嘉村 礒多
「お父さん、やはり私は、村の停車場からだと、村の人に逢うのがイヤですから、恥ずか しいですから、朝早く隣村の駅から発ちたいと思いますね。それで自動車を六時には迎 へに来るように頼んでもらいたいのですが」
父母の家に帰ってから二週間余の日が経った。いったんはユキを父母に預けようとの
固い決心だった。お互に
「うん、そや、われが考えなら・・・・」と、父は
「村の駅から行けや、何も盜ッとをして夜逃げしたわけじゃあるまいに、そねに逃げ隠 れんでもええに」と、母が顔を上げて言った。
盗ッとをして夜逃げしたのと、妻子ある三十近い男がよその女と夜逃げしたのと、面目
玉にどれだけの違いがあろうか! 私がユキと
「ご老体のところをすみませんが、どうかアト一二年、長くて三年、家を支えていてくださ
い。どうしてもだめなら見切りをつけますから」と言えば、父は「うーむ」と唇を結んで私を
見、父子は
食後、父と私とは茶の間から台所へ出、そこの十畳からの板の間の囲炉裏の
「村の駅から乗れえ。ユキさんじゃて、ええ着物を持っとって、誰が見ても恥じになる支度じゃない」と、母は炊事場の障子を開け濡手を前垂れで拭きながら座に加った。
「お父さん」と私は一段声を落した。「いずれユキを家に納めるとなれば、披露というわけではないが、
「そや、まァ、オラ、どうにでもする」
私は眼で母を追いかけたが、母は答えなかった。父の顔にも明かに迷惑げな表情が 漂うた。去った先妻への義理、親族への手前、何より一朝にして破壊しがたい古い伝 統、そうした上から世間体はただ内縁の妻としてうやむやに家に入れたい両親の腹だっ た。
「茶飲友だちちゅうふうにしとかんかい。家の血統にかかわるけに。先々松美の嫁取りにも、思う家から来てもらえんぞい」と母が言った。
私は口を
「まァ、時機を待て時機を待て。この次に帰った時にせいや。・・・おい、机の上の眼鏡を持ってこい」
母の持ってきた老眼鏡を耳に挟むと、父は手早く柱の暦を外し真赤に燃える
「一月十五日じゃのう。さすればと・・・・」と、太い指で暦の
言いざま父は元気に腰を立てた。ついでに信用組合の出張所で精米をしてくると言って、股引を穿き、じか足袋を履き、土蔵から米を一俵出し、小車に載せて出て行った。
そこへ、先生が欠勤されて早びけだったと、もう松美が帰ってきて学校鞄を放り出し、すぐ濡縁の開戸の前にキューピーを並べ立たせて私を呼んだ。
「父ちゃん、キューピー射的をやろう」
「やろう」
キューピー射的というのは、ユキが銀座の百貨店で買って帰った子供への土産だった。初めはチャンチャン坊主とばかし思っていたが、よく見るとメリケンで、それら七人の キューピー兵隊を鉄砲で撃って、命中して倒れた兵隊の背中に書いてある西洋数字を加 えて、勝ち負けを争うようにできていた。一間の間隔を置いて、私と子供とはかわるがわ る縁板に伏せ、空気鉄砲の筒に黒大豆の弾丸を籠めては、鉄砲の台を頬ぺたに当てて キューピーを狙った。
「松ちゃん、何点?」
「将校が五十点、騎兵八点、ラッパ卒十九点・・・・七十三点」
「よしよしうまくできた」
私が帰郷当座は、極端に数理の頭脳に乏しい松美は尋常六年というのに、こんなやさしい加算にも、首を傾げて指を折って考えたものだが、私の
東京へ行きたくてたまらない子供は「父ちゃんの言うこたァ、
とすっかり落胆して二三日言いつづけた。今の今まで、子の愛のためにはどんな犠牲を
も払おう、永年棄ておいた
「ああ疲れた。父ちやんは休ませてもらおう」
私は居間の
「父ちゃん、ハガキ・・・」
仰向けのまま腕を延べ、廻迭の
「おい、ユキはどこにいる、早く来い、早く来い」と喚きたてながら台所へ走って行った。
「おーい、どこへ行った、早く来い、早う早う」
ただならぬ事変が父の運命に落ちたと思ったのか、子供は
目前の活劇に、ただ呆気にとられた子供は、その場の始末に困って、「祖母さま祖母さま」と、母を呼んだ。
母が裏の野菜圃から走って戻って、
「あんたたち、何事が起ったかえ」と仰天して上り
忘我から覚めて、私は顔を
ユキが眼を泣き腫らして母の傍へ行って
「そんじゃ泣くこたない。わたしら何か分らんけど、そねいめでたいことなら泣くこたない」
と、母は眼をきょとんとさせて言った。
「早くお父さんに知らせてあげたい。松ちやん迎えに行ってこい」
こう子供に命じておいて私とユキとは居間に引き揚げた。
「おお、びっくりした、松ちゃんの声がしたので、あなたがまた脳貧血を起したのかと思って」とユキは手で胸を
「ああ、出てくれた!」
二人は熱い息を吐きあらためて机上のハガキに眼を移して、固く握手し、口にたまる
塩っぽい涙をゴクリゴクリ呑んだ。そうしている間に、いつしか私は自然と膝の上に手を
置き
「このハガキは十一日づけのものだから、電報で御礼を言っておかなければ・・・・」
「じゃ、わたくし行ってまいりましょう」
「でも、郵便局まで三里もあるんだし、女の足にはちょっと・・・・よろしい、浅野間の吉三をやろう」
取るも取りあえず母に頼むと、母は二丁ばかし隔った山添いの小作男の家に行き、 慌しく取ってかえして家の前の石垣の下から、
「吉三は炭焼窯に行っちょるが、昼飯にゃ戻るけにすぐ行かすちゅうて、お袋が言うたい の」
そして続けて、「お父さんが、向うに戻れたぞい」と言った。
私とユキとは縁側に出た。左右に迫った小山も、畑も、田も、悦びに盛り上って見え
た。高い屋敷からは父の姿は見えなかったが、杉林の間の凸凹した
屋敷前の坂路を一気に挽き上げた父は門先に車を置きっ放すが早いか、手拭で蒸
気の立つ頭や顔を拭き拭きせかせかと縁先に来て、「えろう立身ができたちゅうじゃな
いか」と、
私は
「お父さま、ほんとうに喜んで下さい。たいそうな立身でございますの。これで、ほんとに一人前になられましたから」と、割りこむようにして話を引き取った。
私は口をもぐもぐさすばかり、むやみにそわそわして、何んだかひょっとしたら小説が 組みおきにでもされそうな予感がして、私はそれを打消そうと三度強く頭を振り、無性に 吉三が待ち遠しく、
「松ちゃん、浅野間のお袋に炭焼窯まで大急ぎで呼びに行くよう
間もなくボロ洋服を着て斧をさげた吉三が、息せき切って家に駈けつけた。
「お仕事中をお呼び立てして、どうもお気の毒でした。あなたは電報を打てますね?実 は非常に大事な電報なんでしてね」
「はあ、よう存じております」
「吉さんなら、間違いないて。広島の本屋へ二年も奉公しとったけに」
と父の口添いで私は安心し、ノートの紙片に書いた電文と銀貨二箇と、それから別に
取り急いで毛筆でしたためた、御葉書父の家にて拝見いたし感謝のほかこれなく御鴻
父は足を洗って居間に来、私とユキとに取り巻かれて、手柄話の委細を重ねて訊ぎ返 した。
「そんで、そのXX雜誌にわれの書き物が出るとなると、どういう程度の出世かえ?」
多少の堕落と疚しさとを覚えながらも、勢いに釣られて私はすこぶるおおげさに、適例 とも思えないことを例に引いて説明した。
「なるほど、あらまし合点が入った」
「じゃ、われ、この次に戻る時にゃ金の五千八千儲けて戻ってくれるかえ?」といつの間
に来たのか襖ぎわに爪をかみながら立っていた母が突然口を出した。
「いや、
両親を失望させまいとはするものの、もうこううなれば、私は心の中を完全に伝えるこ
とは不可能だと思って、暗い顔をした。「よう
「・・・・今じゃから言うがのう。われが東京へ逃げて行った時、村の人が、どんだけわれ
がことパカバカ言うたかい。出雲の高等学校の佐川一太が文部省の講習会に行ったつ
いでとやら、われが二階借りの煎餅店の女房に聞いたいうて、ユキさんに縫物をさせて
一合二合の袋米を買うて情ない渡世しちょるちうて近所の衆に言い触らし、近所の者ァ
手を叩いて笑うたそよ。おおかた、一太めが、煎餅の二三十銭がほど買うて女房から
話をつり出したろうが、高等学校の先生ともあるもんが、腐ったオナゴ共のするような真
似をして、オラが子の恥じを晒すかと思うて、その晩は飯も喰わず眠れんかった。{[有体(ありてい)}に言ゃ、われを恨んだぞよ。そんじゃが、三年前われの名前が小学校の先生に
知れてから、前ほどパカバカ言わんようなった。山上の光五郎ら、天長節の祝賀会で、
親類のいる前で、われがこと字村の名折れじゃと言うたぞよ。治輔めが飲食店で人の
多人数おるところで、家の下男がおるのに、聞いておられんわれが悪口を言うたげな。
どいつもこいつも人の大切な子を軽率にパカバカ言うない、とオラ歯がみをしとったが、
近ごろじゃみんな黙った。今度も、名前がええ雑誌に出たら、われが事バカパカ言うも のも少のうなろうて。オラ、それだけで本望じゃ」
父の温和な顔にはひとしおの厳しさが
ユキが来て何か話に事を欠き、
「松井さんは、とうに東京へお帰りになったでしょうね。わたしども二人で帰ると、小説
が出たので、わたしもいっしょに帰ったとでも思ったりなさらないでしょうか」と言いおい てまた忙しい台所へ去った。
それで、ふと、私も松井さんのことを思った。
──下関行の急行が新橋を過ぎたころ、これが都会との別れかといったように潤ん
だ眼で師走の夜寒の街々の灯を窓から眺めているユキを、どう慰めようもなく横を向
いている私の肩を叩いて、「やあ、Kさん」と馴々しい声がかかって、私は顔を上に向け
た。思いもかけず、大売捌所T堂会計係の松井金五郎さんが、
「僕、東京駅で、上車台で押されていらっしゃるところをお見かけしましたが、同じ箱に 乗れませんでした。どちらへ?」
「やあ、これは松井さん。僕らY県の郷里へ・・・・あなたは?・・・・九州、久留米、あ、そ
うですか。これはいいお
たちどころに救われたような朗かな気持になった。ユキとの一昼夜からの愁いを抱い た汽車旅はとてもやりきれないものに思えていた矢先なので。私は遽に快活になって、 きょろきょろと松井さんの持物に眼をくれた。
「それは何んですかね?」
「軍刀です」
「ほ、軍刀?」と、私は五体を後に引いて眼を丸くした。
「ええ、その、僕、予備少尉でしてね。満洲の方ではのがれましたが、南方の戦いでは
足留めを喰ってましてね。しかも、今日明日もあやしい状態で、それで、年越しに田舎
へ行くにも、腰のものはちょっと離せませんでしてね。ハハハハハ」と、浅黒い顔の愛
矯のいい目に皺を寄せ、漆黒の髮をきれいに
「ちょっと私に見せてくださいませんか、軍刀というものを」
私は手を出して軍刀を松井さんから引き取り、包みの紐を解き、鮫皮で巻いてきらび
やかな黄金色の鋲金具を打ちつけた握り太の
座席のそっちでもこっちでも戦争の話がはずんでいて、列車内の誰の顔にも戦時気
分の不安の色が
「Kさん、何年ぶりです」
「まる八年、足掛け十年目ですよ」
「長塚さんなんか、大阪の新聞の懸賞小説で一等当選して羽前の郷里に帰省なすった
時は、村の青年団が畑の中から花火を上げたそうですよ。Kさんも、花火が上りましょ
う」 言ってしまって松井さんは、私の頭を掻く顔を見て、気の毒したという表情をした。
「Kさんの場合は本当に困難ですね。長塚さんも会うたびにそう言っていらっしゃいます
よ」と松井さんは言いなおしたが、後に継ぐ言葉はなかった。
「・・・・時に、松井さん、私もいろいろ考えたんですけれど、松井さんだからお打ち明け
しますが、私もいよいよ都落ちの準備ですよ。今年なんか一ケ月平均原稿料としては
八円弱しか入りませんでした。不足の分を補助してくれる人もありますが三十五にもな
った男が、そんなにいつまでも他人に
「そうですか。それは奥さんはお淋しいですね・・・・」
松井さんはしみじみとしていた。が誰にも口外してないこの挙を、うっかり松井さんに
喋って長塚なんかに
車室に戻ってからも妙に気になった。あるいは長塚は嗤うどころか、むしろ心を痛め
はしないだろうか。名声の派手な割合に
「この雑誌はX社のバリケーイドのように思われる。
「そうだとも。X社系の雑誌なんか、廃したはうがいい。K君なんかX社系の文士だとい うので、どこへも原稿が売れやしない。僕が、雑誌の名は言えんけど、どんなに頼んで やってもX社系というので通らん。てんで受つけん」と、長塚はズパリと言った。
二十人からの一座の視線はいっせいに、襟首まで赤くなった私に集まった。私は泣
き出したかった。色彩が古く非文明的だということで、私が細い産声を挙げたそのX社
の雑誌でさえ、公器とあらばいたし方がない。この一年に一篇の創作を載せてもらうこ
ともできなかった。右を向いても、左を向いても、仲間はみんな一流雑誌に乗りだして
行くし、私は今にも発狂しそうだった。私は白分の小説をユキに読むことを許さず、ユ
キもけっして読もうとはしなかったが、
「今晩は別段言いずぎはしませんでしたね?」と訊き
汽車は浜松へんを夜中の闇を衝いて走っていた。
「あれが出てくれるといいですがね」と、ユキは言った。
「出てくれるといいけれど、待てど暮せど出てはくれん」と、私は溜息を吐いた。
「もし、万が一出たら、すぐ電報で田舎へ知らせて下さいよ。一年でも二年でも待ってい ますからね。」
「しかしね、私のは時勢に向かんからねたいがいはだめでしょう。それは、あなたも分
っていてくれますね。田舎者が、今日流行の、都会派や享楽派に似せようとしたって似
ないから。・・・・芸術はそれ自身が目的で、人生の幸福を得るための手段と心得たら
大間違いだ。成功するための手段ではなくて、じつにこの一道よりほかに道はないか
ら結果は分らぬが、たとえ虎が口を開いてても、大蛇が口を開いてても、この一道を行
かにゃならん、というのが私の信念なんだから」と、私は握拳を固めてわれと自分へ極 めつけるように言った。
「ええ、それは分ります。でもね、どうぞして出てくれるといいですがね。もし出たら、す
ぐ迎えに帰って下さいね、
そのうち私は眠ってしまった。が、ユキのはうは、初対面である私の両親、祖父、ユ キには継子の松美のいる遠い山の家へ、欲しがった箪笥も、鏡台さえも買うことを私 に拒まれ、行李二個の持物で道ならぬ身の恥じを忍んで預けられに行く流転生活を思 うて、寝つけなかった。ほどなく私が眼を覚ますと、私が読みかけの本の表紙の文字を 隠したカバーの紙に、
ま暗き海にただ一人漕ぎ出し背の舟を我は渚に待ちて祷らん
と鉛筆で書いて、私に気がつきやすいように脇に置いていた。私に対い合ってハンカ
チーフで寝顔を隠しているユキを見詰めて、込み上ぐる
こんなことが、今、夢のように思い返されてくる。そうした回想の間にも、喜びの余 震が何回も襲うてきた
ユキはまた、手隙きを見計って勝手から来た。
「静岡に着いたら朝刊を買いましょうよ。大きな広告が出ているでしょうね。・・・・毎 日十九日が来るのが悲しかった。十九日の新聞に方々の雑誌の広告が出ると、あ なたが頭を抱えて、ああイヤになった、イヤになった、僕ら親父の家に帰る親父の 家に帰るって四五日は機嫌が悪くて、ほんとうに、わたし、毎月毎月、十九日が来 るのが辛かったですね」
私は顔をぽっと
「もう何んにも言うてくれるな」と私は眉根を寄せ手を激しく振って叱った。「奇蹟だ
よ、
一と時、
外では小雨がそぼ降り出した。六里隔った町から午砲が聞えてきた。「おい、行こ
うぞえ」と父の声がかかり、私は大儀だったが起きて丹前の上を
私は二十年もここに参詣に来てないわけであった。が昔ながらに、森厳な、幽寂
な、原始気分があった。雨にしめった庭の桜の木で
読経が終るとさっそくお重を下げ、ユキが寿司を皿にもって配り、木がら箸を二本
づつ添えた。私も子供もすぐ寿司を食べだした。父は徳利の酒を手酌で始めたの
で、ユキがお酌をしてやればいいのに気の利かぬ奴だと腹立たしく思っていると、 父は静かに飲み
「そんじゃ、あなたに一つさしあげましょう」
とユキの前に出した。
「いいえ、どうぞおかまいなく、わたくしお酒はいただきませんから」
私はくわッと胸が熱くなって、「ばか、頂戴したらいいだろう、飲めなくたって」ととう とう苦がり切って言った。
「いやいや、ご婦人の方は、ご酒は召上らんはうがええけど、まァまァーつ・・・・」と、
父は私の荒げた声を
ユキは母に酌をしてもらって飲むと、
「お父さまにお返ししましょう」と、盃を返した。
父はいかにも満足そうに、「じゃ、お受けします」と言って受取ると、ユキがお酌を し、少しこぼれたのを父は片っ方の手の腹に受けて頭につけながら母に向って、
「お前もユキさんにあげえ」と命じた。
咄嵯に、はッとして何か私の胸に応へてきた。土蔵の朱塗の三つ組の杯を出し正
式の三三九度はできなくとも、父が心底ユキを
「じゃ、われにやろう」と盃を私にくれた。
私は微笑を浮べて父に