明治41年6月号掲載 国木田独歩「文章の技巧」  人較もすれば文章の無技巧、無脚色を云ふ。大体の意味に 於いて異議なしと錐も、或点に於ては全然反対の意見なきを 得ず、技巧なる文字にして、単に要なき潤色修飾に止らば即 ち已む。若し夫れ、画家の或色彩を調色板に苦しむ如き苦心 を含むものとせば、余は寧ろ技巧派を以て居らん。  余は思ふ、描かる可き色は、其場合に唯一つの外なかる可 し。画家にしても曙の雲を描くに、二或は三の色彩に心迷ふ 事ありとせんか、そは疑も無く、一つを残せる他の色彩は悉 く虚偽なり。真の色は一刷毛も加ふ可からず、一刷毛も減ず 可からざる極所に存す。数色の一に迷ふ如き愚は退く可き も、その一色を出さんとして苦しむ画家の苦心は大に貴む可 きものならずや。  余は此意味に於いて技巧派たらん事を庶幾す。余は常に如 何にせば真の色彩を得んかを思ひ煩ひて、殆んど痩骨の苦を 辞せざりき。他の見る所は知らず、余は自箇の文章に於いて 自ら一点一字も増減し得ざる迄の推敲を敢てせり。余は常に 文章に全力を尽くせり。(青果手記)