業 苦

嘉村 礒多

ただ、かりそめの風邪だと思ってなおざりにしたのがいけなかった。とうとう三十九 度余りも熱を出し、圭一郎は、勤め先である浜町の酒新聞社を休まねばならなかっ た。床に()せって熱に(うな)される間も、主人の機嫌を損じはしまいかと、それ が譫言(うわごと)にまで出るほど絶えず(おそ)れられた。三日目の朝、呼び出しの速 達が来た。熱さえ降ればすぐに出社するからとあれだけ哀願しておいたものを、そう 思うと他人の心の情なさに思わず不覚の涙が(こぼ)れるのであった。

「僕出て行こう」

圭一郎は蒲団から()い出たが、足がふらふらして眩暈(めまい)を感じ昏倒しそう だった。

千登世ははらはらし、彼の体軀(からだ)につかまって

「およしなさい。そんなむりなこ となすっちや取返しがつかなくなりますよ」

と言って、圭一郎をふたたび寝かせようと した。

「だけど、馘首(くび)になるといけないから」

千登世は両手を彼の肩にかけたまま、乱れ髪に(おお)われた蒼白い瓜実顔(うりざね がお)を胸のあたりに押当てて、しゃくりあげた。

「ほんとうに苦労させるわね。すまない……」

「泣いちやだめ。これくらいの苦労が何んです!」

こう言って、圭一郎は即座に千登世を抱き締め、あやすようにゆすぶりまた背中を 撫でてやった。彼女はいっそう深く彼の胸に顔を埋め、しがみつくようにして肩で息を しながらなほしばらく欷歔(すすりなき)をつづけた。

冷の牛乳を一合飲み、褞袍(どてら)の上にマントを羽織り、間借している森川町新坂 上の煎餅屋(せんべいや)の屋根裏を出て、大学正門前から電車に乗った。そして電柱 に(もた)れてこちらを見送っている千登世と、圭一郎も車掌台の窓から互いに視線 をじっと喰い合していたが、やがて、風もなく麗かな晩秋の日光をいっぱいに浴びた 静かな線路の上を足早に横切る項低(うなだ)れた彼女の小さな姿が(かす)かに見え た。

永代橋近くの社に着くと、待構えていた主人と、十一月二十日発行の一面の社説 についてあれこれ相談した。 逞しい鍾馗髯(しょうきひげ)を生やした主人は色の褪せた旧式のフロックを着ていた。 これから大阪で開かれる全国清酒品評会への出席を兼ねて伊勢参宮をするとのこ とだった。それから白鷹、正宗、月桂冠壜詰の各問屋主人を訪い業界の霜枯時(しもがれどき)に対する感想談話を筆記してくれるようにとのことをも(いい)つけて置いてそ してそしてあたふたと夫婦連で出て行った。

主人夫婦を玄関に送り出した圭一郎は、急いで二階の編輯室に戻った。仕事は放擲(うっちゃ)らかして、机の上に肘を突き両掌でじくりじくりと鈍痛を覚える頭を揉んでい ると、女中がみしりみしり梯子段(はしごだん)を昇って来た。

「大江さん、お手紙」

「切抜通信?」

「いいえ。春子より、としてあるの、大江さんのいい方でしょう。ヒッヒッヒヒ」

圭一郎は立って行って、それを女中の手から奪うようにしてもぎ取った。 痘瘡(もがさ)の跡のある横太りの女中はふざけてなおからかおうとしたが、彼の不愛 嬌な(しか)め面を見るときまりわるげに階下へ降りた。 そして、も一人の女中と何か囁き合い哄然(どっ)と笑う声が聞えてきた。

圭一郎は胸の動悸を堪え、故郷の妹からの便りの封筒の上書を、充血した眼でじ っと視つめた。

圭一郎は遠いY県の田舍に妻子を残して千登世と駈落ちしてから四ケ月の月日が 経った。最初のころ、妹はほとんど三日にあげず手紙を寄越し、その中には文字の あまり達者でない父の代筆も再三ならずあった。彼はそれを見るたびに針を呑むよ うな呵責(かしやく)の哀しみを繰返すばかりであった。身を切られるような思いから、時 には見ないで反古(ほご)にした。返事もめったに出さなかったので、近ごろ妹の音信(たより)もずいぶん遠退いていた。圭一郎は今も衝動的に腫物(はれもの)にさわるような 気持に襲われて開封(ひら)くことを躊躇(ちゅうちょ)したが、と言って見ないではすまされ ない。彼は入口のところまで行ってしばらく階下の様子を窺い、それから障子を閉め て手紙をひらいた。


なつかしい東京のお兄さま。朝夕はめっきり寒さが加わりましたが(つつが)もなくご 起居あそばしますか。いつぞやは頂いたお手紙で、お兄さまを苦しめるような便りを 差し上げてはいけないとあんなにまでおっしゃいましたけれども、お兄さまのお心を 痛めるとは十分存じながらもどうしても書かずにはすまされません。それかと申して 何から書きましょうか。書くことがあまりに多い。・・・・

お父さまは一週間前から感冒に(かか)られてお()っていられます。それに持 病の喘息も加って昨今の衰弱は眼に立って見えます。ここのとこ毎日安藤先生がお 来診(みえ)になってカルシウムの注射をして下さいます。何んといってもお年がお年で すからそれだけに不安でなりません。 お父さまの苦しさうな咳声を聞くたびにわたくし生命の縮まる思いがされます。

「俺が 生きとるうちに何んとか圭一郎の始末をつけておいてやらにゃならん」

と昨日も病床 でおっしゃいました。腹這いになってお粥を召上りながらふと思い出したように

「圭一 郎はなんとしとるじゃろ」

と言われると、ひとり手にお父さまの指から箸が辷り落ちま す。夜は十二時、一時になつても奧のお座敷からお父さまお母さまのひそひそ話の
声が洩れ聞えます。お兄さまも時にはお父さまに優しい慰めのお玉章(てがみ)さしあ げてください。切なわたくしのお願いです。お父さまがどんなにお兄さまのお便りを待 っていらっしやるかということは、お兄さまには想像もつきますまい。川下からのぼっ てくる配達夫をお父さまはあの高い丘の果樹園からどこに行くかをじっと視おろして いられます。配達夫が自家(うち)に来てわたくし手招きでお兄さまのお便りだと知らす と、お父さまは狂気のようになって、ほんとにこけつまろびつ帰って来られます。とて もとてもお兄さまなぞに親心が解ってたまるものですか。

およそお兄さまが自家を逃亡(でら)れてからというものは、家の中はまったく灯の消 えた暗さです。裏の欅山(けやきやま)もすっかり黄葉して秋もいよいよ更けましたが、も のの哀れはひとしお吾が家にのみあつまっているように感じられます。早稲(わせ)は とっくに刈られて今ごろは晩稲(おくて)の収穫時で田圃(たんぼ)は賑っています。古くか らの小作たちはそうでもありませんけども、時二とか与作などは未だ臼挽(うすひき)も すまさないうちから強硬に加調米を値切っています。要求に応じないなら断じて小作 はしないという剣幕です。それというのも女や年寄ばかりだと思って見縊(みくび)ってい るのです。

「田を見ても山を見ても俺はなさけのうて涙がこぼれるぞよ」

とお父さまは 言い言いなさいます。先日もお父さまは、鳶が舞わにゃ影もない——と唄にも歌わ れる片田の上田を買われた時の先代のひとかたならぬ艱難辛苦(かんなんしんく)の話を なすって

「先代さまのお墓に申訳ないぞよ」

と言って、その時は文字どおり暗涙に(むせ)ばれました。お父さまはご養子であるだけに祖先に対する責任感が強いので す。田地山林を讓るべきはずのお兄さまのいられないお父さまの歎きのお言葉を聞 くたびに、わたくしお兄さまを恨まずにはいられません。

先日もお父さまが、あの鍛冶屋の向うの杉山に行ってみられますと、意地のきたな い田沢の主人が境界石を自家の所有の方に二間もずらしていたそうです。お父さま は歯軋(はぎし)りして口惜しがられました。

「圭一郎がおらんからこないなことになるん じや。不孝者の餓鬼め。今に罰が当って眼がつぶれようぞ」

とお父さまはさもさも憎し げにお兄さまを(ののし)られました。しかし昂奮が去ると

「ああ、なんにもかも因縁因果(いんねんいんが)というもんじゃろ。お母ァ諦めよう。・・・・しかたがない。敏雄の成長を 待とう。それまでに俺が死んだら何んとしょうもんぞい」

こうもおっしゃいました。 咲子(ねえ)さまを離縁してお兄さまと千登世さまとに帰っていただけば万事解決しま す。しかし、それでは大江の家として親族への義理、世間の手前がゆるしません。 咲子嫂さまは相変わらず一万円くれとか、でなかったら裁判沙汰にするとか息巻い て、質の悪い仲人とぐるになってお父さまをくるしめています。何んといってもお兄さ まがいけないのです。どうして厭なら厭嫌いなら嫌いで嫂さまと正式に別れた上で千 登世さまといっしょにならなかつたのです。あんなむちゃなことをなさるから問題がい よいよ複雜になって、相互の感情がこじれて来たのです。今では(もつれ)を解こうに も(いとぐち)さえ見つからない始末じゃありませんか。  けれどもわたくしお兄さまのお心も理解してあげます。お兄さまとお嫂さまとの過ぎ る幾年間の生活に思ひ及ぶ時、今度のことがお兄さまの一時の気まぐれな出来ごこ ろとは思われません。あるいは当然すぎるほど当然であったかもしれません。いつ かの親族会議では咲子嫂さまを離縁したらいいとの提議が多かったのです。それを 嫂さまはいちはやく嗅知って、一文も金は要らぬから敏雄だけは貰って行くと言って 敏雄を連れていきなり実家に帰ってしまったのです。しかも敏雄はお父さまにとって は眼に入れても痛くないたった一粒の孫ですもの。敏雄なしにはお父さまは夜の眼 も睡れないのです。お父さまはお母さまといっしょに、Y町のお実家に詫びに行らして 嫂さまと敏雄とを連れ戻したのです。とても敏雄とお嫂さまを離すことは出来るせん。 離すことは残酷です。いじらしいのは敏ちゃんじゃありませんか。

敏ちやんは性来の臆病から、それに隣りがあまり隔っているので一人で遊びによう 出ません。同じ年配の子供達が向うの田圃や(かわら)で遊んでいるのを見ると、堪 えきれなくなって涙を流します。時たま仲間が遣って来ると小踊して歓び、仲間に帰 られてはと、ご飯も食べないのです。帰ると言われると、ではお菓子をくれてあげる から、どれ絵本をくれてあげるからと手を替え品を替えて機嫌をとります。いよいよ かなわなくなると、わたくしや嫂さまに引留方を哀願に来ます。それにしても夕方にな ればいたし方がない。高い屋敷の庭先から黄昏に消えて行く友達のうしろ姿を見送 ると、しくりしくり泣いて家の中に駈け込みます。そしてお父さまの膝に乗っかると、そ のまま夕飯も食べない先に眠ってしまいます。台所の囲炉裏(いろり)榾柮(ほだ)()べて家じゅうの者は夜を更かします。お父さまは敏ちやんの寝顔を打戍(うちまも)り ながらおっしゃいます

「圭一郎に瓜二つじゃのう」

とか

「焼野の雉子(きぎす)、夜の鶴 ——圭一郎は子供の可愛いということを知らんのじゃろうか」

とか。

先月の二十一日は御大師様の命日でした。村の老若は丘を越え橋を渡り三々五 々にうち伴れてお菓子やお赤飯のお接待を貰って歩きます。わたくしも敏雄をつれて お接待を頂戴して歩きました。明神下の畦径(あぜみち)提籃(かご)さげた敏雄の手を ()いて歩いていると、お隣の金さん夫婦がよちよち歩む子供を中にして川辺りの 往還を通っているのが見えました。とたんわたくし敏雄を抱きあげて袂で顔を(おお) いました、不憫(ふびん)じゃありませぬか。お兄さまもよくよく罪の深い方じゃありませ んか。それでも人間と言えますか。——わたくしのお胎内(なか)の子供も良人(おっと)が 遠洋航海から帰って来るまでには産まれるはずです。わたくし敏ちゃんの暗い運命 を思う時慄然として我が子を産みたくありません。

お兄さまのいられない今日このごろ、敏雄はどんなにさびしがっているでしょう。

「父ちやんどこ?」

と訊けば

「トウキョウ」

と何も知らずに答えるじゃありませんか。

「父ちやん、いつもどってくる?って思い出しては嫂さまやわたくしにせがむように訊く じゃありませんか。敏ちやんはこのごろコマまわしをおぼえました、はじめてまわった 時の喜びったらなかったのです。夜も枕元に紐とコマとを揃えて寝につきます。そし て眼醒めると朝まだきから一人でまわして遊んでいます。

「父ちゃん戻ったらコマをま わして見せる」

って言うじゃありませんか。家のためにともお父さまお母さまのために とも申しますまい。たったひとりの敏雄のためにお兄さま、帰っては下さいませんでし ょうか。頼みます。

                                       春   子

はじめの一章二章は丹念に読めた圭一郎の眼瞼(まぶた)は火照り、終りのほうは便 箋をめくって駈け足で卒読むした。そして読んだことが限りもなく後悔された。圭一郎 は現在自分の心を痛めることをこの上なく(おそ)れている。と言っても彼は自分の 行為をあたまから是認し、安価に肯定しているのではなかった。それは時には我な がら必然の歩みであり自然の計らいであったとは思わなくもないが、しかし、そうい ふ風に自分というものをしいて客観視して見たところで、寝醒めのわるく後髮を引か れるような自責の念はとうてい消滅するものではなかった。それなら甘んじて審判の (むち)を受けてもいいわけであるが、千登世との生活を血みどろになって喘いでい る最中、とやこう責任を問われることは二重の苦しさであってとても遣りきれなかっ た。

圭一郎はすまない気持で手紙をくしゃくしゃに丸め、火鉢の中に(ほう)り込んだ。 焼け残りはマッチを摺って痕形もなく燃やしてしまった。彼の心は冷たく痲痺(しび)れ 石のようになった。

室内が煙でいっぱいになったので南側の玻璃窓(はりまど)を開けた。いつしか夕暮 が迫って大川の上を烏が唖々と啼いて飛んでいた。こんな都会の空で烏の鳴き声を 聞くことが何んだか不思議なような、異様な哀しさを覚えた。

南新川、北新川は大江戸の昔から酒の街と()ってるそうだ。その南北新川街 の間を流れる新川の河岸には今しがた数艘の酒舟が着いた。満潮にふくれた河水 がぺちゃぺちゃと石垣を舐める川縁から倉庫までの間に(むしろ)を敷き詰めて、 その上を問屋の若い衆たちが麻の前垂に捩鉢卷(ねじりはちまき)菰冠(こもかぶ)りの四 斗樽をころがしながら倉庫の中に運んでいるのが、編輯室の窓から見下された。威 勢のいい若い衆たちの拍子揃えた端唄(はうた)に聴くとはなしにしばらく耳傾けていた 圭一郎はやがて我に返って振向くと、窓下の狭い路地で二三人の子供が三輪車に 乗って遊んでいた。一人の子供が泣顔(べそ)をかいてそれを見ていた。とたちまち、 圭一郎の胸は張裂けるような激しい痛みを覚えた。

その年の五月の上旬だった。圭一郎は長い間の醜く(すさ)んだ悪生活から遁れ るために妻子を村に残してY町で孤独の生活を送っているうち千登世と深い恋仲に なりいよいよ東京に駈け落ちしなければならなくなったその日、彼は金策のために山 の家に帰って行った。むしの知らせか妻はいつにもなく彼につき(まと)うのであった が圭一郎は胸騒ぎを抑え巧に父の預金帳を持出して家を出ようとした。ちょうど姉の 子供が来合せていて三輪車を乗りまわして遊んでいた。軒下に立って指を(くわ)え ながらさも羨ましそうにそれを見ていた敏雄は、圭一郎の姿を見るなり今にも泣き出 しそうな暗い顔して走って来た。

「父ちゃん、僕んにも三輪車買うとくれ」

「うん」

「こん度戻る時ゃ持って戻っとくれよう。のう?」

「うん」

「いつもどるの、今度あ? のう父ちやん」

「…………」

 家の下で円太郎馬車に乗る圭一郎を妻は敏雄をつれて送って来た。馬丁が喇叭(らっぱ)をプープー鳴らし馬が四肢を揃えて駈け出した時、妻は

「また帰ってちょうだい ね。ご機嫌よう」

と言い、子供は

「父ちゃん、三輪車を忘れちゃ厭よう」

と言った。同じ 馬車の中に彼の家の小作爺の三平が向い合せに乗っていた。

「若さま。奧さんも坊 ちゃんも、あんたとごいっしょにY町でお暮しなさんせよ。お可哀相じゃごわせんか い」

(なじ)るように三平は言った。圭一郎の頭は膝にくっつくまで降った。村境の土 橋の(あぜ)で圭一郎が窓から顔を出すと、敏雄は門前の石段を老人のように小腰 を曲げ、亀の子のように首を縮こめて、石段の数でもかぞえるかのやうに一つ一つ 悄々(しょうしょう)と上って行くのが涙で曇った圭一郎の眼鏡に映った。おそらくこれがこ の世の見納めだろう? そう思うと胸元が絞木(しめぎ)にかけられたように苦しくなり、 大粒の涙が留め度もなく雨のようにポロポロ落ちた。

その日の終列車で圭一郎は千登世を連れてY町を後にしたのである。  

  千登世は停留所まで圭一郎を迎えに出て仄暗い街路樹の下にしょんぼりと佇んで いた。そして圭一郎の姿を降車口に見付けるなり彼女はつかつかと歩み寄って

「お 帰り遊ばせ。お具合はどんなでしたの?」

と潤んだ眼で視入り、眉を高く上げて言っ た。

「気遣ったほどでもなかった」

「そう、そんじゃようかったわ」

もちろん国訛りが挟まれた。

「わたしどんなに心配した かしれなかったの」

外出先から帰って来た親を出迎える邪気(あどけ)ない子供のように千登世はいくら か嬌垂(あまえ)ながら圭一郎の手を引っ張るようにして、そして二人は電車通りからほ ど遠くない隠れ家の二階に帰った。行火(あんか)で温めてあった(しとね)の中にいち はやく圭一郎をはいらしてから千登世は古新聞を枕元に敷き、いそいそとその上に 貧しい晩餐を運んだ。二人は箸を執った。

「気になって気になってしようがなかったの。よっぽど電話でご容態を訊こうかと思っ たんですけれど」

 千登世は口籠(くちごも)った。

そう言われると圭一郎は棘にでも掻きむしられるような気持がした。彼は勤め先で は独身者らしく振る舞っていた。自分の行為はどこに行こうと暗い陰影を()いて いたから、それで電話をかけるにしても階下の内儀(かみ)さんを装って欲しいと千登 世にその意を仄めかした時の惨酷さ辛さが新にひしと胸に(つか)えて、食物が咽喉 を通らなかった。

「今日ね、お隣りの奧さんがお縫物を持ってきてくだすったのよ」

と千登世は言って茶 碗を置き片手で後の戸棚を開けて行李の上にうずたかく積んである大島や結城の 反物を見せた。

「こんなにどっさりあってよ。わたし今夜から徹夜の決心で縫おうと思 うの。みんな仕上げたら十四五円いただけるでしょう。お医者さまのお礼ぐらいおくに に頼まなくたってわたしして見せるわ」

「すまないね」

圭一郎は病気のせいでひどく感傷的になっていた。

「そんな水臭いことおっしゃっちゃ厭」

千登世は怒りを含んだ声で言った。

食事が終ると圭一郎は服薬して蒲団を被り、千登世は箆台(へらだい)をひろげて裁 縫にかかった。

「あなた、わたしの方を向いててちょうだい」

 千登世は顔をあげて糸をこきながら言った。彼の顔が夜着の襟にかくれて見えな いことを彼女はもの足りなく思った。

「それから何かお話してちょうだい、ね。わたしさびしいんですもの」

圭一郎は

「ああ」

と頷いて顔を出し二言三言お座なりに主人夫婦が旅に出かけたこ となど話柄にしたが、すぐあとが()げずに口を(つぐ)んだ。おりしも、妹の長い手 紙の文句がそれからそれへと思い返されて腸を()ぐられるようなもの狂わしさを 感じた。深い愁いにつつまれた故郷の家のありさまが眼に見えるようで、圭一郎は 何んとしとるじゃろ、と言って箸を投げて悲歎に暮れる老父の姿が、そして、父ちゃん いつ戻って来る? とか、父ちやん戻ったらコマをまわして見せるとか言う眉の憂鬱 な子供の面差が、また怨めしげに遣る瀬ない悲味(かなしみ)(うった)えた妻の顔まで が、圭一郎の眼前に瀝々(まざまざ)と浮ぶのであった。しかも同じ自分の眼は千登世 を打戍っていなければならなかった。愛の分裂——というほどではなくとも、なんだか 千登世をけがすようなたとえようのないすまなさを覚えた。

圭一郎はものごころついてこの方、母の愛らしい愛というものを感じたことがない。 母子の間には不可思議な呪詛(じゅそ)があった。人一倍求愛心の強い圭一郎がいつ もいつも求める心を冷たく裏切られたことは、性格の相異以上の呪いと言いたかっ た。圭一郎は廃嫡(はいちゃく)して姉に相談させたいと母は言い言いした。中学の半途 退学も母への反逆と悲哀とからであった。もうそのころ相当の年配に達していた圭 一郎に小作爺の(せがれ)ほどの身支度を母はさしてくれなかった。悶々とした彼が M郡の山中の修道院で石工をしたのもその当時であった。だから一般家庭の青年 の誰もが享楽(たの)しむことのできる青年期の誇りに充ちた自由な輝かしい幸福は圭 一郎には恵まれなかった。そうした彼が十九歳の時、それは伝統的な方法で咲子と の縁談が持qだされた。咲子は母方の遠縁に当っている未知の女であったにかかわ らず、二歳年上であることが母性愛を知らない圭一郎にはまったく天の賜物とまで考 えられた。そして眼隠された奔馬(ほんば)のような無智さで、前後も考えず有無なく結 婚してしまった。

結婚生活の当初咲子は予期通り圭一郎を嬰兒(あかご)のように愛し(いたわ)ってく れた。それなら彼は満ち足りた幸福に陶酔しただらうか。すくなくとも形の上だけは (きん)(しつ)と相和したが、けれども十九ではじめて知った悦びに、この張り切っ た音に、彼女の弦は妙にずった音を出してぴったり来ない。(つぼみ)を開いたばか りの匂の高い薔薇の亢奮(こうふん)が感じられないのは年齡の差異とばかりも考えら れない。いったいどうしたことだろう? 彼は疑ぐりだした。疑ぐりの心が頭を擡げる ともう自制できる圭一郎ではなかった。

「咲子、お前は処女だったろうな?」

「何を出抜けにそんなことを・・・・失敬な」

火のような激しい怒りを圭一郎はもちろんねごうたのだが、咲子は怒ったようでも あるし、怒り方の足りない不安もあった。彼の疑念は深まるばかりであった。そして 蛇のような執拗(しつよう)さで()がな(ひま)がな追究しずにはいられなかった。

「ほんとうに処女だった?」

「女が違いますよ」

「よし、それなら僕のこの眼を見ろ。ごまかしたってだめだぞ!」

圭一郎はきっと歯を喰いしばり羅漢(らかん)のような怒恚(いか)れる眼を見張った。

「いくらでも見ててあげるわ」

と言って妻は眸子(ひとみ)を彼の眼にじっと据えたが、す ぐへんに苦笑し、目叩し、

「そんなに疑ぐり深い人わたし嫌い……」

「だめ、だめだ!」

何んといっても妻の暗い(かげり)を圭一郎は直感した。その後幾百回幾千回こうし た詰問を、敏雄が産まれてからも依然として繰返すことを止めはしなかった。圭一郎 はY町の妻の実家の近所の床屋にでも行って髮を刈りながら、たわいのない他人の 噂話のごとく装ってそれとなく事実を突き留めようかと何遍決心したかしれなかった。 が、いざとなると果しかねた。子供の時父の用箪笥(ようだんす)から六連発のピストル を持ちだし、妹を目蒐(めが)けて撃つぞと言って筒口を向け引金に指をかけた時、は っと思って弾倉を覗くと六個の弾丸が底気味悪く光っておるではないか! 彼はあっ と叫んで危なく失神しようとした。ちょうどそれに似た気持だった。もし引金を引いて いたらどうであったろう。この場合もし圭一郎が髮床屋にでも行って

「それだ」

と怖い 事実を知った暁を想像すると身の毛はよだちがたがたと戦慄を覚えるのだった。  しかしついにはその日が来た。

圭一郎は中学二年の時柔道の選手であることから二級上の同じく選手である山本 という男を知った。眼のつった、唇の厚い、鉤鼻(かぎばな)の山本を圭一郎は本能的に 厭がった。上級対下級の試合のおり、彼は山本をみごと投げつけて以来、山本はそ れをひどく根にもっていた。ある日寄宿舍の窓から同室の一人が校庭で遊ぶ誰彼の 顔を戯れにレンズで照していると、光線が山本の顔を射たのであった。翌日山本は その悪戯した友が誰であるかを打明けろと圭一郎に迫ったが彼が頑なに押黙ってい ると山本は圭一郎の頬を平手で殴りつけた。——その山本と咲子は二年の間も醜 関係を結んでいたのだということを菩提寺の若い和尚から聞かされた。憤りも、恨み も、口惜しさも通り越して圭一郎は運命の悪戯に呆れ返った。しかもこの結婚は父 母が勧めたというよりも自分の方がむしろ強請(せが)んだ形にもいくらかなっていたの で、誰にぶつかって行く術もなく自分が自身の手負ひで蹣跚(よろけ)なければならなか った。そして一日一日の激昂(げっこう)の苦しさはただ惘然(ぼうぜん)銷沈(しょうちん)のく るしさに移って行った。

圭一郎はその後の三四年間を上京して傷いた心を宗教に持って行こうとしたり慰 めのための芸術に(すが)ろうとしたり、咲子への執着、子供への煩悩を起して村へ 帰ったり、また嫌気がさして上京したり、激しい精神の動揺から生活は果しもなく不 聡明に頽廢的(たいはいてき)になるばかりであった。こうしたあげく圭一郎はY町の県庁 にとして勤めることになり、閑寂な郊外に間借して郷土史の研究に心を紛らしていた のだが、そして同じ家の離れを借りている私立の女学校に勤めていた千登世といつ しか人目を忍んで言葉を交えるようになった。

千登世の故郷は中国山脈の西端を背負って北の海に瀕した雪の深いS県のH町 であった。彼女は産みの両親の顔も知らぬ薄命の孤児であって、伯父や伯母の家 に転々と引き取られて育てられたが、身内の人たちは皆な揃いも揃って貪婪(どんらん)邪慳(じゃけん)であった。十四歳の時伯父の知辺であるある相場師の養女になっ てY町に来たのであった。相場師夫婦は真の親も及ばないほど千登世を(いつくし)ん で、彼女の望むままに土地の女学校を卒業さした上さらに臨時教員養成所にまで進 学さしてくれたのだが、業半(なかば)でその家が経済的にまったく崩壊してしまい、や がて養父母も相次いで世を去ってしまったので、彼女は独立しなければならなかっ た。

そうして薄幸の千登世と圭一郎とが互いに身の上を打明けた時、二人は一刻も猶 予していられずたちまち東京に世を(はばか)らねばならぬ仲となった。

千登世はさすがに養父母の恩恵を忘れかねた。わけても彼女に優しかった相場師 の臨終を物語ってはさめざめと涙をこぼした。寒い(あられ)がばらばらと板戸や(ひさし)を叩き、半里ばかり距離の隔っている海の潮鳴がはるかにもの哀しげに音ず れるその夜、千登世は死人の体に抱きついて一夜を泣き明したことを繰返しては、 人間の浮生(ふしょう)の相を哀しみ、生死のことわりを諦めかねた。彼女はY町の遍辺(かたほとり)の荒れるに委せた墳墓のことを圭一郎が厭がるほどしばしば口にした。ま だ新しい石塔を建ててなかったこと、二三本の卒塔婆(そとば)が乱暴に突きさされた 形ばかりの土饅頭にさぞ雑草が生い茂っているだろうことを気にして、そっと墓守に 若干のお鳥目(ちょうもく)を送ってお墓の掃除を頼んだりした。

千登世の無常観——は過去の閲歴(えつれき)から育まれたのだった。時おりその感 情が潮流のように一時に彼女に帰ってきては彼女をくるしめた。校正でよんどころな く帰りの遅くなった夜など、電車の送迎に忙しいひけ時から青電車の時刻も迫って絶 間絶間にやってくる電車を、一台送っては次かと思い、また一台空しく送っては次か と思い、夜更けの本郷通は鎭まって、鋪道の上の人影も絶えてしまうそのころまでな おも一轍(いってつ)に圭一郎の帰りを今か今かと待ちつづけずにはいられない千登世 の無常観はとうてい圭一郎などの想像もゆるさない計り知れない深刻なものであっ た。

  次の日の午前中に圭一郎は主人に命じられただけのの仕事は一気に片づけて午 後は父と妹とに宛て長い手紙を書きだした。

「僕はいくら非人間呼ばわりをされようと不孝者の(そし)りを受けようとさらに頭はあ がらないのです。けれども千登世さんだけはわるく思って下さいますな。何が辛いと いっても一番辛いことはお父さんや春子に彼女が悪者のごとく思われることです。そ う思われても僕のこの身に罰が当ります。僕の身に立つ瀬がないのですから」

こうし た意味のことを畳みかけ畳みかけ書こうとした。

圭一郎はこれまで幾回も同じ意味のことを、千登世に不憫(ふびん)をかけて欲しいと いうことを父にも妹にも書き送ったが、どうにも抽象的にしか書けないほど自分自身 が(やま)しかった。

生活の革命——そういう文字が(もたら)す高尚な内容が圭一郎の今度の行為の 中に全然皆無だというのではなく、むしろそうしたものが多量に含まれてあると思い たかった。が、静かに(かえり)みて自問自答する時彼は我ながら唾棄(だき)の思いが され冷汗のおのずと流れるのを覚えた。

妻の過去を知ってからこの方、圭一郎の頭にこびりついて須臾(しゆゆ)も離れないも のは

「処女」

を知らないということであった。村にいても東京にいても束の間もそれが 忘れられなかった。往来で、電車の中で異性を見るたびにまず心に映るものは容貌 のいかんではなくて、処女だろうか?処女であるまいか? ということであった。あわ よくば、それは奇蹟的にでも闇に咲く女の中にそうした者を探し当ようとあちこちの魔 (まくつ)を毎夜のようにほっつき歩いたこともあった。たとい、乞丐(こじき)の子であっ てもかまうまい。たとい獄衣を身に(まと)うような恥ずかしめを受けようと、レエイプ してもとまでしばしば思い詰めるのだった。

根津の下宿にいたある年の夏の夜、圭一郎は茶の間に招かれて宿のおばさんと 娘の芳ちゃんと二人でよもやまの話をした。キャッキャッ(はしゃ)いでいた芳ちゃん は間もなく長火鉢の傍に寝床をのべて寝てしまった。暑中休暇のことで階上も階下 もがら空きであたりはしんと鎮まっていた。たちまち足をばたばたさせて蒲団を蹴と ばした芳ちやんは真っ白な両方の股を弓のように踏張った。と、つ・・・・・・みたいな ものが(ちら)と圭一郎の眼にはいった。

「あら、芳ちゃん厭だわ」

 おばさんは急いで蒲団をかけた。圭一郎は(あか)らむ顔を俯向(うつむ)いて異様に 沸騰(たぎ)る心を抑えようとした。おばさんさえいなかったらと彼は歯をがたがた(ふる)わした。彼の頭に蜘蛛が餌食を巻き締めておいて咽喉を食い破るような残忍的な 考が閃めいたのだ。

こうした獣的なあさましい願望の延長——が千登世の身体にはじめて実現された のであった。彼は多年の願いがかなえられた時、もはや前後を顧慮する(いとま)と てもなく千登世を(らつ)し去ったのであるが、それは合意の上だと言えば言えこそす れ、ゴリラが女を引浚(ひっさら)えるような残虐な、ずいぶん兇暴(きょうぼう)なものであっ た。もちろん圭一郎は千登世に対して無上の恩と大きな責任とを感じていた。飛んで 灯に入る愚な夏の虫にも似て、彼は父の財産も必要としないで石に(かじ)りついて も千登世を養う決心だった。が、自分ひとりは覚悟の前である生活の苦闘の中に羸 (かよわ)い彼女までその渦の中に巻きこんで苦労させることは堪えがたいことであ った。

圭一郎は、父にも、妹にも、誰に対しても告白のできぬ多くの懺悔(ざんげ)を、痛み を忍んで我と我が心の底に迫って行った。

結局、故郷への手紙は思わせぶりな空疎な文字の羅列にずぎなかった。けれども 一国(いっこく)な我儘者の圭一郎に(かしず)いてさぞさぞ気苦労の多いことであろうと の慰めの言葉を一言千登世宛に書き送ってもらいたいということだけはいつものよう に(くど)く、二伸としてまで書き加えた。

圭一郎が父に要求する千登世への(いたわ)りの手紙は彼が請い求めるまでもなく これまで一度ならず二度も三度も父は寄越したのであった。父は最初から二人を別 れさせようとする意志は微塵も見せなかった。別れさしたところで今さらおめおめ村 に帰って自家の(しきい)(また)がれる圭一郎でもあるまいし、同時にまた千登世 に対して犯した我子の罪を父は十分感じていることも否めなかった。(かなえ)の湯 のように沸き立つ(やかま)しい近郷近在の評判や取々の沙汰に父は面目ながって しばらくは一室に幽閉していたらしいがその間もしばしば便りを送ってきた。さまざま の愚痴もならべられてあるにしても、どうか二人が仲よく暮らしてくれとかお互に身体 さえ大切にして長生していればいつか再会が叶うだろうとか、その時はつもる話をし ようとか書いてあった。そして定ったように

「何もインネン、インガとあきらめおり候」

と して終りが結んであった。時には思いがけなく隣村の郵便局の消印で為替が封入し てあることもたびたびだった。村の郵便局からでは顔馴染の局員の手前を恥じて、 杖に(すが)りながら二里の峻坂(しゅんばん)()じて汗を拭き拭き峠を越えた父の 姿が髣髴(ほうふつ)して、圭一郎は極度の昂奮から自殺してしまひたいほどみずから 責めた。

圭一郎はどこに向かおうと八方塞がりの気持を感じた。心にあるものはただ身動 きのできない呪縛のみである。

  圭一郎は社を早目に出て蠣殼町の酒問屋事務所に立寄って相場を手帳に記し、そ れから大川端の白鷹正宗の問屋を訪うてそこの主人の額に(こぶ)のある大入道か ら新聞の種を引きだそうとあせっているうちに電気が来た。屋外へでるともうあたり は真っ暗だった。川口を通う船の青い灯、赤い灯が暗い水の面に美しく乱れてい た。

彼はさらに上野山下に広告係の家を訪ねたが不在であった。広小路の夜店でバ ナナを買い、徒歩で切通坂を通って帰った。

食後、千登世はバナナの皮を取りながら、

「でも楽になりましたね」

と、しみじみした調子で言った。

「そうね・・・・・」

圭一郎も無量の感に迫られた。

「あの時、わたし・・・・」

彼女は言いかけて口を(つぐ)んだ。

あの時——と言っただけで二人の間には、その言葉が言わず語らずのうちに互の 胸に伝わった。圭一郎は父の預金帳から四百円ほど盜んで来たのであったが、そ れは一二ケ月の間になくしてしまった。そして一日一日と生活に迫られていたのであ った。食事の時香のものの一片にも二人は顔見合わせて箸をつけるという風だっ た。彼は血眼になって職業を探したけれどだめだった。

「わたし、三越の裁縫部へ出ましょうか?あそこならいつでも雇ってくれるそうですか ら」

 千登世は健気に言ったが、圭一郎は情なかった。

ちょうどその時、酒新聞社の編輯者募集を職業案内で見つけて、指定の日時に遣 って行った。彼が二十幾人もの応募者の先着だった。中にはほんのちょっとした応 対であっけなく断られる奴もあって、残る半数の人たちに、主人は、めいめいに文章 を書かせてそれをいちいち手に取上げて読んではまた片っ端からむごく断り、後に 圭一郎と、口髭を立派に刈りこんだ金縁眼鏡の男と二人ほど残った。主人は圭一郎 に、

「とにかく、君は、明日九時に来てみたまえ」

と、言った。

「まじめにやりますから、どうぞ使ってください。どうぞよろしくお願いいたします」

圭一郎は丁寧にお叩頭(じぎ)して座を退り歯のすり減った日和(ひより)をつっかける と、もう一度お叩頭をしようと振り返ったが、衝立(ついたて)に隠れて主人の顔は見えな かった。圭一郎は、いかにも世智にたけたてきぱきした口調で、さも自信ありそうに 主人に話し込んでいる金縁眼鏡の男の横面を、はりつけてやりたいど憎らしかった。

屋外に出るとざっと大粒の驟雨(しゅうう)に襲われた。家々の軒下を潜るようにして 走ったり、またしばらく銀行の石段で雨宿りしたりしていたが、思いきって鈴なりに混 だ電車に乗った時は圭一郎は濡れ鼠のようになっていた。停留所には千登世が迎 えに出て土砂降の中を片手で傘を(かざ)し片手で裾を高くかきあげて待っていた。 そして、降車口に圭一郎のずぶ濡れ姿を見つけるなり、千登世は急ぎ歩み寄って、

「まあ、お濡れになったのね」

と眉根に深い皺を刻んで傷々しげに言った。

圭一郎は千登世の傘の中に飛びこむと、二人は相合傘で大学の正門前の水菓子 屋の横町から暗い路地にはいって行った。歩きながら圭一郎は酒新聞社での様子 をこまごま千登世に話して聴かせた。

「とにかく、明日も一度来てみろと言ったんですよ」

「じゃ、きっと、雇う考えですよ」

と彼女は言ったが、これまでしばしば繰り返されたと同じような空頼(そらだの)みにな るのではあるまいかという予感の方が先に立って千登世はそれ以上ものを言うのが 辛かった。

「雇つてくれるかもしれん・・・・・」

圭一郎は口の中で呟いた。けれども、頼みがたいことを頼みにし独り決めしておい て、後でまたしても千登世を失望させてはと考えた。そう思えば思うほど、金縁眼鏡 の男がうらめしかった。

「ほんとうに雇ってくれるといいが・・・・・」

 圭一郎は思わず深い溜息を洩らした。

悄気(しょげ)ちゃだめですよ、しっかりなさいな」

こう千登世は気の張りを見せて圭一郎に元気を鼓舞(つけ)ようとした。が、濡れしお れた衣服の裾がべったり脚に纒って歩きにくそうであり、長く伸びた頭髮からポトリポ トリと雫の滴る圭一郎のみじめな姿を見た千登世の眼には、夜目にも熱い涙の玉が (きら)めいた。

運よく採用されたのだったが、千登世はその夜のことをいつまでも忘れなかった。

「わたし泣いてはいけないと思ったんですけれど、あの時——だけは悲しくて・・・・」

彼女は思い出しては時々それを口にした。

千登世は食後の後片づけをすますと、(くつろ)いだ話もそこそこに切り上げ暗い電 灯を眼近く引き下して針仕事を始めた。圭一郎は検温器を腋下に挟んでみたが、ま だ平熱に帰らないので直ぐ寝床にはいった。

壁一重の隣家の中学生が頓狂な発音で英語の復習をはじめた。  What a funy bear !

「ああ(うる)さい。もっと小さな声でやれよ」

兄の大学生らしいのがこう(たしな)め る。  中学生はいっこう平気なものだ。  Is he strong ?

「煩さいったら!」

兄は(いき)り立った金切声で叱りつけた。

圭一郎と千登世とは思わず顔を合せて、クスクス笑いだした。が、すぐ笑えなくなっ た。その兄弟たちの希望に富む輝かしい将来に較べて、自分たちの未来というもの の何んとさびしい目当てのないものではないかという気がして。

やがて、夜番の拍子木の音がカチカチ聞えてくる時分には、中学生の寝言が手に 取るように聞える。夢にまで英語の復習をやってるらしい。階下でも内儀(かみ)さんが 店を閉めた。あたりはしんしんと更けて行く。筋向うの大学の御用商人とかいう男が 酔払って細君を怒鳴る声、器物を投げつける烈しい物音がひとしきり高かった。しば らくすると支那蕎麦屋の笛が聞えて来た。

「あら、また遣って来た!」

 千登世は感に迫られて針持つ手を置いた。

千登世は、今後、この都を去ってどこかの山奧に二人が侘住(わびずま)いするように なっても、支那蕎麦屋の笛の音だけは忘れえないだろうと言った。——駈落ち当時、 高徳の誉高い浄土教のG師が極力二人を別れさせようとした。そのG師の禅房にか つて圭一郎は二年も寄宿し、G師に常隨してその教化を(こうむ)っていた関係上、 上京すると何より真っ先きにG師に身を寄せていっさいをぶちまけなければ()け ない心の立場にあったのだ。G師の人間的な同情は十分持ちながらも、しかし、G師 自身の信仰の上から圭一郎の行為を是認(ぜにん)して見遁(みのが)すことはゆるされな かった。G師は毎夜のように圭一郎を呼び寄せて

「無明煩脳シゲクシテ、妄想顛倒ノ ナセルナリ」

・・・・・今は水の出ばなで思慮分別に事欠くけれど、すぐに迷いの目がさ めるぞ、こうした不自然な同棲生活のついになりたたざること、心の負担に堪えざる こと、幻滅の日、破滅の日はけっしてそう遠くはないぞ、一旦の妄念を棄て別れなけ ればならぬ。——こう諄々(じゅんじゅん)と説法した。圭一郎は生木を裂かれるような反 感を覚えながらも、しかし、故郷の肉親に対する断ちがたい愛染は感じているのだ から、そして心の呵責は渦を巻いているのだから、そこの(おそれ)を衝かれた日に は良心的に実際適わない感じのものだった。圭一郎がG師からとやこうきつい説法 を喰っている間、千登世は二階で一人わびしく圭一郎の帰りを待ちながら、人通りの 杜絶(とだ)えた路地に彼の下駄の音を今か今かと耳をすましている時、この支那蕎麦 屋の笛を聞いて、われを忘れて慟哭(どうこく)したというのである。千登世にしてみれ ば、別れろ別れろと攻めたてられてG師の前に弱ってうなだれている圭一郎がいじら しくもあり、恨めしくもあり、否、それにもまして、暗い過去ではあったがどうにか弱い 身体と弱い心とを二十三歳の年まで潔く支えてきた彼女が、()りも(えら)んで妻 子ある男と駈落ちまでしなければならなくなった呪うても足りない宿命が、彼女には どんなにか悲しく、身を引き裂きたいほど切なかったことであらう・・・・・。

支那蕎麦屋は家の前のだらだら坂をガタリガタリ車を挽いて坂下の方へ下りて行 ったが、笛の音だけは鎮まった空気を(つんざ)いてもの哀しげにはるかの遠くから 聞えて来た。一瞬間、なんだか北京とか南京とかそうした異都の夜に、罪業の、さす らいの身を隠して憂念愁怖(ゆうねんしゅうふ)の思いに沈んでいる自分達であるようにさ え想えて、圭一郎もうら悲しさ、うら寂しさが骨身に沁みた。

「もう寝なさい」

と圭一郎は言った。

「ええ」

と答えて千登世は縫物を片づけ、ピンを抜き髮を解し、寝巻に着替えようとしたが、 圭一郎は彼女の(やつ)れた裸姿を見ると今さらのようにぎょっとして急いで眼を(つむ)った。

圭一郎の月給は当分の間は見習いとして三十五円だった。それでは生活を支える ことがむずかしいので不足の分は千登世の針仕事で稼ぐことになり

「和服御仕立い たします」

と書いた長方形の小さなボール紙を階下の路地に面した戸袋に貼りつけ た。幸い近所の人たちが縫物を持ってきてくれたのでどうにか月々は(しの)げた が、その代り期日ものなどで追い攻められて徹夜しなければならないため、千登世 の健康はほとんど台なしだった。

「こんなに髮の毛がぬけるのよ」

 千登世は朝髪を()く時ぬけ毛を束にして涙含みなが圭一郎に見せた。事実、 彼女の髮は痛々しいほど減って、添え毛して七三に撫でつけて(むくげ)を引きむしら れた小鳥の肌のような隙間が見えた。圭一郎の心の底から深い憐れさが沁みだし て来るのであったが、彼女の涙もたび重なると、時には自分たちの存在が根底から 覆えされるような憤りさえ覚えた。そう言って責めてくれるな! と哀訴したいような、 苦しいのはお互いさまではないか! とこう彼女の弱音に荒々しい批難と突っ慳貪(けんどん)な叱声を向けないではいられないエゴイスチックな衝動を感じた。

ひどい夏痩せの千登世は秋風が立ってからもなかなか肉づきが元に(もど)らなか った。顔はそうでもなかったけれど、といっても、二重顎は一重になり、裸体になった 時など肋骨が蒼白い皮膚の上に層をなして浮んで見えた。腰や腿のあたりは乾草 のようにしなびていた。ひとつは栄養不良のせいもあったが……。

圭一郎はスウスウ小刻みな(いびき)をかき出した細っこい彼女を抱いて睡ろうとし たが、急に頭の中がわくわくと口でも開いて呼吸でもするかのように、そしてそれに 伴った重苦しい鈍痛が襲ってきた。彼はチカチカ眼を刺す電灯に紫紺色のメリンス の風呂敷を巻きつけてみたがまた起って行って消してしまった。何もかも忘れつくし て熟睡に陥ちようと努めれば努めるほどいやが上にも頭が冴えて、容易に寝つけそ うもなかった。

立てつけのひどく悪い雨戸の隙間を洩るる月の光を面に浴びて白い括枕(くくりまくら) の上に髮こそ乱しておれ睫毛(まつげ)一本も動かさない寝像のいい千登世の顔は、さ ながら病む人のように蒼白かった。故郷に棄てて来た妻や子に対するよりも、より深 重な罪悪感を千登世に感じないわけには行かない。そう思うとどこからともなく込み 上げて来る強い憐愍(れんびん)がひとしきり続く。かと思うとポカンと放心した気持にも させられた。

ぜんたいこれからどうすればいいいのか? またどうなることだろうか? 圭一郎 は幾度も幾度も寝返りを打った。——