曇り日
嘉村 礒多
「・・・・ちょっと休んでください」
永年の文学生活の祟りで書痙に罹って手の不自由な先生はおり
ふし小説の口述をすることがあるが、その日も顔面神経の痛みを辛抱して二階の書
斎で連載ものの口述に伸吟の最中、出し抜けにこう言って座蒲団を枕に仰
向けになった。先生の大きな黒檀の机の左側に置かれた剥げた朱塗り
の小机に縋って筆記していた私は、ペンを擱いてバットに吸口を挿し
ながら、ひっそりと鎮まった室内へ聞こえてくる隣のボンボン時計の十一という数を
かぞえた。その時、窓下の竹垣に沿った小路に下駄の音が乱れて、
「母ちゃん、母ちゃん、このうち、こわいうちよ、ゆうべおこったうちよ、こわかったわ ね、お母ちゃん・・・・」
と、幼い女の児の無邪気な高い声が聞こえた。つづいて「しッ、お黙りッ!」と
窘める母親の声も聞こえたような気がした。私は不意に竦み上がってすぐい
ずまいを直しちらとR先生の顔を偸み見た。先生は瞼を閉じていた。どうか眠っ
ていてもらえたのならと心で祷られたが、もはや私の胸はどきどき鼓動が高まって、
昨夜のわれながら不仕合わせな狂乱が、あさましく、恥ずかしく、ことに有名な小説
家のR先生の門礼に対して近所の人たちがつねづね注視を集めているだけに、私
はほんとうに何やかやとお詫びの気持ちから俯向いてしまった・・・・・
私がR先生の知遇を辱うして足掛四年になる。先生経営の雑誌の編
集助手として入社して間もなく、私と私の女おゆきとは、社を兼ねた先生の南榎町の
お宅に引き取られて、そしてR先生は手賀沼畔の本邸から月ニ三回上がってこられ
るだけで、私たちはいわば大樹の下に憩うて日々の渡世に心配なく、いたって
暢気な留守番役をつとめていた。やがて大阪の在所から内藤という青年が玄
関番に来て、私は雑誌の用事以外はいつも三畳に引き篭もって勉強できた。おゆき
は、こちらへご厄介になる前森川町に住んでいた当時の、ひどく窮迫時代に始めた
針仕事を、今も私の机辺で毎日続けていた。つい二週間前、彼女は縫物を森川町
の小泉家へ届けて夕方帰ると、思案顔して部屋へはいってきた。
「あなた、わたしまたお嬢さんのご結婚の出立ちのお祝いに招かれましの。
ご隠居さまも、お嬢さんのお仕度が気がかりで、昨日聖路加病院をむりにご退
院なすって離れにおよっていらしたのですが、わたしを呼んで、今度こそぜひぜひ席
につらなってほしいって、そうおっしゃったんです。そりゃご隠居さまにとっては、眼に
入れても痛くないお孫さんのおめでたですからね。わたし、帰る道々、どうしたものか
しらと、ほんとに痩せる思いをしましたの。何かいい智慧はないでしょうか?」
「いい智慧かって・・・・・」
と、呟くなり私は赤面した。かれこれ半年前のこと、小泉家の女隠居が手塩にかけて
育てた縁つづきの娘さんの祝言の際もおゆきは出立ちの式に招待されたが、私は
後で心ばかりの祝儀を届けることに決め当日は彼女を不参させた。理由はおゆきが
紋服はもちろんやわらかい晴れ着らしいものを持ち合わせないからで、それ
はしょせん止むを得ないとして、ただ恩顧を受けている女隠居を急病という一
本の手紙で欺いた不快な記憶は私の脳裏に執念く消えないのに、ふ
たたび偽りの口実を案じだすことなぞ、懲々だった。
「やはり、あの茶っぽい伊勢崎銘仙を着て行きなさい。あれでいいですよ。襦袢と
か、そういった肌に着けるものだけ綺麗に洗濯してあれば、それでちっとも失礼では
ないんだから、何んのかまうことか、装に頓着せず、謙遜な気持ち
で黙って坐っていればいいんだから」と、自分の意見に従わせようと私は声を励まし て切々と諭すように言った。
「だって、あの伊勢崎なんか平素何度も着て伺っているんですもの。いくら何だ
って、あんな洗い晒しの銘仙なんか、ご親類の皆さん大勢集まっていらっしゃる
晴れのお座敷へ、いくら何だって・・・・」と、おゆきは言下に撥ねつけたが、じっと
膝の上に視線を落とし多少もじもじしていたのち、きゅうに開きなおって一直線に切 りだした。
「ね、あなた、お願いですから、わたしに百五十円ほどくださらない?わたし、月賦に
してでもお返しますから、一生のお願いですから、我儘言ってすみませんけ
ど、どうか助けてください。錦紗の揃いと長襦袢とで百五十円かければ、立派
に人さまの前へ出られますから。それもこの場限りの間に合わせというわけではな
く、少し地味な柄を選んでおけば、私の一生道具になりますから・・・・・」
「百五十円?・・・・何て大胆な、冷酷だよ!残酷だよ!」
私は度肝を抜かれて蒼ざめた顔を上下左右に激しく振って叫んだが、
唖然としてにわかに言葉も継げなかった。R先生から月々過分にいただく、編集手
当、筆記料、いろいろの場合のお心づけの小遣等を、私は小心翼々と溜めていた。
といって私は何も物慾熾なひたむきに銭財を憂う質とばかしも言えない
が、故郷とは絶縁状態のこの際、見かけは岩乗でも身うちがわりに弱く発
熱などしたおりは明日あらばと思うような経験も持っており、かつは女も連れているこ
とだし、不時の災厄がいつも見えざる一寸先きに待ち伏せていそうな臆病心のへい
営から、時には男のくせにお台所へ出て瓦斯の火を細めるようなさもしい真似
までして一国に積んできた貯金の小山を、今一挙に崩そうとかかったおゆき
に対して、私はひとかたなく狼狽してさらに防衛の悲鳴を揚げずにはすまさ れなかった。
「森川町時代の貧乏の味を忘れたのか。
僕が、片道の電車の切符に出来心を起こして、人混みの中を車掌風情に引摺られて、あの時はお前も声を立てておいおい泣いたじゃないか。
貧すれば鈍すと言うものの、思うてみても無念でならん!金が敵の世の中だよ!お互に火の中水の底をくぐってきて、やっとこれだけの蓄えができたのを、それもお前なぞに委せておいたら、一銭だって残っちゃいないんだ。
お前が奢ったおかずなどこしらえた時は、僕はもったいなくてかえって飯が咽喉を通らない。
利巧げに見えても女なんてたいがいどこか筒抜けだ。 みんな僕が蔭で引き緊め引き緊めしてきたせいなんだよ。
それというのも、ともあれ、お前を連れていると思えばこそじゃないか。
この涙の出るような貯金の中から着物を買うから百五十円出せなんて、正気の沙汰でしゃあしゃあと言いだせるお前の根性が恐ろしいよ。
恐ろしいより憎い!自滅だよ!何と心得ているんだ!あほうめ!」
私の荒々しい剣幕に取り付く島を見喪ったおゆきは、小泉家への言訳を私になすりつけ、仏頂面して口を噤んだ。
その場は聞流しに凌げたが、しかし疚しさ以外の名案が私にあろうはずはない。 気づまりな日が経った。
針の手を休めて壁を睨みながら、台所でお炊事をしながら、洗濯物を庭先の竿にひろげながら、坐臥の間に間も、絶えず思いあぐねた彼女の哀訴的な湿っぽい溜息が、一日は一日と深くなって行った。
私はしいて石に化ろうと努めていた。
そうして後三日と押迫った日の午後、おゆきは私の机辺に慌しく帰ってくると耳うちするように、「わたし、貸衣裳店へ行ってみましたの」と、低声に言った。
「ああ、なるほど、そいつはいい思いつきだな」と、私も習作のペンを投げて思わず膝を乗りだした。
ところがですね、とこう当惑の微笑を浮かべ前置きしたおゆきから、貸衣裳店の規定というのは、綿紗どころで悉皆一日十四円はまだ忍べるとして、貸す衣装は午ごろ先方が宅へじかに届け、夕方また先方が受取りに出向いてくる云々と聞かされてみると、私は即座にまいって俛れた。
編集室へ出入りする編集同人や居合す書生の内藤への手前、狭い玄関先に上がりこまれて、やれ裾を擦り切らしたから、やれ泥はねを上げたから、と苦情の出たあげく、いくらいくらの損料の追加をでも談判されるような目に遭ったら、それこそ型なしの恥辱で、思うだに生きた心地はしないのであった。
一膳の夕食を申訳に鵜呑みにした彼女は、銭湯に行くとことわってまたそわそわ戸外へ出た。
私は暗い電灯の下に肱枕して身ゆるぎもせず横になっていた。
思うともなく私どもが不倫の恋に陥ちてともに東京に身を匿した当時のおゆきに銘仙の二タ揃いより待ち合わせてなかったことに想い到ると、彼女もよくよく薄幸な年月に耐えていたことが、今さらのように痛感され、やがてまた、私との初期の生活の一端は彼女の半生の境涯に輪を掛けた惨めなものに違いなかった。
森川町の借二階で窮策尽きたすえ、おゆきが(和服御仕立いたします)と書いたボール紙を戸袋に貼り付けた時、真っ先に仕立物をさしてくれたのは、小泉の女隠居であった。
ばかりでなく隠居さんは身寄りの人々や近所の奥さん方におゆきの腕を吹聴してくれ、それから私たちが借二階を追い立てられてほとほと困った際、さっそく住居を提供したのも隠居であった。
森川町を去ってからも隠居さんとの間は日々に疎くなるほうではなく、一度私が患った時は車で見舞ってくれ、眤懇な間柄のある博士を紹介したりした。
それというのもことごとくおゆきが隠居さんの気に入りだからで、したがって今後おゆきが種々悩んでいる心事を掬むまでもなく私とていかにも行かせてやりたい衷心の思いに変わりはなかった。
先刻夕食の箸を持ちながら今縫いがかりのお召の重ねがもし隠居さんの知辺の家のでなかったら一日ぐらい拝借できるものを、後から火熨斗で坐り襞を丁寧に熨しておけばなどととんだ間違いを呟いたおゆきの情けない言葉を思い返すと、はては私はじっと構えてはいられないいらだたしさに攻めたてられてきた。
おりからふと、今ごろ宵の改代町あたりをほつき歩いているおゆきが眼先に映って見えた。
是非ないこととは分っていながら女ごころの悲しさ未練から、一軒一軒古着屋の軒先に吊るされた古着を覗いてるうち、どんな柄がお好みですか、どうかごらんになるだけでも、といった調子で瀬戸物の火鉢を前に不景気にふるえている主人にしゃにむに店内に引っ張りこまれて、棚に蔵った品物を引き下して突きつれられ、パチパチ十呂盤だまをはじいたりして、お客さん、まったく正札でして、いやお値段のところはどうも、じゃご愛嬌にこれこれお引きしときますが、こう猫撫声でしじりじり詰め寄られて弱り抜いたおゆきがようよう、では、のちほど、そう言って逃げだそうとすると、何だ、品物にケチをつける気か、営業妨害だよ!えーい、いくらまけろと言うんだ?はっきり買値だけは言ってもらおう!と顔の四角な眉の濃い金歯の男に引攫まれてたじろいでいるおゆきの姿——私の背筋に一種冷たい戦慄が伝わった。
やにわに迎え走っていこうと跳ね起きたが、いつの間にこっそり外出したのか内藤が見えないので、庭木戸から出るためあそこここ戸締りに手間取っていると、勝手口の外で女の咳払いがした。
私は息を呑んで彼女を呼び寄せ、望みどおりの着物を買ってやる旨を述べて、
「あなたも僕といっしょになってから、薬一服のまず、従順によく働いてきましたから、ご褒美の意味で・・・・・」
と、胸中の衝動を口に出してつけ足した。
「そう、ほんと?おーお、うれしい!」
今の今まで槓杵でも動かないと思い込んでいた矢先、おゆきはびっくりして包み隠せぬ喜びに少したしなみを欠いた不体裁な声を出したが、さすがに唇は顫え両眼はいっぱいの涙で濡れていた。
私もとみにほぐれた自分の心に満足を覚えて、その夜は過重な荷を卸した気易さに伴う久しぶりの熟睡が摂れた。
中二日置いた当の日の早朝からおゆきはしきりに高島屋へ電話で羽織の催促を
した。袷と長襦袢とは自身が徹夜で縫うとして時日がないので羽織の仕立てだけは
裁縫部へ頼んでおいたのである。正午近くになると私も気が気でなく近所の公衆電
話まで行ってやったりしているうちに、ようやく届いた濃い紫地に同じ薄色で小菊を
横につらねた羽織を、納戸地に白と茶の縞を染め出した袷に重ねたおゆきを、私は 江戸川の停留所まで送って行った。
「裾など踏まれたりしないようよく気をつけて、帰ったらすぐに畳んでおくんですよ」
安全地帯のはずれに佇んで彼女に注意を囁いて、電車が動きだすと私は引き返し
た。物心ついてこっち十何年かの間、現に私といっしょになってからも、錦紗が着て
みたい、錦紗錦紗と言いつづけたことであるが、その夢寐の間にも願った多年
の思いが叶ったと言って、安物のペラペラをさながら遍身綺羅——かの
ごとく打ち悦ぶおゆきの心情を思いやれば、かえすがえすも残念な残り少ない貯金
のさびしさも慰められるといおうか?とは言ってみるだけのこと、憑物の落ち
た後のようなすこぶる生気に乏しい眼をにぶく見開いたまま私は山吹町の通りに立
ち留って、工事中の路上の真黒な煤烟を噴き恐ろしい唸り声を立てて廻転
しながら地形ならしをしている蒸気転圧機の巨体をぼんやり見ていたが、ふと我に還
ってその足で市ヶ谷の高台の方にある劇作家を訪い、居催促に坐りこんでいる他の
大雑誌や新聞の記者連の中に小さくなって恒例の談話原稿を三枚乞うた時は、日
はとっくに暮れていた。晩餐をすすめられたが私は辞した。小泉の女隠居が私のた
めに特にことづけるに定っているお土産——海老、鶏卵焼、蒲鉾、きんとん、寄せ
物、などぎっしり詰めて水引の掛かった大きな折詰を、おゆきは机の上に置いて私
の帰りを待っているのだと思えて、私は晴れやかな気持ちで、踵を宙に
息喘いで帰ってきたのであった。
が襖を開けるが早いか、いきなり、
「横着者め!」
こうした罵声の爆発とともに、そこに錦紗を脱ぎ飛ばし肌襦袢と腰巻とのだ
らしない恰好で蝦蟇のように咽喉と白い腹部とをヒックヒック動かしい
ていたおゆきの前に、折詰を蹴散らそうとは、お互いに緊張しきった今日の楽しい一
日の終わりに、かかる破綻が待ち設けていようとは、まァ、何という思いそめ
ぬ不幸であろう!私はみずからを憫れみおゆきを憫れんだが、同時に人間の
不聡明を呪わずにはいられなかった。私はがたがた総身をふるわせながら、急ぎ寝
巻きの浴衣を引っ掛けて襟前を抑えている彼女を引き据えて、到来物の類はちゃん
と仏壇に供えておき、主人に見せない限りよし腐りが入ろうと指一本触れない田舎
の家の古い習いを引き合いに、なお口汚く罵り喚いた。
「そうだから、お前なぞ、将来田舎の家へ連れては帰れないさ。百姓は百姓でも、ち
ったあ作法のある家だぞ。とりわけお袋など一トとおりや二タとおりの気むずかしいさ
ではないんだから、お前との折れ合いで、おれが始終板挟みの苦労を見るに決まっ
ているから、お前はY町の場末あたりへかくまっておくよりほかしようがあるまい。幼
い時から下等な躾ばかしで自堕落放題に育ってきているんだから、新しく品の ある真似は得覚えまい!」
「だって、そんなこと、今の場合に持ちだして、どうのこうのってがみがみおっしゃらな
くたっていいでしょう。わたし、四五時間も畏まりどおしに畏まって疲れて帰って
きて、夕飯の支度をすれば遅くなるし、それに内藤さんもお腹を空かしているので、
一ト折食べてもらって、わたしも先方で箸をつけなかったので、お鮨を少し頂戴して
いたんですもの。あなたは、内藤さんに食べさしたのが癪に触るんですか。そ
んな食餓鬼みたいなことをつけつけおっしゃるなんて、あなたにも似合わな い」
と、彼女はめったになく興奮して対抗した。
「黙れ!」と、私は大喝を浴びせたが、喰い千切ってやりたいほど肚の中は
煮え返っても、にわかに愛憎がつき何も言いたくなくなって、しばらく胸へ頭を押しつ け腕をくんでいた。
「おい、僕の言い分を聴け。・・・・・R先生鞠養の恩に、いいや、僕は先生の徳
を謝そうなんて、そんな生意気な心はごうもない。僕の分際で報いられるような小っ
ぽけなものでなし、ただただ尋常にお受けしとればいいが、R先生への気持ちとは全
然別に、僕も十人もの編集同人の中に混じって、このごろでは平助手の分に過ぎた
扱いを受けていてさえ、三十過ぎての仕末の悪い僻みから自分の職分も忘れ、
時には屈辱だとも口惜しいとも思うこと、もっと同人の多かった先ごろにはしばしば
瞼の熱くなることさえあったね。けれど、泣くも笑うもお前といっしょだと思えばこそ、
共苦労だと思えばこそ、夫婦の礼譲、そんなものにひたすら慰安を求めようとしてき
てるんだ。それが分からんのか。何も今度の着物を恩に着せるわけじゃないが、全
体の生活にもちっと敬虔の心があるなら、僕におなごどもの食べ残り
を・・・・」ここまで言ってくるとかっと感極まって、「このばか野郎、出て行け、ばかめ、 出て行け、どこへでも行っちまえ!さあ出ろ!」
と、私は大粒の涙を撒き散らし声を絞って哮び狂った。
「あーれ、止してください、矢部さんの二階から」と、おゆきの声で木立で遮った構え
の大きい隣家を見ると、いつか編集室の前庭の藤棚の小鳥へ刳抜銃身の空気銃を一発放ったので危険だと思えて膺らしめのため厳しく叱り飛ばし
てやった腕白者の中学生が、三四人の女中ときゃっきゃっ囃したてながら
欄干に身体を乗りだしてこちらを覗きこんでいた。「矢部へ聞えたら何だ、あの小
僧野郎威張るな」と、ひと声ふた声やけに叫ぶ私の口許に掌を掩おうとするお
ゆきを突き飛ばし、障子をしめて電気を消した。ちょうどその時門の外で「どう遊ばし
たんでございましょう」「ほんとうに」かく言う交らう声と声とは、右隣りのしもた屋の上
品な老夫人と筋向いの工学博士の奥さんだった。すると私の室から二尺と離れない
竹垣へ誰か懐中電灯をぱっと照らした。それはまぎれなく矢部の玄関にいる壮士で
ある。壮士も中学生といっしょに先達て私の一喝に逢ったのだから、あるい
は意趣返しに交番へでも届けに行きそうな虞を私は感じてたちどこ
ろに怯んだが、そうなれば正直に謝罪しようと観念し下腹に力を入れて暗い室
の中に眼を瞑って長いこと坐っていた。
十二時過ぎ私は寝床についた。おゆきは幾度も手を支いてお詫びを言い、ご
飯を炊き鑵詰を買ってきて懸命に機嫌を取り、私も食後おゆきの剥いてす
すめる土産の林檎の小片を意気地なく口に入れたころは、いくぶん涙の後の
欠伸に似たものを感じなくもなかったが、依然ゆるせる気持ちになれないどころか、不
足の思いはやたらに募る一方で、生別離した先妻への義理からでも彼女を籍には 入れないことを重ねて心に誓った。
そして、眼を閉じてむっつりと、宵の口から散歩に出たという内藤の帰りを一時まで待ってみたが、いつものように友だちとのところへ泊まったのだと思って、私は門扉の横柄子を挿しあらためて眠りに陥ちようと焦った。
明日はR先生が午前に上京されて筆記がある予定だったから。 にもかかわらず頭脳神経は冴えるばかりか、ずきずき疼くくのであった。
自分の人生では、つねに同一の軌道を、しくじったしくじったという後悔の繰返し、日々刻々の下司の後思案が嘆かれるばかりで。
とろとろと仮睡むと夢に魘され、そんな半睡状態の中に、パリンパリンという音にはっと意識が分明になり、反射的に片膝立て半円状に背中を丸めて硝子戸を透かして外を見た私は、ざま見ろ、と舌打ちした。
内藤が下駄穿きのまま竹垣に飛びついては滑り落ち、飛びついては滑り落ちしていた。
ややあって、しだれ柳に飛びつく蛙の熱心さで、竹垣の上に枝を延べている隣家の木蓮の枝にのぼり上り、と見る間にすばしこく便所の亜鉛屋根を伝うて二階の硝子戸を開けた。
たしかに内藤とは思ったが、それにしても、二階のR先生の夜具など入っている押入れを開けたらしく、その振動で先生の箪笥の取手がいっせいに踊りだして、こいつは泥棒だったのか、失敗したという錯覚を起こした刹那、私は真っ先におゆきの顔に蒲団を被せかけ、騒ぐな騒ぐなと言い含めて、先刻鑵詰の蓋を開けた時使って座側に置きっぱなしであった金槌を振り上げて、部屋の二尺幅ほどの入口の襖を柱に押しつけ、「誰だ!誰だ!」と眦を裂いて身構えた時は、もう切羽詰った恐怖が自分を死物狂いにしていた。
「Kさん、僕ですよ。内藤ですよ。どうも相すみません、遅くなって」
「ちぇっ!やっぱし内藤さんか、ばかにしてやがらあ・・・・」
内藤はみしりみしり梯子段を降りると手さぐりに電灯を点け、そこに近寄った私の血相に飛び出た大きな酔眼を見張って、両方の手の指をひろげ、傴僂のように頭を両肩の間にぴょこんと縮め、おどけた身ぶりで二三歩あとじさりながら言った。
「イヨーッ、ウワーハ、そいつでぽかんとやられちゃかないませんや。Kさん僕を説教とでも思ったかよ?だったら、おいおい静かにしないとお互いのためになりませんぞ、犬をお飼いなさい、とやってやるところだったな。内藤として一世一代の不覚を取りよった」
「戯談じゃない。もう夜明け前の三時じゃないの。世間が物騒だから、風声鶴唳だよ。ほんとに過敏になってるんだもの」と嬉し涙が出、おゆきも蒲団の中で笑い出したので、私もおかしくなって笑いこけたが、次いでむらむらと烈しい憤りが湧いて声が尖った。
「ぜんたい、今までどこにいたんだ。二十かそこいらで毎晩毎晩カフェ歩きをやるなんて、てんでお話にならないね。そんな薄っぺらな快楽を追う時間をアテネ・フランセへ通ったらどうだ。中途で止したりして、今に思い知るぜ」
「まあ、Kさん、そうまで怒んなさんな。僕せっかくありついたビールの酔いがけし飛んでしまう。おまけに今夜はカフェ万国で相棒の喧嘩に加勢しちやって、Kさんに言えんとこへ二時間もぶちこまれてたんや。べらぼうな話しや。そこを出されて、またおでん屋へ寄ったりして、親父を騙して送らせた十円はおおかた使うたんや。ほんま酔いの退くのが惜しまれらあ。僕も日がな一日玄関番しとって、くさくさしてきて、退屈で退屈で、夕飯がすみさえしたら、ぶらりっと一ト歩きしてこんことにゃ睡れないよ」
内藤は、浮れたってグシャグシャと口速に、投げやりな口を利いた。
お互いに居候の身だと思っているだけ遠慮しているのにつけこんで内藤は最近いちじるしく私どもを見くびっていた。
どこまで図太い奴だろう、いまがた二階の押入れが開いたのも道理、これから火を埋けて寝よう心算でそこに大びらに抛りだしたR先生の執筆用の行火に、私はじろり横目をやったが好感が持てなかった。
「ぶらりっとするぶんに差支えはないが、僕たちの門限は十二時かっきりじゃないの。
僕は一時まで待ってたよ。 それを真夜中の三時ごろのこのこ帰ってきて、それでも僕らを敲起こすならまだ素直だよ。
竹垣を乗り越え、屋根を匐って、二階の戸をこじ開けるなんて、おったまげた話ですよ。
きっと遅くなる下心であらかじめ鍵を掛けないで出て行ったんだろうが、内藤さんもずいぶんいけませんねえ!」
「いや、あらかじめ鍵を掛けないなんて、そんなこと絶対にないよ。誤解しちゃいかん。僕八時ごろ一度帰ったんやが、何に嘘やない。けれど・・・・・」
「八時ごろ・・・・?」私はぎょっとして内藤の眼色を窺った。
「そしたら、Kさんいきりたってめっぽうな大声で奥さんを叱っているんだもの。
僕、極りが悪うて入れやしないやないか。 矢部さんの家じゃ誰か外へ出て聞いていたよ。
・・・ね、Kさん、今日まで言わなんだが、Kさんひどいよ、一つ釜の飯を喰う人間が人間がとご自身言う口の下から、Kさん僕のカフェ歩きをR先生に讒言したね。
Kさん、そうやろ?僕先生にKさんに心配かけちゃいかんちゅうてお目玉を頂戴したっけが、その代わり頼むから奥さんを怒って僕に心配かけるな。
僕あれが嫌いで嫌いでならん。 ほんま気分の腐蝕にたまらへんや。
ありていに言えばKさん二人の啀み合いを聞くたんびに、僕ここが一日も迅う出たいんや。
それとなく近日R先生に職業口を頼もうと思うてますが、チー、ううん」
瞬間、ぐっと息の根が止まり崩れるようにどしんと私は廊下の上に坐りこんでしまった。
言われたことがいちいち身に覚えのある私の悄げ垂れた頭の上に、内藤は傲然と机の上に腰かけ両肘を突ん張り股倉を拡げた大兵の身体を屈みかかって、きびしい口調でこう凝りに凝ったという風の怨言を述べたてた。
ものの十分も休息していたR先生は、身体を支え起こし何かしら己を叱咤する
ようにしてふたたび口述を始めた。 が、私の眼先は昏んでしまった。 階下からは
内藤の原稿紙を引き裂く音が聞こえた。今朝、内藤は『万ちゃんの金槌』という題の
短編小説を書くのだと言った。先日R先生に切符をいただいて、内藤と私とおゆきと
の三人で赤坂の葵館に活動写真を見に行った時、映画に出てくる万ちゃんという自
転車乗りのべそ面が私の顔に似ていると言って、内藤は私の袖を引っ張った。にわ
か雨に逢った帰りの電車の中でも、古い中折帽を阿弥陀に冠り、二本の
吊革にぶら下がって顎を突き出しはあはあ息を吐いてる私を「芋鼻の上に円い眼鏡
を載っけたKさんの横顔には、こうやってえんさこらさペタルを踏む万ちゃんのご精ご
念力が見えるんですな」と、内藤は前のめりにハンドルを握る手真似をしてからかっ
た。私の前に腰掛けていた鳥打帽に角帯の活動帰りの小僧さんたちが、
日ごろから一番嫌いで腹が立つ容貌の批評にあって、が内藤の粗野なふざけとは
別箇に、隠険卑屈な見たからに胡散臭い色に動いている醜い眼の
表情の一点においてはことに思い当たる気がして、うろたえて一段と蹙めた私
の顔を見てくすりくすり笑った。その日以後、私が、年甲斐もなくうっかりして心の隙
を見せるたびごとに内藤はすぐ狎れ近づいて、万ちゃん万ちゃんと呼ぶのであっ
たが、その万ちゃんが金槌を提げたなどと、かれが得意とする、喧嘩腰、無鉄砲、
愚昧、獰猛、いずれとも評しようのないしかも年に似合わず稀に悪達
者の筆で、昨夜のことを洩らさず書きつくして、R先生の本邸にいる仲よしの書生に
おくられては、なんぼ身から出た錆びとはいえ実際助からないと思うと、また、秘密
の沈黙を守ろうとそうした自分の裏表が、R先生のあの研ぎ鍛えた眼に映らずに、
虚偽を切断されず措かれるものか、あくまで隠しだてしようとするこましゃくれた不遜
が省みられて、私の頭は混乱と錯綜とで耳鳴りがしてきて、一行進めば漢字
が思いだせず、一行進めば仮名遣いが分らなくなり、その都度頸首まで赦くして
先生に教えられて、喘ぎ喘ぎやっと三枚ばかし書いた。
「あとは明日にしましょう。それから恐縮ですが、この戸籍謄本に照らして、相続届を
代書人にこさってもらって、この鞄に入れておいてくれませんか。どうかお願いします よ」
R先生は例のいたわり深い慇懃鄭重な口調で言いおいた。おゆき
も二階に上がってお手伝いし、マスク手袋、春のインパネスで身を固めたかの先生
は、不惑を超えて涯底を尽くそうとする智慧が、苦悩の刺戟を浄化して、その悲劇的
暗示に充ちた魁梧の風貌には主観を抑えるものの温柔な威厳を湛え
——そういつたようなR先生は、銀頭の握り太い籐のステッキを右手に、袱紗包みの薬瓶を左手に、草履を穿いて、威風堂々とS社の会議へ出て行った。
私はおゆきの準備していた大福餅を三つ食べ、渋茶を一杯飲んで、蝙蝠傘を突いて大通りへ出た。空が曇っているきり何にも変わったことはない。私は牛
込区役所前の代書屋に行った。そこで三十分余り待たされた後、書類の風呂敷包
を持って北町停留場の十字路まで来かかると、あたりは通行禁止で百重千重の警
戒ぶりであった。私はすぐ朝刊で見た学習院卒業式にならせられた畏きあた
りの御還幸の途上だとわかって、人垣を押し分けて前の方へ立ったが、咄嗟に眼く
るめく異常な感激に五体がわなないてきた。
あれは何年前であったろう、季節は何でも師走と憶えているが、まだ
摂政宮でおわした当時、父母に手向い苦学を志して都会に出奔していた私は、本郷元町
の通りで最敬礼の頭を上げると畏れ多く賤が民に御手を挙げたもうて御答礼を
賜わったのであった。私は恐戄して啜り哭いたのであったが、今その時の
感動が新に潮のように胸壁を圧してみなぎりくるのを覚えた。あれから帰国して、妻
を迎え、子供ができ、数年の後その妻子も棄てておゆきと東京へ落ちち延びるよう
な、およそ流るる十年からの歳月にいろいろの転変を経、億兆の民のひとりとしてし
ごく面白ない頑魯の身をあえてここまでそびいてきたことも、ひとえにこの国土
に生を享くるものの値遇うて過ぐるなき御仁慈によるもの、多々のごとくす
てずして、阿摩のごとくにそいたもう——されば今、斉しく光闡こう
ぶる地上の群萌群生ども、飛ぶ小虫、蠕動のたぐいから、路
上の石、路傍の草も心せよ!街路樹の枝頭で春にうかれてチョンチョンさえずる身
のほど知らずの雀らもしばらくは声を鎮めよ!
私は汚れた足袋を脱いでふところにねじこみ、襟前をかき合わせ、羽織の襟の折
り目も正して、今か今かと両脚を揃えて込み上げる恭敬の感情を堰止めていた。
「・・・・君、君、ちょっと・・・・」
私は群衆の射すような視線を浴びながら手近い角店の横側を奥へ入った低い石
垣の下の共同水道の傍へ連れて行って、取り調べを受けた。私は満面の筋肉を
引歪め膝頭をがたがた震わせながら、住所、姓名、職業を言って、それから風
呂敷の包みを解いて謄本なぞ見せて吃り吃り陳述した。
「ほう、腸出血、そうですか、いや、別に、ただ君の顔色が、そんな風で大へん悪いも
のだから、卒倒でもされてはと思って・・・・ほかに手紙のようなもの持っちゃません ね?」
そう訊いて、私の両方の袂を握ったり懐へ手を当てたりしたが、その時、パ
タ、パタ、パタタタタとお先触のオートバイの音が聞こえると「君、もうじきです
よ、気をつけて拝みなさい」と早口に優しく言い捨てて、褐色の鼻下髯を頬骨の外に
逆立てた小づくりのお巡りさんは、剣柄を掴むと向う傾きに靴裏の鋲 を見せて駆け去った。
突然、五臓六腑をひきつられる苦痛に襲われて、二三回くるくる爪立ってまわった
が、ううううと一つ呻き声をあげたまま、我手をもって我が身を引き上げんとしたが、 依怙地にそこが動けなかった。
時節柄、直訴状でも携えてはしないかと疑ぐられたのである。あれほどの多人数の
中でたつた一人。心、痛むとやせん!身、痛むとやせん!が、やはり私のどこかに
直犯的な嘆かわしい形相がかりにも認められるのなら、何とも恐れ入るしかない。愁
い多ければ定めて人を損ずるというか、触ればう人ごとへ、闇をおくり、影を投げ、
傷め損ずる、悪性さらにやめがたい自分であることが三十三年の生涯で今日という
今日は、真に眼にみ、耳にきき、肝に銘じて思い知らされたありがたい気持ちから、
落ちきった究竟の気持ちから、業因の牽くところ日月不照——
千歳の闇室に結跏して無言の行をこいねがう、かような猛き
懺悔改悛のこころで、室穴に差すしばしのみひかりをおろがむこと
香光荘厳の御車のひびきのきこえなくなるなるまでボロ洋傘に 凭れかかって私は
一心不乱にうなじを垂れていた。
終