、彼女らの客になる男た ちは、みんな、女たちから尻の毛をぬかれるほどの、 ひどい眼に合わされる。金を払い、女たちに逃げられ る客なぞは、まず好いほうだった。  なかには在金すッかりとられた上、猿股一枚で投り だされる客もある。而し、彼とて、一度、女と交接す る場合に比べれば、よほど、幸運といわれるであろう。 なにしろ、相手は、豚か馬なぞのアレをもっていて、 同様なアレをもっている情夫たちと、二六時中、一緒 に暮しているのだから、人間のもちものでは、とても 役に立たない。快感なぞもまるでない。死にたいよう な不快感におそわれた後、得体の知れぬ性病にかかる。 ペニシリン、アルバジル、みんな効果がないのだ。そ して、発狂したり、白痴になるものが多い。そんな噂 もほうぼうにきこえ、一度きた客は、さすがに二度と やってこないが、東京も広いし、日本も大きい。  頽廃と虚無思想につかれたと自称する男たちが次々 にやってきて、この獣の町で、死にそうなほど、ひど い眼にあわされてゆく。一方、国子の店は、その焼鳥 が特別うまい、といわれ、大好評である。彼女の店の 冷蔵庫に、自分たちの大切なものを預けてある、附近 の若い男女が心配して、時々、様子をみに、国子の店 におしかけてゆく。  客たちは、さもおいしそうに、国子の焼く焼鳥を頼 ばりながら、  「|姐《ねえ》ちゃん、この肉は特別、うまいねエ。豚でも牛で も、鶏でもなし。まさか、人間の肉じゃあるまいな」  「まさか」と、お国は、媚笑して、偵察にきた若い者 なぞをジロリと眺め、「旦那、うちのはタレが違うん ですよ」  と、愛想よく、いい、それから、偵察者の若者の傍 にゆき、  「お前さん、なにしにやってきたんだよ。手術をして やった恩を忘れ、店の商売の邪魔をしては困るよ」  若者がどもりながら、  「おい姐さん、大丈夫かい。ここの焼鳥は、人間の肉 だっていう評判だけれど」  するとお国は眉をしかめ、怖い顔で、「ヘンな心配 は止めておくれ。お前さん、自分のアレが欲しいなら、 さッさと、チケットを出すが好いや。いツでもちゃん と返してやるからね」  しかし若者は、すぐアレを返されることを好まない。 自分だけ返されたら、すぐ仲間はずれになってしまう。 ひとりで人間らしく、生きてゆく自信もない。だから 大慌てに慌て、「笑談じゃない。そんな心配どころか、 俺も、姐ちゃんの焼鳥がうまいときいて、一本、食べ にきたんだ」 「あら、それなら、お客様じゃないか。こちらに腰を かけなヨ。飲物はなににする。お前さんじゃ、爆弾で もなければ、利きが薄いだろう」 「それ、その爆弾に、焼鳥を五本ばかり焼いておくれ」  と、若者、いまは仕方がなく、案外、自分の肉体の 一部かも知れぬ、そのジュウジュウ焼けた、獣の皮ら しいものを、口の中に投りこみ、思わずゲッと吐きだ したくなるのを、グイと、爆弾を煽ッて、腹の中に入 れてしまい、 「うム。なるほど、姐ちゃんの焼鳥はうまいな」なぞ、 歯をチュッと啜り、お世辞をいう、この若者ばかりで なく、同じ組の若い男女たち、みんな、お国の焼鳥に 疑いを抱くようになっていたが、さて、それでは例の チケットと引替えに、自分の肉体の一部を返して貰お うという勇気のある者はなく、みんな、 (どうせ俺た ちは人間を失格したんだ。)という自棄くソな気持で、 生活していた。  処で、ある日、こうした獣の町に、南方の島で、七 年も暮してきた、復員兵の、五平がひょッこり姿を現 わした。彼は、敗戦後、無人島に、二、三人の戦友と 逃れ、猛獣にとりかこまれ生きてきた上、その戦友た ちが死ぬと、(どうせ獣に食われるくらいなら)との 彼等の遺言を守り、些か食人種の経験さえ持ち合せて いたのである。  そして辛うじて、浦島太郎のような気持で、祖国に 帰ってきた。東京の彼の家は焼かれ、その家族も行方 不明だった。しかし彼はまだ二十八歳。かつての密林 よりも、ジャングル的な東京を見廻わし、少しも希望 を失わない。まず担ぎ屋になり、資本をこしらえ、そ れから露店商になる積り。  毎日、食うや食わずの生活をし、二年かかって、 やっと三万円をため、いよいよ、露店の権利でも買お うかと、夕方、ブラリと現われたのが、お国の店であ る。  客はまだ立てこんでいない。お国は戦闘帽に復貝服 の、貧乏くさい五平の姿をちらりとみて、気易く、 「兄さん、焼鳥でも食べておいでヨ」と誘ってみた。 五平も気軽に、 「うん、それなら、アルコオルも一杯貰おうか」なぞ、 棚のカストリの瓶を指さす。 「あいきた」.と、お国、汚れた、コップに、溝臭いカ ストリをなみなみとつぎ、バタバタ、焼きざましの焼 鳥を、七輪にかけ、温ためている。五平はその匂いに、 鼻をうごめかし、 「なンだか、嗅いだ匂いだネ」なぞ云っていたが、や がて、タレ皿にのせられたのを一口、頬張るや、 「わあ、これは人間の肉だ」とペッペと吐きだしてし まった。それにお国は妖艶な顔で、五平の薄汚れた顔微 をジロリと眺め、「まア、可笑しな兄さん。あんた、本当に、人肉を食 べたことがあるの」 「あるともさ」と五平が少し厳粛な表情になり、「南 方の島で.戦友から頼まれ、その戦友の死体をすぐ、 つけ焼きにして食べたことがあるんだ。この肉は、そ れに比べれば少し古いが、味は同じだよ。ごまかし たってだめだ」 「オヤ。あんたはケダモノだね。いくら頼まれたって、 死んだ友達の肉を食う人間なんか、いるもんか。お前 さん、生きているのが辛いだろう。、ちょいと、お前さ んに簡単な手術をしてやろうか」 「いいや、俺はこのままで人間だよ。どんな手術か知 らないが、俺は、親から貰った、この身体で、充分、 満足しているんだ」 「おや、そう」お国は酸っぱい顔で笑ってみせた。 「ずいぶん、元気なお兄さんだね。それでは、お新香 でも切ってあげよう。カストリも、もう一杯どう」  五平は、なにか、嘗ての密林の雰囲気に似た、怪し い妖気が、お国の店を中心に、その附近に渦巻いてい る感じがした。しかし、そのジャングルでも、彼は生 き通してきたのである。この獣の町でも、彼は生き通 さねばならぬ。だから、悠々とハ首を肯ずかせ、 「そう、もう一杯、頂戴」と、お国に頼んだ。お国は、 「アイヨ」と、威勢よく答え、その二杯目のコップに、 獣のようになれる麻酔剤を、ひそかに投げこもうとし た瞬間である。 「姐さん、助けて。カリよ。キャッチよ」と泣声でと びこんできた、ひとりの若い女がある。いわずと知れ た闇の女。お国はかつて、彼女に、(逃げ足さえ早け れば好い。)と頼まれ、その脳髄から心臓やアレにいた るまで、すべて兎のものを移植してやったことがある。  それ故、彼女は仲間たちから、兎のピンちゃんと呼 ばれていた。その姿をみると、お国は急に、薬を入れ るのを止め、 「旦那、悪いけれど、しばらく、この子を同伴という ことにしてやって頂戴よ」  と、五平に頼む。五平はみるからに、オドオドした 娘だと同情していたので、二ツ返事に、彼女の客にな ることを承知する。  そうなると、ピンちゃんは、最早、その店から逃げ だしたくて堪らない様子。また少しも早く、お金を貰 わないと不安で堪らぬように、白兎めいた小鼻をピク ピク動かしている。その心配そうな表情が、五平には、 200 不欄でならぬので、一晩、千五百円といわれると、そ の場ですぐ金を払い、お国にも、勘定を払って、一緒 に店をでた。  五平は、まだ不安そうに耳をピクピク、動かしてい るピンちゃんが、哀れでならぬので、「ぼくと一緒に いれば、もう大丈夫だよ。警官がきたら、ぼくの妻だ といってやるよ。いや本当に、女房になって貰っても 好い」 「アラ、そんなんじゃないの。わたし、猟師が怖くて 仕方がないのよ」 「バカ、こんな町の中に、猟師なんかいるものか。そ れに客は、狐でも、兎でもないし」 「えエ、それはそうよ」と、ピンちゃんが慌てていう。 「それでも、わたし、蛇が怖いの。蛇みたいな男が怖 いの」 「大丈夫だ。安心しろ」と五平。「ぼくは南海の孤島 で、大きな錦蛇を蒲焼にして食べたこともある」 「あら、それでは、あなた、猟師なのね」とピンちゃ ん身震いして、その可愛らしい鼻と耳をうごめかす。」 「違うよ、ぼくは兵隊だったんだ、止むを得ず、猟師 の真似をしたこともある。君、そんなに怖がって、大 丈夫かい。今晩、ぽくから逃げるんじゃない」 「ううん、アラ、そんなことないわ」とピンちゃんが なまめかしく、 「わたし、絶対にそんなことしないわ。わたしを信じ て」  その間にも、ピンちゃんの身体がぴくぴく震えるの を、五平がじッと抱きしめ、ふたりは、ピンちゃんが 定宿にしている、平和ホテルというのに入っていった。  真中に、細長い廊下が通じ、左右に、十五、六の部 屋があるだけの、なんの奇もない、宿屋である。五平、 その真中辺の、三畳間にピンちゃんと入ったが、その 布団の上でも、ピンちゃん、絶えずキョトキョトして いて落着かない。これに五平までソワソワして、 「どうしたピンちゃん、落着けよ。逃げだしちゃ、ダ メだよ」 「あら、大丈夫。わたし一寸、御不浄」と、ピンちゃ ん、跳ねおき、廊下にとびだしていく。五平、まさか 便所まで、彼女をおいかける気心しないので、ひとり 窓に凭り、夜空の星を眺めていた。  星の色は、南海の孤島で眺めた星と同じように、人 間と関係なく、ただチカチカと光っていた。五平は、 その安宿に、ジャングル的な妖気を感じた。どこかで 獣めいた坤り声、うめき声がきこえるのである。獣が、 獣を食い物にしている。或いは、集団を組み、一匹の 獣を、食い殺しているような、凄惨な雰囲気がある。  その時、ピンちゃんが、セカセカした様子で部屋に 入ってきた。 「ねエ、お友達が、玄関で待っているの。少し、お金 がいるんですって。すぐ帰ってくるから待っていてね」 「お金っていくらだ」と五平、二六時中、オドオドし ているピンちゃんが可哀想でならず、こんなことまで 訊いてしまう。 「五百円さ、五百円ないと野宿しなけれぱ、ならない んだって」 「そうかい。じゃあ、これを持っておいで」五平は、 ただピンちゃんを哀れに思い、頭から信じているので、 百円札を五枚ひッこぬいて渡してやる。すると、ピン ちゃん、瞳を赤くして喜び、 「すみません。ありがとう。五分もすれば帰ってくる から待っていてね」  と、ピンちゃん、洋服をすっかり着て、外に出てゆ く。そして、五分経ち、十分経っても帰らばこそ。ピ ンちゃんは、その同じ宿屋にいる、彼女の情夫、蛇体 の移植をして貰った為、ガラガラ蛇の辰という、男の 部屋にとびこみ、恐怖の|雑《まイゴ》った快感で、彼の力強い抱 擁をうけていたからである。  しかし五平は、どこまでも、ピンちゃんを信じ、 (なに、その中、帰ってくるだろう)と、窓外の星の まばたきをみつめている。その中に、この安宿にこも るジャングルの妖気は、一層、激しくなった。  大声で、「おい、お前の女もにげたのか」と隣室で 喚く男の声。「うん、どうも逃げたらしい。こうやっ ているのもバカバカしいし、もう電車もないだろうが、 大塚まで歩いて帰ろうか」と、忌々しそうに答えてい る男の声。そして、ふたりの客のドカドカ廊下を出て ゆく、すぐ後から、 「お内儀々々」と、廊下にとびだし狂的に怒号する客 がある。「俺の鞄がない。上着もない。あの女はどう したんだ」  それに落着いたお内儀の声が、「わたしん処は宿屋 ですよ。御同伴の御婦人なぞ、あんたがお連れになっ たのでしょ、う。女の番人じゃありませんからね。わた しのほうじゃ責任をもちませんよ」 「そうだとも、当り前だよ。今度から、女の手に手錠 でもかけておけば好いや」という、若い男の狼みたい な叫びもきこえる。 「なるほど」と急に、その客が温和しくなったのは、 よほど、その若い者が怖ろしい顔をしているに違いな く、その客も、鞄と上着をとられ、お内儀や若い者た ちのぶしつけな嘲笑をきかされたまま帰ってゆく。  そうかと思えば、廊下で、「オイ帰ろう。スッテッ テンに取られた上、女に逃げられちゃあ。仕方がない」 「それよ、俺もスッテンテンだ。明日、ズルチンでも、 少し流さなきゃ仕方がない」 「あてはあるのか」 「まア、ないこともない」となり は、ブツクサ、岐きあって返ってゆく。  続いて、「ギャッ。ゲッ」という大声。「殺されるウ」 と叫んで逃げてゆく、客らしい足音。五平は、ニヤニ ヤ笑いで聞きながら、 (なんて、今の日本人の男は、バカでだらしがなく、 可哀想なんだろう)と思う。しかし、ピンちゃんが、 なかなか帰ってこないところをみれば、自分も、そう したバカ男のひとりに違いない。  朝まで、女を待っている気持にもなれず、五平は、 苦笑して立上ると表に出る、廊下の端れには、いずれ も虎狼のような面構えの若者たちふたり、油断ない眼 つきで、あたりを見張っていたが、五平のソロリと部 屋から出てきた様子をみると、足音しのばせて、つい てくる。  五平は、その男たちに明らかに猛獣の匂いを嗅いだ。 獣たちの怒りをごまかすのには、さりげない微笑がい ちばんである。彼は、その男たちに、ヘラヘラと笑っ てみせ、 「振られて帰る果報者」なぞ眩きながら、泥だらけの 軍靴をはいていた。  「旦那も、女に逃げられたのか」とひとりの刺青だら けの若い者が苦笑すれば、もうひとりの、金歯だらけ の若い者が、それでも気の毒そうに、 「なに中には、朝までに帰ってくる女もいるんだがね」 と、五平を慰さめてくれる。 「好いんです。ぼく、そんなに女の肉体が欲しい訳 じゃない」五平は明るく笑い、ヒラリと、その宿屋か らとびだした。  夜が更けるにしたがい、町は次第に、けだものめい てくる。五平は、それからマァケット裏で、半身、溝 につかっている男の死体を眺めた。日本刀で、左肩か ら斜めに切られたらしく、汚れた蝋面に、白い眼をみ はっている。傍に立っている見物人たちの話では、こ の男、仲裁にとびだして、殺されたのだという。それ を同情する者はなく、(なんてバカな。ザマをみろ) といった見物人たちの顔を眺めて、五平はギョッとし た。  ことごとく、蛇虎狼、狐狸なぞの顔つきで、人間ら しい面影がすこしもない。それで五平は、夕方、ちょっ と立寄ったお国の店のことを思い出した。あそこでは、 焼鳥と称し、正しく人肉を食わせていたし、へんに手 術のことなぞ、口走っていた。 一あの様子では、お国の店で、人獣移植手術をやり、 この辺の人間をみんな獣にして、人肉をひとに食わせ ているのかも知れぬ。そういえば、しょっちゅう、兎 のように、おどおどしていた、ピンちゃんの様子も変 だった。(これは一つ、お国の店を調査した上、これ から犠牲になる人間を助けてやりたい)と五平、余計 なことを考え、その翌日の夕方、また去り気なく、お 国の店に出かけてゆく。  お国は、彼を一眼で見極めるや、「おや、兄さん、 昨夜はおたのしみ」 「愉しみどころか、女の子に逃げられちゃった」 「お や、まア」と、お国は眉をひそめてみせ、 「あの子は、兎のピンちゃん、といって、逃げ足が早 いんで、有名なんですよ。まあ、お待ちなさい。その 中、落着いた好い子がきたら、お世話しますよ」 「姐さん、それよりも俺、もう人間であることが厭に なってしまったんだよ。もし好かったら、俺にも、昨 日いった一寸した手術がして貰えないかね」 「あら、本当」と、お国がニコニコ顔で、五平の傍に 近より、「わたしの本職は、人体変形移植保管会社の、 社長なんだよ。馬でもなんでも、あんたの好きなもの を、簡単に移植してあげるよ。手術料はわずかに三千 円。そして、あんたの大切なものを保管しておく費用 が、月に千円。安いものだろう」  これに五平は、昨夜の自分の想像がぴッたり的中し たのを感じた。それ故、わざとニヤニヤした笑い顔に なり、 「姐さん、その移植のほうは大丈夫でも、その保管の ほうは危ないんじゃない」 「アラ厭だ。こうして焼いているのは、もう保管料を 払わない連中の分ですよ。奴等にしてみれば、もう二 度と、人間になりたくないんだもの」 「アッハッハ、俺はそのては食わないよ」と五平、忽 ち、その店から、雲をかすみと逃げてゆく。 「おや、お待ちったら、この泥棒野郎」と、お国、泡 を食って、店から金切声でとびだしたが、すでにその 辺に五平の姿はみえなかった。  五平が駆けつけていったのは、昨夜の宿屋。ピン ちゃんを始め、そこにいる若い男女たちに、お国の店 の秘密をすッかり暴露し、彼等の人間性を、一日も早 く、取返してやりたいと思ったからである。  そして、宿の主人に案内も乞わず、真中の廊下にお どりこみ、(ピンちゃん)と大声だせば、廊下の端で、 (キヤッ)と悲鳴があがったから、そこの襖をガラリ と開けると、五、六人の男女が丸く坐り、そのうしろ に、ピンちゃんが、お尻を立てて、かくれようとして いる。そこに、きちんと正座した五平の顔を、蛇のよ うな表情の若い男がジロリと睨み、 「ヤイ、なにをしにきた」 「ぼくは皆さんに大切な報告にきたんだ。別に、ピン ちゃんの身体に用がある訳じゃない。ぽくはいま、お 国の店にいってきた。あそこでは、君たちの大切な部 分を、みんな焼鳥にして、客に食わせているんだぞ」 「やかましい。それを知られたら、うぬを生かしちゃ おけないんだ」  と、叫ぶより早く、その蛇のような若い者、ふとこ ろのドスをぬくが早いか、五平の心臓ふかく突立てた のである。